【ドラクエ映画】ユア・ストーリーは「ラスト」ではなく「入り」を間違えた【ネタバレあり】
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【ドラクエ映画】ユア・ストーリーは「ラスト」ではなく「入り」を間違えた【ネタバレあり】

2019-08-23 00:25
    はい、見てきました。ドラクエ映画。地獄でした。

    前評判は聞いていたので、わりと冷静に見れるだろうと余裕を持っていましたが、見事にやられました。まだ気分が晴れません。

    見終わってしばらく時間が経ち、冷静さは多少なり戻りつつあります。文章を書ける精神力は取り戻しました。

    さて、ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのラストが、なぜ多く人々に呪いとして降りかかったのか。そのことについて書きたい気分になったので、私なりの救済をしようと思います。



    ラストのくだりについて。物語の落としどころとしては、話の組み立てさえ間違えなければ良いラストだったと思います。

    ゲームは所詮データ。現実を生き抜く上で必要が無いもの。本気になるほどばかばかしい。

    普段ゲームを嗜んでいる人たちにとって非常に耳障りな言葉です。その言葉に立ち向かい、僕たちの冒険は本物だ!決して偽物なんかじゃない!と立ち向かう主人公。

    そんな主人公を見て、しょうもない茶番劇だと観客はしけた笑いを吐くでしょうか?ふつうであればそんなことは無いはずです。

    しかし、ユア・ストーリーではそれが茶番劇になりました。



    ユア・ストーリーの最大の問題点は最後の残り10分になるまで、ドラゴンクエストをしていたことです。その結果、あの最後の敵がラスボスとして相応しくないズレたものになりました。

    ユア・ストーリーの物語はある種のキマイラであると言えます。

    ・主人公リュカが憎き宿敵ゲマを倒す物語。いわゆる絶対正義と絶対悪の戦い。
    ・ゲームという不必要な存在を肯定する物語。いわゆるコンプレックスからの脱却。

    この二つが合わさった。絶対正義と絶対悪の戦いをバカにする物語。それがユア・ストーリーです。



    どうすればユア・ストーリーが神映画として歴史に名を残せたのか。それは非常に簡単なことで、あの最後の敵がラスボスに相応しくなるようお膳立てするだけで良い映画になったはずです。

    最初から最後の残り10分までがドラゴンクエストだったために、観客はゲマ、はたまたミルドラースを倒して終わる映画なのだろうと勘違いしてしまいました。これとラストのギャップがあまりにもショッキングすぎて耐えがたいものになったのです。

    最初に、「ゲーム作りなんて子供っぽい仕事してるんですね」と世間から蔑まれるゲームクリエイターを主人公として登場させ、ふらっと寄った大型ゲームイベントのVRブースで「あの頃の思い出をもう一度!懐かしのドラクエⅤがVRで追体験出来ますよ!」という声にふらっとつられてドラクエⅤの世界に入る。

    そして物語も佳境に入り、最後の敵が提示する最後の障害物。「大人になれ」

    それに対し主人公。「あの頃の冒険があって今の僕がある!ビアンカとフローラで揺れた思いになんの間違いがある!冒険も物語も作り物とバカにするお前に、何の世界が救えるか!」

    となれば、あの現実世界のサラリーマンは主人公になれたし。あの最後の敵もラスボスになったはずなんです。

    宣伝広告から最後の残り10分までの間に、ユア・ストーリーを伝えていたか。この脚本を書いた山崎貴総監督は胸に手を当てて考えてみてください。一素人がはっきり言います。詰めが甘いですよ。

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