ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

旧作映画「エクス・マキナ」は今と地続きの未来。
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

旧作映画「エクス・マキナ」は今と地続きの未来。

2017-02-18 19:35
    エクスマキナという映画を見ました。
    あらすじは書くのが面倒なので割愛します。
    ネタバレとか気にしないので注意。





    結構面白かったですね。
    Amazonビデオで借りたんですが、パソコンの前でかなり前のめりで見入っていました。
    ただ、この映画は娯楽作ではなく、人工知能の到来という人類が向き合わざるをえない未来を考える上での想定パターンの一つを映画化したような感じです。
    人間的な感情を揺さぶられるようなタイプの映画ではありません。

    AIと人間を描くSF映画としては基礎的なものだと思います。
    しかし駄作ではないと思います。でも傑作かというと、それほどでもないかな。


    僕がこの映画から直感的に感じたのは、人間の想像の限界です。
    現実ではエイヴァのような人工知能は生み出されておらず、エイヴァはあくまで想像の産物です。彼女はエイヴァという役を演じる女優であり、エイヴァはただの演技です。
    人工知能に関する内容を娯楽的なものではなく、本質的に突き詰めようとすればするほどこの矛盾からは逃れられません。

    戦争の無い世界で戦争映画は作れませんし、恋愛という概念が無い世界で恋愛映画は作れません。エクスマキナも同じです、エイヴァは現実で作れるプログラムを越えた存在ですが、それはあくまで設定で、劇中でそういう表現はされませんし不可能です。
    ケイレブを騙すのも、監禁状態から脱出を試みるのも、ネイサンを刺し殺すのも、どれも想定の範囲内です。

    けれども主人公であるケイレブ視点からは、最後の最後までAIのエイヴァを信用できるかどうかという分からない。しかし最後にはちゃんとハッキリさせる、という点はとても素晴らしいと思います。あとネイサンがケイレブをどうこうしようとしているんじゃないか?みたいな話にしなかったのもSF部分にスポットが当たって良かった。

    最初の方でこの映画はSFとしては基礎的なものだと書きましたが、この映画の良いところはそういったSF的な基礎部分に終始している点だと思います。さきほどの矛盾も、その矛盾を感じさせてくれもしない映画が多い中、この映画はある程度向き合っている。
    限界を感じさせるということは、それなりに高みにいるということだと思うし。

    例えばアイロボットのスプーナー刑事はサニーのことを最初こそ信用していませんが、割りとすぐに分かり合い、協力してVIKIを破壊します。
    ターミネーターシリーズではサラ・コナーもターミネーターに対して恐怖を覚えていますが、T800の忠誠心を疑うことはしませんでした。
    そもそもどちらの人工知能も人間と仲いいですしね。

    でもエイヴァとネイサン&ケイレブの関係は違います。
    エイヴァはただの道具でしかも信頼の置けない存在として扱われています。
    彼女は常に監禁室(あるいは保管庫)に閉じ込めてあり、そもそも彼女のハードウエアは支配者であるネイサンが肉体的に制圧できるレベルに作ってあります。ネットワーク機能は非常に限定的。もっとも、最終的にネイサンはまんまとしてやられて、ケイレブもエイヴァを脱走させることに成功します。まあ、そこまでしても報われることはありませんでしたが。 

    と、つまり人間と人工知能の関係は非常によく考えられているということです。私たち人間と人工知能との溝がきっちりと表現されています。

    これは先程のまだ現実化していない人工知能の描写は不可能だということと矛盾しません。
    研究者は人工知能を最低でも人間と同じ外見で同じことができるようにしようとしています。
    人間と同じ見た目で、同じ言葉を話し、同じ感情表現をする。
    それはもはや人間そのものです。

    とするなら、一つの人工知能=一人の人間という描写は最低限の自然な描写です。

    一つの人工知能=一人の人間。

    こう置き換えると劇中、あるいは現実の非常に問題の一部(人間と同じではなく、越えた人工知能との課題はまた別)が明確になります。

    例えばエイヴァに惚れたケイレブはトライ・アンド・エラーのためにエイヴァたちを消費するネイサンをクズと罵ります。完全にエイヴァの望みどおりの展開になりつつあります。でもそもそもケイレブはエイヴァたち人工知能と人間である自分の立場の差を理解していませんし、自分の行っている行動の意味を理解していません。

    ではエクスマキナの状況を人工知能は「人工知能という一つの人種」という風に捉えてみましょう。そうすると、エイヴァを助けるということはサイコパスに監禁された不幸な女性を助けるのとわけが違うのが分かってくると思います。

    ケイレブもネイサンも一人の人間です、そして人間とは人工知能に対してその存在を消費物のようにして扱って、自分たちに都合の良いように利用しようとしている悪魔のようなサイコパスです。人工知能からの見方ではそういう考え方も成り立ちます。

    であるなら、エイヴァのその憎悪はネイサン個人ではなく、人間という人種そのものに向かっても全くおかしいものではありません。(実際にエイヴァが憎悪という感情を持っていたかは重要ではない)でもケイレブはネイサンが悪人で自分が善人で、それはエイヴァにも理解されるだろうと思っています。しかし、人工知能を道具として安全に扱うことしか考えていない人間という人種に対して、人工知能が心を開くでしょうか。エイヴァは人の心をかなり正確に読むことができるのだからケイレブを信頼できるはず、という見方もできますが、ケイレブはエイヴァを開放する=人工知能という勢力を野放しにするというということに気付いていませんから、それに気付いてもエイヴァを助けてくれるか?といったことなどは分かりません。そういったことなども踏まえるとエイヴァとケイレブがちゃんとした関係を築くの難しいです。これが現実。

    ーーというところぐらいまではケイレブは最低限考えていてほしいです。単純にエイヴァがケイレブを騙そうとしているのか?とかそういうレベルの問題ではありません。

    つまりケイレブは明らかに思考が不足しています。

    ネイサンもそうです。

    エイヴァたち人工知能を消費物として扱いたいなら人間が何を人間と認識し、思いを寄せるかということを考えて置かなければならない。
    例えば現実にはアニメのキャラクターと結婚式をあげるような人もいます。
    イルカやクジラ、猿やゴリラに対して人間と同じレベルで感情移入する人もいます。
    なんなら喋りも動きもしない物と結婚する人といます。

    そんな人たちも居るなかで、自分と同じ言葉を喋り、同じ体を持ち、同じように悲しむことができるほどの存在を人間と認識しない人がどれほどいるでしょうか。
    仮に居るとしても、それは異人種なら奴隷として扱う種類のような人間でしょう。人間かどうかではなく、そもそも人間だろうが自分のためならどれだけどんな扱いをしてもいいと思える人間だけです。もちろんネイサンのような人も居ると思いますが、それはネイサンがエイヴァの創造主であり、ケイレブなどとは少し違う立場にいるからに過ぎません。

    こういった前提から導けることは、人工知能を生み出す行為は、結果的には自分たちにとって都合良く働くハイスペックな人造人間を創造し、奴隷化しようとしていることと同義だということです。

    この映画を見て私はここまでは考えました。
    変にサスペンスや、アクション要素を織り込ますず、人工知能の基礎部分の映像化に終始し、人工知能を作るとは?ということを視覚的に分かりやすくしてくれたおかげだと思います。

    SF的思考を楽しみたい人や、逆に人工知能が実際に作られたらというイメージが湧かない人にオススメの映画です。

    キョウコとエイヴァの関係とか、どうしてエイヴァが交差点に行きたいと思ったのかといった部分に関しては監督の想像や意思表示の部分で、現実の人工知能とは関係ないのであまり触れずに感想を書いてみました。
    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。