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記事 72件
  • 恋愛は罪か? AKB48のスキャンダル

    2013-02-09 08:00  
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    AKBの指原莉乃と峯岸みなみの二人と『週刊プレイボーイ』(集英社)誌上で連載を始めて3年が経つ。最初に二人に出会ったころの印象は「賢い少女たちだな」という程度のものだった。当時、二人とも高校生だったということもあって、まだまだ幼なさの抜け切れなかった。だが、その内奥には輝くような賢明さを小さく放っていた。それが何かは一緒に仕事を続けていく中で判明してくる。指原は、その率直な好奇心が彼女の成長と相まって生来からのクレバーさを際立たせていく。社会の疑問には黙っていられず、少女特有の不安定さを抱えながらも、挑戦する意欲を決して失わない大人になっていく。私は彼女に向かって「ジャーナリスト向きだ」と伝えたことがある。峯岸は、誰もが認める率直さの中に独特の強さを滲ませていた。メンバーの誰とも同心円で付き合い、一期生の責任感と後輩に対しての面倒見の良さを発揮していた。どんな時でも笑顔を絶やさず、スタッフや周囲の人間に優しい反面、自らに対してはとても厳しかった。講談社の企画で、私がAKBメンバーのランキングをつける特集のあった時のことだ。 
  • アルジェリア実名報道問題は「記者クラブ」が原因

    2013-02-06 09:00  
    元ジャーナリスト上杉隆氏のブロマガを担当しているライターの斎藤です。先日アルジェリアで起きたテロ事件では、日本人を含む人質多数が死亡する痛ましい結果となりました。その際、政府が公表を控えている段階で、朝日新聞が人質となった可能性のある人物の実名を報道したことは、この人物の親族を名乗る方がネット上で強く抗議したこともあり、大きな波紋を巻き起こしました。その影響は朝日新聞だけでなく、他の報道機関にも及び、実名報道の是非についての議論が活発に交わされることになりました。この事件について上杉氏に直撃インタビューを実施してきました。以下は、そのやり取りの内容です。
    ――大前提として実名報道そのものに関する上杉氏の考えをお聞かせください。賛成ですか?反対ですか?
    上杉:実名報道自体は賛成です。実名を出すこと自体を責めている人もいるが、実名でなければわからないことはある。もちろん報道される一部には、載せる必要のない情報もあります。しかし、「名前」そのものは載せるのがむしろ当たり前だという認識です。海外で危険のあるなかでも、仕事をしている人がいる。そこで働いている人を記号にしないためには、「名前」というものが必要だと考えます。
    ――ですが、政府も襲撃されたプラントを開設し、多数の社員が人質となった日揮も、氏名は公表しない意向を示していました。それでも実名報道はするべきなのでしょうか。
    上杉:もし仮に、私が政府担当者であったなら、実名を公表していたと思います。ですが同時に、今回の政府や日揮側の対応に関しては、批判されるべきものではないと思っています。政府はきちんと情報が確定するまでは、情報を明らかにしないという立場だったと思いますし、日揮側は他の従業員の安全面を考慮した上での非公表という結論だったのでしょうから。私は賛同できないけれども、政治的判断、そして経営的判断として尊重するべきものだと思います。
    ――ということは、今回の実名報道自体は間違っていないと?
    上杉:それは違います。みなさん問題を混同してしまいがちですが、人質の関係者の話が事実だとすると、今回、朝日新聞の記者が実名を報道したのは間違っています。ただ、問題は実名報道そのものではなく、その情報を入手した取材方法にあるんです。朝日の記者は関係者に「実名を公表しない」という約束で情報を入手しました。にも関わらず、同意なしに公表してしまった。しかも、誰から情報を得たのかがわかってしまうようなやり方で。これは情報源の秘匿というジャーナリズムの根底に関わる問題。報道には実名が必要だ、という主張は私も同意しますが、そのために取材した人との約束を反故にするというのでは、守るべきポイントを間違えている。ウォーターゲート事件を思い出してください。記者は情報提供者の名前を本人が名乗り出るまで、30年も守り通している。私自身もさまざまな取材活動を行っていますし、その中でいろんな批判にさらされることもあります。そんな時、情報源を明らかにすることで批判をかわせるとしても、それをしてはいけないし、やったことは一度もありません。ジャーナリズムとはそういうものです。
    ――ジャーナリズムの根底にあるものが、なぜ今回は守られなかったのでしょう。
    上杉:いつも指摘していることですが、一番大きな要因は「記者クラブ」というシステムにあります。海外では「自らの名前」で取材をし、記事にするときも署名することで内容に対する責任を明確にしています。しかし、日本のマスコミは会社の名前で取材活動し、「記者クラブ」で横並びに情報を得ることに慣れている。記事に対して、自ら責任を取ると言う意識がないし、その権限もありません。今回朝日の記者は当初実名を伏せる方針だったところ、上司に言われて出さざるを得なかったという話も聞いています。そういう組織になっている時点で、起こるべくして起こった事件と言える。今回の事件は特に目立っていますが、こうしたやり取りはマスコミでは日常的に起こっています。これを無くすためにも、記者個人の責任を明確にし、「記者クラブ」を廃止して、新しい組織を構築していく必要があるでしょう。
  • ツイッターは終わったか?(1)

    2013-02-06 08:00  
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    日本のメディア環境の劣化が著しい。日本人が、記者クラブシステムなど一元的な情報受信に慣れてしまっているためだろうか、自ら考え情報の是非を判断することを不得意とする人々が社会全体に蔓延しているようだ。それは情報リテラシーの欠如による思考停止を招き、社会全体の硬直化につながっている。悲惨なことに、そうした傾向は知識人などのエリート層において顕著だ。また、ネットに慣れ親しむ若年層なども「2ちゃんねる:のような匿名での情報の受発信に慣れてしまっているため、責任ある情報社会を築くことをさらに難しくしている。そうした社会的な要因も影響しているのだろう、先日、国境なき記者団の発表した報道の自由度で、日本のそれは世界53位にまで急降下してしまっている。確かにツイッターやフェイスブックなど日本人のSNSの使い方を、海外との比較で眺めていてもそう感じる。何を食べた、犬猫と遊んだ、という他愛もない平和な会話が延々とSNSの大半を占めている(もちろん海外のSNSもそうした傾向がないわけではないし、私自身もそれを否定しているわけではない。ただ、日本の場合は極端すぎるのだ)。 
  • 死者への詫び状 日隅一雄賞の真相

    2013-02-01 08:00  
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    先週の土曜日(1月26日)、第二回自由報道協会賞の授賞式が無事終わった。大賞はジャーナリストの大先輩である広瀬隆さん。取材ヘリを寄付で飛ばし、デモの空撮を行ったことが主な受賞理由だが、それ以外にも3.11以降の週刊朝日での連載、あるいはチェルノブイリ原発事故以降の長い原発報道などが受賞理由にあがっていた。私、個人としてもとても嬉しいし、昨年まで大賞に名前の冠のついていた日隅一雄さんも、あの世で喜んでいるに違いない。自由報道協会賞は、前回の反省を活かして、各賞選考において第三者も入った選考委員会を立ち上げ、長い時間をかけてノミネートを選び、さらにその中からもっと長時間かけて受賞者(作品)を選ぶというスタイルに変更した。仮に、日隅一雄さんが生きていれば、きっと選考委員会に進んで参加していただろう。「上杉さん、私にやらせてください」という声がいまにも聞こえそうなくらいだ。実際、第一回目の「選考」にも日隅さんは関わっていた。それもあったのだろう、一年前の第一回目の自由報道協会賞授賞式で、プレゼンターとして壇上に上がった日隅さんの嬉しそうな笑顔がいまなお忘れられない。「こんな無名の私の名前が、自由報道協会の賞、しかも大賞に残るなんて本当に申し訳ない限りです。もっと立派な諸先輩方がいらっしゃるのに――。とても名誉なことで嬉しく感じています。心からありがとう」その日隅さんとの約束をまさか反故にしなくてはならなくなる日が早く訪れるとは夢にも思わなかった。今回、自由報道協会はその大賞から日隅さんの名前を外した。その代わり、故人ではあるが特別賞を授与し、日隅さんとの関係を協会として清算することにしたのだ。協会内部では誰一人望んでいない結論だった。にもかかわらず、自由報道協会は日隅さんの名前を使うことを放棄せざるを得なかった。いったいなぜか?これから書くことは、いまでもなお私自身、明らかにすべきかどうか悩んでいることだ。 
  • チベット僧焼身自殺発言 日隅一雄の本音

    2013-01-29 08:00  
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    日隅一雄さんとの信頼関係がさらに強固になったのはある「事件」がきっかけだった。ただし、それは私にとっても、日隅さんにとっても哀しい「事件」であった。自由報道協会で、ダライラマ法王の記者会見を実現するまでには長く厳しい道のりがあった。協会副代表であるピオ・デミリア氏の存在がなければ、それはまず実現しなかったであろう。また、警備全般を担当した村上隆保氏をはじめ協会事務局、そして、なんといってもダライラマ日本事務所のラクパ氏の理解が大きかった。中国方面からとも思われる圧力が筆者の身にも及び、会見後ではあったが「暗殺リスト」に私の名前が載っていることも、後に交流事業団体のF代表から知らされて改めて緊張を覚えたものだった。これ以上の詳細は省くが、とにかく誕生してまもない自由報道協会が、ダライラマ法王の会見を成功させたのはその後の活動も含め、また会員たちの自信を高めるうえでも、非常に大きな意義があった。しかし、その後、痛恨の出来事(事件)が起こる。それは第一回自由報道協会賞授与式の席上、日隅さんの挨拶がきっかけだった。「チベットの僧侶のように、経産省前かどこかで焼身自殺でもしてやろうかと――」2011年の暮れも迫ると、日隅さんの容態は日を追うごとに悪くなるのが見て取れた。そのためか、ときどき日隅さんは死に様をみつけるような弱音を吐くことが多くなっていた。官邸前や経産省前での「抗議の自死」も、その頃の日隅さんの口癖のようになっていた。ちょうどそのころ、チベットでは若い僧侶たちが焼身という衝撃的かつ痛ましい手段でもって中国政府への抗議を繰り返していた(現在も続く)。もとよりチベットの人権問題に理解を示していた日隅さんだからこそ、それが頭の片隅にあったのだろう。また、自由報道協会の授賞式の挨拶で、いくぶん高揚していたというのもあったのだろう、まさしく原発政策、被曝政策の日本政府の不作為に抗議してきた自らを、チベットの僧侶たちの命懸けの抵抗に重ね合わせ、焼身自殺を引き合いにその点に触れたのだった。だが、喩えが悪かった。まずは匿名のアカウントがツイッターで「火」をつけた。それに呼応するように、いわゆる「炎上」が始まったのだ。 
  • 自由報道協会賞と「日隅一雄」の精神

    2013-01-28 11:00  
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    きょう(1月26日)第二回目の自由報道協会賞が開かれる。発足してからちょうど2年(2011年1月27日)、公益法人になり、委員会選考に変わってからは初のアワードだ。果たして大賞は誰の手にわたるのか? 協会の一員としても楽しみだ。だが、一方で大いなる悲しみもある。予想していたとはいえ、あの人がいないのだ。第一回自由報道協会賞の主役で、大賞の冠にその名を付けていた日隅一雄氏のことである。日隅さんは、この自由報道協会賞の創設と成長に並々ならぬ意欲を示していた。「上杉さん、とにかく最低三年間、この賞を続けてください。そして、できたら自分のように陽の当たらないジャーナリストたちを見つけ、励ましになるような賞に育ててください。それが私からのお願いの一つです。もしできなかったら、化けて出ます」そう言い遺して、日隅さんはこの世を去った。だが、今回、自由報道協会賞は、その日隅さんの名前を対象の冠から外した。それは決して委員会が臨んだものではなかったのだが、協会もこの悲しい決定に従うことになった。最終的には、大貫アワード委員会委員長と協会代表理事の筆者の判断によって、自由報道協会は「日隅一雄賞」の看板を静かに外したのだが、その理由は、ここでは明らかにしない。授賞式当日、あるいは、そのことに触れるかもしれないが、そうしないかもしれない。いずれにせよ、自由報道協会賞には日隅さんの精神が宿っていることだけは、ここに書き留めておこうと思う。「死人に口なし」とはよく言ったものだ。これから書くことは本当の話だが、あまりに、最近のことであり、しかも身近な人々が当事者になっているがゆえ、抑え気味に書かなくてはならないのだ。 
  • 日本新聞協会に問う! 軽減税率のご都合主義

    2013-01-18 08:00  
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    ご都合主義とはこのことだろう。軽減税率の適用を巡って、案の定、あの業界が動き出した。〈新聞は、国の内外で日々起きる広範なニュースや情報を正確に報道し、多様な意見・論評を広く国民に提供することによって、民主主義社会の健全な発展と国民生活の向上に大きく寄与しています。民主主義の主役は国民です。その国民が正しい判断を下すには、政治や経済、社会など、さまざまな分野の情報を手軽に入手できる環境が重要です。欧州各国では、民主主義を支える公共財として一定の要件を備えた新聞、書籍、雑誌にゼロ税率や軽減税率を適用し、消費者が知識を得る負担を軽くしています。「知識には課税せず」「新聞には最低の税率を適用すべし」という認識は、欧米諸国でほぼ共通しています〉(2013年1月15日 日本新聞協会声明)確かにそうだろう。「知識には課税せず」というのは民主主義国家の共通認識であり、欧米の多くの国で新聞への減税の軽減が適用されているのは事実だ(とはいえ、ドイツでは7%、豪州では10%などの軽減税率で日本の標準税率5%よりも高い)。だが、そうであるならば新聞協会に問いたい。社団法人日本新聞協会よりもずっと公共性の高い公益社団法人自由報道協会などの公益団体の扱いはどうなのか?そこに所属するジャーナリストや海外メディアの言論活動などに対しても軽減税率の適用を求めてはくれないのだろうか? 
  • オバマ方式 安倍官邸のメディア戦略

    2013-01-15 18:00  
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    安倍官邸が怒涛のメディア戦術を繰り出している。仕掛け人は世耕官房副長官だろうか、あるいは飯島勲参与だろうか(おそらく、世耕さんを中心とした若手スタッフによるスピンだと思われるが)。いずれにしろ、安倍官邸の新しいメディア戦略は、旧態依然とした大手メディアを大いに揺さぶり、スタート時は奏効しているようだ。改革は安倍首相本人のフェースブックで明らかにされた。早速、1月9日の投稿をみてみよう。〈昨日、閣議室を公開しました。多くの方は閣議前、閣僚が撮影の為集合する部屋を、閣議室と思っておられたのではないでしょうか。私も官房副長官に就任するまでそう思っていました。昨年末は首相執務室での電話会談の模様を官邸写真部が撮影した写真を公開しました。「仕事の中身と共に執務状況も国民の皆さまにオープンにすべきだ」と考えたからです〉(1月9日安倍首相フェイスブック)実は、今回の安倍官邸のメディア改革は、2009年のオバマ米大統領の側近チームのスピン戦略をなぞったものが多い。オバマチームは2009年の就任直後から、ホワイトハウスのそれまでの旧来のメディア戦略を止め、SNSを中心としたスピンに切り替えていった。2008年当時、私はそのスピンコントロールの大胆さに驚嘆し、拙著などで盛んに指摘したものだ。 
  • 「アザブ」の沢木耕太郎

    2013-01-11 08:00  
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    当時、私は銀座で一日の旅を終えるのを常としていた。赤坂、六本木で飲んでいても、仕舞いには必ず銀座に戻り、最後のグラスを傾ける。議員秘書時代は選挙区であったこともあり、それはさらに顕著だった。仕事の終わりには先輩秘書たちに呼び出され、「ムラ」(当時銀座をそう呼んでいた)に集まり、一日を終えるのが半ば強制的な習わしとなっていたのだ。それはニューヨークタイムズに入ってからも変わらず、フリーランスのジャーナリストとして独立してからも続いた。銀座から徒歩圏内に住んでいるということもあるのだろう。私にとっての銀座は、特別な観光地でも商業地でもなく、単なるご近所に過ぎなかった。実際、夜の旅が終われば、みな駅やタクシー乗り場に揃って向かうところを、私一人が「では、おやすみなさい」と反対方向に踵を返し、自宅に向かう小路を歩き出すのだ。それは、一種の優越感とともに私自身の日課ともなっていた。だが、そんな生活に終止符を打ってからすでに4、5年が経とうとしている。いまは晴海通りを自家用車で通り抜けるのみが、私にとっての「銀座」になっている。銀座では多くの人々と出会った。いまなお変わらぬ付き合いの人もいれば、疎遠になってしまった人もいる。大臣になった人もいれば、刑務所の塀の反対側に行ってしまった人もいる。そして、その日の夜も、私は、銀座の街をおそらくアルコールの匂いを若干強めに放ちながら、いつもの夜と同じように旅をしていたにちがいない。そんな情景が記憶の淵に引っかかっている。ただ、これから書くことは何も特別な「事件」のことではない。いつもの銀座の夜と変わらぬ時間を過ごしていた。ただ、その夜は少しだけ違ったのかもしれない。不思議なことに行く店、行く店で知り合いに会うのだった。 
  • 歴史の作り方 石原慎太郎の時の人々

    2013-01-10 08:00  
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    石原慎太郎さんに『わが人生の時の人々』(文藝春秋)という著書がある。作家としての交遊録だったように記憶しているが、タイトルをしっかり記憶している割には、その内容は判然としておらず覚えていない。ただ、ずいぶん前だが、その本を読んだ時の印象は、やはり彼は「時代(昭和)」のスターだったのだなとつくづくと感じ入ったことであった。長嶋茂雄、美空ひばり、石原裕次郎──。石原さんが、こうした「昭和のスター」たちのひとりであったことは疑いのない事実である。それは同書に登場するキラ星のごときスターたちとの交友を知ればなおさらだ。ところが、こうしたスターたちと違って、「石原慎太郎」はその一員でありながら、激しい毀誉褒貶の対象であり続けている。いったいなぜか?「長く生きるといいことのある反面、余計なことも味合わなくてはならなくて嫌だね」10年くらい前だったか、石原さんの旧友Aさんについて話していた時、こう語っていたのを思いだした。