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  • その日の横浜は晴れ。

    2017-09-25 23:341


     

     






     地獄。
     悪夢。
     絶望。
     ありとあらゆる負の言葉が渦巻く。
     アイドルの野球とは、これほどに禍々しいものだったのか。
     マウンドとは、これほどに過酷な場所だったのか。


     1回表。Coチーム先発。背番号18、北条加蓮。1イニング4失点。
     1回裏。Paチーム先発。背番号24、依田芳乃。2/3イニング6失点。
     悲劇は初回では終わらなかった。
     2回表。Coチームピッチャー、神谷奈緒。2本のホームランを浴び、4失点。
     互いのピッチャーがことごとく連打、長打を浴び、マウンドで打ち砕かれていった。

     
     この展開はある意味、予想されていたことでもあった。
     一回戦。Coチームを迎え撃ったCuチームの先発は小日向美穂。最速162キロの豪速球、さらにキレる変化球をも繰り出す「左腕」である。こんな左腕は日本球界はおろか、MLBにも極めて少ない。
     同じく一回戦。Paチームと対峙した世界チームのエースはヘレン。最速168キロの直球と、信じがたい落差のフォークを武器とする豪腕である。彼女もまた怪物だった。
     そんな二人が先発して、結果はどうだったか。単純である。打たれて負けた。
     北条加蓮、依田芳乃が悪い投手であったとは言わない。しかしあんな二人を打ち崩してきた打線を相手にするには、残念ながら不足があったということは認めざるを得ないだろう。


     この試合はまともに決着するのか。そんな戦慄が渦巻く中で、Paチーム監督、本田未央は、この試合を決定的に左右する一つの、―そして”パッション”チームにおよそ似つかわしくない冷徹な決断を下していた。
     依田芳乃の後を受けたリリーフ、赤城みりあの続投である。


     本田の決断が意味するもの。
     それは「誰が打たれ、誰を出せば抑えられるのか、もう全く予測がつかない」という点に起因していた。だったら、先発がたった1イニング投げ切れなかったこの試合で、どう継投をしていくべきか。
     抑えられたピッチャー、つまり赤城はそのまま、打たれるまでひたすら続投させる。潰れるまで投げたら、次のピッチャーを出す。そのピッチャーが打たれたら次を出し、次の「抑えられるピッチャー」を探り出す。そうやって失点を極力少なくして9回までを消化する。これが本田の戦略だった。
     勝つためだけで言えば、この状況下では最善の策に思えるこの継投だが、早い話がPaチームの中継ぎには、たった二つの結末しか与えられないというものだった。つまりは「滅多打ちにされてマウンドに沈む」か、「潰れるまで引っ張られて選手生命を失う」しかない。
     果たしてそこまですべきなのか。いくら相手の打線が強力であるといっても、それを抑えられるセオリー通りの継投を組めず、こんな行き当たりばったりの下策を強行していいのか。その結果、自チームの中継ぎはどんな目に遭うというのか。
     チーム内からすら、その作戦と、本田の能力には疑問の目が向けられた。露骨に抗議をした選手さえいる。


     結論から言おう。
     そうあるべきだったのだと。
     本田は、ただそうあるべきことを、そうあるべきこととして行ったに過ぎない。


     ボールとグラブを持ってマウンドに上がった以上、年齢も性別も何もない。
     彼女らは、倒し、討ち果たし、朽ち果てさせるため、そして倒され、討ち果たされ、朽ち果てさせられるためにそこに立った。
     それが、全てなのだ。
     彼女らは―散り果てた北条加蓮、依田芳乃、神谷奈緒、白坂小梅、大和亜季らは自らの持つカードに己の全てを賭けた。そして自らをすった。ならば、沈むしかない。
     己の全てを賭け、勝った者が生き残り、負けた者は失う。それがありとあらゆる「真の」闘争行為の摂理であり、契約なのだ。契約は正しく、等しく履行された。彼女らは討ち果たされなくてはいけなかった。
     そこにいた者はみな、自らの足でこの晴れた横浜スタジアムに足を踏み入れた。である以上は、適当に終わる、済ませることなどできない。神も悪魔も、人も天使も、アイドルも。
     恐らく本田はそのことに誰よりも早く、そして誰よりも深く気づいていたのだ。時が来れば自らも、この地獄に立たねばならなかったのだから。

     
     そんな中で躍動した二人の変則派、左下手投げの赤城みりあ、ナックルボーラー堀裕子については、よくぞ己の役割を果たしたと賞賛されるべきだろう。何をどこに投げても打たれるという相手に投げるなら、「どう」投げるかを考え、編み出すしかない。二人にはそんな力があった。
     だが、その二人同様、北条も、依田も、神谷も、そして全てのピッチャーたちも、彼女らと対峙したバッターたちも、等しく美しかった。
     全員、全てを賭けていた。
     真剣勝負はいつでも美しい。敗者が残酷に沈み、勝者が全てを得るからこそ、それに挑む者たちの背中には、他では見られない美が存在するのだ。
     そして、あえて言おう。その美しさを失えば、彼女らに存在価値などないのだと。当然だ。彼女らはみな、アイドルなのだ。美しくないアイドルなど、一体誰が見に行くというのか。己の全てを捧げないアイドルになど、何の魅力もありはしない。


     試合はPaチーム3点リードで迎えた最終回、ストッパー本田未央が3連打を浴び、無死満塁と絶体絶命まで追い込まれたが、クリーンナップを片付けて無失点で切り抜け、全てを決着させた。
     その日の横浜スタジアムは晴れ。
     星々の瞬きだけは、いつもと変わらなかった。

    (文 寝込坂猫丸)
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  • 奇跡の軌跡 -Best Games-

    2015-12-10 23:182

     765プレミアリーグの終了とともに、アイドルサッカーにも一つの区切りが訪れた。
     決して長いとも言えない歴史ではあったが、その密度に関しては非常に濃く、名勝負、激闘と称されるべき試合はいくつもあった。
     この機会に、少し振り返ってみようと思う。

    1.スターたちの夜



     これぞ名勝負、という試合を語るなら、まず外せない試合として誰もが思い浮かべるのは、恐らく2015年オールスターゲームだろう。
     合計7つのゴールが飛び交った乱打戦ではあったが、にもかかわらず「大味」という印象は一切なかった。WESTチーム、佐藤心の一撃から始まったこの試合で、2点以上差がついた時間などただの1分たりとなく、互いの恐るべき攻撃陣による息もつかせぬねじり合いが90分間続いていたのである。
     また、さすがにスター達の競演。単に点数が多く入った、というだけでなく、そのゴールの質の高さにおいてもこれぞオールスターとうならせるものがあった。安部菜々のPKはコースを読まれてなお取れない絶妙のコースに叩き込まれていた。佐藤心の2点目はそのずば抜けた身体能力とヘディング技術を存分に見せつけた。緒方智絵里のコーナーキックにダイレクトで合わせた一撃は、ここぞという局面で決してミスしない勝負強さを再確認させた。
     それらの中でも、見るものに驚嘆以外の言葉を許さなかったのが、終盤の2ゴールであろう。後半33分、まずはEAST、菊地真。ゴールキックを天海春香が頭で弾くと、センターサークル内で安部菜々がそのボールを受ける。即座に左足でフィード。ボールは美しい弾道で、右サイドを駆け上がる菊地真の足元にぴたりと届けられた。そこからが菊地真の真骨頂と言うべきだろう。当然WEST守備陣が追いかけるのだが、誰一人まともにプレッシャーもかけられずに一気にペナルティエリア内まで持って行かれ、シュートを撃たれた。あまりにも菊地のドリブルが速すぎたのだ。ボールは鋭いグラウンダーで、ゴール左隅にびしりと撃ち込まれた。安部の判断の早さ、視野の広さ、キックの正確性と、菊地のドリブラー、フィニッシャーとしてのスペックが存分に見せ付けられたゴールだった。
     そしてトリをつとめることになったのが、後半44分、服部瞳子のゴールである。これは最早説明する必要さえあるまい。以前拙文にて紹介したが、このゴールにいくら言葉を尽くしても、その輝きの100分の1も表現できない。センターサークルから、実にピッチの半分を独走しての決勝点は、まさに真夏の夜の夢。永遠に輝く13秒だった。
     なお、この試合のゴールが基本的に全て非常にハイクオリティなものであったということについて(佐藤心の1点目だけはやや疑問符もつくだろうが)、両チームの守備陣、特にゴールキーパーの質が極めて高かったことが一つの根拠になるだろう。その証明の一端となるのは、「この試合で90分フル出場した徳川まつりがたった1点も決めていない」ということである。もちろんシュートチャンスがなかったり、ゴールに迫れていなかったりしたわけではない(徳川にそんな事態はあり得ない。チームメイトに恵まれていたならば、だが)。何度もゴールに迫っていながら、EASTチームの守護神北上麗花にことごとく阻まれたのだ。そのくらいこの日の北上は「キレ」ていた。この試合はスーパーゴールの競演であるとともに、スーパーセーブの競演でもあったのだ(WESTチームのゴールキーパー横山は危うく一度やらかしかけたが)。
     サッカーの魅力をこれほど分かり易く見せてくれた試合は、他にそうそうあるものではない。

    2.全てを賭けて



     先述したオールスターゲームを、サッカープレーヤー達の超人的なパフォーマンスから生じる魅力が発揮された試合であると表現するとしたら、指揮官たちの精神性から生じる魅力が込められていた試合と言えるのは、2015年元旦の決闘。765社長杯決勝戦ではあるまいか、と思う。
     闘将村上巴対智将秋月律子の、互いに持てる戦力、英知の全てを注いでの闘いは、エース徳川まつりを中心に押す765ビジュアルチームに対し、その攻撃をしっかりと受け止め、カウンターによる逆襲を図る中国・四国チーム、という構図になった。
     均衡が破られるまでには、実に30分を要することになる。中国・四国チームの堅いゴールマウスをこじ開けたのは、エース徳川の凄まじい個人技とタフネスだった。もう角度がほとんどない場所から、さらにほんの僅かにしかないシュートコースをディフェンスに入った村上巴に塞がれながら、徳川は魔法のようにボールをゴールにねじ込んだ。シュートコースはただ一箇所、村上の両足の間にあったのである。
     だが、一見守備にしか能がないように見える中国・四国チームにも牙は存在した。ゴールという血肉に飢えたそれが鋭い輝きを見せたのは、前半終了直前。ゴール正面からやや左サイドで得たFKに、トップ下結城晴が右足を一閃すると、ボールはポストをかすめてゴールマウスの中に転がった。もうここしかないという場所に、これ以上はないというスピードでねじ込んだ、最高のFKだった。
     そして迎えた後半。点を取り合った前半とは打って変わって、スコアは動かなかった。智将秋月がサイド攻撃の厚みを増す指示を飛ばしたが、村上の執念が乗り移ったか、中国・四国チームのディフェンスは頑として崩れない。意地と意地のぶつかり合い。だがその中で、村上はまだあと一枚、切り札を隠し持っていた。
     闘将がただの闘将ではなく、同時に策士であることを見せたのは、延長戦開始直後。満を持して切られた最強のカード、鷹富士がやったことはたった一つである。もっとも彼女はいつも、ゴールを決めるためのプレー以外何もしないのだが。

     ここからは余談である。
     2015年、765プレミアリーグと346カップ、二つのタイトルの行方は、リーグは第21節に行われた首位攻防直接対決、カップは決勝戦で決せられた(正確には、リーグ戦の決着は最終節を待たなくてはならなかったが、この試合の結果が極めて重い意味を持っていたことは変わりがない)。
     リーグ首位攻防戦は2-2のドロー、カップ決勝戦は1-0。ともに極めて競ったスコアであり、激しい戦いだった。
     だがこの二つの試合も、私見を述べるなら、765社長杯決勝戦ほどの名勝負ではない。
     なぜか。
     この二つの試合で、望まない結果を受け止める事となった二つのチーム、すなわち川崎フロンタウロスとFCイマバリーブラについて、その指揮官、水瀬伊織と田中琴葉の2人が、かつての村上巴や秋月律子ほどに「闘って」いたように思えなかったからである。
     まずは水瀬伊織。この首位攻防戦で勝利するか否かの差が途方もなく大きいことは分かっていたはずだ。そしてその相手である東京ヴィルジェンの戦術に決定的な弱点があることも、とうに露見していた。しかしながら、水瀬はその弱点を突くためのフォーメーションを組まなかった。いつもの陣形をほんの少しだけ変えればそれで済んだにもかかわらず。
     ここ一番でも、あくまで今までやってきた陣形で臨む、というプライドは百歩譲ってよしとしよう。これまで「今までどおりの戦術」で戦って、対東京の戦績がどうであったかも目をつぶろう。しかし、今までどおりを貫いて勝負するのであれば、すでに今シーズン限りでの引退を表明していた、3トップ下の最重要人物である安部菜々を、なぜ後半終了10分前からの投入にとどめたのか。安部をフル稼働させ、選手寿命を削らせてここまで勝ってきたのであれば、最低でも後半開始から45分くらいは使わなくては、「いつもの自分たちの戦い」をすることにもならない。手段を選ばず勝ちにいくでもなく、さりとて自ら編み出した戦術を貫徹するでもない…実に中途半端である。
     村上巴ならどうしただろうか?それを推測させる一つの事例がある。765社長杯一回戦第4試合。この試合の前半途中、中国・四国チームの杉坂海が足を負傷した。交代を進言する新田美波に対し、村上はフォーメーションを崩さないために、「交代はない。続けろ」と突っぱねた。しかし、と食い下がる新田に向かって、村上はさらにこう言い放ったのである。「足がもげたわけじゃあるまい」と。杉坂の選手寿命すら、目の前の試合の勝利のためにチップとする、非情なまでに勝負に徹する決断だった。
     村上が、水瀬の立場であったなら。恐らく、前半から安部を投入し、この1試合で選手生命が灰になるまで使い尽くしただろう。真に勝利を追い求めるとはそういうことである。
     そして田中琴葉。346カップ決勝の試合は最初から厳しい戦いになると分かっていた。大黒柱、服部をはじめとして、主力に不調者が続出。先発メンバーの戦力低下は覆うべくもなかったからだ。だが、だからと言って指揮官が全力を尽くさなくていいということにはならない。
     もし、どんなメンバーであろうが浦和ライオンズを倒すのだと心に誓っていたのなら、決勝戦であの4-4-2のフォーメーションをなぜ採用したのか。その戦術が、浦和のストロングポイントをどう潰すと目論んでいたのか。今更言うまでもないが、浦和の強みは木場真奈美と日野茜、中盤の攻と守を担う二人の圧倒的な制圧力にある。この2人に中盤を好き放題にされている限り勝利はあり得ない。これが戦前に分かっていたのなら(分かっていないのであれば指揮官たる資質がない)、なぜ2トップにしてわざわざ中盤を一枚削ったのか。
     それとも、相手の研究をしその長所を潰す戦略を取る必要などなく、戦力を機能させるだけで勝てると踏んでいたのか。大黒柱を抜きにしてもまだそう思ったのであれば、それは傲慢のそしりを免れないだろう。
     事実、決勝点は前半開始直後に奪われたし、その後も追加点が入らないのが不思議なほど、4-4-2のイマバリーブラは良いように浦和の攻撃を許し続けた。最初から戦術が決定的に間違っていたのである。
     後半に入って戦術を変更し、フォーメーションを修正し、確かに互角に近いところにまでは持ち込んだ。しかし、もっと試合前に脳で闘っていれば、最初からこのくらいの勝負はできていたはずだ。結局、「服部が出られないなら松永涼を軸にした4-4-2」というところから一歩も前に進んでいなかったのだろう。これが勝つために全ての英知と戦力を注ぐ監督の姿だと言えるのだろうか。相手の戦力を丁寧に分析し、試合中でさえ攻撃戦略を変化させ、あの手この手で中国・四国チームの牙城を切り崩そうと苦心していた秋月の姿勢とはあまりに対照的に見える。
     暴論を承知で言うなら、サッカーの試合は、レベルが高く拮抗してゆくほど、最終的には指揮官同士の勝負になる。指揮官がどれだけ知恵を振り絞り、戦術を組み立て、そして勝利を追いかけて執念を燃やせるかが、明暗を分ける決定打になる。
     765社長杯の両軍の指揮官は、共に全ての知略を注入し、そして勝利に執着していた。それは決して、当然の一言で片付くものではない。ベストを尽くすとは苦しみの多いものであり、互いにベストを尽くしあったと言える試合は当然、多くはならない。だからこそこの試合は、単なるタイトルの決勝戦以上の価値を持つ名勝負となったのだ。

    3.勝負はスパイクを脱ぐまで



     サッカーの得点は、絶対に1点ずつしか入らない。したがって、終了間際に一発大逆転、というケースは少ない。試合の終了を待たずに帰路につくサポーターの姿が珍しくないのもそのためだろう。
     しかしそれでもなお、決して終了のホイッスルが吹かれるまで目を離すべきではないという教訓を示す試合がある。
     346カップグループリーグ最終節。横浜F・カルキノス対クンバ大阪である。
     この試合を終了5分前、つまり後半40分まで見て席を立った者は、あまりにも貴重なドラマを目にする機会をみすみすドブに捨てた。その時点のスコアは3-2で大阪リードだったが、最終スコアは4-4のドロー。なんとそこから10分に満たない時間で、横浜は2点、大阪は1点を得ていたのである。
     その展開も極めて劇的だった。3-2から終了間際、後半43分に横浜日高愛のダイビングヘッドが炸裂、これでドローと誰もが思った。しかし後半ロスタイム、スルーパスに合わせて抜け出した「将軍」徳川まつりの左足(逆足である)が火を吹き、決定打となる1点が入った…かに見えた。
     しかし後半ロスタイムはまだ終わってはいなかった。最後の最後、土壇場で再び「鬼の娘」日高愛が右足でゴール。4-4の引き分けとなった。両チームにハットトリックが生まれ、しかも試合終了直前にスコアが激しく動くという、希に見る試合であった。
     なお、この試合を闘った大阪、横浜ともに、グループリーグで敗退となった。皮肉なものである。そのためこの試合は、タイトルの行方を左右しない、後々まで影響を及ぼさない試合ということになり、さほどの注目を浴びてはいない。しかし一つの試合として、スタジアムに足を運んだサポーターの心臓を打ったという点では、その価値は大きいのではあるまいか。

    4.Giant Killing



     戦力の均衡は理想である。
     理想とは現実の陰にある。「戦力は大きくバラつく。それが故に極力均衡を図られる」という現実が厳然と横たわる。かくして、戦いの前に勝敗が予想される、むしろ予想と言うにはあまりに高い確度で「予測」される試合は絶えない。
     しかし。その「予測」すらが覆される時がある。
     人はそれを、ジャイアントキリング、と評する。
     765プレミアリーグ第17節。東京ヴィルジェンはこの時点で11勝5敗、勝ち点33で首位につけていた。対するジェミニユナイテッド千葉の成績は4勝10敗2分、勝ち点16の11位。この数字を見て、東京ヴィルジェンの勝ちを予測しない者はいないだろう。
     しかもヴィルジェンを率いる神谷奈緒には一分の油断も無かった。北条加蓮、諸星きらり、双葉杏といったキラ星のようなアタッカー陣、アナスタシア、最上静香といった最高のDMFをスターティングメンバーに並べ、必勝を期して臨んでいた。下位チームとの試合に良くある、「レギュラーメンバーの温存」という発想はいささかもなかったのだ。
     しかしその結果は、2-1での千葉の勝利。
     巨人は打ち倒された。それも、弱小チームにありがちな「耐えて守って一刺しで勝つ」といったやり方ではない。真正面から攻防を繰り広げて、先制点を奪い、追加点を入れて逃げ切る、という王道的な勝利だった。
     千葉の勝利の大きな要因となったのが、高垣楓監督が採用した戦術・パワーオブスマイルであるということには疑いの余地がない。もっともこの戦術、ネーミングこそ高垣によるものではあるが、実際には浦和ライオンズの高森監督が編み出した、対東京戦術だった。臆面もなくそんな戦術を丸コピーして使い、あまつさえ勝手に名前までつけてしまうその行為については、豪胆とも面の皮が厚いとも評されるだろう。ただ、どうあれこの戦術が千葉においても機能してしまったからには、高垣の手腕を評価しないわけにはいかない。戦術に特許などそもそもないし、勝つことが指揮官の最大の仕事であり至上命題であるからだ。
     もう一つ。MOMこそ逃したものの、1G1Aでその圧倒的な能力を見せ付けた、緒方智絵里にも言及しておくべきだろう。間接FKに対し頭で落としてライラの先制ゴールを演出したアシスト、スルーパスに抜け出して、驚異的なスピードのドリブルとフェイントでDFを翻弄して叩き込んだ自身のゴール、いずれも緒方のその力がリーグ最高峰であることを示すには十分なものだった。東京からしてみれば、緒方を最後まで封じることができず、良いようにプレーされてしまったことが敗因の一つに数えられるだろう。
     最後までリーグの中では下位に居続けたチームにあって、緒方はリーグ得点王の称号を得ることになる。もしも彼女が、十分に機能する中盤を揃えたビッグクラブに所属していたなら?無駄と知りつつもそんな考えを抱かずにはいられない。それは同時に、「誰が緒方の陰で泣かされることになるのか」を考える事でもあるのだが。

    5.始まりの地



     アイドル達によるサッカーは、何もこの試合をもって始まったわけではない。しかしアイドルサッカー界が今日のような注目を集めるに至ったそのきっかけとして、2013年にシンデレラスタジアムで行われた属性対抗戦を挙げないわけにはいかないし、そしてその幕開けとなるこの試合が、一つの試合として十分に見ごたえがあったことが、後の女子サッカーの隆盛を導き、765系アイドルたちも巻き込んでいったことを誰も否定しないだろう。
     単なるコミックショーに終わるのではないのかという事前予想は、試合開始5分で吹っ飛ばされ、誰もが各選手が繰り出すスーパープレイの連発と激しい攻防に目を奪われていった。
     スコアレスで前半を終了し、迎えた後半。ゲームが激しく動く。開始直後、Coが敵陣右サイドをダイレクトのつなぎで崩すと、最後はクロスに対し神谷奈緒がダイレクトボレー。鮮やかな連携で先制点を挙げた。
     しかし追いかけるCuも黙ってはいない。後半30分、自陣内深いところからの鮮やかなカウンターから、最後は主将・輿水幸子がスルーパスにオフサイドぎりぎりで合わせ、ゴール左隅に蹴り込んで同点に追いつく。
     そして迎えた後半45分。このゴールがネットを揺らすとともに、全ての観衆の心にも突き刺さったことだろう。またしてもカウンターによってできたチャンスから、スルーパスに反応して完璧にDFを振り切った輿水幸子がゴール前に迫ると、最後は芸術的なループシュート。ボールは飛びつこうとした川島の頭上を越えると、空中で失速し、ゆっくりとゴールマウスの中で弾んだ。
     スタジアムを包む大歓声は、新たな時代の幕開けを祝うファンファーレだった。このとき、間違いなく世界の中心は輿水幸子だった(そんな甘美な時代は長く続かなかったのだが…)。
     このスポーツには、パワーがあり、スピードがあり、ファンタジーがあり、芸術性があり、インテリジェンスがあり、そして、ドラマがある。誰もがそう確信し、そしてその確信が裏切られることはなかった。



     始まりがあるものには必ず終わりもやってくる。
     寂しさ、悲しさはあれど、それは避けられない運命である。
     だが、もし飽き足りないなら。
     ピッチは、スタジアムは、観衆はいつでも、主役たちの帰還を待ち焦がれている。
  • 346カップ準決勝雑感

    2015-10-28 08:20


     非常に対照的な両チームの勝ち上がりだった、と言えるだろう。
     346カップ準決勝を制し、決勝戦に進んだのは、FCイマバリーブラと浦和ライオンズだった。
     しかし二つのファイナリストの足取りは全く異なる。


     浦和ライオンズのそれは、一言で表現すると極めて順調なものだった。決勝トーナメント準々決勝と準決勝、各2試合ずつ、合計4試合を全勝。たった一度の引き分けも敗北もなかった。確かに準々決勝1stレグ、前半でリードを許す展開にはなったものの、それを逆転してからは全く危なげない戦いぶりを続けていたと言って良い。
     圧巻だったのは準決勝である。準決勝1stレグまで、リーグ、346カップとも揺るぎない強さを誇っていた東京ヴィルジェンを、180分間完全に抑え付け、たった1点すら許さなかった。のみならず、準決勝1stレグで白日の下にさらした高森流ヴィルジェン封殺戦略は他チームにも伝播。それにより、ヴィルジェンは現在、完全に泥沼に放り込まれている。開幕前にはリーグ優勝候補筆頭と噂され、346カップグループリーグ終了時には「2冠」を現実的に予想されていたヴィルジェンをこれほどまでに打ちのめすチームが現れると、一体誰が予測できただろうか。


     一方のFCイマバリーブラ。こちらの足取りは、綱渡りそのものだった。決勝トーナメントに入ってから4試合、ただの一度たりとも勝利がない。それぞれホームゲームをスコアレスドローでしのぎ、アウェーゲームで1-1のドローに持ち込み、アウェーゴール差で競り勝ってきた。
     このような厳しい展開になった理由の一つは、エース服部の不在だろう。計4試合で先発出場は準々決勝2ndレグの1試合だけ。準決勝では1stレグ、2ndレグとも不調で最後までピッチに出る事はなかった。だが、あえて言うなら、服部1人が不在となっただけでこうも得点力が落ちる、チーム戦略の問題であるとも言える。

     
     思えば、両チームの勝ち上がりは、グループリーグからして極めて対照的だった。
     浦和ライオンズが最終節を残してグループCの突破を確定させていたのに対し、イマバリーブラはヴィルジェンに0-5の大敗を喫するなど調子が上がらず、第5節と最終節を連勝しなくては敗退するという瀬戸際まで追い込まれた。それでも勝ち上がったのは見事と言えようが、しかし余裕を持った、あるいは磐石の戦いぶりであったとはお世辞にも言えない。
     11月16日に行われる試合は、普通に考えれば「手合い違い」となるだろう。事実上の決勝戦は浦和対東京の1stレグだった。それを完璧な戦略で制した浦和からすれば、決勝戦の今治は普通に闘えば大した難敵ではない。
     実際、今期リーグ戦でもすでに2回試合を行っているが、浦和ライオンズの1勝1引き分けと、地力の差が覗える。

     
     だが、筆者は決してサッカーの戦術に明るいわけではないが、それでも少なくとも一つ、今治が浦和を相手に五分の闘いをする手法が分かる。
     もちろん、この手法に問題がないわけではないが。

     
     サッカーは進歩する。人類が進歩するのと同じように。
     しかし人類の歴史は繰り返すという。ならば、結局はサッカーも、過去に未来を読むヒントを求めることが出来ると考えるのは自然だ。
     2014シーズン。ノックアウト方式、つまり中立地での一発勝負ルールで行われた765社長杯を勝ち上がったのは、チームの地力で言えば決して優れているとは見られていなかった中国・四国チームだった。
     武器は、守備力。そして勝ち上がるのに必須である決勝点を挙げるための秘密兵器は、ゴール前で抜群の嗅覚を持つストライカー、大会MVPを勝ち取った鷹富士茄子。
     …だけで終わってしまうと、その裏のファクターを見落とす。
     本大会準決勝と決勝。いずれも中国・四国チームは、徹底的な守備重視のフォーメーションを敷いていたにもかかわらず、先制点を許している。このまま0-1で終わるか、玉砕覚悟で攻めに転じて大敗するのが成り行き、と見られた流れを引き戻したのは、鷹富士ではなく、攻撃戦術でもなかった。
     準決勝は、まさかここから直接狙うのか、と思うような左サイドの難しい位置からねじ込んだ乙倉悠貴、決勝は、まさに職人芸と唸らせた結城晴、2人の名手による直接FKだったのだ。
     要するに、優れたキッカーさえいれば、得点を取るためにゴール前で完璧に崩しきる必要性など実はない。バイタルエリアでファールを貰うだけで事足りる。そしてたったそれだけのための攻撃陣がいれば良いのなら、何も前線に人数をかける必要はない。守備を徹底的に固めて、優れたドリブラー1人にボールを託せばそれで良い。
     それができる選手なら、今治にはもう揃っている。
     キッカーは、言わずと知れた昨年度CリーグMVP、FKは乙女の嗜みと公言しながら、その文言に似つかわしくない凶悪な威力(一説には牛を殺せるらしい)を誇る黄金の右足、水本ゆかり。そして昨年の765社長杯準決勝で、左サイドから奇跡の弾道を描いた狙撃者、乙倉悠貴。
     ドリブラーには、これももはや説明不要、重戦車とも称される突進力のあるドリブルを見せるスーパースター、服部瞳子。そして服部の陰に隠れがちではあるが、ドリブルの切れ味ならリーグ屈指、我那覇響。
     フォーメーションは単純に今までの4-2-3-1を縦に縮め、普通はトップ下がいるポジションを1トップの定位置にするだけで十分だろう。あえてボールを敵に渡しておいて、ガチガチに固めた中盤でボールを奪い、1トップの服部、あるいは我那覇に送る。もちろんそこから単純にドリブルで仕掛けるだけだから、カットされてしまうことも少なくはないだろうが、90分の間に二度や三度は好位置からFKを蹴るチャンスは生まれるはずだ。それすら許さないディフェンスができるほど、服部、我那覇はドリブラーとして無能ではない。
     浦和ライオンズを率いる高森・A・藍子監督は確かに頭脳明晰な策士だ。が、どれほどの策士であっても、相手が今まで全く見せた事のない戦術で挑んできた場合、それに即座に対応できるわけではない。研究し、弱点を見定め、それを突くための陣形を考え、必要な人材を配置するには、どうしても時間がかかる。その間は少なくとも、ボールを明け渡していようが、ペースは今治にあるはずだ。


     この戦術の問題点は、分かっているだけで二つ。
     一つは、必要とされるメンバーの代わりが乏しいということである。ドリブラーとして服部、我那覇を起用したくても、1人が不調になってしまえば、残り1人で90分間走り続けなくてはならない。スタミナが切れてしまったら、この戦術のクオリティは一気に落ちる。
     同じ事はFKのキッカーにも言える。水本、乙倉はいずれも守備に奔走しなくてはならない立場である。もし90分、いやそれで決着がつかず120分を闘わなくてはならなくなったとしたら、最後の最後に訪れたFKのチャンスで、どちらもキッカーとしてボールに向かうことができない可能性がある。それを避けるためには乙倉か水本のどちらかを後半以降からの出場に回したいが、どちらかが不調になってしまえば目論みは崩壊する。
     しかも、服部と水本は不調欠場が多い。圧倒的な力を持っていながら、コンディションを保つのが難しいという体質的ハンデを抱えているのだ。
     もう一つは、実はこちらの方が重大な問題だが、要はこの戦術は全く退屈だということである。華麗な連動性もスペクタクルも何もない。ただ守備をし、たまにドリブラーが走るだけで、得点はひたすらFK頼み。あまりにも無機質で、これを「サッカー」と呼ぶのを拒否したがる者が少なくないだろうと想像できる。典型的な、いわゆる「アンチフットボール」である。
     栄えある346カップの決勝でこんな戦術を用いて良いのか。そういう批判は内外からもたらされるだろう。さらに言えば、もしも服部、水本らベストメンバーが揃ったとしたら、こんな批判を覚悟でガチガチの守備的フォーメーションを組むより、理想のメンバーによる自分達のサッカーを見せたいという誘惑にかられるのは当然の事だ。
     特に内部からの批判の急先鋒になりそうなのが、よりにもよってゲームキャプテンである。キャプテンである冴島清美は、クライフイズムに則った華麗な攻撃的戦術とトータルフットボールを目標とし、清く、正しく、美しく勝利せよと唱えている。そんな彼女からすれば、徹底的な守備戦術など絶対に受け入れがたいものだろう。

     
     FCイマバリーブラを率いる田中琴葉は、冴島とは対照的に、フランツ・ベッケンバウアーを師と仰いでいるという。
     『強いものが勝つのではない、勝ったものが強いのだ。』とはベッケンバウアーの弁である。
     田中琴葉が、田中”ベッケンバウアー”琴葉になれるか。勝利のために内外からの批判を一身に受け、必要とあらば、自分の戦術に異を唱えるものを、キャプテンだろうが切り捨てる覚悟と実行力を持てるか。それはただ一点、田中自身が「勝ったものが強いのだ」と言い切るほどに、勝利を渇望できるかにかかっているだろう。


     11月16日。栄光と無の振り分けが行われる最後の舞台で、何が選択され、どちらのチームが勝利に恵まれるのか。注目したい。

    (文 寝込坂猫丸)