きょう(6月12日)、日隅一雄さんの一周忌を迎えた。

東京電力福島第一原発の事故直後から鬼気迫る勢いで取材を続けた第一人者、癌に身体が蝕まれていることを知ったのちも東京電力の会見に通い続けた「真に国民栄誉賞に値する人物」(上杉)が亡くなって、もう一年が経つ。

この間、様々な人々が、様々な思惑で彼について言及してきた。

死後になって急に日隅さんとの信頼関係を強調する人、ありもしない約束をでっちあげる人、さもしいこの世の現実を目の当たりにして、私は、静かにそうした人々と距離を置くことに決めた。

なにより、それは日隅さんが求めていないことだろうし、この世を去った日隅さん自身が「地獄」(日隅さん自身は天国じゃなくて地獄に行くと自ら冗談めかして語っていた)から、きっと怒りの目で見ているに違いないとも思える所業の数々であると確信しているからだ。

それはさて置き、病院に駆けつけたあの夜以降、私は、自分の心の中で勝手に冥福を祈り、自らの方法で日隅さんを追悼することに決めている。

墓参りも行っていない。遺族との連絡は年頭を最後に取っていない。それで十分だということは日隅さんが一番理解してくれているだろう。

さて、きょうは一周忌、生前(といっても私と日隅さんの付き合いは本当に晩年に限られるが)、日隅さんと私の間で交わされた当時の「約束」をここで簡単に披露したい。

いまだ終わっていない原発事故、そして、ほとんどのことで考え方が一致しなかった私と日隅さんの間で、不思議なことに原発事故とジャーナリズムの在り方については同意一致していたものが多かった。

その共感の交差点がある「約束」となって、日隅さんと私の短くはあるけれど友情になっていたのだと思う。