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記事 5件
  • 前嶋和弘氏:日本がトランプを接待することの意味について考えてみた

    2019-05-29 22:00  
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    マル激!メールマガジン 2019年5月29日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )──────────────────────────────────────マル激トーク・オン・ディマンド 第946回(2019年5月25日)日本がトランプを接待することの意味について考えてみたゲスト:前嶋和弘氏(上智大学総合グローバル学部教授)────────────────────────────────────── トランプがやって来た! この週末、日本はトランプ大統領と安倍首相のゴルフや相撲観戦や炉端焼きだののニュースで盛り上がった。(そういえば前回は鯉の餌やりだった!)その間、大統領のセキュリティに万全を期すため、首都高速は閉鎖されるというし、相撲も千秋楽だというのに、日本政府は大統領ご一行のために正面の升席(1階席)をすべて買い上げた上で、今場所だけ特別に米大統領杯なるトロフィーが優勝力士に贈られるという。そのあまりに過度な歓待ぶりは、宗主国の元首を迎える植民地のようだと言ってしまっては言い過ぎだろうか。 国内的には特別検察官の報告書が出た後もロシア疑惑を収束させることができないまま、先の中間選挙で民主党に過半数を奪われた下院から次々と攻勢を受け、対外的には対中国、イラン、北朝鮮などの多くの難題を抱えるトランプにとって、今や主要国の中では唯一と言っても過言ではない友好国の日本で肝胆相照らす仲となった安倍首相から接待を受けながら過ごす3日間は、決して気分の悪いものではないだろう。 もちろん、2ヶ月後に国政選挙を控えた安倍首相の方も、様々な政治的思惑から、米大統領との蜜月ぶりを国内外にアピールしたいのは当然だろう。 しかし、安倍首相個人にはメリットがあるとしても、日本は今回の大統領の訪日から何を得ているのだろうか。警備に莫大な税金を使い、交通規制によるトランプ渋滞を甘受しなければならないわれわれ国民には、どんなメリットがあるのだろうか。 かつてアメリカの大統領は、日本にとっては唯一の同盟国の国家元首であると同時に、自由主義陣営の盟主として、民主主義や人権や自由貿易の価値を象徴する存在だった。そのような人物と肩を並べることには、日本にとっても大きな意味があった。 しかし、トランプという政治家はことごとくその価値規範を壊してきた人物だ。その大統領とツーカーの関係にあることを世界に見せつけることは、単に世界最大の軍事大国と蜜月関係にあることを意味するにとどまらない。日本もまた、伝統的な自由民主的価値を軽視している国と受け止められる危険性があることは覚悟しなければならない。そのような危険を冒してまでトランプ大統領と個人的に昵懇の関係にあることを世界にアピールすることの日本にとって意味を、われわれはもう少し真剣に考えてみる必要があるのではないか。 トランプ大統領という存在が背負っているもの、そしてそれを全面的に受け入れることの意味、また来年の大統領選挙でトランプに挑戦することになる23人の民主党大統領候補の中から注目の候補などを、希代のアメリカウォッチャーの前嶋氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
    ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・トランプ来日のお祭り騒ぎと、日米の「政権維持」という命題・「トランプドクトリン」で失われたもの・注目の民主党候補者を占う・アメリカはトランプという“痛み止め”から脱却するか+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
    ■トランプ来日のお祭り騒ぎと、日米の「政権維持」という命題
    神保: トランプ大統領が5月25日土曜日から3日間、来日するということです。その目的はゲストの方に伺いたいと思いますが、ニュースは特別扱いの大相撲観戦だ、ゴルフだという感じです。国賓はこれまでもいろいろな方がいますが、エリザベス女王が来ても道路封鎖といったことはしないでしょう。宗主国の国家元首を迎える植民地のような印象が拭えません。
    宮台: ハロウィンの渋谷の馬鹿騒ぎとよく似たものが令和の切り替えのときに起こりましたが、トランプの来日もほとんど同じで、祭りのような感じです。ただ、そこで何か絆ができるわけでもなければ、新しい空気ができて時空が刷新されるわけでもなく、簡単に言えばストレス解消、インチキ祭りです。
     

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  • 牧原出氏:官僚を力で押さえ込んできたことの大きなつけが回ってきた

    2019-05-22 20:00  
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    マル激!メールマガジン 2019年5月22日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド 第945回(2019年5月18日)
    官僚を力で押さえ込んできたことの大きなつけが回ってきた
    ゲスト:牧原出氏(東京大学先端科学技術研究センター教授)
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     平成の時代は政治改革の時代だったと言い換えても過言ではないほど、過去30年にわたり日本は政治や統治機構をいじくり回してきた。恐らく先進国においてここ30年で日本ほど政治の仕組みを大きく変えようとした国は他にないのではないだろうか。
     奇しくもリクルート事件に端を発する政治改革が本格的に動き出すきっかけとなったのが、与野党が逆転した平成元年(1989年)8月の参院選だった。そしてそれ以来、日本はひたすら政治改革と行政改革を推し進めてきた。
     小選挙区制と政党助成金の導入に始まり、様々な制度改革が実行されたが、概ねそれは分散されていた権力を政党、ひいては首相官邸に集中させることで、より早い意思決定を可能にするとともに、責任の所在を明確にすることを意図したものだったと言ってもいいだろう。また、80年代以降のたび重なる「政治とカネ」や「腐敗官僚」をめぐるスキャンダルへの反省と同時に、長らく世界地図を固定化させてきた米ソの冷戦体制が崩壊し、混沌としてきた世界情勢の中で、より早い意思決定の必要性が叫ばれたことが、一連の改革の背景にあったことは言うまでもない。
     そしてそのために日本が選んだ制度は、首相官邸への権限の集中だった。
     政治と行政の関係に詳しい東京大学先端科学技術研究センター教授の牧原出氏は、権力の集中により従来の政権では実現が難しかった様々な政策が実行に移されていると、一連の改革に一定の評価を与えつつも、第二次安倍政権発足以降、政権が自らに集中した強い権限を使って各省を力で押さえ込んだことによって、官僚機構に反発やモラール(やる気)の低下などが広がり、結果的に安倍政権が何かをやろうとしても、官僚機構が動いてくれなくなっていると指摘する。
     本来はあり得ない公文書の廃棄やデータの改竄が行われたり、メディアや野党へのリークが相次いでいるのも、現在の権力構造に対する役所の現場の反発を物語っていると見ていいだろう。確かに役人の言いなりになっていては、政治は大きな仕事を成し遂げることはできない。しかし、官邸が決定した政策を具体的に日々実行(インプリメンテーション)していくのは現場にいる官僚に他ならない。その官僚が寝てしまえば、どんなに優れた政策や意思決定をしても、それは換骨奪胎されてしまう。
     ここまで安倍政権は「政権維持」を最大の目標に、官邸主導で多くの政策を実現してきた。その政策の中身については異論もあろうが、平成の改革によって獲得した首相官邸の権限をフルに活用して、政治主導の政策実現を図ってきたことだけは間違いない。しかし、それが官僚に対しても、またメディアに対しても、かなり力業で押さえ込んできた面があり、そうした政権運営に対する反発がここに来て非常に高まっていることが、今後の政権運営を危うくしていると牧原氏は言う。
     政権を維持していくためには、何か「やっている感」を出さなくてはならない。しかし、もはや現場はしらけていて動かない。そこで安倍政権が現場の声を無視して、頭ごなしに欠陥だらけの憲法改正案などを出し、飴と鞭でメディアをも丸め込むことで、それを力業で通してしまうようなことになれば、将来に大きな禍根を残す怖れもある。
     ダブル選挙も取り沙汰される国政選挙を約2ヶ月後に控える中、日本の政治が崩壊の淵にあると懸念する牧原氏と、日本の政治の現状と安倍政権の今後について、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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    今週の論点
    ・場当たり的で目的が見えない政権
    ・官邸への権力集中が持つ危険性
    ・官僚制内の意思決定スタイルの比較
    ・次期政権はどうなるのか、選挙の重要性を改めて考える
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    ■場当たり的で目的が見えない政権
    神保: 気がつくと7月の参議院選挙が迫っています。しかし、世間の関心はいたって低い感じがしていて、投票率も低くなりそうです。
    宮台: 人が何かにコミットするのは、「ステアリングできる」という感覚があるからです。例えば、勢力は変わらなくても、批判が相手に効いているという手応えがあれば、人はいろんなことに興味を持つし、コミットします。何をやっても手応えがなければ徒労感だけが残り、人はコミットしません。これは嘘だ、捏造だ、と言っても基本的にスルーされるし、その政権もまた、国民の多くがその問題をスルーすることがわかっています。こうなってしまっては、「興味を持て」と言っても無理がある気がします。 

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  • 寺町東子氏:「無償化」では解決しない日本の保育事情

    2019-05-15 20:00  
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    マル激!メールマガジン 2019年5月15日号(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )──────────────────────────────────────マル激トーク・オン・ディマンド 第944回(2019年5月11日)「無償化」では解決しない日本の保育事情ゲスト:寺町東子氏(弁護士)────────────────────────────────────── 幼児教育・保育無償化のための「改正子ども・子育て支援法」が5月10日、成立した。10月から実施となる。 無償化の対象は、3歳から5歳児については全世帯、0歳から2歳児については住民税非課税世帯、およそ計300万人。年間8,000億円となる財源は10月に税率が引き上げられる消費税増税分を充てるという。 「無償化というと聞こえはよいが、心境は複雑だ」と、保育の問題に長年取り組んできた寺町東子弁護士はいう。実際に「無償化」の実態を詳しく見ていくと、寺町氏の懸念の理由がよくわかる。確かに、3歳から5歳児の認可保育所と認定こども園などは完全に無料となる。これまでは収入に応じて保育料を負担する応能負担だったので、この措置によって年収が高い世帯がもっとも負担軽減の恩恵を受けることになる。 一方、基準がゆるい認可外保育施設に対しては、補助額に月額で3万7,000円、0歳から2歳児には4万2,000円という上限が設けられる。問題は5年間は経過措置として届け出のみでよいとされたことで、待機児童対策として認可外保育施設が増え、指導監督が行き届かないおそれがあることだ。この点は国会審議でも指摘されてきた。そもそも、就学前のこどもたちが通う施設の態様は様々で制度も複雑だ。親が自由に選べる状況にあるとはとても言えない。これは認可外施設にこどもを預けざるをえない親たちにとっては大きな不安となる。 保育施設での事故は、今も後を絶たない。寺町氏によれば、認可外保育施設での死亡事故の発生数は認可施設の25倍になるという。子どもを失った親たちとともに保育施設の安全対策を訴え続けた結果、3年前に重大事故に対して調査・検証する仕組みがやっとできてはいる。しかし、まだその結果が根本的な制度改革につながらないまま、待機児童対策の名のもとの規制緩和の波に飲み込まれているおそれが払拭できない。それが今回の「無償化」の懸念点だ。 「無償化」の陰に、現在の日本の保育のどんな実態が隠されているのか。「無償化」で保育の質を確保できるのか。保育士資格も持つ寺町弁護士に、社会学者の宮台真司氏とジャーナリストの迫田朋子が聞いた。
    ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++今週の論点・幼児教育/保育のアンバランスな「無償化」・複雑怪奇な施設の区分け・問題の根本にある保育士の「配置基準」・「保育の質」をどう測り、どう高めるか+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
    ■幼児教育/保育のアンバランスな「無償化」
    迫田: 今回のテーマは「保育」です。収録日は5月10日なのですが、ちょうど今日、幼児教育無償化の法律が成立しました。そこで同法と日本の保育事情についてお話を伺いたいと思うのですが、マル激で保育を取り上げるのは初めてですね。
    宮台: そうですね。昔ラジオで、民主党がやろうとした認定こども園の話をしたことがありましたが、複雑でよくわかりませんでした。
    迫田: 今回もいろいろと調べましたが、やはり複雑です。この「無償化」とは一体なんなのか、課題はどこにあるのかについて,保育士の資格を持ち、社会福祉士でもいらっしゃいます、弁護士の寺町東子さんに伺っていきたいと思います。 まず、本日、冒頭に申し上げた無償化法、正確には改正子ども・子育て支援法が成立しましたが、どんなご意見をお持ちでしょうか。
    寺町: 「無償化」という言葉はいいことのように思えますし、子供にお金を使おう、という姿勢が示されたこと自体はよかったと思います。ただ、やはり手放しでよかったと言えない部分が多く、複雑な気持ちです。
     

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  • 海部陽介氏:御代替わりに考える日本人とは何なのか

    2019-05-08 20:00  
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    マル激!メールマガジン 2019年5月8日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド 第943回(2019年5月4日)
    御代替わりに考える日本人とは何なのか
    ゲスト:海部陽介氏(国立科学博物館人類史研究グループ長)
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     30年あまり続いた平成が終わり、日本は新しい時代に入った。先週、マル激では御代替わりの今こそ、象徴天皇制をめぐる議論を深めようではないかと呼びかけたが、今週は新しい時代を迎えるに当たり、そもそもわれわれがどこから来たのかという視点から、日本とは何なのかについて考えてみたい。
     実は日本列島は約3万8千年前まで、人が住んでいない無人島だった。アフリカを出たわれわれの祖先は、ヨーロッパ、中央アジアを経由し、南北に分かれてヒマラヤを迂回した上で今から4万年ほど前に再び東アジアで合流し、それから数千年かけて対馬、沖縄、北海道の3つのルートを経由して日本に辿り着いたようだ。その後、さらに弥生時代に大陸からの渡来があって農耕が始まり、それらの民族が交わりながら現在の日本が形作られていった。とかく日本は単一民族であるかのように言われることが多いが、その実はまさに多民族国家そのものだったのだ。
     ちなみに、当時は今より海面が80メートルも低く、北海道と本州、九州、四国はいずれも陸続きだったと考えられている。4島が一つになった当時の日本列島を「古本州島」と呼ぶそうだが、日本列島は一つの島だったとしても、大陸から日本に辿り着くためには、少なくとも対馬と沖縄の2つのルートについては、何らかの形で海を渡らなければならない。果たして、3万年前の人類はどうやって海を渡って日本にやってきたのだろうか。
     国立科学博物館の人類史研究グループ長で人類進化学者の海部陽介氏は、彼らがどうやって海を越えてきたかを検証するために、実際に当時の技術のみを使って台湾から与那国島まで航海する実験を重ねてきた。航海といっても、何せ3万年以上も昔の話だ。航海技術もなければ帆船もない。無論、舟を作るための道具も原始的な石器程度しかない。海部氏の「渡航再現プロジェクト」は、これまで与那国島に自生しているヒメガマという草をツル植物で縛って作った草束舟や、竹を組んだ竹筏舟でチャレンジしたものの、南からの強い黒潮を乗り越えることができず、いずれも失敗に終わっている。
     そして、海部氏はこの6月、直径1メートルの杉の巨木をくり抜いた丸木舟で3度目の正直に挑戦するという。学説としては証明されていても、実際にそれを実践するとなると、幾多もの困難が待ち構えていて、予想もしなかった色々なことがわかるものだと海部氏は言う。
     新しい御代を迎えた日本は、歴史上初めて人口減少のフェーズに入る。3万8千年前に日本に最初の人類が降り立って以来、初めての経験だ。そうした中で日本は今後、移民の受け入れの是非を真剣に議論する必要が出てくるだろう。長らく他民族の移民を受け入れずに来た日本は、他文化に対する寛容度が必ずしも高くないことはやむを得ないことかもしれない。しかし、一歩引いて長いスパンで日本の歴史を振り返ってみると、そう、日本は正に世界の方々から集まってきた多くの民族がここでまた新たに混ざり合ってできた、立派な多民族国家でもある。人口統計学的には正に歴史的なフェーズに入ろうとしている日本には、こうした歴史的な視座も必要かもしれない。
     令和最初のマル激となる今回は人類進化学者の海部氏とジャーナリスト神保哲生、社会学者宮台真司が、無人島だった日本に最初の人類が降り立った時代に思いを馳せながら、日本の悠久の歴史を議論した。
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    今週の論点
    ・ホモサピエンスだけでなく「いろんな人類」がいた時代
    ・全世界に拡散していった人類
    ・日本に人類が移入した、3つのルート
    ・「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」とは
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    ■ホモサピエンスだけでなく「いろんな人類」がいた時代
    神保: 今日は2019年4月27日ですが、オンエアが5月4日で、改元後最初の番組ということになります。時代が変わり、「日本論」のようなものがいろいろと出てくると思いますが、ここではもう少し長いスパンの議論をしたいです。宮台さんの本ではありませんが、「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」というテーマです。
    宮台: 2012年1月に篠田健一さんをお招きして、同じタイトルで議論をしました。もともとゴーギャンの絵から来ている言葉で、DNAをベースに分子遺伝学の観点から僕たち列島に住んでいる人たちのルーツを探るという話で、大変面白かった覚えがあります。 

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  • 原武史氏:今だからこそ象徴天皇制について議論しておかなければならないこと

    2019-05-01 22:00  
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    マル激!メールマガジン 2019年5月1日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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    マル激トーク・オン・ディマンド 第942回(2019年4月27日)
    今だからこそ象徴天皇制について議論しておかなければならないこと
    ゲスト:原武史氏(放送大学教授)
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     メディア的な言い方をすると、これが「平成最後のマル激」となる。
    巷では平成を振り返ったり、新しい御代を展望する番組や記事で溢れている。しかし、あまり見かけないのが、象徴天皇制の現状についての議論だ。
     このタイミングで譲位となったことの是非や、30年の平成の世に日本の象徴天皇制がどう定義づけられどう変化したか、皇位継承はこのままでいいのかなど、象徴天皇制をめぐる様々な議論が今こそ活発に交わされるべき時だと思うが、なぜかそうはなっていない。こと天皇の話となると決まってこうなってしまうのが、日本人の国民性なのだろうか。
     政治思想史が専門で天皇制に詳しい放送大学の原武史教授は、今上天皇が2016年8月8日のいわゆる「おことばビデオ」で退位の意向を表明した時、陛下から日本国民に向けて多くの球が投げられたとわれわれは考えるべきだと言う。われわれは一人ひとりがその球を受け止めた上で、その内容をしっかりと吟味し、議論し、何らかの形でその対応を決める必要があったが、政府の有識者会議を含め、そこでも日本中が思考停止に陥ってしまった。
     「陛下がそう言われているのだから、その通りにすべきだ」というのでは、象徴天皇制はおろか、戦前と何ら変わらないではないかと、原氏は指摘する。
     実は今上天皇はそのおことばビデオの中で、「象徴としてのお務め」を自ら定義している。象徴天皇制の日本にあって、憲法に定められた「象徴」の意味するところが具体的に言葉になったのは、恐らくこれが初めてのことだろう。
     陛下は象徴の役割を、「国民の安寧と幸せを祈ること」と「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」の2つだと明言した。前者は宮中祭祀を、後者は日本中を回る行幸や行幸啓を意味していると考えられている。そして、その2つが満足に果たせなくなる恐れがあるために、退位したいと申し出た形になっている。
     30年にわたり今上陛下が果たしてきた、自ら定義した象徴としての役割は、恐らく多くの国民の支持するところだろう。しかし、陛下がご高齢を理由に生前退位を申し出なければならないほど多忙に動き回らなければならない状態を作ってしまったのは、いったい誰だったのだろうか。国民はそれを陛下まかせにしておいて、単にありがたくその恩恵を受けているだけでよかったのだろうか。
     更に言うならば、世襲が憲法によって定められている天皇、ならびに皇族には、われわれ国民が享受している職業選択の自由や言論の自由といった、基本的な人権すらも保障されていない。にもかかわらず、政治利用されることを自ら抑止し、象徴としての自らの役割を定義するために、苛酷と言っても過言ではない公務のスケジュールをこなさなければならないような立場に置くことに、問題はないのだろうか。
     民主主義・主権在民の日本にあって、何が望ましい天皇制かを最終的に決めるのは言うまでもなく国民だ。国民にはその権利があると同時に、その義務も負っている。われわれがその議論をタブー視したり、それを避けてきたことで、結果的に天皇を始めとする皇族に多大な負荷がかかっていることも今回明らかになった。また、相変わらず皇室を政治利用しようとする勢力が根強く残っていることも直視する必要があるだろう。
     いずれにしても、5月1日から新天皇が即位し、新しい時代に入る。新しい御代を祝う一方で、平成が残した様々な宿題を今、議論せずに、いったいいつ議論するというのだろう。一番足りないのは、われわれ一人ひとりがもう少しこの問題を自分の問題として受け止め、考え、そして議論することではないか。平成の終わりに、象徴天皇制について様々な問題提起をしてきた原氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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    今週の論点
    ・抽象的な「臣民」を「1対1」にミクロ化した、平成天皇
    ・天皇陛下からのボールを「スルー」したわれわれ
    ・根深くある、摂政になることに対する恐怖
    ・雅子妃に対するプレッシャーと、今後見ていくべきポイント
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    ■抽象的な「臣民」を「1対1」にミクロ化した、平成天皇
    神保: 本日は4月26日、世間で流行っている言い方をすると「平成最後の」マル激です。もっと言えば天皇の代替わりがあるということなので、天皇、もしくは天皇制についてきちんと議論したいと思います。これまでも天皇の人権問題から生前退位の問題など、あらゆることを取り上げてきたので、ある種の総まとめ的な回になると思いますが、宮台さんはどうお考えでしょうか。
    宮台: 日本会議的なものと言ってもいいのですが、特に天皇に関する政治利用がまたかなり進んでいます。そういうなかで、まだ今上天皇の側からのカウンターを当てる、政治的な意味を持つ振る舞いも存在しているという状況――これは明治以降でいっても前代未聞です。ですから、有り体に言えば天皇制、あるいは天皇陛下をどう僕たちが位置付けるべきなのかということです。そういう言い方は失礼かもしれないけれど、僕たちが何を望むべきなのか、ということを整理しておくべきです。 

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