鏡面電送
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鏡面電送

2020-07-13 01:43
    例えば、自身が認知している自身と、他人の瞳に映る自身は同一か。
    例えば、数多の無意識による認識が作り上げる自身の像が、自身が認知している自身の一部を含むのなら、それは全て自身だと言えるのか。
    例えば、自身という存在が他人の認知で別人になり得るのなら、自身が自身のことを別人のような性格、思想、その他思考回路を持つ者として認知すれば、自身は他人になり得るのか。
    そもそも、自身が認知している自身とは、本当にそれが自身の全てであり、全ての可能性を汲み尽くした存在なのか。

    まとめずに書き連ねていくのであれば、いっぱい出てきちゃうわけですが。
    認識や認知という存在については、自分自身ですら色々組み替えたり、騙したりできるのでとても面白い上に可能性に満ち溢れているわけですよ。

    私の思考法や哲学的考え方も、基本的には認識と認知を利用することが多いですから。
    主題は欲望と忌避ですけれどね。手法が認識と認知。適当に言った。

    起きた/起きている 事実は変えられなくとも、認識や志向性を調整することによって、現実は変えられるのですよ。
    このあたりもまた書けたら書きたいですね。

    もっと掘り下げたり広げたりして書きたいんですけれど、
    体調があまり良くないのでこの辺で切りますね。
    許せサスケ。

    お休みなさい。
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