芸術の「リテラシー」――「表現の不自由展・その後」をめぐる議論から
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芸術の「リテラシー」――「表現の不自由展・その後」をめぐる議論から

2020-05-07 11:33



    はじめに


    2019年8月1日から約2か月に渡り津田大介氏を監督として開催された「あいちトリエンナーレ2019 『情の時代』」は、その一企画である「表現の不自由展・その後(以下、「不自由展」と表現)」が多くの議論を巻き起こした。日韓従軍慰安婦問題の象徴である《平和の少女像》や昭和天皇の写真を燃やす映像などを含んだ本展示は、国家援助を受け開催される展示会としてはふさわしくないと批判を受け、河村たかし名古屋市長による批判や政府による援助金交付の再検討など、多くの面で議論が生じた。「不自由展」の一時的中止を受け、多くの芸術家が展示の取りやめや変更、および「ReFreedom_Aichi」プロジェクトを通した抗議運動などに代表されるような本展示に関する騒動は、日本国内における芸術と政治の歴史に間違いなく名を刻むことになった事態になったといえるだろう。

    このような大きな騒動を巻き起こした本展示をめぐる評価は賛否両論であり、SNSをはじめとして多様な主張がなされてきた。日韓問題の象徴ともいえる《平和の少女像》や、昭和天皇の肖像を燃やすという《遠近を抱えてPartⅡ》などの作品が展示された本展覧会は、その内容が日本国民の感情を傷つけるものであるという批判や、また国家に対して批判的な作品を公的資金で運営されるあいちトリエンナーレで展示することは許されないという批判が生じてきた。その一方、これらの「不自由展」に内包されたコンセプトという視点から見れば、本展覧会は芸術が社会の中でどのような役割を担うべきなのか、或いは芸術は社会から独立して存在するべきであるのかをめぐる倫理的な問いかけを広く大衆にアピールしたと言えよう。この問題は、今日の「ソーシャリー・エンゲイジド・アート(以下SEA)」というアートの問題として、美術批評の世界では積極的に論じられてきた[1]。しかし、特に日本国内ではこれらのアートが内包する政治的な側面については積極的に扱われず、ゆえに偏ったSEAが展開されてきたという歴史もある[2]。以上のような日本国内におけるSEAの歴史の特異性ゆえ、「不自由展」は多くの面で日本美術界を混乱させてしまった。しかし、トリエンナーレの公式図録が4月に発売されるのを前に、『新潮』や『美術手帖』といった批評誌が相次いで本展覧会をテーマにした特集を組んでおり、本展覧会をめぐるまとまった意見が提示され始めている。

    そこで、本稿ではこれらの複数の批評を整理することによって、「不自由展」がどのように評価されているかを整理し、本展示がもたらした貢献と問題点を述べる。そのうえで、今後の日本国内における展覧会の問題がどのように変容していくのかを整理したい。


    社会と芸術の関係をめぐる論争史


    本題に入る前に、まず「芸術の自律性」についての問題がどのようなものであるかを整理する必要がある。なぜなら、SEAにおける重要な問題として、芸術と社会との関係性が常に問われ続けたからだ。SEAの論争は、「不自由展」をめぐる大きな問題を考える際の大きな参照点になるだろう。そのため、本稿ではSEAの歴史をまず参照し、以降の「不自由展」をめぐる問題を深く考えるための土台を作成する。

    SEAは1990年代以降に議論が活発化し、今日でも引き続いて議論がなされている現代アートの主要な問題の一つだ。そのため、議論は現在進行形で更新され、統一された定義を持たない。そのため、今日のSEAをめぐる議論はその批評的立場から「参加型アート」、「協働型アート」、「対話型アート」とも表現され、各概念に内包された主張は微妙に異なる。本稿ではこの前提に立ったうえ、美術教育家パブロ・エルゲラが提唱した以下の主張に基づき、SEAを上記した複数の芸術実践の総称として便宜的に用いる。


    ソーシャリー・エンゲイジド・アートは、コンセプチュアルなプロセス・アートの様式に属する。しかし、プロセスを重視するすべてのアートがソーシャリー・エンゲイジド・アートというわけではない。…意味のあるインタラクション(双方向の行為のやり取り)、あるいはソーシャル・エンゲイジメントとは何かについて、完全に意見が一致しているわけではないが、ソーシャリー・エンゲイジド・アートを特徴づけているのは、社会的相互行為(ソーシャル・インタラクション)なしには成立しないということである[3]


    この実例として、エルゲラはポール・ラミレス・ヨナスによるSEA、《都市への鍵》(2010)を紹介している。アメリカのニューヨークにて開催された本プロジェクトは、参加者に南京錠を開錠できる「鍵」を渡すことによって、普段は立ち入ることの不可能な市内のあらゆる場所に入ることを可能にしている。本プロジェクトはこの「鍵」によって市民同士が積極的に関わり合い、それによってニューヨーク市全体の活性化に貢献した。このように、SEAと称されるアートはアーティストが単独で作成するものではなく、アーティストと実社会の人々が実際に関与することで、新しい体験を形成したり、共にその都市の問題を解決することに尽力したりする。このような側面ゆえ、SEAはしばしば地域の町興しのための「アートプロジェクト」という表現や、或いは社会運動の側面に焦点を当てて「社会実践」という表現も用いられている[4]

     このような社会と積極的に関係を形成するSEAについて、美術批評家の間ではおよそ1990年代を起点にして多くの議論が展開されている。その起点となるのは、1998年に発表された『関係性の美学』と称される著作だ。フランス人キュレーターのニコラ・ブリオーが発表した本著作では、異常なまでに高騰化していった当時の現代アート市場に対する反発として、アーティストと鑑賞者、あるいは鑑賞者同士の「関係性」をアートとして表象した「リレーショナル・アート」というアートが肯定された[5]。『関係性の美学』においてブリオーは自身がキュレーションした「トラフィック」展のアーティストをもとに、リレーショナル・アートの実例を示している。その一人であるタイ人アーティストリクリット・ティラヴァッニによる《無題1990(パッタイ)》(1996)は、美術館に来場した鑑賞者に対しティラヴァィッニがパッタイ(タイ風焼きそば)を振る舞うものであり、アーティスト不在時にはパッタイを振る舞うための調理器具が作品として展示された。このように、作品が単独で作品となるのではなく、鑑賞者との関係の上で成立する作品が90年代末に注目され、これが芸術の自律性にまつわる現代の議論の起点である。

     その後、「リレーショナル・アート」の議論を批判的に継承させたアーティストとして、イギリス人批評家クレア・ビショップとアメリカ人美術史家グラント・ケスターによる議論がある。2人の論者は共に『関係性の美学』に対して批判的だが、一方で両者の間では立場の違いもある。ビショップは2004年に発表した「敵対と関係性の美学」にて、リレーショナル・アートの議論が展開される環境がおおよそアートの愛好者によって構成された環境であることを批判し、そこには協働の実現を妨害するような人々が排除された予定調和的なアートが展開されているという[6]。「芸術とは何か」を分析する際、それが単なる予定調和的パフォーマンスで落ち着く「リレーショナル・アート」ではなく、より人間の核心に至る可能性を占めた「敵対」を組み込む「参加型アート」こそ、評価されるべきであるというのが彼女の主張だ[7]。したがって、彼女が高い評価を与えるSEAの多くは「敵対」が内包されており、それが内包されない《都市への鍵》といった作品には評価が与えられない。彼女が評価する代表的なアーティストとして、スイス人アーティストのトーマス・ヒルシュホルンが有名だ。彼の作品《バタイユ・モニュメント》(2002)はドイツの芸術祭「ドクメンタ」に際し作成されたが、作品はメイン会場のカッセルからは遠く離れた小屋に設置されている。ヒルシュホルンの作品を鑑賞するためには、観客はトルコ系移民が運転する指定のバスに乗って移動することが要求され、それによって華やかな芸術祭の裏側を見せつけられることになる。本作品には作品を鑑賞するために訪れる「鑑賞者」とヒルシュホルンによって労働させられるトルコ系移民、またドイツに住み着く民族間の対立が描写される。このように、作品内部に意図的に対立を提示することで、SEAが単なる社会貢献に陥らずに「芸術」であり続けることが可能であるとビショップは主張するのだ。

     一方、ケスターによる「対話型アート」はブリオーの議論を批判しつつも、ビショップの「敵対」からも距離と保ち続けている。彼はブリオーが称賛した作品の多くが脚本に基づいたスペクタクルなものであるとして批判しており[8]、この点においてビショップによる批判とも共通している。その一方で、ケスターは先述の通り、ビショップの「参加型アート」に対しても批判的だ。2004年に書かれた『Conversation Pieces』や2011年に書かれた『The One and The Many』といった著作で[9]、ケスターがビショップの「参加型アート」に対し、アーティストが参加者に対して特権的な地位を有しており、それゆえにエリート主義的な側面が立ってしまっていると主張する。ケスターは上述の著作で《バタイユ・モニュメント》を例に、本作品の鑑賞者が労働者であるトルコ系移民との対立の構造に強制的に当てはめられ、「観光客」とされてしまうことを指摘する[10]。このように、ビショップの「敵対」はアーティストの強制的な操作に参加者を当てはめてしまうため、アーティストの特権的立場を肯定する。このような特権性をケスターは批判し、芸術実践に「互恵的開放性」をもたらすことができるアートとして「対話型アート」や「協働型アート」といった概念を提示した。

     この論争の重要な点は、芸術を社会的文脈から切り離し、「芸術それ自体」として評価することができるか否かにある。ビショップはSEAにおける社会的な側面を切りはなすことによって、SEAを「芸術」として評価する方法を模索している。その一方で、ケスターはアーティストの特権を批判し作品をより社会的に開かれたものとして探究することによって、芸術は従来の判断基準では批評できない「社会実践」へと変貌させる。前者は芸術が社会から独立した自律的なものであるという視点であり、後者は芸術と社会が切り離せないものであるという視点に立っている。以上から、「芸術の自律性」をめぐる議論が、これまでの社会と積極的に関係してきたSEAの大きな論点になってきたことが分かる。以上の問題を前提に、次節以降では「不自由展」がどのように批評されてきているのかを整理したい。


    「不自由展」の問題提起


    まず何より、「不自由展」は前節で挙げた芸術の「自律性」をめぐる問題に対し、それをトリエンナーレという多くの人が鑑賞しやすい環境で提示した点で大きな意義がある。美学者の加治屋健司が論考「地域に展開する日本のアートプロジェクト——歴史的背景とグローバルな文脈」の中で主張したように、日本国内におけるアートプロジェクトの多くは政治的なテーマを取り扱うことに対してこれまで消極的であり、そのためSEAと称することが可能であろうアートの中でもビショップの「敵対」のようなものは避けられてきた。その理由として、加治屋は次のように指摘する。


    日本のアートプロジェクトが、社会関与の美術がもつ可能性を実現できていないのは何故だろうか。筆者はその背景のひとつに、継続的な事業モデルの強調があるのではないかと考えている。…欧米にも継続して展開される展覧会は多いが、その多くは回ごとにことなるディレクターやキュレーターが指名されて、異なるコンセプトの展覧会を行うので、内容的には一回的な開催に近い。他方、日本のアートプロジェクトは継続性が重視されている。確かに、事業の継続によって、運営のノウハウやアートプロジェクトとしての知名度を得ることができるし、それに伴って助成金の採択可能性も高まるだろう。そして美術館や商業ギャラリーで発表する機会が少ない作家にとって、継続的に開催されるアートプロジェクトは、良い発表の機会となるし、作家同士の交流や情報交換の場としても機能するだろう。しかし、もし具体的な目標を設定せずにアートプロジェクトの継続的な活動を目指すとしたら、助成団体の意向に配慮して、社会批評性に代表されるような作品の自由度を縮減させ、アートプロジェクトのフォーマットに適した表現ばかりを生み出すことになってしまわないだろうか[11]


    引用では、日本のSEAやアートプロジェクトの多くが事業維持のための安易な地域貢献に焦点が当てられ、そのために社会的・政治的な問題にはなかなか手を出せてこなかったが指摘される。このような「地域貢献」としてのアートには地元の「町興し」が狙える点で利益はあるが、それが果たして「芸術」ある必要があるかという点で美術批評家からは疑問視もされている。「地域アート」という表現を用いた批評家の藤田直哉の表現を借りれば、後者の問題はアートをめぐる価値観を「『単に素朴』なものの肯定」に陥れることにもなりかねないものだ[12]。組織の維持のために政治的問題を敢えて避け、今日まで存続してきた日本のアートプロジェクトやSEAのこのような状況は、現在世界中で議論される芸術と社会の関係性についての議論が全く輸入されておらず、世界水準からは非常に遅れていると言えるだろう。

    この問題に対し、「不自由展」は一石を投じている。津田はインタビューをはじめとした多くのメディアにて、「あいちトリエンナーレ2019」を「ドクメンタやベルリン・ビエンナーレのように、政治的主題を強く打ち出した都市型の芸術祭」にすると言っている[13]。本展覧会は政治的なテーマを強く含んだ「不自由展」の開催によって、少なくとも加治屋や藤田が主張していたような日本の現代アートプロジェクトやSEAの問題を間違いなく浮上させ、多くの論者に「芸術とは何か」をめぐる議論をさせる機会を今一度提供した。無論、これまでのあいちトリエンナーレが日本におけるアートプロジェクトが内包していた問題意識に対して全く無関心であったとは言えない。2010年に美術評論家の建富晢氏を迎え開催された第1回のあいちトリエンナーレ以降、トリエンナーレは毎回芸術監督を変えてきた。しかし、回ごとに芸術監督が変わったことによって、果たして加治屋が指摘するような芸術祭として挑戦的なテーマに挑めていたのかについては検討する必要があるだろう。この点において、「不自由展」は非常に挑戦的であることは間違いない。

    加えて、多くの人々が来場可能な都市型トリエンナーレで本展覧会を問題化することによって、アートに関心の無い人々の多くの関心を向けることができたことも間違いない。現に、「あいちトリエンナーレ2019」のチケット収入は前回開催時の1.5倍を記録しており、7,000万円の売り上げを出したことが確認されている[14]。このように、美術への関心の有無にかかわらず多くの人々に現代アートの問題をアピールした点では、日本の現代アートが世界水準に至るための第一歩として評価することができるだろう。


    「不自由展」に対する批判


    一方で、「不自由展」には多くの批判が寄せられたことも周知の事実だ。これについては多くの議論が既になされてきたが、その中でも前節の「アピール」が正確に伝達していない点は最大の問題ではないだろうか。このことは、「不自由展」の中止を批判すべく立ち上げられたプロジェクト「ReFreedom_Aichi」のメンバーである加藤翼の以下の主張からも見えてくる。


    サナトリウムは8月25日のオープンイベントがハイライトだったと思います。僕や凡ちゃんがそこでやりたかったのは、異なる意見がぶつかる場を作ること。右と左の固定的な意見を因数分解し、どこかつながりを見つけたかった。その意味でオープン日の参加者が一番多様性がありました。ですが、2回目以降は右翼の人が来なくなり、参加者が固定化してしまった。そもそも右翼の人は疑問を持ってきていたのではなく、宣伝のため。そこに何か迂回路をつくろうと、僕らも「でも、アートとは…」と話をするんだけど、彼らは別にアートに興味はない。他方で左派の意見も固定的で、なかなか両者につながりを見出すことは難しかった[15]


    この主張は「ReFreedom_Aichi」の一環として名古屋市の円頓寺商店街に設置された「サナトリウム」というスペースのオープンイベントに対するものだ。このコメントにおける「彼らは別にアートに興味ない」という主張は、津田の「アピール」——すなわち「芸術と社会との関係性」をめぐる問題提起——が実際にいかに大衆に伝達していないかについて示唆的ではないだろうか。「不自由展」は日本の現代アートの問題点を多くの人にアピールした点で評価できるかもしれないが、一方でこのアピールが本当に大衆に届いているのかは再検討する必要がある。「不自由展」が「芸術とは何か」について考える機会を結果的に提供できなかったのであれば、津田の思惑は失敗したと言わざるを得ないだろう。

    次に、あいちトリエンナーレと「不自由展」の関係についての問題がある。周知のように、「不自由展」はトリエンナーレという大きな芸術祭の中の一部であり、トリエンナーレの全体ではない。にもかかわらず、「不自由展」がメディアを介して大きな問題となっていく過程で、少なからず「あいちトリエンナーレ=不自由展」という誤解が生じかねない事態に陥っていることは間違いない。津田はあいちトリエンナーレの全体のテーマである「情の時代」について、それが論理よりも感情が優先される今日の社会状況を想定したうえで設定したと述べており[16]、「不自由展」はこのテーマの上で設置されている。しかし、そのようなあいちトリエンナーレ全体の「情の時代」というテーマと、それに際して設置された「不自由展」との関係に対しては疑問視する意見もある。美術批評家の黒瀬陽平は、この事態に対し以下のように批判している。


    今回焦点が当たった「表現の不自由展・その後(以下、「不自由展」)は、規模としては芸術祭全体のごく一部であり、ほかの企画との結びつきも希薄です。にもかかわらず、その一部に全体を代表させ、「表現の自由について世の中に広く問いかけた芸術祭だった」と津田氏が自己評価することには強い違和感を覚えます[17]


    黒瀬が言うように、トリエンナーレの一部でしかない「不自由展」があたかも全体であるかのように表現されることはあってはならないだろう。なぜなら、「あいちトリエンナーレ=不自由展」という解釈は、「不自由展」に批判的な参加アーティストの存在を無視することになるからだ。無論、「Refreedom_Aichi」に代表されるようなアーティストによる抗議運動も無視することもあってはならないことだ。しかし、「ReFreedom_Aichi」はあくまでも有志である。「あいちトリエンナーレ=不自由展」は、トリエンナーレに参加するアーティストの多様性を排除することになりかねない。この点で、あいちトリエンナーレの根本的なコンセプトが一体どのようなものであったか、そして何を想定し「不自由展」が設置されたかについて、黒瀬は明確な説明が必要とされると強く批判する[18]

    最後に、開催地の問題も指摘されている。そもそも、「不自由展」とトリエンナーレ開催地である「愛知県」との間には、どのような関係があるのか。藤田による「地域アート」の概念のように、トリエンナーレやビエンナーレ、各地の芸術祭は開催される地域の特色や問題を背景に、地元の住民とともにいかに足並みを合わせて開催するか一つの課題である。この点で芸術祭は地元住民との積極的な関与が必須となってくるのだが、では今回のあいちトリエンナーレではどうだろうか。津田が「ドクメンタ」や「ベルリン・ビエンナーレ」のような政治的テーマを扱う芸術祭を目標にしたことは既述したが、このような政治的なテーマを扱う芸術祭が、「愛知」という都市とどのように関係しているのだろうか。先に引用した黒瀬はこの問題についても厳しく批判している。


    津田氏は、以前からドクメンタのような政治的な作品を多く扱う芸術祭をやりたかったと言っていました。しかし、言うまでもなくドクメンタは、ただ政治的な作品を扱っているのではありません。ナチの愚行を省み、記憶するため、そしてナチ政権下で蹂躙された現代美術の名誉回復のために、あの場所で開催されているのです。ドクメンタの政治性は、その場所や歴史との必然的な結びつきと不可分なのです。


    この主張にあるように、多くの芸術祭や「地域アート」は、その地域が抱えた問題に真摯に向き合ったうえで、展開されるべきものだ。そのうえで、2019年の愛知県にて開催されたトリエンナーレにて「表現の自由」をテーマにする必要性が果たしてあったのかについては検討する必要があるだろう。


    これからの芸術祭のために何が必要か?


    ここまでの議論の上で、我々はこれからの芸術祭にたいしてどのような姿勢で挑むことが望まれるのだろうか。前節の議論より、筆者は「不自由展」はそのコンセプトとして日本のSEAが避け続けた政治的テーマを積極的に取り上げたことで、これまでの日本における「芸術と社会との関係性」に関する問題を広くアピールしたことは評価できると指摘した。しかし、一方でこの「アピール」が果たして成功しているのかについては、検討しなければならない。芸術祭の一環であるはずの「不自由展」は、実際に地元住民にどれだけ「関与」したのだろうか。津田は「現場のボランティアの方々のほとんどはずっと見方になってくれていました」と主張するが[19]、一方で「彼らは別にアートに興味はない」という加藤の主張も無視できるものではない。少なくとも「不自由展」をめぐる騒動の結果として大衆がアートに興味を持てていないのであれば、展覧会は失敗したと言わざるを得ないだろう。

    このような問題について、筆者は現代アートに内包されている「文脈」が正確に社会に伝達されなかったゆえ、「不自由展」がどのような意味を込められているかが十分に把握されなかったのでないかと考える。アーティストの村上隆が「日本のアートジャーナリズムやオーディエンスは、現代美術においては『文脈』の読解こそが最重要であることを理解していない」と語っているように、現代美術の鑑賞において非常に重要なものである「文脈」の理解が殊に日本においては理解されない傾向がある[20]。このような「リテラシー」の致命的な欠如は、今回の「不自由展」をめぐる騒動にも大いに関係している。芸術と地域、および社会との関係性をともに考えるべく開催されるはずの芸術祭で、先述した「芸術と社会との関係性」をめぐるSEAの歴史は少なからず参照されるべきだ。しかし、「不自由展」をめぐる議論の多くが芸術のリテラシーを持たない人々により議論されたのであれば、それは政治的なプロパガンダと何も変わらなくなってしまうだろう。このようなリテラシーの有無は、芸術祭そのものの成功にも大きく関係している。

    しかし、この問題を理由に「不自由展」が全面的に批判されるべきではない。なぜなら、現代アートにおける「リテラシー」の問題は先の村上の主張にあったように、すでに以前から警告されていたことだからだ。津田は今回の騒動を受け、「現代美術が『焼け野原』になったとは感じませんし、むしろ、今までが焼け野原だったんじゃないですかね」と主張している[21]。本展覧会は紛れもなく社会の芸術に対する信頼を失墜させ、失った信頼の回復には多大な時間を注ぐ必要があるが[22]、このような事態になった責任は「文脈」の重要性を伝え、現代アートの諸問題を共に考える姿勢を大衆に作らせることに失敗した日本現代美術全体にも、責任はあるのではないか。このことを考慮に入れながら、今までのリテラシーの低さは「焼け野原」に相当しないかを考えなければならない。そのうえで、現代アートを鑑賞するための「リテラシー」をつけるための方法を美術業界全体で検討していくことで、「別にアートに興味はない」人をいかに減少させていくのかが、今後の芸術祭、そして現代アートが国内で持続されていくために必要なのではないだろうか。



    [1] この点については次節で解説する。

    [2] 加治屋健司、「地域に広がる日本のアートプロジェクト——歴史的背景とグローバルな文脈」、藤田直哉(編)『地域アート——美学/制度/日本』堀之内出版、2016、95-134頁。

    [3] パブロ・エルゲラ『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門——芸術が社会と深く関わるための10のポイント』フィルムアート社、29-30頁。

    [4] 星野太、「ソーシャルプラクティスをめぐる理論の現状——社会的転回・パフォーマンス的転回」、アート&ソサエティ研究センター SEA研究会(編)『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの理論・系譜・実践——芸術の社会的転回をめぐって』フィルムアート社、2018年、130頁。

    [5] Bourriaud, Nicolas, Relational Aesthetics, trans. by Pleaseance & F. Woods with the participation of M. Copeland, Les presses du réel, 2002.(原書は、Bourriaud, Nicolas, L'esthétique relationnelle, Les presses du réel, 1998.)

    [6] Bishiop, Clare., "Antagonism and Relational Aesthetics," October, no. 110(fall 2004): 51-79.

    [7] クレア・ビショップ『人工地獄』フィルムアート社、2016年、50頁。

    [8] Willson, Mick., “Autonomy, Antagonism, and Activist Art: An Interview with Grant Kester,” Art Journal 66, no.3 (fall 2007): 110-112.

    [9] Kester. Grant H., Conversation Pieces: Kester, Grant H., The One and The Many: Contemporary Collaboration Art in a Global Context, Duke University Press, 2011, 31.

    [10] Kester, 2011, 31.

    [11] 加治屋、前掲書、120-121頁。

    [12] 藤田直哉、「前衛のゾンビたち——地域アートの諸問題」、藤田直哉(編)『地域アート——美学/制度/日本』堀之内出版、2016、11-44頁。

    [13] 「あいちトリエンナーレが2019が遺したものとは何か? 津田大介インタビュー」『美術手帖』2020年4月号、美術出版社、29頁。

    [14] 同上、33頁。

    [15] 藤井光・加藤翼・キュンチョメ、「展示再開を可能にしたものとは何か?」『美術手帖』2020年4月号、美術出版社、13頁。

    [16] 津田大介、「芸術監督手記 次にバトンを渡すために」『新潮』2020年2月号、166頁。

    [17] 「芸術祭の終焉と自粛の時代に何ができるか? 黒瀬陽平インタビュー」『美術手帖』2020年4月号、美術出版社、39頁。

    [18] 同上。

    [19] 津田、前掲書、171頁。

    [20] 小崎哲哉「Out of Tokyo 259: 中原浩大×村上隆×ヤベノケンジの議論」https://www.realtokyo.co.jp/docs/ja/column/outoftokyo/bn/ozaki_259/ (最終閲覧日 2020年4月20日)

    [21] 津田、前掲書、171頁。

    [22] 黒瀬、前掲書、43頁。


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