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記事 4件
  • 藤井克徳氏:日本の障害者施策は世界基準とどこがずれているのか

    2022-09-28 20:00  
    550pt
    マル激!メールマガジン 2022年9月28日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/)
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1120回)
    日本の障害者施策は世界基準とどこがずれているのか
    ゲスト:藤井克徳氏(日本障害者協議会代表)
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     国連は9月9日、日本の障害者施策に対して数々の改善勧告を出した。先月ジュネーブで開かれた国連障害者権利委員会の審査に基づいたもので、日本の障害者政策が初めて世界基準で検証されたことになる。
     障害者権利条約は、女性差別撤廃条約や子どもの権利条約と同様の人権にかかわる国際条約の一つで、2006年に国連で採択され日本は2014年に批准している。今回の勧告は、国連が日本国内の実施状況について初めて審査を行い、総括所見という形で発表されたものだ。
     今回の勧告は全体で75項目に及び、旧優生保護法の問題や、6年前に入所者19人が殺害され世界的なニュースとなった「やまゆり園」事件にも触れている。事件の背景には優生思想や能力主義的な考え方があることを指摘、そのような考え方を広めた法的責任の追及をするよう勧告している。
     ジュネーブの会議を傍聴した日本障害者協議会代表の藤井克徳氏は、国連障害者権利委員会の委員たちが、日本政府の報告と障害者団体の見解をまとめたパラレルレポートを丁寧に読み込んでいたことを評価する一方で、委員たちからの質問に対して言い訳をしているだけの政府代表団の姿勢に不誠実さを感じたと語る。障害者権利条約をてこにさらによりよい制度設計をする機会があるにもかかわらず、会議に出席した政府代表団の官僚たちは終始後ろ向きの態度だったと藤井氏は言う。
     総括所見では、日本の障害者政策がパターナリスティック(父権主義的・強い立場にある者が弱い立場にある者のために、本人の意志を問わずに介入すること)で人権を中心にした考え方になっていないことを指摘した上で、医学的なモデルが支援を必要とする人を制度から排除することにつながっているとしている。
     さらに、障害者権利条約の日本語訳の問題も指摘している。外務省の公式訳では、例えば「インクルージョン」という言葉は「包容」と訳されており、福祉分野で通常使われている「包摂」という言葉を使っていない。インクルージョンはそもそも“分けない”という意味であり、「包容」では言葉そのものに恩恵的な響きがあり個人を尊重する権利条約の考え方にはそぐわない、と藤井氏は指摘する。
     教育と精神医療では特に踏み込んだ指摘が行われている。障害のある子どもたちを分離して教育する特別支援教育をやめて統合教育を目指し合理的配慮と個別の支援を受けられるようにすることや、精神障害のある人への強制的な扱いにつながるすべての法的規定を廃止することなどを勧告しているが、これらの指摘、勧告に対し日本の各担当大臣たちは、「特別支援教育の中止は考えていない」(永岡文科大臣)「法的拘束力を有するものではないが、今回の総括所見の趣旨も踏まえながら引き続き取り組んでいく」(加藤厚労大臣)と述べるにとどまり、これをよりよい制度設計に活かそうという意欲は感じられない。
     国連で障害者権利条約の議論が始まった当初から傍聴を続け、権利条約の意義を伝え続けている藤井克徳氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が今回の国連勧告の意味と日本の障害者政策の現状と問題点について議論した。
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    今週の論点
    ・社会へのイエローカードとしての障害者権利条約
    ・国連から日本に送られた「総括所見」の中身とは
    ・人権に対する感覚が薄い日本人
    ・明日はわが身と思えるかどうか
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    ■ 社会へのイエローカードとしての障害者権利条約
    迫田: こんにちは。今日は9月22日木曜日、障害者の問題を取り上げたいと思います。2006年に障害者権利条約が国連で採択されて、日本は2014年に批准しましたが、障害者権利条約に則って日本の制度がどうなっているかという初めての審査が先月行われ、勧告が今月に出されたというのが、今日のテーマのきっかけです。
    様々な課題が見えてきていますが、障害者政策だけではなく、日本の法制度を作っていく上での色々な課題も見えてきた、ということで今回このテーマを取り上げようと思います。
    宮台: そうなんですが、この国連からの勧告は知られてないですよね。マスメディア上ではあまり話題になっていません。
    迫田: はい。勧告が出たのは9月9日でした。
    宮台: 今月はもう統一教会、国葬問題で揺れているので、なかなか話題にしにくいこともあるのかもしれませんが、本当は吹けば飛ぶような、「国葬儀」という名前のたかが内閣葬に比べれば、はるかに重要な問題ですね。
    迫田: 今日は、日本障害者協議会代表の藤井克徳さんにお越しいただきました。藤井さんは先月の8月22、23日にジュネーブで開かれた、国連の障害者委員会による日本の審査を傍聴されましたね。
    藤井: はい、「国別審査」と言ったり、日本の場合、固有に「対日審査」といった言葉を使っていました。
     

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  • 本間龍氏:電通問題の本質

    2022-09-21 20:00  
    550pt

    マル激!メールマガジン 2022年9月21日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/)
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1119回)
    電通問題の本質
    ゲスト:本間龍氏(著述家)
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     かねてより批判が集まっていた電通に、とうとう司直のメスが入った。東京地検特捜部は7月26日、東京都港区汐留にある電通本社に家宅捜索に入ったのだ。
     今回の捜査は、東京五輪・パラリンピック組織委員会の高橋治之元理事が、大会スポンサーから賄賂を受け取っていたとされる問題で、高橋氏が電通の元専務であり、また組織委との間でマーケティング専任代理店契約を結んでいた電通からは多くの社員が組織委に出向していたことなどから、スポンサー選定に関わる証拠集めの一環と見られる。
     電通については、2015年に高橋まつりさんの自殺などの不祥事が相次いだほか、持続化給付金やマイナポイント、キャッシュレス還元などの補助金の中抜きで多大な利益をあげてきたことが、社会的な批判を受けてきた。今回、東京五輪のスポンサー選定で電通の高橋氏が特定の企業を優遇する見返りに賄賂を受け取っていたことが事実だとすれば、広告業界における圧倒的なシェアを武器にこれまで一手にメディアを支配してきた電通にとって、致命的な打撃となる可能性がある。
     それにしても電通という企業は、なぜここまで強大になれたのだろうか。博報堂出身で広告業界に詳しい本間龍氏は、電通鬼十則に代表される猛烈な営業姿勢や、政官財に加え、スポーツ界や芸能界に張り巡らされたコネクション、そして何と言ってもメディアに対する支配力が電通の強さの源泉だと指摘する。しかしその一方で、その強さが、労働組合などの内部チェックやメディアなどによる外部チェックを困難にし、労務管理やコンプライアンスの欠如につながってきた。電通ほどの大企業がこうまで続けて不祥事を起こすのは、明らかに企業として最低限のチェック機能が働いていないためと考えざるを得ない。
     また、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌のマスコミ4媒体の広告市場を支配することでトップ企業にのし上がった電通だが、テレビに代わってメディア界の盟主になりつつあるインターネット市場では、まったく主導権を握ることができていない。実際、現在の広告業界の序列は、1位と2位は依然として電博(電通と博報堂)が占めているが、3位にはネット広告専業のサイバーエージェントがのし上がってきており、電博を猛追している。既にネット全体の広告費はテレビのそれを上回っており、電通のメディア支配の終焉はもはや時間の問題との見方もある。
     なぜ電通はメディアを支配した上に、五輪を始めとする巨大イベントのスポンサー選定を握るまでの力を持ったのか。その一方で、電通で不祥事が後を絶たないのはなぜか。かつては博報堂で電通に辛酸を舐めさせられ、電通の怖さも強さも身を以て知っている本間氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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    今週の論点
    ・メディアが語りたがらない電通問題
    ・鬼十則に見られる電通の体育会系気質
    ・一業種複数社を許す特殊な日本の広告業界
    ・ネットの広がりと電通のゆくえ
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    ■メディアが語りたがらない電通問題
    神保: 今週は木曜日の収録です。エリザベス女王が亡くなられ、国葬が9月19日に行われますが、それについては宮台さん、何かありますか。
    宮台: 岸田あるいは自民党与党にとっては、泣きっ面に蜂のような案件ですね。みんなに愛されて5 kmもの弔問するための行列ができ、これが国葬なんだ、という、国葬の理想型・理念型を示していただきました。いかに安倍の「国葬儀」がかっこ悪いかということが、国民や諸外国に如実に示されました。
    神保: まだ招待状が来ないことがわかっていなかった段階で、岸田さんがエリザベス女王の国葬に行くのかどうかという話になったときに、松野官房長官が「エリザベス女王の『国葬儀』におかれましては」と言ったんです。もう、訳がわかりません。
     その波及効果が面白いことになっていて、政府は「国葬」と「国葬儀」は違うという言葉遊びをしますよね。それは、内閣府設置法に「儀式」が入っているから、「儀」がつかないと困るということなのですが、あくまで「内閣府」の設置法なんですよ。「内閣」ではないんです。
     内閣府と内閣の区別がついておらず、内閣府の設置法を根拠に、内閣が閣議決定で国葬の実施を決められるとしたということで、法律的には問題だと行政法の専門家などが言っています。
    宮台: 内閣府設置法を根拠に内閣が国葬実施を決定することはできないでしょう。
    神保: そうですよね。さて、前置きが長くなりましたが、本編に移りたいと思います。今日は、ここのところ色々な問題が噴出している電通について、一体何がどうなっているのかをきちんと検証してみたいと思います。
     

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  • 平賀緑氏:この食料危機に食のグローバル化リスクを再考する

    2022-09-14 20:00  
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    マル激!メールマガジン 2022年9月14日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/)
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1118回)
    この食料危機に食のグローバル化リスクを再考する
    ゲスト:平賀緑氏(京都橘大学経済学部准教授)
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     日本でも物価高の痛みをひしひと感じている人は多いだろう。中でも、食品価格の値上がりが、とりわけ家計を強く圧迫している。それもそのはずだ。日本の食は今やグローバル市場の一部なのだから。
     これでも先進国の日本はまだましな方だ。日本の外では、特に貧困国で食料危機が現実的な脅威となっている。国連食糧農業機関(FAO)はパンデミックによって国際的な流通網が寸断されたことで、飢餓人口が急増することへの警鐘を鳴らしていたが、そこに主要な食料輸出国であるロシアとウクライナの戦争が始まったことで、いよいよ飢餓が現実のものとなってきた。
     FAOによると、今日の世界の飢餓人口は7億2,000万人~8億1,100万人に膨れ上がっており、適切に食事を摂ることができない食料不安を抱える人口は20億~23.7億人にものぼるという。2000年に国連がミレニアム開発目標(MDG)の中で「飢餓の撲滅」を掲げて以来22年、世界は今もって総人口の約3分の1が食料不足に喘ぐ事態を迎えている。今回の食料危機では、特にソマリア、エチオピア、南スーダン、ナイジェリアなどのアフリカ諸国とイエメン、アフガニスタンなどが飢餓の差し迫った危機に直面しているという。
     食料栄養政策が専門で食と資本主義の関係史に詳しい京都橘大学の平賀緑准教授は、日本でも世界でも実際に食料が不足しているわけではないが、経済性や効率性を最優先した今日の食のグローバルな生産・流通システムが、パンデミックと気候変動、そして此度のウクライナ紛争によって、その脆弱性をもろに露呈させていると指摘する。
     そもそも人間の生存を支え、地域の独自の文化を支えてきた食は、市場原理には馴染まないものとして、長らくグローバル資本主義とは切り離されてきた。戦後の西側陣営における自由貿易を牽引してきたGATT(ガット=関税及び貿易に関する一般協定)でも、農産物は1986年に交渉が始まったウルグアイラウンドまで関税引き下げや自由化交渉の対象とはなっていなかった。
     しかし、GATTウルグアイラウンドからWTOへと引き継がれたグローバル資本主義の波は、人間も食も容赦なく飲み込んでいった。現在、世界の食の生産供給体制は、各地で比較優位理論に基づいた単一作物(モノカルチャー)に特化され、途上国では世銀・IMFが主導する構造調整プログラム(SAP)の名のもとに、その国の人々が必要としている食糧よりも、輸出して外貨を稼ぐことができる付加価値の高い商品作物の生産が推進されてきた。
     日本でも主にアメリカとの貿易摩擦交渉の結果、海外からの安い食料の輸入が奨励されるようになり、さらにTPPなどを通じて日本もしっかりと食のグローバル・フードサプライ・チェーンに組み込まれていった。地球の裏側のどこかで異常気象や災害、疫病、紛争などが発生すると、たちまち日本の食品価格が高騰するのは、まさに日本の食経済がグローバル市場に組み込まれていることの証だ。
     日本にいながらにして、世界中のあらゆる食が安価で手に入るのはとても結構なことだが、これまでマル激で何度となく取り上げてきているように、食のグローバル資本主義は同時に多くの負の側面を内包している。種子の知財権から肥料や飼料の原材料の調達にいたるまで、ほんの一握りのグローバル企業、しかもそのほとんどすべてが外国企業に寡占されていることもその一つだ。食を輸入食料や海外の企業に過度に依存してしまうことは、食料安全保障上のリスクも大きい。特に先進国の中では食の自給率がもっとも低い部類に属する日本にとって、これは大きなリスクとなる。
     平賀氏は、実際に食料が不足しているわけではないのに、投機マネーによって穀物価格がつり上げられた結果、低所得国で飢餓が発生している現状も問題視する。実際、2000年以降の世界の穀物の生産量とFAOの穀物価格指数を比較してみると、生産量はそれほど大きく変動していないにもかかわらず、価格は激しく乱高下しているのがわかる。今や人間の生存に欠かせない食が、マネーゲームのネタになっているのだ。
     今回のパンデミックやウクライナ紛争で露呈したグローバル食経済から個人が離脱するのは容易なことではない。しかし、まずは一人ひとりがこの問題を認識し、日々の生活スタイルや消費行動を僅かに変えるだけでも、全体としては大きな変化を生む力となり得る。
     平賀氏は例えば、ペットボトルのお茶を買うのではなく、自分で沸かしたお茶を水筒に入れて持ち歩くだけでも、大きな変化のきっかけになると語る。他にも、例えば大型店舗ではなく地域の八百屋さんや魚屋さんやパン屋さんで食材を買うことであったり、外食をするのであればチェーン店ではなく地域の小さな料理店で食べることであったり、コンビニでお弁当を買うのではなく、家で料理を作って食べることなどが、グローバル資本主義への対抗軸としての、地域に根ざした小規模分散型経済を支える力となる。
     テレビではパンデミックやウクライナ紛争で食品の価格が高騰し「家計を直撃!」などというニュースが、毎日のように流れている。それはそれで大きな問題であることは間違いない。特に貧困家庭にとっては食品価格の高騰は大きな問題だろう。しかし、同時に今回の食料危機を奇貨として、その背景にあるハイリスクなグローバル・フードサプライ・チェーンの存在を知り、また日本が自らの選択として自身をそこに組み込んできたこと、そしてそれが必ずしも唯一の選択肢ではなく、個人レベルでもいろいろな選択肢があることを再考してみてもいいのではないだろうか。
     大学で教鞭を執るかたわら地元京都で地域活動にも取り組む平賀氏と、此度の食料危機の背景やグローバル食経済との関係、その対抗軸などについて、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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    今週の論点
    ・マネーゲームに組み込まれてしまったわれわれの食
    ・食が資本主義の一部となるまで
    ・「交換価値」ではなく「使用価値」を重視する社会へ
    ・食を自分たちの手に取り戻すために
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    ■マネーゲームに組み込まれてしまったわれわれの食
    神保: 宮台さん、世の中は色々あるのか色々ないのかが分からないような感じですね。
    宮台: 順調に急降下しています。自民党議員の半分が統一教会関連のコネクションを持っていたことが分かったし、円は一時期145円の寸前までいきました。
    神保: 国葬に関する説明会も、一応開きましたが、岸田さんは記者会見で言った4項目(1,国政選挙で6回当選し憲政史上最長の8年8か月にわたり重責を務めたこと、2, 東日本大震災の復興や、経済再生、戦略的外交を主導するなど歴史に残る業績を残したこと、
    3,諸外国で国全体を巻き込んで敬意と弔意が示されていること、4,民主主義の根幹である選挙活動中の非業の死であること)をただ繰り返すだけで、なぜ国葬でなくてはならないのかという説明は全くありませんでした。
    宮台: しかも、「国葬」ではなく「国葬儀」だということで、法的に抜けようとする姑息なやり方です。全体として、理念も価値も何もなく、状況に対応して右往左往しているだけという政治状況が表れています。
    神保: やらなければいけない課題は多くありますが、今日は食の問題をきちんとやりたいと思います。もともとコロナでも大きな影響を受けているんですが、いよいよ今年、ウクライナ問題で大変なことになるのではないかと言われています。しかも、ここ何年か継続的に気候変動の問題というのもありますが、今日のゲストの先生の本を読ませてもらって私が思ったのは、日本は果たして能動的にグローバル・フードバリュー・チェーンのシステムの中に組み込まれたのかどうか、ということです。システムに組み込まれた結果、どこかで干ばつが起きると日本のカレー粉の値段がすごく上がるといったことが起こります。果たして世界も、それが本当にいいと思ってやったのか、それとも実は、一部の人たちが得をするためにどんどん進めていったということなのではないでしょうか。
     

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  • 鮫島浩氏:なぜ朝日新聞はこうまで叩かれるのか

    2022-09-07 20:00  
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    マル激!メールマガジン 2022年9月7日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/)
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    マル激トーク・オン・ディマンド (第1117回)
    なぜ朝日新聞はこうまで叩かれるのか
    ゲスト:鮫島浩氏(政治ジャーナリスト・元朝日新聞記者)
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    長らく日本のリベラル言論をリードしてきた朝日新聞が、危機的な状況に陥っているという。1990年のピークから20年にわたり誇ってきた800万の発行部数も、ここ10年はつるべ落としのように急落を続け、2022年には約半分の400万部あまりまで激減し、2021年度にはついに400億円を超える大赤字に転落してしまった。ほぼ同時期に他の新聞社も軒並み発行部数を落としているが、その中でも朝日の凋落ぶりは群を抜いている。
     朝日新聞の発行部数が激減するようになった直接のきっかけとしては、2014年に相次いで発覚した「2つの吉田問題」が挙げられることが多い。これは2011年の東日本大震災に起因する原発事故をめぐり、当時福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏が政府事故調に対して語った調書をめぐる「吉田調書」報道と、文筆家吉田清治氏の従軍慰安婦に関する証言をめぐる「吉田証言」報道がいずれも不適切なものだったことが指摘され、最終的には朝日側も自らの非を認め記事を撤回したというもの。2つの吉田報道は問題の性格こそ異なるが、いずれの場合も原発や従軍慰安婦問題に対する朝日新聞のイデオロギー的な偏向が誤報や不正確な報道を招いたとして、特に安倍政権を筆頭に保守派からの厳しい指弾に晒された。
     確かに朝日新聞が伝統的に持つリベラル色の強い思い入れが、2つの吉田報道に多少なりとも影響を与えた面はあったかもしれない。しかし、吉田調書がスクープされた当時、記事を担当した特別報道部のデスクという当事者の立場にあり、問題の責任を取らされる形でデスク職を解任されたばかりか報道とは無縁の部署に飛ばされた、元朝日新聞記者の鮫島浩氏は、一連の問題は朝日のリベラリズムに起因するものなどではなかったと言い切る。リベラルだから叩かれると思われている朝日新聞という組織の実態は、実際には権威主義の塊であり、社内には報道部門であってもサラリーマン根性丸出しの官僚主義と出世至上主義や事なかれ主義が隅々まで蔓延している。それが朝日では多くの問題を生んでいると鮫島氏は言う。
     朝日新聞は当初機密扱いされていた吉田昌郎氏の調書を独自に入手した結果、吉田所長が原発の所員たちに原発内に留まるよう待機命令を出していたにもかかわらず、ほとんどの隊員が約10キロ離れた福島第二原発まで撤退していたことを突き止め、これを「命令違反し撤退」と報じた。しかし、事故発生直後の混乱の中で、福島第二原発まで撤退した所員たちの中には所長の命令を知らなかった人もいたかもしれないなどの指摘があり、それを一律に「命令違反」と切り捨ててしまうのはやや乱暴ではないかという声が朝日の社内からもあがっていた。
     確かにこの報道は、原発事故に直面し困難な決断を迫られている東京電力の職員への配慮に欠けた表現があったかもしれない。しかし、記事の中に明確な誤報といえるような間違いがあったわけではなく、あくまで記事のニュアンスが東電職員への配慮に欠けているのではないかという点が問題となった。ところがこのニュアンス問題が、権威主義がはびこる社風の中で、社長にノーと言えないヒラメサラリーマンの事なかれ主義などによって、組織の屋台骨を揺るがすほどの大問題に拡大してしまったのだと鮫島氏は言う。
     事の顛末の詳細は番組本編に譲るが、吉田調書報道については、記事のニュアンスに対して社内からも懸念する声があがったため、担当デスクだった鮫島氏は直ちにニュアンスを修正するための補足記事の配信を上司に提案した。しかし、当時の朝日新聞の社長がこの吉田調書のスクープ記事を新聞協会賞に応募することを決め、非常に前のめりになっていたため、社長周辺の幹部たちが、補足記事などを配信すれば記事の権威に傷がつき、それが結果的に社長の顔に泥を塗ることになるのを恐れたため、鮫島氏の提案は却下されたそうだ。
     直後に補足記事を出していれば、この問題で朝日がここまで叩かれることはなかったかもしれない。しかし、その時の朝日新聞はジャーナリズムとはまったく別次元の理由で、たった1本の補足記事を出すことができなかった。
     鮫島氏の話を聞く限り、今や朝日新聞という組織はとてもではないが、リベラル言論の雄を引き受けられるだけの矜持は持ち合わせていないように見える。しかし、問題は朝日がいい加減なことをやれば、これまでリベラル派からやり込められ、リベラルに対して怨念を抱く保守派は嵩に懸かって攻勢に出る。そして、朝日がむしろ社内的な理由から記事の訂正や撤回に追い込まれることにより、リベラルな主張や考え方自体が間違っていたかのようにされてしまう。日本では今もって朝日新聞は、少なくとも一部の人たちにとってはリベラル言論の象徴的な存在なのだ。それは逆の見方をすれば、朝日はもはや組織内ではリベラルメディアの体をなしていないにもかかわらず、表面的にはリベラルの旗を上げ続けることによって、日本のリベラリズムの弱体化を招いているということにもなる。
     今後、朝日新聞が復活する可能性について、27年間朝日に在籍した鮫島氏はいたって悲観的だ。これだけ部数を減らし危機的な状況に追い込まれた今も、組織としての朝日は根本的には変わっていないと鮫島氏は言う。しかし、朝日を含む既存のメディアが凋落していく中、日本では彼らに取って代わることができる新しいメディアは必ずしも育っていない。記者クラブ、再販制度などで既存のメディアの権益が政府によって手厚く護られている日本では、新しいメディアが既存のメディアと公正な土壌で競争できるような環境には置かれていない。
     政府から数々の特権をもらっている限り、政府に大きな借りを作っている状態が続く。政府と対等な立場での報道などできないし、自ずと自由な報道が縛られることになる。鮫島氏は朝日社内で記者クラブ依存をやめ、欧米型の特報部方式の導入に尽力したが、吉田調書報道で鮫島氏の特報部が不祥事を起こしたことにされたため、今朝日では再び記者クラブ依存体質に戻っているそうだ。
     今となっては、朝日はリベラルだから叩かれるのではなく、実際にはリベラルとは真逆なことを数多くやっていながら、表面的にリベラルを気取るから叩かれるというのが、事の真相と言えるかもしれない。だとすれば、今朝日がすべきことは、言行を一致させるか、リベラルの旗を降ろすかの二択しかない。
     朝日の古い体質にほとほと嫌気がさし、50歳を前に朝日を退職して自分ひとりで新しいメディアを立ち上げた鮫島氏と、なぜ朝日新聞や既存メディアは生き残れないのか、政府から数々の特権を得ながらジャーナリズムを標ぼうすることがいかに欺瞞に満ちているかなどについて、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
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    今週の論点
    ・ジャーナリズムよりも人事に汲々とする朝日新聞
    ・原発事故の「吉田調書」問題とは何だったのか
    ・慰安婦報道をめぐる「吉田証言」問題と「池上コラム」問題
    ・日本のジャーナリズムのゆくえ
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    ■ジャーナリズムよりも人事に汲々とする朝日新聞
    神保: 今日のテーマは朝日新聞なのですが、冒頭で宮台さん、テーマがらみでも他のことでも何かありますか。
    宮台: 朝日にはたくさん記事を書かせていただいていますが、7月の安倍元首相銃撃事件にからむ記事を書いた時に、僕から見ると重要な論点が3つ削除されてしまったということがありました。現場の記者は記事の削除に抗ってずいぶん戦ってくれたのですが、どうしてもデスクが首を縦に振らず、残念ですが削除されたということでした。
    神保: そのデスクの立場というものも、今日の番組の議論を聞けば、なるほどそういうことかと分かるのかなと思います。ゲストは元朝日新聞の記者で現在はフリーの政治ジャーナリストとして活動されている、鮫島浩さんです。著書の『朝日新聞政治部』が今年の5月に出て、今すでに増刷で48,000冊ぐらい売れているということですが、これはやはり朝日に関心がある人が多いということでしょうか。
    鮫島: そうですね。なるべく私が体験した具体的なエピソードを、原則実名で書いています。私は朝日新聞に27年間いたのですが、記者としては恵まれており、多くの事件や政局にぶつかるなどいろんなことがありました。それをそのまま書き残すだけでもストーリーがあって面白いなと思ったので、304ページあるのですが、なるべく論文っぽくならずに、企業小説のような感じでさっと読んでもらうことを意識して書きました。
    神保: 1年ほど前に会社を辞められて、改めて外から見て、朝日新聞は鮫島さんにとってどんな風に映っていますか。
    鮫島: 久々にかつての同僚と会うと、人事の話ばかりしているんですよ。 

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