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Memories 02 「すべての始まり」
2009年3月10日に保存された、30ページ程度のテキストデータがある。
完成するまでの1ヶ月間、60回以上にわたってアップデートを続けた「すべての始まり」テキストデータの、一番最初のバージョンだ。
一番初めには、『熱い毎日だった。悔しくて、負けたくなくて、闘ってばかりの毎日だった・・・』から始まる、本のまえがきに記されている文章がある。
本にあるのとまったく同じ文章だ。
続けて本文の始まりがある。
〜 僕がその闘いに参加したのは、エックスと出会ってから半年以上が過ぎた頃だった。「共闘」となるまでに半年かかったわけを説明するために、まず僕の話をしなければいけない。当時Sony Musicの社員だった僕は、新人発掘の仕事をしていた。〜
と、やはり書き方は違うが前回このブロマガに書いた通り、時系列に沿って書き始めている。
読み進めてみると、10ページほどで文章が一旦途切れ、続けて今後書こうと思っているいくつかのエピソードが、荒削りな文章でまとめられている。
どうやらまだ本の構想を練っている段階のようだ。
そのまま読み進めると、その先にいきなり「あとがき」の原稿が登場したので僕は驚いた。
しかも、実際に本になったものとは違う文章なのだ。
意義がありそうなので、その文章を引用してみたい。
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Memories 01 「Xという青春」
僕は「すべての始まり」という著書で、僕自身が体験した「Xという物語」について書いている。
まだ本人たちと会う前の1987年秋から始まり、1990年春、Rose & Blood Tourの締めくくりに近い日本武道館までの2年半を詳細に描き、その後「Jealousy」を完成させた後にファンが起こした奇跡と、その結果が1992年1月7日、東京ドーム3Daysの最終日に永遠として形になる様子を描いた。
僕が「すべての始まり」で描いたことは、X JAPANというバンドとそのメンバー、そしてファンが創り続けてきた「Xという物語」の一部だ。
34年という長い年月の中の4年間だから、ごく一部とも言える。
僕はその短い4年間を、僕なりに「Xの青春」と捉えて描いている。
それは僕が当時のメンバーに青春の輝きを強く感じたからだ。
僕は、青春という時期の持つ最大の魅力とは、自分の未来を創るために失敗を恐れず全力で走ることだと思っている。
だからあの4年間は、まさしくXというバンドの青春なのだ。
そして、僕にとってもまた同じように、あの4年間は青春だった。
音楽人生を全うしたくて、大学2年の時にプロのミュージシャンとなるまで青春らしい時間を省いて生きていた僕にとって、その後ソニーミュージックへ入社して菅野よう子や宮本浩次と出会いながら、自らプロデュースを手がけるアーティストとの出会いを探していた僕の目の前に現れたXのメンバーと始めた闘いの日々は、それまで生きてきた僕の音楽人生をそのまま全て捧げながら勝負する、僕にとって人生の甲子園だった。
その闘いで得たものが僕の音楽人生の基盤となり、創りたかった未来が確かなものになり、「Xという物語」という宝物を手にした。
その4年間が眩いほどの輝きに満ちた青春の日々だったことに気づいたから、僕は「すべての始まり」という本で、僕の見つめていたXの青春に自分自身の青春を重ね合わせて書いた。
それが僕にとっても青春だったという想いを、僕はこのような文章で表現した。突然、僕は、青空が見たくなった。抜けるような、青い空が見たい・・・。そして、笑顔・・・。ああ・・・。僕は思い出した。そういえば、笑顔がたくさんあったな。TOSHIの、PATAの、そしてHIDEの笑顔・・・。YOSHIKIの笑顔、それから、TAIJIの笑顔・・・。あの、懐かしい頃のエックス。エックスの昔の記憶をたどると、笑顔ばかりが浮かぶ。
(プロローグより)窓から青山の街並みを見ながら、僕は気づいた。記憶の中で輝く時間は、永遠に消えないんだな。抜けるような、青い空も、懐かしい、あの5人の笑顔も・・・。すべては、1987年に始まった。TOSHITAIJIPATAHIDEYOSHIKIこの5人が出会ったことから、始まったのだ。
(エピローグより)
このふたつの文章に込めたのは、僕にとってあの4年間が、メンバーの笑顔と抜けるような青空に象徴される、幸せで輝きに溢れた日々だったのだ・・・という想いだった。
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『Innocent Eyes』145〜 YOSHIKIとB’z の松本さんの対談から見えてくる、新たな可能性について
3月28日に配信された「B’z 松本孝弘 x X JAPAN YOSHIKI Onlineスペシャル対談」を観た。
内容がとても気持ちの良いものだったので、感想や気づいたことなどを綴ってみたい。
まず最初に感じたのが、YOSHIKIとB’z の松本さんの関係あるいは相性の良さだった。
無邪気で何も隠さずありのままの自分を見せるYOSHIKIと、真面目で良識と思慮に富んだ発言をする松本さん。
それは、同じロックスターでありながら、純粋芸術家でもあるYOSHIKIと、職人のように実績を積んできた松本さんという、二人の音楽家としての在り方の違いそのものだった。
つまりどちらもそのような在り方の極みであり、だからどちらも圧倒的であり嘘がないのだ。
なぜなら、それぞれの音楽家としての在り方が、二人の人間性そのものが反映されたものだからだ。
ということは、YOSHIKIについてはこのブロマガで僕がいつも書いている通りなのだけれど、松本さんも人間性がそのまま作品や音楽活動に表れている、本物のアーティストだということになる。
僕が今回の対談を観ていて気持ちが良かったのは、日本人でありながらきちんとその本物性が垣間見えるアーティスト同士の会話だからであり、かつ二人ともエンターテインメントの本場アメリカで正しく評価されていることが嬉しかったからかも知れない。
そのように内容が確かで豊かな対談だったので、観ながら色々なことを感じたり発見したりした。
まず全体を通して、YOSHIKIがいくつかの局面で自分への反省のような発言をし、それを松本さんがそこがYOSHIKIの良さなのだ、という感想を伝えるという会話が目立ったが、そのやり取りにむしろ僕は、今のYOSHIKIが大変良い状態にあるのではないか、という印象を受けた。
それはなぜか。
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