• 超現実主義

    2019-09-06 00:33
    相変わらず気まぐれな更新ですね。
    久々に更新しましょう。

    前回何の話書いたかほとんど忘れたって書こうとしたのに、
    タイトルだけで大体なんとなく思い出せたのでやはり命名は大事なのかも。
    関係あるかないかは知りませんが暗記は得意でした。

    話が逸れる前にタイトルに入りますけれども、超現実主義。
    現実主義とはよく言いますね。
    夢や理想を斬り捨てて実際の出来事を処理するような感じ。
    言葉が一緒でも内容は違うわけなんですけれども。

    何に対して現実的かって言えば、
    自身を不安定にするようなことに対して現実的になるのです。

    例えば、翌日に大事な本番があるとか、怒られそうな内容があるとか、何か忘れてるかもしれないとか、そういうまだ起こりもしてないことに対して一切の可能性を無視する考え方です。

    起こってもないことを不安に思ったり心配するのを止めるだけです。
    超簡単。
    嘘です、実際簡単ではないと思います。

    何故なら、多くの人は、
    以前に書いた対抗理論を人間は少なからず無意識に自分を守る為に実施するからです。
    どういうことか。
    悪い方向に先に考えておくことで、後に起きる悪い事に対しての精神的距離を縮めといて衝撃を緩和しようとするのです。

    簡単な例で言えば、
    余裕だったと思ったテストが不合格であることと、ダメだったかもと思ったテストが不合格であることの差です。
    人間、出来事の良し悪しよりも、現在地からのギャップで傷付きやすいんです。
    なので無意識に自身を守ろうとすると、不安になるのが自然な流れなんですね。

    けれども、不安になるということは決して楽なことではありません。
    結果だけを見れば悪い結果という底に対して落下距離が短くなるので、衝撃は確かにマシにはなります。
    ただ、落下距離を短くする為に、ネガティブという名の海に潜り続けていることになります。
    当然潜り続ければ酸素は減るし圧力は掛かり続けるしなので、疲労も大きいです。
    衝撃がマシだとしても、その蓄積する疲労の分で実際あんまり変わらないんですよね。

    なので、それならばと、海に勝手に沈もうとする自身を引き上げて吊るして沈ませないって話です。それが超現実主義。
    起きてもないこと、更に言えば予兆があるわけでもないことについて、結果が来てから考えましょう、それまでは結果がどうかなんてこと忘れて遊んどきましょう。そんな感じ。
    流石に夏休みの宿題をしてないとか、やるべき仕事を放棄しているとか、そんなあからさまに怒られそうなことをやっておきながら考える理論ではないとは先に言っておきますね。

    あくまで、やるべきことはやったけれどもしかしたら良くない結果になるかもしれないという思いを抑える考え方なので。
    悪い事は考えようとせず、潔く、起きたら起きたで仕方ないって構えておくのがコツです。
    開き直りましょう。大体の人の結果に対する不安は生死関わりません。失敗しても全然生きれます。むしろ生きろ。なので不安になる必要ないです。その瞬間まで忘れましょう。

    そんな感じの考え方なんですけれど。
    ですけれど、
    実際書いてみると、「それが出来ないから困ってる」みたいな話になりそうですね。

    難しい問題かもしれないですが、私が実践しているやり方としては、
    不安を抱えた時、頭からその不安を丸ごとポイって捨てるイメージを持ってます。
    別に頭からじゃなくても、指から発射して捨てたり、目の前を殴るフリして吹き飛ばすイメージをしたり、何でも良いです。とにかく自分で不安を外に飛ばすイメージをしやすい合図を決めてそれを都度実践するだけです。

    抽象的な話ですけれど、そういったイメージを描くことはとても大事。

    ちなみに応用的な話ですけれど、結果が起きるまで気にしないってことを徹底すると、
    かなり公平な人付き合いをすることが出来るかも知れないです。
    事が起きるまで人の事を考えないわけですから。

    というわけで長かったですけれど今回はこの辺で。
    今回の内容最後まで読んだ人は多分凄いか暇人のどちらか、かもです。
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  • ルート文言

    2019-08-16 03:56
    珍しく内容を繋げていきましょう。
    前回は認知させる/させないをコントロールする話…え、そんな話じゃない…?
    そんなことないです。
    結局認知させるかさせないかの本質は、
    相手の認知をこちら側からコントロールすることにあります。
    目的は会話そのものをこちら側の予想出来る範囲内に置く事で有利にすること。

    そして、その目的の為に欠かせないのが、ルート文言、
    と言ってもタイトルに持ってくる為に適当な名称を付けているだけなんですけれどね。

    簡単に言ってしまえば、予想出来る返答を得られるルート=会話を作るだけです。
    相手の返す言葉をある程度誘導する文言のことですね。

    身近な例を挙げれば芸人のボケとツッコミです。
    例えばコンビであるなら、ボケはお互いに共有しきった決まり文句(=決まったルート)のボケとそれに反応するツッコミがあります。
    それを普段の会話に用いるだけです。

    とは言っても、有名なボケとツッコミじゃない言葉でどのようにそう言ったルートを作るか。
    これは相手のことを知らなければいけません。

    簡易的なもので表すと、朝なのに「こんばんは」と言う場合。
    例えば、無視して「おはよう」と返すタイプ。
    例えば、「朝だよ!」ってツッコミを入れるタイプ。
    例えば、そのまま「こんばんは」と乗ってくるタイプ。
    どのルートの確率が高いかを予め予想して、その上で「こんばんは」と発するのです。

    確率を求める方法は単純、相手のやりとりを観察すること、実際にやりとりを繰り返すこと。
    そうして出てくる統計を基準として、ルートを組み上げていくのです。
    ある程度基準が出来ていれば、その人間が余程ぶれた精神状態や思考状態にない限りは、ピンポイントで当たらないとしても範囲を絞ってルートを予想することが出来ます。

    これがルート文言になります。
    認知をコントロールし、返答を予想範囲内に収める。
    あんまり手の内を明かすことは書きたくはないですが、私がたまに異常に返答が早い時且つ思考を高速回転してる時でないタイミング且つ反射でない場合は、この方法で予想しているからです。(あくまでごく一部なので、そうでない場合が多いです。)

    前回よりも簡単な説明になってしまいましたが、以上です。
  • 認知する/させる技術

    2019-08-15 02:03
    認知とは
    「心理学などで、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。」

    意味だけ書けばこうである。
    では知覚とはどういうことなのか。
    「動物が外界からの刺激を感覚として自覚し、刺激の種類を意味づけすることである。」
    その後の説明も含めて簡略化すると、外界で得た情報を感覚器官を用いて色や匂いや味や温度等の体験として置き換えること。

    つまり、外界からの不確定な情報を体感し、それが何であるかを判断及び解釈して初めて認知となる。
    ざっくり言ってしまえば認知ってそんな感じ。
    自分単体だけで考えれば、このプロセスさえこなせば「認知出来た」つまり「対象が存在することを認めた」となるわけだが、

    が、

    じゃあ他人から見て、その人が「認知した」っていう判別はどうやったら出来る?
    全ての器官が正常だとすれば、一番簡単なのは相手が「対象は~だ!」と断言した言葉を聞くこと?

    でももし、聞いた人間からすれば、相手が断言した存在が対象と異なるものだったら?
    内容を簡単にしよう。

    相手の認知:対象=A と断言したとする。
    聞き手の認知:対象≠Aであって=B であれば、

    対象がAだと断言した相手は間違っている。
    つまり認知出来ていないということになる?

    だがもし、聞き手の認知自体が間違っているとすれば?
    相手が認知出来たことになる?いやその可能性もあるが、もしかすると両者とも外れでCの可能性もある。さらに言えば両者とも外れとなるCがさらに外れてDとなる場合もある。
    A~Zどの存在でも表すことの出来ない未知の存在の可能性は?

    こうなってくると、何が認知なのかさっぱりである。

    と、正直収集のつかなさそうな蛇足は置いておいて、本題に戻り、
    ちゃんと『対象はAである』という前提状況の世界に置いてあげることとする。
    相手が「対象はAだ!」と言えば、聞き手にとっても相手はAを認知出来たと判別できるわけだ。
    でも、それまでの間、聞き手は相手が対象がAであることを認知できたことを認知出来ていないのである。
    無論、聞き手がもし超能力者で、相手の心を読めるのであれば断言する必要はないのだが、ここではそう言った超常現象も無しとして、相手が発言して、聴覚を用いて聞いた瞬間に相手の認知を理解できることとする。
    世界には前提条件をたくさん置いてあげないと小さな一つも上手く説明出来ないのだ。

    最後の一行は放っておいて、この条件で考えると、
    聞き手にとって相手が認知したことを認知することは、相手が断言しない限り不可能となってくる。

    この時、『相手』の立ち位置に立ってみよう。
    ここで『相手』は『私』に置き換えることとする。
    そして、『私』は、『対象がAである』ことを既に認知している。
    後は聞き手に『対象がAであることを認知した事実』を伝えるのみだ。
    だがここで、私は選択権を持つことになる。
    ・聞き手に素直に「対象はAである」と伝えることで認知したことを認知させ完結すること。
    ・逆に対象がAであることを伝えず、まだ認知していないと思わせて継続すること。
    これこそが認知させる技術にあたる。
    私が認知したという事実を聞き手に認知させるかさせないかを選ぶのだ。

    例えば始めからわかってたフリをして私にとって問題を簡単だと貶めるのも選択肢。
    例えば知らないフリをして私にとって問題を難問に仕立て上げることも一つの選択肢。

    選択肢により、聞き手にとっては『私を含めた対象』に対する認知が大きく変わるのである。
    例えば、聞き手にとって対象を認知することが難しいと認知していた場合は、対象をあっさり認知した私を認知力に優れた存在だと認知するかもしれない。
    例えば、聞き手にとって対象を認知することが簡単だと認知していた場合は、対象をなかなか認知することの出来ない私を認知力の劣った存在だと認知するかもしれない。

    あくまで一例であり、その後の行動がどうなるかにおいては、私と聞き手の関係や所属する環境(…例えば仕事場、教室、日常 etc.)によって変化する為、意図的に『認知させる技術』を使用する場合は相手の行動パターンをよく知った上で操作する必要がある。

    上手く使えば、明日の宿題/課題は今日より簡単なものになるかもしれないし、失敗すれば評価を落とされ点数や給料に響いてくるかもしれない。

    とにかく、扱いは慎重に。
    後者にネガティブを持ち込んで締めくくることで、認知させる技術が慎重に扱わなくちゃいけないと読み手は認知するわけだ。