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  • 「分断」から「瓦解」へ――変質する民主主義の危機 ~中間選挙を読み解く3つの視座~|橘宏樹

    2022-12-02 07:00
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    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。
    今回は11月におこなわれたアメリカ中間選挙のポイントを解説するとともに、ニューヨーク市民と日本国民の選挙に対する姿勢の違いについて分析します。

    橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記
    第7回 「分断」から「瓦解」へ――変質する民主主義の危機 ~中間選挙を読み解く3つの視座~

     おはようございます。橘宏樹です。ニューヨークでは、11月24日にサンクス・ギビング・デイ(感謝祭)を迎えました。去年に続き今年もアメリカ人の友人宅にお招きいただき、大きな骨付きハムを分け合って楽しい時間を過ごしました。感謝祭の料理と言えば七面鳥がおなじみですが、ハムの流派も多いのだとか。

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    ▲手製のサンクス・ギビング・ハム。グランベリーなど甘めのソースをかけて食べるのがセオリー。

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    ▲アラビア文字の書かれたお皿がハムと餃子と団らんを待つ多文化な食卓。

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    ▲手製のチョコチップ入りピーカンナッツ・パイ。使われたメープルシロップは庭で採れたものだそう。めちゃくちゃ美味しかった...…

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    ▲大きな家と薪の暖炉。これぞアメリカの冬って感じ。

     翌25日のブラック・フライデーのセールには人々が殺到し、ロックフェラーセンター前の有名な巨大クリスマスツリーはいそいそと装飾を始めています。クリスマス休暇の始まりまでは少し間があるものの、なんかもう、ニューヨーク市内からビジネスのやる気は感じられず、仕事納めに向かっている雰囲気です。

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     さて、11月8日は中間選挙の投票日でした。連邦上院、下院、州知事、州議会等の選挙が一気に行われました。インフレへの不満が強いことやトランプ派の候補者が勢いづいていると見られていたことから、民主党は大敗するだろう、共和党のシンボルカラーが上下両院を席捲する「赤い波(Red Wave)」がやってくるだろう、との声がもっぱらの前評判でした。
     しかし、蓋を開けてみると、民主党が上院の過半数をギリギリながらもキープし、下院も共和党220に対し民主党213(過半数は218。2議席未決着。執筆時点(11月27日)。)と踏みとどまりました。大統領の党が負けやすい選挙にしては、バイデン民主党はかなり善戦したと言ってよいでしょう。

     日本でも、共和党が大勝しなかった原因分析(米最高裁の中絶権認める判例破棄への反発と2020年大統領選挙結果を否定するトランプ派の行き過ぎた台頭に対する嫌悪感等)、上下両院内での両党の激しい拮抗、民主党内の世代交代(ペロシ下院議長退任)やプログレッシブ派の伸長、トランプ前大統領の2024年大統領選出馬表明や脱税疑惑への訴追、バイデン政権への支持率の低さ、バイデン大統領の次回大統領選不出馬との憶測、共和党内でのフロリダ州デサンティス知事の台頭とトランプ前大統領との闘争、などなど、主要論点については既に様々な論考が出回っております。

     時事的・政治的な分析はそれらに譲るとして、今号では、この度の中間選挙で、日本社会と比較して、僕が個人的に面白いな、重要だなと思ったポイントを3つ挙げたいと思います。それは、①選挙管理の危機、②分断を助長する予備選挙、③司法の政治化です。選挙における競争が苛烈過ぎるあまり、アメリカ民主主義の土台までをも破壊しかねない様相を呈しているように見えます。アメリカ民主主義の危機は「分断」からもう一歩深まって制度それ自体の「瓦解」の域にまで踏み込みつつあるかもしれません。ある意味、危機の変質が見られると言ってもよいのかもしれません。一方で、アメリカ民主主義の希望というか、さすがのバランス感覚というか、行き過ぎを踏み止まらせる良心の底力のようなものも感じ取れます。何が起きているのか。なぜそうなっていくのか。僕なりの中間選挙の観察記録を書いてみたいと思います。

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    ▲ニューヨーク・マラソンを走る参加者

    ① 選挙管理の危機


    ・「選挙管理」という論点の存在

     連載第2回でも触れましたが、今のアメリカでは「選挙の5W1H(①誰が(who)②なぜ(why)③いつ(when)④どこで(where)⑤何に(what)⑥どうやって(how)投票するのか)」のうち、「③いつ(when)」以外の全てのステージで政治闘争が繰り広げられています(逆に日本では、総理の解散権③いつ(when)が最も争点になるところと対照的ですね。)。特に「⑥どうやって(how)投票するのか」について、郵便投票の是非をめぐる議論が過熱しています。アメリカの選挙は、支持者獲得競争の域を超え、選挙のインフラ部分にまで闘争の領域が広がっているのです。
     
  • 宇野常寛インタビュー<僕たちの自由のための戦い>

    2022-11-25 07:00
    550pt
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    本日のメルマガは、PLANETS編集長・宇野常寛の特別インタビューをお届けします。
    「水曜日は働かない」ことで実現する社会との関わりや「議論」のあり方、ライフスタイルの変化にとどまらないその真髄が語られます。
    (初出:週刊読書人2022年7月8日号

    【イベント情報】
    本日19時〜
    青山ブックセンター本店(渋谷)にて、宇野常寛が浅生鴨さんと対談します。
    題して、“それっぽい「いい話」と、この悪いやつを叩き潰せという怒号にあふれたこの世界を生きるために、「情報」との付き合い方をもう一度考えてみよう”。
    浅生さんの新刊『ぼくらは嘘でつながっている。』&宇野の新刊『砂漠と異人たち』の発売記念イベントです。
    たくさんの方のご参加をお待ちしています!お申し込みはこちら

    宇野常寛インタビュー<僕たちの自由のための戦い>

    引き算から始める、自分デザインの暮らし方

    ──この本は宇野さんの日常から語り起こされ、多様な要素が入り交じりながら、読み進むと一続きのメッセージが立ち上がってくるようです。改めて批評とは何かということを感じさせられる本でもありました。

    宇野 数年前からエッセイ的な語り口が、今の自分に必要なのではないかという思いがありました。SNSが浸透して誰もが手軽に発信できるようになり、多くの人が自分の半径五メートル以内のことを饒舌に語るようになっています。たとえばコンビニで出会ったマナーの悪い客に対して腹を立てたとか、韓国料理屋でおいしいキムチクッパを食べたとか。また天下国家についても饒舌に語りますよね。イーロン・マスクのツイッター買収について、ウクライナ情勢について、あるいは岸田政権の支持率について。SNSで天下国家についてひたすら怒っている人たちもいますが、どうも自分でものを考えているようには思えない。半径五メートルと天下国家の話が、乖離しているように見えます。インスタントな承認を獲得するためにSNSのタイムラインの潮目を読んで、既に話題になっているものに言及し、その中で支配的な論調にイエスと言うかノーと言うかを選択しているだけなのではないか。

     そうだとしたら忌々しき事態で、そこからどのように言論を回復していくのかを考えると、自分が手で触れて実感できる半径五メートルの世界が、天下国家の大きな話に繫がる回路が必要なのだと思うんです。

     だから、僕はこんな距離感と進入角度で、普段の暮らしから世の中をこのように見ているのだと、国や社会を考える筋道を、面白く肯定的に示したいと考えています。この本はその試みの一つなんです。

    ──本のタイトルにもなっている「水曜日は働かない」は、画期的な宣言であり提案ですね。水曜を休みにすることで、全ての曜日が休日に接続するという。コロナ禍の生活環境の変化にも即しているように思います。以前、英文学者の外山滋比古さんが、週休二日制になって人々は日曜に憂鬱になるようになった、と言っておられたのを思い出しました。日曜だけ休みだった時代、土曜の半ドンが程よく楽しかったそうです。「水曜日は働かない」という言葉は、時代を映す社会批評にもなっていると思います。

    宇野 僕が「水曜日は働かない」と言い始めたのは二〇一九年後半ですが、その後コロナ禍となり「暮らしかた改革」などと言われるようになりました。ただいわゆる「週休三日制」は、金曜か月曜を休みにして三連休を作ろうという話です。二日休むのと三日休むのとでは回復力が違いますし、それも一案だと思うのですが、その上で僕が「水曜日を休みに」と言うのは、ハレの日とケの日を分けないという考えからなんです。つまりキラキラした休日を過ごすために、労働者として暗黒の平日を生きるというのではなく、ウィークデーにも自分なりの楽しみをもって、自分で自分の暮らし方や働き方をデザインしていきましょうよと。それで週の真ん中の水曜日を休みにするという、休日と平日の境目がなくなるような提案をしているんです。

    ──一方では、「水曜日しか働かない」とか、「水曜日すら働かない」と言っておられます。仕事とは、宇野さんにとってどのようなものですか。

    宇野 そうですよね(笑)。そういう意味では、僕は世界とのチューニングがうまくいっている方なのかもしれません。休日に、旅行に行くとか、映画館に行くとか、そういう時間の使い方も時にはしたいけど、もっと何でもないことをして過ごしたい。まず午前中に街を走って、お昼は少しも妥協せず好きなものを食べて、お風呂に入って一休みした後に、好きなカフェで書き物をしたいんです。そして夜は好きな本を読んだり、映画を見たり、模型を作ったりして就寝するというのが、僕の理想の休日です。僕にとって仕事の一部である執筆が、休日にしたいことの一つでもあるんですよ。

     もともとサブカルチャー批評から出発しているので、社会に物申したいとか、著述業で有名になりたいというのではなく、この作品の素晴らしさを世界に訴えられなければ討死!! みたいな、若者特有の思い込みに駆動されていた時期がありました。自分の外側にある大事なものへの愛を追求した結果として、社会と接続することになったんですよね。若い頃はそれが生きづらさでもあったけど、四十歳を過ぎてこういう社会との繫がり方もありなんだと思えるようになった気がします。

    ──「水曜日は働かない」もそうですが、目次に「ない」「ない」「ない」と、否定が並ぶのが面白いですね。「マラソン大会は必要ない」けど他に大事なものがあるとか、「僕たちに酒は必要ない」けど代わりに必要なものがあるとか。引き算のうまさを感じました。 

    宇野 世の中には、誰かや何かを排除することでメンバーシップを確認したり、自分がマジョリティの側にいることを確認して安心するという、分断を生む否定が多すぎる気がしています。僕は引き算は、気軽に物事を始めるために使うべきだと思うんです。たとえば社会人のキャリア相談や大学生の就職活動セミナーでは、自分のやりたいことをみつけて、夢に向かって目標を立てて邁進しなさい、というようなことを言われます。でもそれでは何かを始める前に、足し算、足し算で息苦しくなると思うんです。そうではなくて、いやいや飲み会に行くのを止めてみませんかとか、親に言われたからって持ち家を買うことを、必ずしも考えなくていいんじゃないですかとかね。そうすべきと思われていることを一回やめてみると、社会との間に距離ができて、自分の中に余裕が生まれます。その余剰で、自分に必要な何かを足すことが、初めてできるのではないかと思うんです。

    ここからどこにでも行けると思えるメディアを

    ──「僕たちに酒は必要ない」の「リア充」の使い方も面白く気になりました。「リア充」とは充実した私生活を送る人への羨望と揶揄が入り混じるような言葉かと思います。宇野さんが敢えて、これからリア充自慢をしますと宣言し、その先で、ソーシャルメディアに動員されない生活の楽しみや新しい文化の発見について語るのを、面白く読みました。

    宇野 「飯の友の会」の話ですね。僕が主宰するPLANETS CLUBでは、勉強会の他、メンバーが自主的に企画して、皆で軽井沢へ走りに行ったり、美術展に行ったりすることもあります。そもそも僕はコミュニティが苦手な性質ですが、それでも大人同士が趣味を通じて楽しく過ごす回路を、この社会の中に作ることは意味があるのではないかと思うんです。誰でもちょっとした前向きさがあれば、日常に充実した楽しみを発見できることを示したかったし、「リア充」に対してエクスキューズとわかる書き方をすることで、笑い飛ばしていい言葉なんだと示したかった。あるいはエクスキューズを入れなければ揶揄されるような世の中って嫌だよねとか、そんないくつかの意図を込めています。

    ──雑誌『モノノメ#2』の話になりますが、「観光しない京都2022」の、久世橋の話が響きました。久世橋という観光的にはなんでもない場所に、宇野さんはいつも来たくなるのだと。「この場所は僕にいつも、自分はここからどこにでも行けるのだと思わせてくれた」。「ここからどんな場所にも、物事にもつながっていく。そう思えるメディアをつくりたいと自分は思っていたのだ」、この言葉にハッとさせられました。

     見田宗介さんは若い頃、「アンチテーゼは一見フレッシュでオリジナルに見えるけれど、それはただの流行商品で、ネガティブな思想は結局弱い」と語っておられます。現状を捉えながら常にその先を示そうとされたようです。見田さんの思想と同じワクワク感を、久世橋についての宇野さんの言葉にも感じました。

    宇野 何でこの橋が好きなのか、自分でも長いこと不思議に思っていました。京都に住む直前は、北海道にいたのですが、北海道では隣町に行くのに半日かかるから、覚悟を決めて出かけないとならないんです。京都に越して、隣の町に日帰りで行けるという感覚が、新鮮に蘇りました。そういう感覚と相まって桂川の水脈が──鴨川と木津川、その先で淀川に合流し大阪湾へと注ぐのですが──自分はどこにでも行けるのだと思わせてくれたんですよね。

     久世橋は、本当に何でもない橋です。でも「イナイチ」と通称される、京都から阪神に抜ける国号171号線にかかる橋だから、地元の人はみな知っています。あの橋が何かの理由で不通になると、京都の物流はまずいことになる。久世橋は、ハブなんです。

     ぶらぶら散歩していて楽しいとか、カフェでゆっくり本を読みたいのは、京都中心部の鴨川付近です。でもメディアの仕事は、久世橋的でなくてはならない。これには自戒も込めていて、『モノノメ』は責任編集の個人のカラーの強い媒体なので、どうしても僕の理想の世界を見せるようなものになっていくんです。それがよさでもあると思うのですが、いかにも「宇野らしい」というような予定調和に落とし込むことは避けたい。雑誌であるからには、結論が出ずに判断が保留になっているものとか、当りか外れかまだわからないけど、何か予感を抱かせるものを、積極的に入れていかなければならない。そう思っています。

    共進化と無関心的歓待の公共空間

    宇野 見田宗介さんの話が出ましたが、『群像』七月号から「庭の話」という連載を始めました。それには、見田さん=真木悠介さんの『自我の起原』から引用しています。この本は進化生物学のリチャード・ドーキンスにインスパイヤを受けた、真木さんのロマンチックな哲学が展開するもので、もっともめざましい高度な共進化の例として、ミツバチとクローバーの関係が挙げられています。何が素晴らしいと言って、花は自分の繁殖のために、虫という異種を誘惑するようにできているんです。そして認知能力が優れている人間は、その高度な共進化の豊かさについて理解し、だからこそ花を美しいと思うのだと言うわけです。そうした想像力がなければ、遺伝子を残すことに直接貢献しない、宗教や文化といった社会的活動を、人間が持つことはありえない。人間には花を美しいと思える回路があるからこそ、宗教や文化が展開するということになります。僕はこの見田さんの考え方が好きなんです。

     現在の情報社会では、同種を誘惑し合うゲームに多くの人が勤しんでいます。そのことが物事に対するアンテナを低くしてしまっている。人間を人間たらしめるのは、同種間の相互評価のゲームを超えたところにある、むしろ自己滅却の欲望とか、究極的には死への想像力みたいなものなのではないか。人間の認知能力は、自己の保存の快楽と同時に、他者による自己の解体の快楽も理解することができる。「花」的コミュニケーションの多様な豊かさは、表現に関わる人間として忘れてはいけないと思っています。

     人間同士の相互評価のネットワークの外にあるのは、モノやコトです。それは時に久世橋であり、ウルトラマンの怪獣フィギュアであり、東京の森のカブトムシ採集であるわけですが、物事にしっかり接続されたメディアを作ることが、僕のポリシーです。

     多くの人が、人の顔色を見て発言しすぎているし、タイムラインの潮目を読んでいるだけで、物事そのものを語っていない。物事そのものに接続しないと、思考は鈍り、世界はどんどん平板で狭くなっていくんです。

     
  • 勇者シリーズ(2)「ぼくらも勇者になれますか」|池田明季哉

    2022-11-15 07:00
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    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』
    前回に引き続き、「トランスフォーマー」のローカライズが「勇者シリーズ」へ継承したものについて考察します。今回大きく取り上げるのは「勇者シリーズ」開始直前、1989年から放送された『トランスフォーマーⅤ』です。

    【イベント情報】
    11月25日(金)19時〜
    青山ブックセンター本店(渋谷)にて、宇野常寛が浅生鴨さんと対談します。
    題して、“それっぽい「いい話」と、この悪いやつを叩き潰せという怒号にあふれたこの世界を生きるために、「情報」との付き合い方をもう一度考えてみよう”。
    浅生さんの新刊『ぼくらは嘘でつながっている。』&宇野の新刊『砂漠と異人たち』の発売記念イベントです。
    たくさんの方のご参加をお待ちしています!お申し込みはこちら

    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝
    勇者シリーズ(2)「ぼくらも勇者になれますか」

    頭、動力、脳

    「トランスフォーマー」から「勇者シリーズ」への継承を語るうえで欠かせない、『トランスフォーマー 超神マスターフォース』(1988)で提示されたジンライ/スーパージンライ/ゴッドジンライという「グレート合体」による主体の拡張の構図は、その後も引き継がれていく。

    1989年に展開された『トランスフォーマーV』では、「マスターフォース(パワーマスター)」の代わりに「ブレインマスター」と呼ばれる概念が登場する。基本的な玩具の仕様そのものは、乗り物がロボットに変形、乗り込んでいた小型ロボットが合体して完成するというもので、これはヘッドマスター/パワーマスターをほぼ踏襲している。最大の差は、ヘッドマスターが頭部、パワーマスターが胸部であったのに対して、ブレインマスターは「顔」になることだ。

    小型ロボットの胴体には、大型ロボットの顔が収納されている。大型ロボットの胸に小型ロボットを収納、ハッチを閉じることによって、大型ロボットの顔がスライドして登場するという仕組みになっている。表面的には顔が登場するように見えるが、空洞の頭部に変形した小型ロボットが収まる様子は、なるほど「脳」も思わせる。ヘッドマスターでは大型ロボットの顔は、小型ロボットの背中に露出したままであった。それを考えれば、大型ロボットの顔が完全に内部に収納され合体するまで隠されたままとなるブレインマスターは、玩具としてはストレートな発展型といえる。

    「ブレイン」というモチーフについては確認しておきたい。前段の「マスターフォース」では、「精神」「知性」に重きを置く世界観が西洋的であり、そこに「魂」という日本的な概念を導入した点に注目した。その意味ではブレインマスターは、一見西洋的な色彩が濃く、トランスフォーマーとしては原点回帰であるようにも見える。しかしヘッドマスターにおいては海外版の設定が主体と身体の関係についてかなり工夫をこらした(悪く言えば無理がある)ものであったことを思い出しておきたい。この文脈では、ブレインマスターはむしろ「小型ロボットがビークルと合体して大型ロボットになる」「主体と身体が一致していない」日本版ヘッドマスターの設定を引き継いでいると言えるだろう。

    ブレインマスターを中心に置いた『トランスフォーマーV』の主人公となるのが、サイバトロン司令官スターセイバーである。ジンライ同様、多段階に合体する構成の玩具となっており、小型ロボットであるブレインマスターが、SFジェットと合体、中型ロボット「セイバー」となる。そしてこれが強化ブースターと合体することで大型ロボット「スターセイバー」を構成する。さらに2号ロボ・ビクトリーレオと合体することで、「ビクトリーセイバー」へとパワーアップする。1989年に発売されたスターセイバーは、記録的な大ヒット商品となった。

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    ▲スターセイバー。完成度が高く大ヒット商品となった。
    『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』(メディアボーイ)p53

    「0号勇者」としてのスターセイバー

    この大ヒットが後に続く勇者シリーズに多大な影響を与え原型となったという意味で、『トランスフォーマーV』はファンのあいだで「0号勇者」と呼ばれることがある。一般には、合体によるパワーアップを主軸に据えた玩具としての仕様やデザインの方向性、2号ロボとのグレート合体、アニメーション作品と連携した体制、地球人の少年と絆を深めるドラマなどが確立されたとされる。ただ、こうした要素は前作のジンライの時点ですでに見られたものだ。にもかかわらず、なぜスターセイバーがそのエポックとして語られるのだろうか。

    もちろん、デザイナーに以降勇者シリーズを手掛けることになる大河原邦男を起用したことや、デザインが既存のトランスフォーマーのキャラクターを参照していない新規のものであることなど、さまざまなところに差異を見つけることはできる。しかしこの連載では、理想の成熟のイメージの変遷としてこれを捉える。すなわちジンライからスターセイバーに至った段階で、そのまとう「かっこよさ」のイメージが変化し、そのイメージこそが勇者シリーズに引き継がれたのだと、そのように考えたい。

    それを象徴するポイントはふたつある。ひとつは「剣」というモチーフ、そしてもうひとつは「子供」との関係だ。

    アメリカと銃、日本と剣

    前作の主人公であるジンライは、もともと「パワーマスターオプティマス」として開発された玩具に対して、日本独自のバイオグラフィを与えたキャラクターであった。そのためトラックドライバーを生業とする若者であり、やや粗野なところを持ちながらも頼れる兄貴分というジンライのキャラクターは、オプティマス・プライムが象徴するアメリカン・マスキュリニティをベースとした再解釈であった。

    対してスターセイバーは大河原邦男がデザインを手掛け、最初から日本市場独自のキャラクターとしてデザインされている。ホワイトとレッドをベースにし、ブルーとイエローをバランスよく配置した清潔なトリコロールは、極めて日本的な感覚の配色と言ってよいだろう。キャラクターとしてのスターセイバーは、普段は穏やかでありながら、いざとなれば勇敢に戦う司令官として描かれる。ジンライと比較すると、スターセイバーのこの態度は騎士道的あるいは武士道的な道義を思わせるものだ――というのは、現段階ではいささか目の粗い議論に聞こえるかもしれない。しかしこれまでのリーダーたちが銃を主な武器としてきたのに対して、スターセイバーが剣を持ち出してきたことと関連づければ、興味深い見方ができるようになる。

    トランスフォーマーは全体的に銃を武器とするケースが多いが、剣を持つキャラクターがまったくいなかったわけではない。正義のサイバトロン/オートボット陣営においてはグリムロックなどダイノボットたちが、悪のデストロン/ディセプティコン陣営においてはブリッツウィングやメナゾールなどが剣を武器としてきた。しかし、前者は原始の力を持つ粗野な存在として描かれるし、後者については悪役であった。理想の成熟を担うべき「正義の味方」が、その象徴的な武器として「剣」を持つというのは、少なくともトランスフォーマーの価値観においては稀であると言ってよい。すなわち、トランスフォーマー文化においては、精密な近代工業製品である銃こそが正統な武器であり、おそらく剣は中世的で野蛮な近接武器と見なされてきた。