言葉は弾丸ではなく銃
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言葉は弾丸ではなく銃

2020-07-08 02:44
    ちょっとだけメモみたいな感じ。
    今からじっくりことこと煮込んだ文章打つのはちょっとしんどいので。

    というわけで、タイトルにもあるように言葉は弾丸ではなく銃。
    言葉は弾丸では?ってよく言われそう。(適当)
    確かに、人々は言葉を放つ。
    人間が銃であり、言葉は弾丸なのだと。
    その弾丸は扱いを間違えれば他人を撃ち抜いて負傷させるし、
    正しく扱えば傷を癒す怪しい弾丸にすらなる。

    でもそうではなくて。
    ちょっと観点変えてます。

    確かに人間が言葉を相手へ放つという事に関しては、人間は銃であるし、言葉は弾丸である。

    しかし、
    言葉は本当に言葉単体で他人を撃ち抜く程鋭利なのか。
    言葉は本当に傷を癒す秘術なのか。
    多分そうではない。

    言葉、言葉という存在そのものは、むしろ単体では何の色も何の形も付いていない、
    ただの空虚な器みたいなものじゃないだろうか。
    言葉に対して、意味や理由、善悪、それらを付けているのが人間であり、
    それらを感じるのも人間であるからこそ、
    言葉は本質的にはただの器。弾丸を飛ばす為の銃となり得る。

    じゃあ弾丸は何か。
    人間の欲望と忌避そのものじゃないだろうか。
    例えば、今朝の私のツイートの「批判」という言葉。
    批判そのものは「良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。
    という意味が検索でも出てくる。
    でも、この文章を読んで批判という存在を認識したところで、私たち人間は喜怒哀楽何も感じない。
    批判という言葉と意味自体には、まだ何も弾丸が込められていないからだ。

    ここに、人間が、欲望や忌避を加えてリロードする。
    例えば感情的な批判を、例をあげた上で「これが批判だ」と説明する。
    そうすると、感情的に暴言を言う姿を見て不快に感じる人は居るかもしれない、怒る人もいるかもしれない。
    そう、人間が色と形を与えることで、初めて他人に対して精神的経由で物理的に影響を与える存在になったのだ。

    あくまで、言葉自体は、言葉自体では何の効力も味も無いただの言葉。
    弾薬の込められていないただの銃と同じ。
    これが、欲望や忌避という弾丸を込められて、初めて弾丸が撃てる銃という武器になるのだ。
    このような観点で考えると、言葉が銃で、欲望や忌避が弾丸になるのである。

    そんな感じ。
    メモ程度なのでまだまだ荒い部分もありますが、今日の朝のツイートを見てふと思い付いた考え方でした。
    ねま寝ましょう
    ではでは。
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