好きなように生きていながら、一方で僕は自分の偏りはある程度わかっているつもりです。
ここまで自由であることを最優先にして大事な人生の選択をし、何もかも自分流にカスタマイズしながら好き勝手に生き、その代わりに自由に伴う不安や恐怖もまた当たり前に受けとめ続ける日々・・・。
そんな生きかたも果たしてどうなのだろうか・・・と思いますし、このエッセイの始まりを飾ったネガティヴ祭りのきっかけでもある「ネガティヴを無効化し続けてきた」生きかたも、一度音楽と決めたら音楽人生を貫き通す生きかたも、全てが凄まじく偏っているとは思います。
でも、僕が自分で一番偏ってるなあ、と感じるのは、常に自分にケンカを売って毎日を過ごしているところです。
自分との闘いと言うと聞こえは良いですが、若い頃あまりに上昇志向が強かったせいか、自分を高めて望む場所へ辿り着くため、僕は常に納得のいかない自分にケンカを売って、ダメな自分を蹴落としながら進化して前へ進む道を歩んで来ました。
10年前20年前の自分はもちろんのこと、たとえ昨日の自分でもズタボロに貶しているわけです。
その代わり、他人はあまり気にならないし、どんどん成長できるので、まあ結構気持ちの良いものではあります。
ただ・・・
やはり何事も度が過ぎるのは良くないわけで、僕のこの生きかたの何が良くないかというと、過去の自分をちゃんと評価できていないんですね。
今の僕自身は否定するけれど、実は過去の自分もそれなりに頑張ってきたわけです。
何よりその成果が今の自分を作っているわけです。
でも、ケンカ腰過ぎてどうもそこがちゃんとわかっていない。
実際、Xのプロデュースに携わっていた頃の自分なんて今の僕にしたらまあズタボロなわけですが、当時の自分が取材を受けた雑誌の記事を読むと、今の自分とほぼ変わらないほど大切なことがわかっていて、思っていたよりもなかなかちゃんとしているので驚くのです。
少し悔しいし、何なら若干の嫉妬心すら芽生えます。
もう少し過去の自分も認めてあげれば良いのに・・・と思うわけです。
で、実は僕のそういった偏りは、さらにもっと重大な問題を生んでいるんです。
それは何かというと・・・