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  • サントス・リペスケル関連人物・団体etc

    2018-01-14 11:20

    ペドロ・マッフィア(1899-1976) アルゼンチンの教師・作曲者・指揮者・バンドネオン奏者。ブエノスアイレス生れのイタリア系で、自宅がものすごく大きく豪邸であった。

    セバスティアン・ピアナ(1903-1994)BA市アルマグロ出身の作曲者・オルケスタ指導者・ピアニスト。タンゴ・ミロンガ・カンドンベ等を弾いた。イタリア系の父が無類の音楽好きで様々な楽器を与えられ、オデオン学院で巨匠デ・アゴスティーニ教授の指導も受けた。

    アベル・フレウリイ(1903-1953)アルゼンチンのフォークロア系ギタリスト・作曲者。ブエノスアイレス州ドロレス市生まれ。「草原様式」「復古ミロンガ」などの中心的存在。

    アルベルト・ゴメス(1904-1973) ブエノスアイレス州ローマス・デ・サモラ市生まれ。本名エヒディオ・アルベルト・アドゥッチ。歌手・作曲家・俳優として主に映画界で活躍。

    エドゥアルド・アルマーニ(1898-1970)BA市ラ・ボカ生まれのヴァイオリン奏者・オルケスタ指導者・作曲者・編曲者。専門教育を受けジャズ・タンゴ方面で活躍した。

    ルディ・マチャド(1928-2012)BA市バルラカス生まれのクラリネット奏者・サクソフォン奏者・作曲者・オルケスタ指導者。ジャンルはキューバなどを含む中南米トロピカル系全般及びジャズ。母親が元ボリショイ劇場ダンサー。父親と祖父も楽器奏者であった。

    アフメド・ラティプ・カンガ(1905-1993) オスマン帝国イスタンブール出身のターキッシュ・ジャズ系ギタリストで、イエメンに祖先をもつアラブ人。19才で父の命令でシカゴに留学し、バンジョーやエレギを学ぶ。トルコ共和国軍役の為の一時帰国を経て1933年ウルグアイ移住。「アウメッ・ラティプと彼のコットン・ピッケルス」を結成し、ラ・プラタ河両岸でジャズ流行最初期の成功者となる。1946年、コロン劇場の常連であった作曲家・ドラマーのティト・アルベルティの楽団と合併。国立文化芸術人墓地に埋葬されている。

    エル・ムンド 1935年に開局し現在も存続中のブエノスアイレス市のローカルラジオ。コンテンツは若者向け音楽生中継・児童向け・健康関連・娯楽・討論・観光・文学など。

    カナル・ヌエヴェ 1960年に軍政指導者&陸軍中将ペドロ・アランブルの統廃合で開局し、2007年以降メキシコ&グアテマラ資本のアルヴァヴィシオンが経営するラジオ・TV局。

    「土曜日が終わらない」カナル9のTV番組。内容はミュージカル。カナル13の同類番組「氏族倶楽部」と激しい視聴率争いをし、常に一番新しい音楽を紹介しようとしていた。

    アントニオ・カルリソ(1926-2016) BA市ヘネラル・ヴィジェガス生まれのTV&ラジオ司会・役者・評論家・アニメーター・チェス選手。ボビー・フィッシャーと対戦経験あり。

    エミリオ・アリニョ(1930-1996)スペインのマドリー出身のアルゼンチンの司会・解説・アニメーター・役者・番組制作指揮者。煙草・冷蔵庫・住宅・貿易業界等でも働いていた。

    「氏族倶楽部」1962-1964年までカナル13が放送していた人気音楽番組。最新のPOPを紹介し、中南米スペイン語圏の複数の国々をアルゼンチン音楽の絶大な影響下に置いた。

    フランシスコ・「パンチョ」・ゲルレロ  1931年ロサリオ生れのTV番組製作&制作指導者・映画監督・脚本家。カナル7を本拠に中南米・ドイツ・米国でも映像制作経験あり。

    ホセ・シブリアン(1916-2002) BA市出身の舞台役者・劇場指導者。バリオ不明。舞台及び映画でアルゼンチン・メキシコ・スペイン・米国と幅広く活動。現役期間は1942~82年。

    ポォレット・クリスティアン(1927-1967) フランス共和国プロヴァンス=アルペ=コート・ダジュール圏ニース市出身の役者・歌手・「星」。両親のレジスタンス参加の為、大戦中は米国で経験を積み戦後フランスでブレイク。のちアルゼンチンでも歌姫&俳優となった。

    ネイル・セダカ(1939-) トルコ・ロシア・ポーランド系ユダヤ人の血を引くシンガーソングライター。ビートルズ等ブリティッシュ・インヴェイジョン以前の米国の最大のロックスターの1人。1984-85年ごろ機動戦士Zガンダム上半期OP「Z・刻を越えて」の楽曲を提供。

    Yoshiyuki Tomino(1941-) 神奈川県小田原市出身。「Z・刻を越えて」作詞者で御大。

    ブラッキイェ(本名パロマ・エフロン,1912-1977)エントレ・リオス州コロニア・ノヴィブコ市出身の新聞記者・番組司会・ジャズ歌手。ユダヤ人で、西・英・仏・伊・葡・独・ヘブライの7言語を話せた。アルゼンチンTV業界の「父」であるユダヤ系ブルガリア移民の実業家ハイメ・ジャンケレヴィチのオファーを断り、タンゴと決別してジャズの道に進む。父の勧めで本場米国へ留学、コロンビア大学で人体科学を専攻。ルイ・アームストロング、エッラ・フィッツジェラルド等当時のアフロ系の巨星たちと働いた経験を国に持ち帰る。

    ピンキイ(1935-) 本名リディア・エルサ・サトラフノ。BA州サン・フスト市出身の記者・政治家・役者・モデル・TV司会。「共和国の提案」所属。2007-10年にかけ下院に3年間議席を持っていた。タレント最盛期にはコンラート・アデナウアー首相の招きで西ドイツに旅行したりNYのカーネギー・ホールやリンカーン・センター、メキシコ国立美術芸術院で劇に出るほどの絶大な人気があった。ユダヤ系ルーマニア移民の政治評論家ベルナルド・ノイシュタットの番組に出て以来、ピンキイの活躍の場は女性向け娯楽からシリアスな討論番組までほぼ全ジャンルを包括するほどに拡大し、アルゼンチンの和田アキ子に等しい存在へ昇華した。

    ベルナルド・ノイシュタット(1925-2008) ルーマニア王国ヤシ県ヤシ市出身。父がアルゼンチン大使館勤めであった御蔭で生後間もなく移民。新聞・TV・ラジオ業界で経験を積み政治批評に大きな影響力を獲得。民主化後はメネムとアルフォンシンの政策顧問を務めた。

    ウィルフレード・フェルラン(1931-2003) BA市出身・バリオ不明のTV・劇場監督者。BA大学文芸哲学部を卒業し1961年から80年まで、数多くの舞台劇・TV番組を統括した。

    アレハンドロ・ドリア(1936-2009) BA州BA県サン・イシドロ区出身の劇場・TV・映画監督及び役者。1974-2006年まで脚本または監督兼任で多数の映画を制作、賞を獲得した。

    ミーナ・アンナ・マッツィーニ(1940-) ファシスト政権末期のイタリア王国ロンバルディア州ヴァレーゼ県ブスト・アルジツィオ市出生の現役歌手。スイス国籍も保有。1958年にデビューし、イタリアの高度成長期からRAI等の歌番組で主要な国産スターとして活躍。

    レイナルド・ジソ(1915-1978) BA市リニエルス出身の文学者・タンゴ作詞家。父親がウルグアイ人。幼くしてリアリズムと社会観察眼に優れた作品を描く一方、地元バリオのヴェレス・サルスフィエルッの下部組織に所属しアマチュア選手としてプレーしていた。

    オズヴァルド・プフリエセ(1905-1995 )BA市ヴィジャ・クレスポ出身のピアニスト・タンゴ楽団指揮者・作曲者。ミロンガ×ヴァルスが社交文化だった古き良き時代の巨匠。

    ロベルト・チャネル(1914-1972) BA市カバジート出身の歌手・作曲・作詞者。ナポリ出身のイタリア人の息子で本名アルフレド・マッツォッキ。数々の名楽団・ラジオ局で歌った。歴史的評価は「都市の実態を赤裸々に歌い上げ、彼自身もその通り経済的に破綻した」。

    エクトル・ガフリアルディ(1909-1984) BA市憲法区出身。タンゴ最盛期の詩人・作詞家で、首都の独特な多国籍文化を伝承・音楽化したという、極めて高い歴史評価をされている。個人的にラシン・クルーブのインチャであり、応援愛を綴った詩を複数書き残している。

    カルロス・バアル(1902-1984) BA市ボカ出身のタンゴ作詞・作曲者。ハンブルク出身のドイツ人の父親とベルギー国籍のフランス系の母親の間に生まれた。600曲以上を制作、海軍兵役経験あり。歴史的評価は「ノスタルジーに依存せず多角的に現実と幻想を描いた」。

    フアン・ドミンゴ・ペローン(1895-1974) BA県ロボス市出身の政治家・軍高官。クーデター及び民主的選挙で権力を掌握したファシストで、労働者階級にはカルト的人気がある。軍属ではあるが彼の政策は一代思想とされ、他の軍政期と完全な別物と考えるのが普通。

    フアン・ダリエンソ(1900-1976) BA市ヴァルヴァネラ出身の楽団指揮者・ヴァイオリン奏者。タンゴ黄金期に、古典的隊編成を変えないまま楽器を刷新するという功績を残す。

    ホセ・アントニオ・ギジェルモ・ディヴィト(1914-1969) BA市某バリオ出身の画家。通称ウィリー。多数の人気キャラを生んだ自身の漫画を軸に「リコ・ティポ」を発刊した。

    リコ・ティポ(多種) 1944-1972年まで発行されたディヴィトの編集の下で発行されていた雑誌。英語圏の風刺雑誌や少年向けSF・ファンタジーなどを参考に、多様な漫画・ラノベ等で構成されていた。表現の自由の牙城だったが、ディヴィトの死から数年後に強制廃刊。

    アルド・カンマロタ(1930-2002) BA市某バリオ出身の演出家・タンゴ作詞者・風刺家。第1次ペロン政権期から最終軍政末期まで新聞やTVアニメで活躍。引退後米国に移住した。

    デルフィル・アマラント・ディカソロ(1920-2013) BA州BA県チヴィルコイ市出身の役者・芸人・作家・演出家・漫画家。1960年代-70年代の代表的な漫画家であり、同時にラジオのお笑い番組のプロット構成を多数手がけた。ナポリ出身のイタリア系移民の息子。

    ラディオ・スプレンディッ 1923年開局のブエノスアイレス市ローカルラジオ。最初の番組がカルロス・ガルデルの生出演だった。数々の政変・検閲を乗り越え2018年現在存続中。

    ラ・レヴィスタ・デスロカーダ(所在地不明雑誌) 1952年にディカソロ統括・出演の下でスプレンディドで始まり後にC7、C13などへ移転しつつ1973年まで放送された音楽+御笑い番組。反ペロン主義の発信源であるが、しかし陸軍中将ラヌッシ政権に潰されている。

    ウバルド・デ・リオ(1929-2012) BA市ボエド出身のタンゴギタリスタ・作曲者。9才で国立音楽院に入り13才で卒業・デビューした神童。文豪J.L.ボルヘスに作詞提供を受けた事があり、本人いわく「ガルデルを含む黄金期のほぼ全ての巨人と共演した」。6月9日通りでの独立200周年記念ライヴに81歳ながら1万人以上を集めており、現役期間が極めて長かった。

    ルイス・モイセス・ルビステイン(1908-1954) BA市サン・クリストバル出身でタンゴ最盛期の詩人・作詞者・評論家。両親は帝政ロシア支配下のウクライナ中部ドニプロペトロフスク出身。父モトゥル・ルビンシュタインは東欧ユダヤに多い靴職人(南米移住後も同じ仕事を継続)・母マリア・カプランは正統派神学校で学位を得た超ユダヤ夫妻。日露戦争後のポグロム激化を嫌ってアルゼンチンに移民した。ボエドが「芸術のバリオ」化するのに貢献したとの事。なお出目を隠すため本来の性からNを一文字抜いて「ルビステイン」。10人兄弟の次男。アルゼンチン音楽の詞に、典型的体質「実現しない願望」を根付かせた功罪がある。

    パンタグルエル 1534年にフランス人フランソワ・ラブレーが完成させたファンタジー小説「ガルガンチュアとパンタグリュエル」の第1章に登場する、肥満体で金欠のモンスター。主人公らに撃退される。一般に消費癖が強く貯蓄が苦手な俗物の同義語とされている。




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  • 「サントス・リペスケル」って誰?

    2018-01-14 10:45
    サントス・リペスケルはアルゼンチン共和国サンタ・フェ州ロサリオ市出身(1918年10月10日生誕~1978年6月30日没)のオルケスタ指揮者・クラリネット奏者・バンドネオン奏者・サクソフォン奏者・複数ジャンル作曲者・音楽プロデューサー・ミュージシャン育成者。本名「サロモーン」。アンドレー、ヴィンセント・モロッコ、ヴァレンティノ、ロイ・ベスト、チコ・メンドーサ、パスカル・ヴァレンティ、ガスパリーン、ジャン=ピエール、ロナルッ・ボン&ハシント.W等の芸名を用いた。

     ロサリオ市で帝政ロシア支配下のオデッサから移民したユダヤ系夫妻、ホセー・リペスケルとアナ・ドビンの間に6人兄弟の4男として生まれる。全員幼くして音楽教育を受け、うち4人-フェーリス、レオーン、フレッディ、サントスがプロになった。教育は過酷で機械的かつスパルタであり、近所でも有名であった。

     サントスは少年楽団のクラリネットから音楽を始めた。若干12才で自分の個性を反映したオルケスタ団体「パラティーニ・ロマーノ」を結成。1934年、兄レオが獲得した別のオルケスタ団体のバンドネオン奏者ペドロ・マッフィアと協働する機会を得て、彼からバンドネオンの演奏技術を学ぶことが出来たのは大きな幸運であった。これが無ければ彼が有名で成功した演奏者となり、多彩な楽器を正規教育無しで操る事など無理であったろう。
     時は流れ、サントスはJazzとシンコペーション、特にサクソフォンに傾倒し始める。それはタンゴを疎かにする程だったが、完全に放棄はしなかった。1939年、ピアノ奏者セバスティアーン・ピアナ、前述のペドロ・マッフィア、ギター奏者アベル・フレウリイとコントラバス奏者アルフレード・コルレトと歌手アルベルト・ゴーメスの5人と悲情系ミロンガを軸に活動する楽団を結成。

     1940年代、ブエノスアイレスのパレルモ宮殿を本拠地にしていたサクソフォン奏者サム・リーベルマンの主宰するJazz系オルケスタ団体を吸収合併。以来、サントス自身は再び本職クラリネットを担当しつつ流行に追いつくため高音Saxoもプレイした。彼は自身多くのポジションを経験したが、同時にその万能さは他の楽団からも好評で、エドゥアルド・アルマーニ、ルディ・アジャラ、ロベルト・セーサリ、ロス・コットン・ピッケルス・デ・アウメッ・ラティプ、ラ・ジャズ・カジノ、ルディ・マチャド&ルイス・ロレロ、その他多数に招かれ共演した。

     1950年代。サントスはラジオ局「エル・ムンド」に腰を落ち着け楽団を指揮運営。そして別の局、より風通しの良い「カナル9」へ移籍。このラジオ時代に彼はサインによる無言の演奏指揮力を非常に高め、自分達の看板番組を動かせる主導権も持っていた。1967年1月5日から1969年までカナル9でTV放送された「土曜日が終わらない」という番組では特に音楽面で強い監督力を保持。1965年にアントニオ・カルリソ、1966年にエミリオ・アリニョと同時代の最も人気の高いニューウェイヴ系歌手も視聴率アップに貢献。競合番組「氏族倶楽部」さえも凌駕する豪華な顔ぶれであった。

     やはりカナル9の人気番組であった「エル・エスペシアル」でも同様の工夫が見られた。パンチョ・ゲッレーロの音楽監督&ホセー・シブリアーンの指揮、さらに映画スターであったパウレッテ・クリスティアンとバレエ界のベアトリス・フェッラーリの出演も実現している。 1966年に入るとカナル9内でのサントスの指揮する音楽番組は更に増えた。スペイン出身のデュオ「ピリ&ミリ」、アルベルト・アデジャチ脚本構成の笑劇「ピリミリビム」などは、放送期間も再放送も少なく今となってはレアである。米国人ニール・セダカ監修及びブラッキイェの指揮・制作番組のほか、「ブエノスアイレスの聖レモ」はピンキイ指揮&アリシア・ノルトン作詞、ウィルフレード・ノルラーン音楽監督、アレハンドロ・ドリア製作にくわえイタリア人歌手ミーナの出演など極めて豪華であった。

     作曲者としてのサントスは数百曲を残している。タンゴに関して歴史的に有名なのは悲嘲系タンゴ「ボレロ」、1947年レイナルド・ジソ(※ブエノスアイレスっ子の世代的断絶への反抗を盛り込んだ)作詞、オスヴァルド・プグリエセ楽団演奏とロベルト・カナル歌唱もあり大ヒット。1953年に人気詩人エークトル・ガフリアルディの作詞で完成した「欲望」は率直に言えば、貧困地区について語る交響曲と表現できるだろう。1938年に旧友ペドロ・マッフィアとも協働歴のある歌手マルティーン・ポデスター作詞で完成した「数々の悲しみ」は知識人向け浪漫タンゴ。このように指揮者である一方、楽団内の多くの同僚の助けを得て作曲を完遂した。「単なる言の葉」は1940年にカルロス・バアル作詞で完成した。

     レイナルド・ジソとの共作「街角の偉丈夫」は1948年作の悲劇性タンゴであるが、歌詞はフアン・ドミンゴ・ペロン政権のイタリア系移民の悲哀を過剰に強調した、政治的宣伝に使用され評判は良くなく、第2次大戦後のひどい財政破綻を隠蔽し国を美化した作品と見られている。1955年の「貧民街区のコンシエルト」はヴォーカル無しのインスト曲。1956年から制作が始まった「ペティテロ」、いわゆる戯画的かつ罵倒的に時代と流行を風刺あるいは批判する作品であるが、これにはオルケスタ楽団持ちのフアン・ダリエンソ演奏&収録、美丈夫のサンタ・フェのプチ・カフェ及びカジャオの主演で完成した。

     他ジャンルでは、ボレロ、クンビア、ヌエヴァオレロ系の曲「一体何の為に」、1948年の国家の難局を歌った「アルゼンチン人である事に福音を感じる。さらなる美と幸あふれる国に生きる」等のヴァルスがある。ディヴィトへのオマージュを捧げた曲「ディヴィト・ブーギェ」については、ディヴィト氏がロス・コットン・ピッケルスの翻訳カヴァーやボカ・ジュニオルスの公式行進曲の作者、「リコ・ティポ」なる社会現象の生みの親である理由から有名だ。

     1957年、御笑い芸人アルド・カッマロータと役者・物真似芸人デールフォル・アマラントの人気漫才番組の為に作られた曲はラディオ・スプレンディッの「ラ・レヴィスタ・ディスロカーダ」で放送された。「エル・タンゴ」の呼び声もあったハコボ・ゴーメスが繰り返した唱えた訴えの歌詞「頼む事さえ出来ないのか」は、自分の娘がユダヤ人であるために結婚できない絶望性を描いた。しかし最終的には超宗教的に認められる結末を盛り上げる装置となっている。1920年代以来欧州から来て間もない、イディッシュ話者系ユダヤ人ネタの御笑いタンゴがヒットしており、このみっともないジャンルの跳梁跋扈を食い止める他の強力な音楽もまた足りていなかった。

     サントスはその場その場で必要とされる曲を完成させる為に、自分の楽団のメンバーに離合集散を繰り返し起こした。「偉大な実績を持つ」と大ウソを吹いて募集してきた男や、音楽的評価が低く超一発屋であろうとも現時点でヒットしていれば商業上戦力になると判断し採用した。例えば、アンドレーとその仲間達(タンゴとフォルクローレに特化)。音楽水準が間違いなく高かったウバルド・リーオ&ダンテ・アミカレッリ。ヴィンセント・モロッコと彼のオルケスタ。ブラジルを題材にした多彩で完成度の高い曲をヒットさせたマラカンガーリャ。ジャズ系ジャンルの制作に定評のあった「ジョニーの小闘士達」。「トゥルルー小夜曲楽団」などである。

     G.Gとゴー・ゴーは、とても長い曲「ボレロスとGo-Go」を制作。オルケスタ学習塾A.マティアスとそのSaxoは「渚の眠気」を複数ヴァージョンで出して成功を収めた。アパチェ。ロス・クラウディオス。御悪魔達。オパンチョの旦那。ルチョの旦那とアメリカのリズム。ガストーンとその仲間達。バンダ・エスパーニャ。ロス・カンドンベロス。チコ・メンドーサ。御港のカルテット。ガスパリーンとその仲間達。ジョージ・ベスト。ロイ・バクスターと五人組。ヴァレンティノとトロピカル・バンド。ロナルド・ボン。煙草のミュージカル。L.Sとその仲間達。メチコロ。ラフエンテとその仲間達。パスカル・ヴァレンティ。ジャンピエール。オルケスタ・ロス・マドリレーニョス。よく焼けた7つのリズム。マリンバ・ソノラ。ロス・ケルビネス。ロス・ロッケルスとトリーオ・バルヴァネラ。

     疑いなく音楽的才能に恵まれていたサントス・リペスケルは、経済的な大胆さも危険性も持ち合わせており、稼いだ金の大半は即時に浪費してしまうクセが治らなかった。ルイス・ルビステイン並みのパンタグルエルである彼は、大ヒットが出る度にウルグアイのモンテヴィデオに船出に出て、貸し切った行きつけのレスタウランテで豪勢な祝勝会を毎回のようにやりまくっていた。





  • 【初投稿】~好きな事で、逝きていく~

    2017-04-15 00:14
    はじめまして、Touhou Gasです。

    まだブログの使い方がよくわからないのですが、多分やっているうちに慣れるのではないかと思います。ここでは翻訳動画の反省点やコメント返し、説明文では長すぎる注意点を書いていこうと思っています。

    軌道に乗ってくれば次第にコアな内容になっていってしまうかと思いますけど、一番の目的は自動翻訳を使わずに耳と辞書でやったんだという事をわかってもらうため、そして何より自分と同じようにサッカーを楽しんでいる人たちと出会いたい、という事ですね。

    といってもそんなにニコニコに入り浸る時間があるわけでは無いので、投稿から反省まとめに入るまでに時間差が結構できてしまうかと思います。御容赦ください。