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【競馬】凱旋門賞への思い
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【競馬】凱旋門賞への思い

2013-10-05 15:08
    今週日曜深夜、フランスのロンシャン競馬場でG1レース「凱旋門賞」が行われる。

    日本の競馬関係者と競馬ファンにとって「日本馬が凱旋門賞を勝つ」というのは
    もはや呪縛に近い悲願中の悲願になっている。

    「なぜ日本馬が凱旋門賞を執拗に目指すのか」というのは色々な理由があるけど
    大きな理由の一つに「日本馬による海外遠征の歴史」があると思う。

    古くは1969年に天皇賞馬スピードシンボリが遠征して着外(10着以下)。
    その後も1972年に天皇賞馬メジロムサシが18着、
    1986年にダービー馬シリウスシンボリが14着と大敗を繰り返した。
    日本の競馬界はこの直後、当時の最強馬である七冠馬シンボリルドルフが
    満を持して挑んだはずの海外遠征緒戦(アメリカ遠征)で故障により大敗し、
    そのまま引退したショックからか海外遠征に対して非常に消極的になる。

    90年代半ばから香港やドバイへ遠征して活躍する馬が徐々に現れ始め、
    1998年にシーキングザパールとタイキシャトルが欧州短距離路線で
    日本競馬界の悲願だった日本馬の海外G1(国際G1)勝利を挙げる。

    その流れに後押しされるように1999年、3歳でジャパンカップを制した
    エルコンドルパサーが欧州に長期遠征。サンクルー大賞典(G1)等を制して
    凱旋門賞に挑み、ゴール直前まで先頭を快走しあわやの2着に惜敗する。

    この2着に勇気を得たのか、その後も日本馬は凱旋門賞に挑み続けた。
    しかしマンハッタンカフェ13着、タップダンスシチー17着と結果は出せず。
    そして迎えた2006年、三冠馬ディープインパクトが満を持して挑戦。
    当時11戦10勝2着1回という素晴らしい成績で大きな期待を集めるものの
    ややチグハグなレースで実力を発揮できず3位入線、後に禁止薬物違反で失格となった。

    「ルドルフ・ショック」再びかと思いきやその後も日本馬は執念の挑戦を続け
    08年メイショウサムソンの10着を経て、
    10年にはナカヤマフェスタが2着とまたしても惜敗する。
    (同じ年にはヴィクトワールピサも7着に)
    ナカヤマフェスタは翌年も挑戦するが11着と大敗。
    同じ年にはヒルノダムールも挑戦して10着に敗れた。
    12年には三冠馬オルフェーヴルが帯同馬アヴェンティーノと共に挑戦。
    直線、物凄い脚で突き抜けるもその後気性の悪さを見せて2着とまたまた惜敗。
    (アヴェンティーノは17着)
    日本中の競馬ファンが無念の叫び声を挙げたのは記憶に新しい。

    …とまぁこんな感じで、最早意地になっている気がしないでもないが
    日本馬の欧米遠征のファーストチョイスは殆どがこの凱旋門賞になっている。

    もう一つ、競馬ファン側の理由としては競馬ゲームの影響がある。
    90年代に一大ブームを築いた「ダービースタリオン」では
    超一流の成績を収めた馬だけに凱旋門賞の出走権利が与えられ、
    凱旋門賞を勝つ馬を育てることが大きな目標となっている。
    もう一つの競馬ゲームの老舗「ウイニングポスト」シリーズでは
    英国ダービー、キングジョージと並び凱旋門賞が欧州三大レース的な扱いを受けている。
    そんなわけで競馬ファンにとっての「凱旋門賞」といえば
    サッカーにおけるワールドカップであり
    メジャーリーグにおけるワールドシリーズであり
    映画界でいえばアカデミー賞であり
    艦これでいえば「空母レシピ回したら建造時間6時間ktkr!」であり
    ドラクエの復活の呪文で言えば「ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきら…」
    なのだ。

    人によっては、日本人の白人コンプレックスが原因だという意見もあるけど
    そういうのもひっくるめて「日本馬の凱旋門賞制覇」は、
    競馬関係者やファンにとって悲願中の悲願であり執念であり呪縛でもある。

    シリウスシンボリが14着に敗れた1986年の動画を見て、
    80年代欧州最強馬と呼ばれたダンシングブレーヴの強さに目を奪われるだけだった。
    シリウスシンボリはどこにいるのかすらも分からなかった。


    エルコンドルパサーが果敢に逃げ、目前に迫った凱旋門賞制覇が
    半馬身差でこぼれ落ちていった98年、
    友人の家で見ていた私は悔しさのあまり思わず落涙した。



    06年、ディープインパクトの時は「この馬でダメならもう日本馬には無理」だと思った。
    中継で岡部元騎手と同時に「まだまだ(仕掛けが早い)」と思わず叫んだ。
    3着入線のゴール後はまさに茫然自失だった。



    ナカヤマフェスタの健闘にはただただ驚いた。
    一瞬「え?よりによって日本馬の悲願達成がお前なの?(失礼)」と思った。
    それと同時に、絶頂期に良好なコンディションで挑めば
    「数十年に1頭」みたいな特別な馬じゃなくとも勝ち負けできると確信した。


    12年のオルフェーヴルは間違いなく勝ったと思った。勝利を確信した。
    またまた悔しさのあまり再び落涙した。
    あのレベルのレースであんな酷い負け方をした馬を初めて見た。
    あのレベルのレースであんなエグい抜け出し方をした日本馬を初めて見た。




    そして2013年。オルフェーヴルと今年のダービー馬キズナ。
    前哨戦のニエル賞とフォワ賞をどちらも日本馬が制し、
    本番でも恐らく上位人気になるだろう。









    スピードシンボリの頃には「奇跡を起こせば勝てるかもしれない雲の上のレース」だったが
    今では「国内トップホースがマトモに走れば勝てそうなレース」になった。
    あとは是非とも呪縛を解いて凱旋門賞を「単なるフランスのG1レース」にして欲しい。
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