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何でもいいから専門家になることをお勧めする。
自分の場合だと、現実においては元々教育工学等を研究していたこともあり、
社会では無意識だったり効率だったりの能力が頭一つ抜けている。
趣味の世界ではメダルゲームが一番詳しいのかもしれないが、
無意識だったり効率に詳しいからこそ、
メダルの稼ぎ方だの、メダルの遊び方だのを研究することができたのだ。
勿論一朝一夕で『専門家になれた』と自覚できるようなそれは専門家ではないし、
仮に専門家になれたとしても価値は無いだろう。
自分も子供の頃から普通の人間が着目しないような部分に着目し続けたからこそ、
大人になった時にその経験をまとめ上げることができたのだ。
『1万時間の法則』という言葉がある。何かを極めるには大体1万時間くらい必要、
日本のことわざで言えば石の上にも三年という概念だ。
一日3時間×10年と考えれば、非常に妥当だろう。
勿論専門家になる利点の1つは明確な強みができることだ。
自分はお世辞にもトータルの能力はそこまで高くは無いが、
得意分野の能力がずば抜けているからこそ社会に居場所を確立できるし評価もされる。
ただ自分としては専門家になるメリットとしては、
『専門家には専門家の常識がある』
と言うことを身を以て理解できることが大きいと考える。
皆さんは専門家がテレビ等に出ていて色々理論を語っているのを見た時、
「そんなわけないだろ」「頭でっかちの学者は常識がない」
なんて感想を抱いた経験は無いだろうか。自分は子供の頃は非常に抱いていた。
しかし今は抱いていない。
自分が一つのジャンルを学び続けていく過程で、
「世間の常識とは違う、専門家の常識」を身に着けて来たからだ。
専門家になるだけの経験があってこそ扱える常識があるからこそ、
その常識を使って高い成果を出してきたからこそ、
他の専門家にもそういったものがあると理解できたのだ。
メダルゲームの話になるが、自分はメダルを増やす動画をあげておきながら、
その辺の人にはメダルを増やす動画を見て真似することを勧めていない。
お金を使って複数人で遊ぶことを前提に設計されているメダルゲームに対し、
お金を使わず一人で増やすような遊び方を続けていれば、
メダルゲームが楽しめなくなるからだ。
それについて実際にメダルを増やしたのに飽きて辞めてしまった人や、
メダルを増やした結果普通に遊ぶだけでイライラするようになった人等、
実際の失敗事例を紹介しながら語ったところ、
面白いことに反応は真っ二つに分かれた。
「わかる。俺も楽しめなくなった」「確かに俺もポケモンとかそれで飽きたわ」
という肯定派と、
「そんなわけないだろ」「そういう人もいるかも知れないけど人それぞれだし」
という否定派だ。
この両者の間には明確な違いが存在する。
前者の肯定には大抵実体験が伴っているが、後者には伴っていない。
同じ経験をした人はすんなりと理論を受け入れることが出来ても、
経験をしたことが無い人は受け入れることができないのだ。
これぞまさしく『専門家には専門家の常識がある』を体現しているだろう。
その概念を理解しているからこそ、
他の専門家とも良好な関係を築くことができるし、
別の専門家の理論に「本当かよ?」と思ったら、
実際に経験をして確かめようという発想になる。
専門家になる過程でそれだけの行動力は身に着いたのだ。
今回のコロナの件、政府にはかなり不満がある。
医療関係者の言うことばかりを聞いたことだ。
コロナで何人くらい死にそうか、対策で何人くらい死ぬかを聞いた上で、
どうするかは経済だったり社会だったりの専門家に任せるべきだった。
経済がガタガタになったのは医療の専門家が経済や社会に口出しをしたからだろう。
自分が最初から経済を優先するスタンスを取っていたのも、
学問の繋がりでそっち方面はそれなりに詳しかったしデータも持っていたからこそ。
自分は医療関係者の〇万人死ぬ、自体は信用していたし、
政府は40万人くらい死ぬと言っていたが自分は100万人死ぬと思っていた。
それでも経済の方が全体効率のためには重要だと確信していたからこそ、
経済を優先し続けたのだ。
そしてその医療の専門家の〇万人死ぬ!だが、
大抵笑ってしまうほど外れている。
所詮は他の分野にもしゃしゃり出てくるレベルの専門家だったということか。
自分の場合だと、現実においては元々教育工学等を研究していたこともあり、
社会では無意識だったり効率だったりの能力が頭一つ抜けている。
趣味の世界ではメダルゲームが一番詳しいのかもしれないが、
無意識だったり効率に詳しいからこそ、
メダルの稼ぎ方だの、メダルの遊び方だのを研究することができたのだ。
勿論一朝一夕で『専門家になれた』と自覚できるようなそれは専門家ではないし、
仮に専門家になれたとしても価値は無いだろう。
自分も子供の頃から普通の人間が着目しないような部分に着目し続けたからこそ、
大人になった時にその経験をまとめ上げることができたのだ。
『1万時間の法則』という言葉がある。何かを極めるには大体1万時間くらい必要、
日本のことわざで言えば石の上にも三年という概念だ。
一日3時間×10年と考えれば、非常に妥当だろう。
勿論専門家になる利点の1つは明確な強みができることだ。
自分はお世辞にもトータルの能力はそこまで高くは無いが、
得意分野の能力がずば抜けているからこそ社会に居場所を確立できるし評価もされる。
ただ自分としては専門家になるメリットとしては、
『専門家には専門家の常識がある』
と言うことを身を以て理解できることが大きいと考える。
皆さんは専門家がテレビ等に出ていて色々理論を語っているのを見た時、
「そんなわけないだろ」「頭でっかちの学者は常識がない」
なんて感想を抱いた経験は無いだろうか。自分は子供の頃は非常に抱いていた。
しかし今は抱いていない。
自分が一つのジャンルを学び続けていく過程で、
「世間の常識とは違う、専門家の常識」を身に着けて来たからだ。
専門家になるだけの経験があってこそ扱える常識があるからこそ、
その常識を使って高い成果を出してきたからこそ、
他の専門家にもそういったものがあると理解できたのだ。
メダルゲームの話になるが、自分はメダルを増やす動画をあげておきながら、
その辺の人にはメダルを増やす動画を見て真似することを勧めていない。
お金を使って複数人で遊ぶことを前提に設計されているメダルゲームに対し、
お金を使わず一人で増やすような遊び方を続けていれば、
メダルゲームが楽しめなくなるからだ。
それについて実際にメダルを増やしたのに飽きて辞めてしまった人や、
メダルを増やした結果普通に遊ぶだけでイライラするようになった人等、
実際の失敗事例を紹介しながら語ったところ、
面白いことに反応は真っ二つに分かれた。
「わかる。俺も楽しめなくなった」「確かに俺もポケモンとかそれで飽きたわ」
という肯定派と、
「そんなわけないだろ」「そういう人もいるかも知れないけど人それぞれだし」
という否定派だ。
この両者の間には明確な違いが存在する。
前者の肯定には大抵実体験が伴っているが、後者には伴っていない。
同じ経験をした人はすんなりと理論を受け入れることが出来ても、
経験をしたことが無い人は受け入れることができないのだ。
これぞまさしく『専門家には専門家の常識がある』を体現しているだろう。
その概念を理解しているからこそ、
他の専門家とも良好な関係を築くことができるし、
別の専門家の理論に「本当かよ?」と思ったら、
実際に経験をして確かめようという発想になる。
専門家になる過程でそれだけの行動力は身に着いたのだ。
今回のコロナの件、政府にはかなり不満がある。
医療関係者の言うことばかりを聞いたことだ。
コロナで何人くらい死にそうか、対策で何人くらい死ぬかを聞いた上で、
どうするかは経済だったり社会だったりの専門家に任せるべきだった。
経済がガタガタになったのは医療の専門家が経済や社会に口出しをしたからだろう。
自分が最初から経済を優先するスタンスを取っていたのも、
学問の繋がりでそっち方面はそれなりに詳しかったしデータも持っていたからこそ。
自分は医療関係者の〇万人死ぬ、自体は信用していたし、
政府は40万人くらい死ぬと言っていたが自分は100万人死ぬと思っていた。
それでも経済の方が全体効率のためには重要だと確信していたからこそ、
経済を優先し続けたのだ。
そしてその医療の専門家の〇万人死ぬ!だが、
大抵笑ってしまうほど外れている。
所詮は他の分野にもしゃしゃり出てくるレベルの専門家だったということか。
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