マル激!メールマガジン
小豆川勝見氏:原発事故から15年が過ぎても放射線測定が被災地対策の基本だ
2026/03/11(水) 20:00
マル激!メールマガジン 2026年3月11日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1300回)
原発事故から15年が過ぎても放射線測定が被災地対策の基本だ
ゲスト:小豆川勝見氏(東京大学大学院総合文化研究科助教)
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東京電力福島第一原発事故から15年が経過したが、事故の影響は依然として被災地に暗い影を残している。東日本大震災に伴う地震と津波により福島第一原発がメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が放出された結果、住民の帰還が認められていない「帰還困難区域」が今も広範囲に広がっているからだ。
その面積は約300平方キロメートル。東京23区の半分に匹敵する広さで、そこはまるで2011年3月11日の時点で時間が止まったかのようだ。
こうした地域で現在も放射線量の測定を続けている研究者がいる。東京大学大学院総合文化研究科環境分析化学研究室助教の小豆川勝見氏だ。小豆川氏は平均して月に2回、帰還困難区域に足を運び、現地の線量を測定して記録を残している。
もともと小豆川氏は、放射線を科学研究の有用なツールとして扱う研究者だった。東海村で研究に携わっていた当時、原子炉は「絶対に壊れない」と考えていたという。しかし福島第一原発事故を目の当たりにし、被災地の放射線量を測定し記録に残すことが研究者としての使命だと考えるようになった。事故から間もない2011年4月に調査を開始し、現在まで活動を続けている。
事故当初、大きな問題となった放射性ヨウ素は半減期が8日と短いため、現在はほとんど影響を考慮する必要がない。しかし大量に放出された放射性セシウム137は半減期が約30年のため、事故から15年が経過した現在でも大量の放射線を放出し続けている。
特に除染が行われていない帰還困難区域では、今も空間線量の高い場所が存在する。一方、復興拠点として指定された地域では除染が繰り返され、新しい土で覆われるなどの対策によって線量は低下している。ただし、そのすぐ近くでも手つかずの場所では、依然として基準値を大きく上回る線量が測定されるという。
さらに小豆川氏は、放射性セシウムが「移動する」という性質にも注意が必要だと指摘する。セシウムは土壌に吸着しやすいため、土ぼこりとともに風で運ばれたり、大雨の際に土砂とともに谷や川へ流れ込んだりする。泥がたまりやすい溝などで線量が高くなるのはそのためだ。
農産物については、産地の特定や検査体制が整備され、多くのデータが蓄積されてきた。一方、海や川を移動する魚類などについては、依然として分からないことも多いという。小豆川氏は、こうした点についても実際の測定データを基に説明する。
事故から15年という年月は、多くの人々の関心が薄れるには十分な時間かもしれない。当時は放射線に関する情報を積極的に集めていた人々も多かったが、現在では線量測定の結果が社会で共有される機会が減っているのではないかと、小豆川氏は懸念する。
「放射線は目に見えない。測定しなければ状況は分からない」と語る小豆川氏は、客観的なデータがあってこそ、復興のあり方を議論できると主張する。
放射線は自然界にも存在するものであり、必要以上に恐れるべきものではない。しかし事実を知り、理解を深めることは、今後の廃炉作業や原子力政策を考えるうえでも重要だと小豆川氏は語り、福島通いを今も続けている。
事故から15年を迎えた原発被災地の現状と今後の課題について、放射線測定機器の実演も交えながら、小豆川氏に社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が話を聞いた。
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今週の論点
・今なお多くの人が帰れずにいる原発被災地
・放射線測定の難しさ
・15年間、放射線を測り続けて見えてきたこと
・色々な考え方がある中で建設的な議論をするためには
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■ 今なお多くの人が帰れずにいる原発被災地
迫田: 今日は東日本大震災の原発被災地の現状を伺います。あれからもう15年経ちました。
宮台: 多くの人はあの頃の恐怖や不安を忘れてしまった。僕も仕事の関係で放射性元素の半減期などをちゃんと覚えたのですが、今ではすっかり忘れています。線量やガンマ線という言葉を使うのも何年ぶりかのことです。多くの人に当時の不安や恐怖を思い出していただきたいと思います。今は誰も話さなくなっているので、ないことのようになっていますが、そうではないということも理解しなければなりません。
迫田: 東日本大震災から15年が経った今もずっと被災地で放射線量の測定をされている方をお招きしました。ゲストは東京大学大学院総合文化研究科助教の小豆川勝見さんです。放射線測定をずっとやってこられたということですね。
小豆川: はい。もともと、放射線にはロマンがあると感じて研究してきました。放射線と聞くと怖いと感じる人が多いと思いますが、道具として使えば、過去にどんな不思議なことが起きたのかが分かる良いものだと思います。昔の古文書に書いてあることを自分の手で明らかにできる。そこには夢があると思いました。
迫田: それから3.11を経験してどう思われましたか。
小豆川: 放射線はとても便利な道具で、これさえあれば人間が今まで分からなかったことを解き明かせるのではないかと思っていました。それで原子炉の中によく入っていたんです。原子炉の中にはいろいろな安全装置があり、絶対に壊れないと思っていましたが、2011年3月にそれは違うということが分かりました。
震災があり、どうしようかと考えた時に、放射線を測れる人というのは日本ではものすごく少ないんです。こんな大惨事が起きているのに測れる人が少ないということで、ちゃんと測って記録に残さなければならないと思いました。
迫田: 最初に福島の被災地に行かれたのはいつですか。
小豆川: 3月11日に震災が起き、それから1週間くらいかけてどんどん状況が悪くなっていきました。その時私は日本にいなかったのですが、3月20日に急いで日本に帰ってきまいた。東京のキャンパスに戻った時にはちょうど雨が降っていて、バケツに雨水を溜めて測ると、約1万ベクレルくらいになりました。
迫田: 東京で放射性のヨウ素が観測されたということですね。
小豆川: 原子炉に少しでも携わったことがある人であれば、これは原子炉が相当激しく壊れているということがすぐに分かります。これは急いで行かなければならないと思い、4月の頭から原発周辺の調査を始めて今に至っています。
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