中学校の教諭にあまりよい思い出はない。
暴走族の友人とつるんでいただけで内申書の点数を削られたり、クラスメートが家出しただけで往復ビンタを喰らったりと(いまだに理由は不明)、中学時代、私にとっての教諭はすなわち「敵」だった。
先日、久しぶりにある中学教諭と再会した。川根眞也さん、現役の中学校の教諭である。
川根さんは私の「恩師」ではない。初対面は2年前、私がキャスターを務めるテレビ番組『ニュースの深層』(現「深層の火曜日」)にゲストのひとりとしてお越しいただいたのが初対面だ。
「埼玉県の私の学校の周辺ですらいまだに低くない空間線量が認められるんです。とくにあの年の3月15日は一マクロシーベルトを超えて、とんでもないことが始まっているんだなと緊張し、生徒たちには(学校として)自宅待機を命じたのです」
中学校教師という職業だけで川根さんを考えると間違いを犯す。かれは教諭というよりもジャーナリスト、いやむしろ「伝道師」ともいうべき人物だ。あの当時、日本において被曝の危険性を訴えることがどれほど厳しいことだったかは、当事者でなければ理解できないだろう。
私自身も驚くほどの誹謗中傷を受けたが(いまなおそれは続いている)、川根さんは、その比ではないかもしれない。
なにより、当時、私はジャーナリストだったが、川根さんは公職に就く中学教諭だったのだ(現在も)。
教育委員会だけではなく、メディアの報道を信じたPTAなどから相当の圧力と非難があったことは想像に難くない。