言語交錯 4~7
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言語交錯 4~7

2020-12-04 02:28
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    はじめに

    ukiyojinguです。

    2019年12月に「言葉を扱う覚悟はあるか?」とアップロードしてから10か月、そして以前の楽曲まとめを投稿してから3か月ほど経過して、折り返しを越えて7曲目まで到達した「言語交錯」。以前の文章が1~3曲目であったので、その続きです。

    (前回はこちら)

    2020年7月15日「表記と意味は一致しうるか?」言語交錯 4/10

    以前、自身の過去ツイートを引用することによって言葉の意味を新しく作り直す実践を行ったことがある。今回は自身の過去ツイートをデータソースとして自動的に文章を生成させ、その解釈と整理を別の自動生成ソフトとともに編集した。決定的な差は、文章を作り出したのは自分自身ではなく、ツイートをもとに自動生成ソフトが作成している点である。

    この行為によって、この言葉は私の身からはがれ、独立したものとなっている。しかし、自動生成で作られた文章は所詮、自動的に処理されたものに過ぎない。それゆえに、それ自体に意味はなく、文法上の問題もある。したがって、ここでは別の自動生成ソフトも参照しつつ、再整理し、文章をある程度の形式に当てはめている。

    この瞬間、「私」の身から出た言葉は再度「私」に還る。自動生成にかけることによって「私」の言葉ではなくなった言葉たちは、再度解釈を経て「私」の言葉に変わっている。しかし、私の外部を経由することで、この動画に示される文字たちには本来の意味、あるいは「私」の意図などを、半ば強制的に超えてくる。その結果、外部を経由し新しく表象される文字たちはあらゆる「不一致」を内包することになる。外部による「不一致」の強制力は非常に大きく、本曲のタイトルでさえ、動画の最初と最後の表示が一致していない。このような微妙な不一致は私の外部で再解釈が行われた結果であり、そこに私の意志は存在しない。外部を経由した私の言葉は「不一致」に塗れた文章として私の下に還っている。

    では、この文章は誰の所有物なのか。外部を経由し「不一致」に塗れたこの文章に、私が込めた「意味」を認めることはできるのだろうか。

    言語交錯 4/10

    この曲で使われている言葉はTwitter上での過去の発言をソースに、マルコフ連鎖で作り上げられたものをベースにしている。一方で、作りあげられた文章は文法上の問題や過度なまでの固有名詞の出現等によって、オリジナルのツイートを作り上げた自分によって再度編集を加えながら、一つの文章として作り上げられている。そのため、この文章は私の発した言葉でありながら私の発した言葉ではなく、明確な所有者を持たないまま空中を彷徨っている。このような問題自体はすでにこれまでにもいくつか行われてきたものであり、人工知能が作り上げた絵画や小説が話題になったのも最近の話だ。人工知能やプログラムの結果として自動的に生成されたそれらは、自動生成プログラムが作成したことになるのだろうか。プログラムを作成した人間が作成したことになるのだろうか。或いは、出力のために入力したデータの提供主に、宿るのだろうか。

    2020年7月31日 「感情の表出に意味はあるのか?」

    私たちの音楽は、本質的には何者も変えることができない。歌詞は所詮記号の伝達行為であり、あらゆる感情表現は、「共感」という非常にに曖昧なものによって担保されている。その曖昧さが、私たちが朝日に感動し、夕日に憂う理由を説明出来なくしている。従って、感情は説明できず、その説明の出来なさが、感情の存在を理解することを不可能にしている。

    この曖昧な音の感覚と、悲壮感をまとった音と、薄暗い海をまとった一連の「時間の流れ」は私たちに何も伝達せず、残るのは私たちにとって唯一無二の言語のみである。にも関わらず、私たちはこの言葉と、約6分の時間の流れを受けて、何も感じ取らないわけにはいかない。

    それが、私たちにとって「不快」であったとしても。

    言語交錯 5/10

    表記と意味が一致することによってその地位を保ち続けた記号たちは、その表記と意味の認識が話者と聴者ので一致していることが最低条件になっているはずだ。それは、話者と聴者の記号解釈の一致がなければ言語は意味をなさないということを、一方で示している。Aという記号の意味が2人の間で「a」と「b」というように揺れていた場合、Aはもはや意味をなさない。
    では、感情はどうだろうか。私たちは言語を通してのみならず、非言語的な意思疎通手段として感情的になり、それに対し共感することで意思疎通を行ってきた。世界中で悲しさや怒りといった感情が共有され、人は他者の表情を見ただけでその人が何を思っているのか、何を感じているのかをある程度推測することが可能だ。しかし、それはあくまでも「推測」でしかない。それは非言語的であり、言語の持つ認識以上に強力な意味を持てない。したがって、感情の表出はそれ自体に意味はあるかもしれないが、その一方で言語よりも果てしなく限界があるといえるだろう。

    2020年8月15日 「都市の呼吸を知っているか?」

    感情表現の限界が見出され、崇高なる論理のみで形成された都市はひっそりとした呼吸のみ残して今でも生きている。呼吸は何時でも私たちを肯定し、途絶えることなく続いている。全ての当然が崩れ去り、残った残骸は崇高なる論理と都市の呼吸のみである。それは誰の眼にも止まることなく、ひっそりと行われていく。

    ここまでは、全てが決まっていたことだった。

    言語交錯 6/10

    音楽(music)の起源は西洋と東洋で異なっている。ヨーロッパ圏の「music」という言葉は古代ギリシャにおけるミューズ神から由来しており、それは「芸術」という表現を意味している。その一方で「芸術」を意味する「art」「ars」は「技術」という意味だ。その点で「音楽」は「芸術」であり、「芸術」は「技術」であるのだ。一方、「music」の和訳である「音楽」は「音を楽しむ」という表現をもとにしており、その文脈ゆえに「音楽」という表現は快楽と結びつきやすい。しかし、音楽が純粋に「芸術」であるのなら、それは決して快楽的なものである必要はない。現代美術が現代に至るほどに不快なものに対して関心を抱いているように、音楽も決して「楽」である必要はない。「音『非』楽」とも表現すべきものは、存在しうるのだろうか。

    2020年8月20日 「崇高は盗作されるのか?」

    カントは「美的感覚」が悟性と構想力によって成り立つものであるのに対し、「崇高」を私たちの抑圧を越えて噴出するような快楽のこと指した。「絶対的なもの」かのように認識されることも多い崇高は、私たちにとってはいわば「言葉で表現しようのない何か」だった。それはおおよそ理性的でなく、ゆえに記号に置換できない。にもかかわらず、常に感情を伝える方法を追い続けてきた私たちは、それをいかに他者と共感するかを試み続けてきた。それがあらゆる表現の歴史であり、芸術だった、ということはできるだろう。

    人間の感情さえも再生産し、複製することで消費を続ける私たちの現代社会では、もはやそのような追及に目を向けることさえも行われなくなりつつある。0と1だけで記述を行いうる現代社会の中で、0と1などでは記述しきれない私たちの崇高は拒否され、大量生産された「感覚の良い音楽」がまさしく同じ様式で生産されてしまう。私たちはその「感覚の良い音楽」に対してあたかも自分のことを歌っているかのように錯覚し、身勝手な共感覚を覚える。そして、それ以外のあらゆる表現が排除されようとしている。

    この5分は身勝手な共感覚にのっとった、私の崇高のパッチワークだ。崇高がもはや再生産されるものとなったデジタル社会の中で、再生産はある程度の枠組みで同じ構造を共有するゆえ、そのパッチワークが「盗作」と表現するにふさわしいかは分からない。しかし、意図的に模倣されたこの音楽は私にとっては「盗作」だった。その境界線は何処にあるのか。そして、私たちの「崇高」は何処に向かうのか。

    言語交錯 7/10

    「崇高」とはかつて圧倒的な自然の風景や、完全なる論理を持った数学といった絶対的なものとして、その地位を保ってきた。私たちの社会の中における「絶対的なもの」の存在の維持とその継続は近代哲学の誕生からずっと存在しており、絶対的なものの存在の維持と管理によって近代の世界の発展と維持は保たれてきたとも言える。しかし、1970年代に発生したポストモダンと、それから今日に至るまでの事実の塗り替えが頻発する現代の中では、私たちが崇拝してきた崇高なものの絶対性はその地位を危ぶまれている。根本的な事実が続々と塗り替えられる中で、私たちの声と言葉に内包される意義も徐々にその立場を失い、崇高は崇拝される唯一的な存在からそれとは程遠いような統一性を失った消費物へと陥れられている。そうして、私たちの感情は消費されていくのだ。

    おわりに

    2019年12月から始まった「言語交錯」もすでに終わりに近づいています。新曲はすでにできているため、10月中には公開されると思います。もともと10曲で一括りとしたかったため残りは3曲ですが、いずれにしても2020年のうちに簡潔する予定です。良ければ最後まで、お付き合いください。


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