持山寺跡 - 祖圓和尚(そえんおしょう)の顔面石
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持山寺跡 - 祖圓和尚(そえんおしょう)の顔面石

2014-02-10 16:57

    武甲山

     北側斜面は石灰岩の採掘場です。偶に発破(ダイナマイト)の音が響きます。

     

    持山寺跡

     ここに儚き物語があります…。この地で祖圓和尚を名乗り、念仏往生を遂げた人物がおりました。駿河大納言「徳川忠長」が嫡男「長七郎長頼」だと言い伝えられております。(不詳)史実とは少し趣を異にするこの話、強大な幕府中枢の権力闘争の名残をいまに伝えるエピソード(外伝)の一種でしょうか。いずれにしても、持山山系には(やんごとなき)「誰か」が庵を結んでいた様です。
    「徳川忠長」は江戸幕府第三代将軍「徳川家光」の弟です。忠長切腹後、嫡男「長七郎長頼」は秩父の地に逃れ、終の棲家として持山山系(いまの大持山、子持山)に小庵を営んだとされます。祖圓和尚は「南無阿弥陀仏」を唱えていたそうです。果たして父の供養に明け暮れる毎日だったのでしょうか。

     

    新編武蔵風土記稿『秩父郡横瀬村』の項より

     持山是も武甲山の内にて、東南に續けり、一の鳥居より堂のありし跡まで、三十町程、傳へ云、往古上杉伊豆守重能鎌倉より敗績して、茲に忍び居れりとぞ、其後根古屋に移住せるよし、『秩父風土記』には、伊豆守憲政とあれども疑はし、その後田村圓福寺五世の僧、祖圓和尚この山に閑居し、一寺を營み、阿弥陀山念佛寺と號にし由、いつの頃にか廃寺となれり、祖圓俗称は忠長卿の御息、長七郎殿とこそきこゆ、この寺地より西北二町許にあたり、巌下に入定場と云るあり、開山其和尚の化せし地なりと、五輪の塔あり、正面に刻するは、阿彌陀山念佛寺光西塔、右には元和八年四月十五日伊奈十郎・富田吉右衛門、左には此石塔菩提人二千萬人大供養、男子女子共成佛、井上雅楽介・富田内匠・高野七右衛門、為三界人々也と勒せり、塔の高さ八尺餘、又寺地より谷川をへだてゝ三町許、南にあたり少の平らに觀音の跡あり、盤岩の下に石佛及び石塔あり、天和四年とのみ見ゆ(抜粋)



    祖圓和尚(そえんおしょう)の顔面石

    南無阿弥陀仏

    参道三十八丁目の少し上


    御嶽神社(武甲山) 一ノ鳥居

     一ノ鳥居に鎮座する狛犬はオオカミの様です。いまは失われたとされるニホンオオカミの咆哮が聞こえてくる気がします。



     筆者の直感では、ニホンオオカミはまだ生きていると思われます。生息地域も、大体の目星が付いています。

      

     もし見付けたら、まず写真を撮ってこのブログで発表します。


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