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  • 【本日までオンライン講義の特典つきで新刊販売中!】人工知能は「生命」になるのか? ゲームAIの研究者がとことん考えてみた。|三宅陽一郎

    2020-12-15 08:00  

    現代社会の新たなインフラとして急速な普及をみせる人工知能(AI)。しかし現在のAI技術のあり方は、私たちが直感的にイメージする「人工知能」とは大きく隔たり、そして将来の不安を呼び起こしています。このギャップはどこから来て、どうすれば埋めていけるのか。新著『人工知能が「生命」になるとき』著者の三宅陽一郎さんが、ゲームAI開発の立場から、その難問に挑みます。

    本日12月15日(火)までにPLANETS公式ストアで本書をご購入いただくと、三宅さんとゲスト講師陣によるオンラインイベント「人工知能のための哲学塾 生命篇」(全4回)に無料でご招待します!
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    「人工知能」のイメージをめぐる違和感
     皆さんが「人工知能」という言葉を聞くときに、あるいはその説明を受けるときに、何か胸の中で違和感を抱いたことはないでしょうか?
     特に2010年代前半から現在にかけては、ディープラーニング
  • どうしてフォン・ノイマンとゲーデルはアメリカにやってきたのか──アメリカ学問の中心地プリンストンの誕生|小山虎

    2020-12-15 07:00  

    分析哲学研究者・小山虎さんによる、現代のコンピューター・サイエンスの知られざる思想史的ルーツを辿る連載の第13回。ヒトラーのナチス総統への就任がせまる1930年代、いち早く渡米してアメリカの学術研究の中心地になるプリンストン高等研究所に所属することになったフォン・ノイマンとゲーデル。二人をこの地に招き寄せ、結果的にのちのコンピューター技術発展の立役者になった先達の数学者らの足跡を追いかけます。
    小山虎 知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ第13回 どうしてフォン・ノイマンとゲーデルはアメリカにやってきたのか──アメリカ学問の中心地プリンストンの誕生
     前回はアメリカに来てからのタルスキに焦点を当てた。では、フォン・ノイマンとゲーデルはいつ、どのようにしてアメリカにやってきたのだろうか。フォン・ノイマンが初めてアメリカ・マンハッタンの地を踏んだのは、1930年にまで遡る。タルスキの9年前、アシモフの5年前だ。プリンストン大学に招聘されたフォン・ノイマンは、それから数年、アメリカとドイツを行き来する生活をすることになる(本連載第1回)。そして、1933年に設立されたプリンストン高等研究所の最初のメンバーとなり、ここを拠点にして様々な活動を行う。コンピューターの開発に関わり、ノイマン型アーキテクチャーを考案するのもその一つだ。  ゲーデルの最初の渡米は、フォン・ノイマンより3年後の1933年の秋。アシモフのコロンビア大学面接(本連載第11回)より1年半ほど前のことである。その時ゲーデルは、フォン・ノイマンのいるプリンストン高等研究所のメンバーとして1年間滞在し、オーストリアに帰国する。その後ゲーデルは2度アメリカを訪れるが、最終的に1940年に渡米した後、アメリカ市民権を取得して永住することになる。  だが、どうして彼ら二人はアメリカに、そして同じプリンストンという土地に来ることになったのだろうか。そのためには、アメリカに来て以降のフォン・ノイマンとゲーデル両名の終生の地となったプリンストンの歴史をひもといてみる必要がある。
    研究大学としてのプリンストン大学の誕生
     プリンストンといえば、まず思い浮かぶのはプリンストン大学だろう。プリンストン大学は、世界の研究をリードするトップクラスの名門大学の一つであり、我が国でもその名は広く知られている。だが、意外かもしれないが、フォン・ノイマンとゲーデルが初めてプリンストンにやってくるよりも前の1920年代までのプリンストン大学は、決して現在のような世界的にも高名な大学ではなかった。  プリンストンは、ニューヨーク州の西隣にあるニュージャージー州の決して大きくない町である。ニュージャージー州は、隣接するニューヨーク州がもとはオランダ領だったこともあり(本連載第11回)、オランダ移民が多く、彼らが建設した入植地が数多くあった。プリンストンもその一つであり、その名もオランダにちなんだものだ。現在のオランダ王家は、オラニエ=ナッサウ(Oranje-Nassau/Orange-Nassau)家というが、オラニエ=ナッサウ家では、代々の当主が「オラニエ公(Prins van Oranje/Prince of Orange)」という肩書きを受け継ぐしきたりになっている。プリンストンという名は、そのオラニエ公の町、すなわち、「プリンス(公)のタウン(町)」ということで、「プリンストン(Princeton)」と呼ばれるようになったとされているのだ。
     「プリンストン大学」という名前は、所在地であるプリンストンという町に由来するものだが、最初から「プリンストン大学」だったわけではない。もともとプリンストン大学は、ニュージャージー州の最初の大学として1746年に設立されたものであり、当初は「カレッジ・オブ・ニュージャージー(College of New Jersey)」という名称だった。本連載の読者であれば、カレッジということから推測できるかもしれないが、アメリカ最古の大学であるハーバード大学と同じく、当初は聖職者養成を目的としたものであり、現在のような研究大学ではなかった(本連載第9回)。  カレッジ・オブ・ニュージャージーは設立10年目の1756年に、プリンストンに引っ越してくる。だが、「プリンストン大学」という名前になるのはもっと後になってからだ。1896年、創立150周年を迎えたカレッジ・オブ・ニュージャージーはそれを機に、所在地に合わせ、名称を「プリンストン大学(Princeton University)」と変更する。そして改名と歩調を合わせるかのように、プリンストン大学は、現在我々の知る世界的な研究大学への道を歩み始めるのである。
     プリンストン大学が研究大学へと変わるきっかけとなったのは、1902年、後にアメリカ大統領となるウッドロー・ウィルソンがプリンストン大学の学長に就任したことだ。ウッドロー・ウィルソンはプリンストン大学の卒業生であり、ジョンズ・ホプキンス大学大学院で政治学を学んで博士号を取得した後、母校プリンストン大学に教授として帰ってくる。そしてウィルソンは、母校をジョンズ・ホプキンスのような研究大学へと変えることを目指し、学長に就任するのである。プリンストン学長としての手腕を評価されたウッドロー・ウィルソンは政治家に転身し、ニュージャージー州知事となる。そしてさらには第28代アメリカ大統領となる。博士号を持ったアメリカ大統領は彼が最初だ。
     ジョンズ・ホプキンス大学はアメリカ最初の研究大学だった(本連載第9回)。ウィルソンは、自らが博士号を取得したジョンズ・ホプキンスを参考に、プリンストンに大学院を設置し、研究大学への道を進ませる。それを実現するためにウィルソンは教授陣の数も倍増させる。また、それまでプリンストンにはいなかった、ユダヤ人やカトリック教徒の研究者も迎え入れる。ウィルソンの大胆な改革には、保守的な旧来の教授陣や同窓生からの抵抗も大きく、これがウィルソンの政治家転身のきっかけでもあったのだが、ウィルソンによる一連の改革がなければ、いま我々が知るようなプリンストン大学がなかったことは疑いない。
    プリンストン大学最古の建物ナッソー・ホール(Nassau Hall)。この名称もまたオランダ王家オラニエ=ナッサウ(Oranje-Nassau)家から来ている。(画像出典)
    アメリカの数学を変えた男、オズワルド・ヴェブレン
     さて、ウッドロー・ウィルソンによる大学改革により、一人の数学者がプリンストンに職を得ることになった。彼の名はオズワルド・ヴェブレン。ヴェブレンこそ、フォン・ノイマンとゲーデルをアメリカに招いた張本人である。彼ら二人以外にも、例えばアインシュタインを招いたのもヴェブレンであり、ヴェブレンがいなければ、こうした数学や物理学の歴史で一、二を争うような学者がアメリカに来ることは、おそらくなかっただろう。それだけではない。様々な意味でヴェブレンは、アメリカの数学を大きく変えた人物なのである。

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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(前編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-12-14 07:00  

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。1990年代ドラマの寵児だった野島伸司と、入れ替わるように台頭してきた堤幸彦。1995年に「土9」枠で手がけた『金田一少年の事件簿』は、以降のキャラクタードラマの時代を先駆けた画期的な作品となりました。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(前編)
    1995年の『金田一少年の事件簿』
     1990年代後半、失速する野島伸司と入れ替わるようにテレビドラマの世界で頭角を現しはじめたのが、『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系、以下『金田一』)でチーフ演出を務めた堤幸彦だった。
     『金田一』は少年マガジン(講談社)で連載されていた人気ミステリー漫画をドラマ化した作品だ。横溝正史の推理小説『八つ墓村』や『悪魔の手毬唄』に登場する名探偵・金田一耕助を祖父に持つ高校生・金田一一(はじめ)が主人公となり、行く先々で起こる殺人事件を探偵として解決していく。
    ▲『金田一少年の事件簿』
     1995年4月にSPドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』として放送された本作は7月から連続ドラマが放送。その後、SPドラマ、第二シーズンが放送されたのちに映画化されて大ヒットとなり、堤幸彦は日本テレビから社長賞を受け取っている。 堤が手がけた『金田一』シリーズはここで終了したが、その後も『金田一』は二度もリブートされる人気シリーズとなっている。
    『金田一』が切り開いたティーンズドラマ
     『金田一』は様々な意味で画期的な作品だった。 本作が放送された日本テレビ系土曜9時枠(土9)は、もともと『池中玄太80キロ』や『熱中時代 刑事編』などが放送されていた老舗のドラマ枠だった。しかし1988年に土曜グランド劇場として、リニューアルして以降は、当時流行っていたトレンディドラマテイストの女性をターゲットにした作品を作るようになる。堤幸彦も演出として秋元康が企画した『ポケベルが鳴らなくて』や『そのうち結婚する君へ』といったメロドラマを手掛けていたが、後発ゆえに苦戦し、他局との差別化に苦しんでいた。 そんな中、野島伸司が企画した『家なき子』が大ヒットしたことで、ドラマ枠の方向性が大人向けの作品から10代のティーンエイジ向けの作品へと大きくシフトすることになる。その結果、生まれたのが少年漫画を原作とする『金田一』だった。(1)
     『金田一』が果たした役割はいくつかあるが、商業面においては、仕事と恋愛が中心だった日本のテレビドラマに、漫画やアニメを楽しんでいたような男性視聴者のマーケットを切り開いたことが大きな功績だろう。
     1970年代から80年代前半にかけては、人気刑事ドラマの『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)や松田優作が主演を務めた『探偵物語』(日本テレビ系)のような男性視聴者に向けた男臭いドラマが多かったが、80年代後半になりバブル景気が盛り上がっていくと、トレンディドラマのような社会で働く女性にとっての仕事と恋愛を描いたものが増えていった。その結果、いわゆるF1層(20~34歳の女性)に向けた作品がテレビドラマの中心となっていく。当時は邦画も低迷期だったため、若い男性の多くはハリウッド超大作か、漫画・アニメ・ゲームといったオタクカルチャーへと、関心が向かっていた。 そんな状況下において、少年マガジンのミステリー漫画を原作とする『金田一』は、劇中の犯人を推理するというゲーム的な要素が受けて、普段はドラマを見ない男性視聴者からの支持を獲得したのだ。  同時に、主演を務めたのが、ジャニーズ事務所に所属する男性アイドル(以下、ジャニーズ・アイドル)の堂本剛(KinKi Kids)だったため、アイドルファンの女性視聴者の取り込みにも成功している。 つまり本作は、男性アイドルを主人公にした「アイドルドラマ」の始まりでもあったのだ。 今でこそ、テレビドラマの主演をジャニーズアイドルが占めることは当たり前となっている。しかし、当時はSMAPの木村拓哉が『あすなろ白書』(フジテレビ系)等の恋愛ドラマに進出し始めたばかりの時期で、堂本剛も同じユニットの堂本光一と共に『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら〜』(TBS系)に出演していたが、それはあくまで例外的なもので、俳優とアイドルの距離は、今よりも大きく隔たっていた。本木雅弘が本格的に俳優業をスタートするのは、シブがき隊を解隊してからであり、アイドルでありながら俳優としても活動するというスタイルが成立するようになるのは、SMAPによってアイドルが歌、バラエティ、司会、俳優といった多ジャンルを横断しながら活躍できることが証明されてからである。

    【12/15(火)まで】オンライン講義全4回つき先行販売中!三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』ゲームAI開発の第一人者である三宅陽一郎さんが、東西の哲学や国内外のエンターテインメントからの触発をもとに、これからの人工知能開発を導く独自のビジョンを、さまざまな切り口から展望する1冊。詳細はこちらから。
     
  • 明日12/14(月)20時から!三宅陽一郎×大山匠「人工知能のための哲学塾〈特別版〉生命篇」第一夜を開催します

    2020-12-13 15:00  

    明日12月14日(月)20時から、ゲームAI研究者・三宅陽一郎さんと、哲学研究者/機械学習エンジニア・大山匠さんによる特別オンライン講義が放送されます。
    今回の講義は、三宅さんの新著『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS刊)の発売を記念したオンライン連続講義「人工知能のための哲学塾〈特別版〉生命篇」の第一夜となります。
    第一夜は「哲学編」です。
    ゲストに『人工知能のための哲学塾 未来社会篇』の共著者でもある大山さんをお迎えし、西洋哲学と東洋哲学を橋渡しすることで次世代の人工知能を深化させていく道筋について考えます。
    ★ご視聴はこちらから★
    ※PLANETSのYouTubeチャンネルにて、講義の冒頭を配信します。全編をご覧いただくには、書籍をご購入ください。今回の「人工知能のための哲学塾〈特別版〉生命篇」は全4回の開催です。
    ただいまPLANETSのオンラインストアから本書をご購
  • 【今夜21時から見逃し配信!】渡瀬裕哉「徹底解説・アメリカ大統領選挙」

    2020-12-12 12:00  
    今夜21時より、『2020年大統領選挙後の世界と日本』を刊行した国際情勢アナリストの渡瀬裕哉さんをお招きした遅いインターネット会議の完全版を見逃し配信します。
    24時までの限定公開となりますので、ライブ配信を見逃した、またはもう一度見たいという方は、ぜひこの期間にご視聴ください!
    渡瀬裕哉「徹底解説・アメリカ大統領選挙」見逃し配信期間:12/12(土)21:00〜24:00
    2020年11月3日、アメリカ大統領選挙が行われます。バイデン氏が民主党政権を奪還するのか、新型コロナウイルスに感染しながらも早期退院した共和党・トランプ現大統領が再選を果たすのか、大きな注目を集めています。 今回は、『2020年大統領選挙後の世界と日本』を刊行したばかりの、国際情勢アナリスト・渡瀬裕哉さんをゲストに迎え、大統領選挙の結果を解説していただくとともに、この選挙を受けて世界がどう変わっていくのかを考えます。
  • ゲームAIは〈人間の心〉の夢を見るか(後編)|三宅陽一郎×中川大地(PLANETSアーカイブス)

    2020-12-11 07:00  


    今回のPLANETSアーカイブスは、先週に引き続き、ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんと、評論家・編集者の中川大地さんの対談をお届けします。日本のゲームとゲーム批評は、なぜダメになってしまったのか。圧倒的な技術力と資金力で成長を続ける欧米のゲームに、日本のゲームが対抗しうる方策とは?『人工知能のための哲学塾』『人工知能が「生命」になるとき』の三宅さんと『現代ゲーム全史』の中川さんが、日本のゲームと人工知能に秘められたポテンシャルについて語ります。(構成:高橋ミレイ)※本記事は2016年10月18日に配信した記事の再配信です。
    本記事の前編はこちら

    ゲーム論壇の衰退とゲーム実況の登場
    三宅 近年、日本のゲームが衰退していると言われています。その責任はもちろん開発者自身にありますが、ゲームを批評する言論の力の弱さも、原因の一端にあると思います。ゲーム産業が盛り上がった時期には、ゲームを語る文化も同時に盛り上がるのが常で、そうした時代には、ゲーム批評を担うスターが現れます。当時、『ゲーム批評』という雑誌がありましたが、今の時代にもそういうメディアや批評家の存在は必要です。
    その点、中川さんの『現代ゲーム全史』は、コンピューターの黎明期から現代の『Pokemon GO』までを網羅した、ゲームの歴史を俯瞰するマップとして使うことができる。僕はこのマップを足がかりに、ゲーム批評を再興できるのではないかと期待しています。批評が盛り上がって言論が面白くなると、ゲーム開発の現場もエキサイティングになります。そうしてユーザーとゲーム開発者が高いレベルで応答できるようになれば、もう一度、「文化としてのゲーム」を取り戻せるかもしれません。今のメディアは売り上げばかりを報じていて、商業色が濃すぎますからね。
    中川 ありがとうございます。ゲームがコンテンツカルチャーとして伸びていった2000年前後は、批評の文脈でゲームを語る人たちが、テキストサイト界隈で記事を書いていました。ところが、ちょうど三宅さんがゲーム業界に入った頃から、そういった論壇がどんどん弱くなっていった。日本のゲーム産業の停滞と共に、ゲームを批評的に語るモチベーションも衰退していって、2000年代後半に、その隙間を埋めるものとして現れたのが「ゲーム実況」でした。ニコニコ動画内で、ゲームをプレイしている動画を実況付きで放送する。このゲーム実況の登場によって、かつて批評の対象だったゲームが、ネット上のおしゃべりのネタとして共有されていきました。
    ゲーム実況でプレイされるゲームは、すでに多くの人が共通体験を持っているレトロゲームとか、あるいは『青鬼』や『ゆめにっき』といった「RPGツクール」などで制作されたフリーゲームです。あの辺の作品は、スーパーファミコン時代のゲームシステムを踏襲しながら、ストーリーテリングの部分に工夫を加えたものです。基本的にファンコミュニティが有する共通のコミュニケーションコードに即したかたちでプレイヤーの心情を揺さぶる手法で、ゲームそのものの本質としては新しい体験が生み出されていないし、求められてもいないように見えます。
    三宅 批評の役割のひとつは、その分野を他の分野とつなぐことです。例えば、ゲームと16世紀頃の絵画、あるいはゲームと別の産業のプロダクト、といったように、開発者が気付いていないような、他分野の事柄と関連づけることで新しい可能性を開拓します。確かに、ゲーム実況もこれはこれで興味深い文化なのですが、内輪の盛り上がりだけで終わってしまうのが難点です。
    なぜ日本のゲームは衰退したのか
    三宅 日本のゲームの衰退の背景には、コンピューターサイエンティストの少なさがあるように思います。ゲームプログラマーとして一流の人はたくさんいますが、ハイパフォーマンスのマシンに向けたゲームを制作する際に、コンピューターサイエンスの土壌の弱さが露呈してしまいます。その結果、相対的に欧米のゲームが伸びて、国内のゲームとその批評が衰退してしまうという連鎖が起きています。
    中川 日本のゲーム文化がピークに達した2000年代初頭ぐらいまでは、それまで蓄積したシステムを使って、いかに先進的な表現ができるかを突き詰めていくような試みがありました。ところが本格的な3Dエンジンを使う時代に入ると、技術力の不足も相まって、日本のゲーム業界全体が目的や発想力を失ってしまい、語るべき新しさを持ったゲームが現れなくなってしまったように思います。

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  • わが心の師・宮崎駿 今更ながらの「宮崎アニメ」論|山本寛

    2020-12-10 07:00  

    アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第15回。今回は、山本さんが「心の師」と仰ぐ国民的アニメ作家・宮崎駿について、私的な出会いのインパクトから作品史を通じた思想家としての変遷、そして現代のオタク文化への責任などをめぐって、いま改めて語ります。
    ■ 本記事のタイトル・文中に一部文字化けがありましたので訂正して再配信いたします。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【12月10日13時30分追記】
    山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法第15回 わが心の師・宮崎駿 今更ながらの「宮崎アニメ」論
    そう言えばずっと「心の師」と仰いでいた宮崎駿御大(僕は普段こう呼ぶ)について、第9回で『ナウシカ』の漫画を取り上げたきり、アニメの方の話を全然していないことに気づいた(最近「そもそも○○語ってなかった!」が多い)。
    今回は改めて宮崎駿とその仕事を語ってみたいと思う。 ……のだが、もはや「宮崎駿論」など市井に出尽くしている感がある。僕よりも精細な分析などいくらでもあるだろう。 だからあくまで、今回は師匠を回想する弟子のような気分で論じたいと思う。 なお、今回も敬称略で書かせていただく。
    僕が宮崎駿と「出会った」のは、中学一年から二年にかけての春休みだった。 それまでも存在は知っていたし、『風の谷のナウシカ』(1984)が小学校のクラスで流行ってたのも解っていた。 僕はその時主題歌だけは知っていて(お恥ずかしい限りだが……)、それだけはクラス仲間と歌えたのだが、「あの時トルメキアがさぁ……」とか言われても、「は? お、おぅ」の状態で、とても話を合わせられる状態ではなかった。
    それを劇的に一変させたのが、TV初放映された『天空の城ラピュタ』(1986)である。 僕は最初、これを観ようとも思っていなかった。偶然TVを点けたらやってたのである。 だから自分にとってのファーストシーンは本編途中からで、忘れもしない、パズーの家での朝の屋根上シーンだった。
    僕は魂を鷲掴みにされた。 夢中になって観た。 エンディングに入り、パズーとシータを乗せた凧が夕暮れの雲海の中に消えるカットで、「行かないでくれ!」と心の中で叫んだくらいだ。
    夜は興奮して寝られなかった。 確かに体温が上昇しているのを感じた。まだ春先なのに暑い。 頭の中でさっき観た数々のシーンが無限にリフレインされていた。 カルチャーショックとはこのことか。 「えらいものを観た!」と、確信した。

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  • 1990年初頭における日本マンガブームとその立役者|古市雅子・峰岸宏行

    2020-12-09 07:00  

    北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第3回。冷戦体制が終焉した1990年代初頭、台湾を経由して中国本土でも日本マンガの海賊版ブームが巻き起こります。とりわけ海南美術撮影出版社が刊行した『女神的聖闘士(聖闘士星矢)』は中国オタク文化の火付け役となり、さらに日本の各マンガ雑誌からのコピーに加えて国内作家の作品を掲載した「画書大王」の創刊で、中国オリジナルのマンガ史が切り拓かれていきます。
    古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究第3回 1990年初頭における日本マンガブームとその立役者
     今回は、コミック出版のさきがけとなり、中国全土に大きな影響を与えた「海南美術出版社」や漫画連載誌「画王」等を取り上げて、テレビと同時に中国の青少年に与えた漫画による日本コンテンツの影響をお伝えしたいと思います。
    1.台湾から波及した日本マンガの海賊版ブームの勃興
     改革開放によって民間や個人でビジネスをし、稼ぐことができるようになり、少しずつ財を築く人が出てきた1990年代初頭。WTOへの加盟は2001年まで待たねばならず、新しい時代のビジネスルールを模索しながら経済発展に向かっていた中国に、アニメに牽引された日本マンガのブームが訪れます。『鉄腕アトム』や『トランスフォーマー』の爆発的な人気を受け、中国の子供たちはより多くのマンガやアニメに触れたくなっており、それに応えるようにマンガが出版されていきます。1993年前後にはのべ1億冊以上の日本のマンガが中国で出版されていたとの考察もあるほど、まさに子供向けの出版市場を席巻していました。[1]  しかし市場経済における著作権に対する理解はまったくと言っていいほどなく、連絡方法や言語の違いなど様々な壁があり、海外の出版社と連絡を取ることもなかなかできなかったため、出版されたマンガの多くは版権を取得していない、いわゆる海賊版でした。そのため、それぞれ出版に至るルートをたどることはかなりの困難を伴います。ネットの情報を調べ、実際に携わった人、当時消費者であった人達に対して取材を行い、当時の法律や政策等を見ていくと、そこにはテレビ業界の改革、海外コンテンツ輸入、海外アニメググッズ販売店の出現、国営出版社の新興と衰退など、複雑な背景がありました。そしてその根底には、70年代に台湾で巻き起こった日本マンガの一大ブームがあることがわかりました。
     台湾では1966年、蒋介石政権がマンガに対する検閲を始め、それまで順調に成長していた台湾漫画産業は大きな打撃を受けます。当時の台湾では、政治に対する風刺画と、戦前の日本マンガの影響を受けた3段組のコマ割で子供向けの「連環図画」の大きく二つのジャンルがありましたが、そのうち、子供向けのマンガに対して厳しい出版規制の措置が取られ、台湾における創作漫画市場にとっては壊滅的な打撃となりました。[2]  70年代の台湾では台湾の作家によるオリジナル漫画がほぼ姿を消すこととなり、それを見た国立編訳館[3]は、それまで禁止していた日本マンガの翻訳、出版を許可します。実際にはほとんどが版権を取得していない状態での出版でしたが、オリジナルマンガの消えた台湾のマンガ市場を、日本のマンガがまさに占拠することになりました。日本のマンガばかりが溢れかえった結果、80年代に入ると、これは日本の「文化侵略」であると排斥運動が起こり、オリジナルマンガも徐々に復興。92年には新しい著作権法が施行されて、台湾のマンガ市場は徐々に正常化していきます。
     こうして、台湾のマンガ検閲によって突如起こった日本マンガブームにより、中国に翻訳された日本マンガが大量に出現し、大陸でのマンガブームにおいて大きな供給源として影響を与えていきます。
     海賊版マンガの製造販売卸元は、台湾や香港にほど近い広州や福建などの南方に数多くありました。1979年に深セン、珠海、汕頭、廈門が、1988年には海南省が経済特区として開放され、台湾や香港企業が大挙して進出し、徐々に海外との往来が増えるにつれ、非正規である海賊版のマンガも出版点数が増えていきました。
     当時、中国の法律では香港や台湾を含む本土以外の企業が出版業務に直接関わることはできなかったのですが、マンガのソースを横流しすることは可能です。実際、1988年に設立された「海南美術撮影出版社」は経済特区である海南島に本社をおき、その翻訳は台湾版に酷似していました。そして同社の刊行物に対しては、日本のマンガ、アニメのコアなファン、「オタク」として育っていく層の多くが、以後特別な思いを持つようになります。
    2.海南美術撮影出版社版『聖闘士星矢』が引き起こしたオタク文化の爆発
     1988年に『トランスフォーマー』が上海テレビで放映されると、一大ブームが巻き起こり、関連商品や絵本等がものすごい勢いで売れたことは、前回ご紹介した通りです。これを見て、目ざとい人たちがアニメの経済効果に目を付けます。そして1989年、『聖闘士星矢』が沈陽電視台と広州電視台共同で放送されると、1990年12月[4]、「待ってました」とばかりに海南美術撮影出版社は、簡体字に翻訳されたマンガ『女神的聖闘士』を発売しました。この『女神的聖闘士』で、日本マンガブームに火がつきました。海南版[5]『聖闘士星矢』は、それまでの『鉄腕アトム』のように単行本を無理やり連環画サイズに切ったものではなく、サイズはほぼ単行本と同じもので、1冊を3~4冊に分冊し、1冊1.95元で全9巻45冊を出版しました。当時の1.95元は、今の人民元の価値に換算すると10元前後、日本円で約150円ほどの感覚でしょうか。
     もちろん、『聖闘士星矢』の正規版は、この時点では中国にありませんでした。『女神的聖闘士』はすでに絶版となっていますが、比較的長い時間、全国で安定して販売されていたこともあり、今でも90年代のマンガブームを象徴する存在として愛され続けています。当時、子供たちが購入することのできた漫画の多くは海南美術撮影出版社が販売しており、その印刷や翻訳の質の高さは今でも正規出版だと一部で誤認されているほどです。中国版Wikipediaである「百度百科」において、企業のページは普通、オフィシャルHPや証券会社の会社紹介をそのまま貼り付け、写真はあっても会社のロゴや本社の写真を使用する味気ないものがほとんどであるなか、すでに存在しない海南美術撮影出版社のページでは写真に『女神的聖闘士』が使用され、ファンが書いたと思われる思いのこもった会社紹介が書かれた異質なものとなっています。  では、この海南美術撮影出版社とはどのような会社だったのでしょうか。それには当時の国有企業改革から紐解かねばなりません。

    【12/15(火)まで】オンライン講義全4回つき先行販売中!三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』ゲームAI開発の第一人者である三宅陽一郎さんが、東西の哲学や国内外のエンターテインメントからの触発をもとに、これからの人工知能開発を導く独自のビジョンを、さまざまな切り口から展望する1冊。詳細はこちらから。
     
  • 人に気付かない人間への憧れ|高佐一慈

    2020-12-08 07:00  

    お笑いコンビ、ザ・ギースの高佐一慈さんが日常で出会うふとしたおかしみを書き留めていく連載「誰にでもできる簡単なエッセイ」。今回は、周りにいる人になかなか気が付かないという高佐さんの大切な人への、憧れについて。『日常に持ち込んだシュール』と合わせて読むと、胸キュンが倍増します。
    高佐一慈 誰にでもできる簡単なエッセイ第12回 人に気付かない人間への憧れ
     これはまだ僕が結婚する前。僕が所属事務所に向かうために渋谷を歩いていたら、偶然彼女(現・奥さん)が僕の前を歩いていた。そういえば今日はなにやら会議があるとかで普段の仕事場ではない場所に行くと言っていた気がする。  こういう、二人でどこか出かけるとかではなく、街でたまたまばったり出くわすことはそうそう無いので、僕も普段と違う状況にちょっとドキドキし、いたずら心も手伝って、このドキドキを向こうにも味わわせてあげようと、知らないふりをして追い越すことにした。  向こうもびっくりするだろう。街で偶然パートナーが自分を追い越してきたのだから。  『うししし』と心の中でほくそ笑みながら真顔をキープしたまま、前を歩く彼女の真横をサッと通り過ぎた。彼女は僕に気づき、早足で近づいてきて、僕のどちらかの肩をポンポンと叩くだろう。その間恐らく5秒。僕は右肩、左肩に意識を集中させ、その時を今か今かと待った。  5秒後。彼女は僕の真横を素通りしていった。  『あれ、おかしいな?』肩透かしを食らった僕をよそに、彼女はまっすぐ前を見ながらぐんぐん歩いていく。  『気付いてないのか…? いや、もしかしたら気付いていてわざと通り過ぎるという、僕と同じ考えの遊びを仕掛けてきたのかもしれない…』  もう一度追い越した。今度は気付かなかったとは言い逃れできないよう、追い越した後、歩みのペースを緩め、そのままその場に立ち止まった。  立ち止まった僕の真横を彼女が颯爽と通り過ぎていった。  『え…? 本当に気付いていないのか…?』彼女の歩くペースは早い。まるで僕に気付いていないかのような速度だ。もう10m先を歩いている。後ろ姿だとわからなかったのか。  最終手段に出ることにした。小走りで彼女に近付き、そしてそのまま追い越し、少し先でくるっと振る。そしてそのまま引き返し彼女とすれ違う。さすがにこれで気付かないわけはないだろう。というかこれは僕じゃなかったとしても、同じ格好のやつがさっきから3回も自分を追い越しているのだ。こんな変な行動をする奴に気付かなかったという言い訳は通用しない。  作戦通り彼女を小走りで追い越し、くるっと振り返った。少し先にいる彼女がこちらに近づいてくる。僕も近づいていく。向こうがどういう表情に変わるのかもバッチリ見える。  僕たちは何事もなくスッとすれ違った。  『えっ…⁉』という驚きとともに僕が後ろを振り返ると、彼女は僕に背を向けたままぐんぐん遠ざかっていった。すれ違った瞬間の彼女の表情がプレイバックする。それはまるで魔王を倒しにいく勇者のような、雑念を全て削ぎ落とし、余計なものは目に入らない、そんな凜とした表情だった。  『完全に気付いてないやん…』  なぜか関西弁で呟いてしまうくらい訳のわからない感情で、僕はその場に立ち尽くした。僕の存在って……。レベルの上がった勇者がスライム程度の雑魚キャラには遭遇しないように、彼女には僕という存在が感知されなかったようだ。  しばらく呆然とした後、ハッと気を取り直し、彼女にLINEした。

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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(4)──『未成年』『家なき子』に刻まれた臨界点 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-12-07 07:00  

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。阪神淡路大震災にオウム真理教事件と、戦後日本社会の繁栄を揺るがす出来事が相次いだ1995年。その時代の空気に呼応するかのように、TBS金曜ドラマ枠の『未成年』や「土9」の先駆けとなる日本テレビ系の『家なき子』では、野島の作風は自閉的な肥大化に向かっていきます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(4)──『未成年』『家なき子』に刻まれた臨界点
    1995年の『未成年』
     ここまでの野島ドラマの特徴をまとめると、以下のようになるだろう。
    ・子どもや少年・少女といった「無垢なる存在」への憧憬。 ・社会から開放された仲間たちだけで暮らす疑似家族的共同体の構築。 ・愛する者を守るためなら「暴力も辞さない」という覚悟。
     つまり、「無垢」、「共同体」、「暴力」の3点こそ、当時の野島が70年代的な表層の奥底に抱えていたテーマだと言えるが、この問題意識を極限まで突き詰めたドラマが『未成年』だ。
    ▲『未成年』
     1995年の10月から金曜ドラマで放送された『未成年』は、野島ドラマの臨界点とでも言うような作品だ。それは95年という時代とも完全にシンクロしていた。 物語は、父との関係がうまくいっておらず、優秀な兄・辰巳(谷原章介)にコンプレックスを持っている高校生のヒロこと戸川博人(いしだ壱成)が、ライブハウスの警備員のアルバイトをしている時に知りあった女子大生・新村萌香(桜井幸子)と出会うところからはじまる。 萌香は兄の恋人だが、心臓に疾患を抱えており性行為ができない身体だった。そんな萌香に惹かれていくヒロ。そして彼の周りには、クラスメイトのインポこと田辺順平(北原雅樹)、ヤクザの構成員のゴロこと坂詰五郎(反町隆史)、デクこと知的障害者の室岡仁(香取慎吾)、進学校に通いつつ母親からの過干渉でノイローゼになっている優等生こと神谷勤(河合我聞)といった、それぞれに深い悩みを抱えた少年たちがおり、やがて立場を超えて深い友情で結ばれるようになる。
     あるとき、デクがゴロから預かった拳銃で銀行員を誤射してしまったことから、ヒロたちは銀行強盗だと誤解されてしまい指名手配されてしまう。しかし家にも学校にも居場所がないヒロは、デクと一緒に逃げようと言う。そして一度は自首を勧めた仲間たちも、家にも学校にも職場にも居場所がなくなり、この世界から逃げ出して山奥の廃校で暮らそうと決意して、ともに家出をすることになる。 夜中に仲間たちが先に乗り込んだ貨物列車に乗り込もうと走るヒロの姿に「知ってるかい? 知ってるかい? これから何もないとこ目指すのさ」「知ってるさ、知ってるさ、そこにはきっとホントのことしかないってことを」というモノローグが被さる。 廃校での暮らしは、はじめは順調に思えた。しかし、田畑瞳(浜崎あゆみ)の出産準備をする中で、神谷がノイローゼになって火炎瓶を作って「戦いの日は近い」と言い出し、妄想じみた革命思想に囚われるようになっていく。 「誰と戦うってんだよ」と言うヒロに銃を突きつけて神谷は「体制さ。歪んだ社会をつくってる国家さ」と言い、その後、ゴロを撃ってしまう。 神谷は、地球と人間を含めた生物を一つの巨大な生命体だと唱えるガイア理論と反体制思想が混同されたような、被害者意識にまみれた妄想を語り、戒厳令を敷くと言ってヒロたちを閉じ込める。 そんな神谷の盲言を、(田畑の出産をフォローするために)廃校を訪ねた萌香が録音してマスコミにリーク。その音声が恣意的に編集されて、ワイドショーで報道されてしまったことで、ヒロたちは革命思想を持った反社会的組織だと誤解されてしまい、やがて機動隊に取り囲まれる。
     廃校に立て籠もったヒロたちが機動隊に取り囲まれる様子は、まるで浅間山荘の立てこもり事件の戯画化のようでもある。しかし、それ以上に連想してしまうのは、95年に連日連夜放送されていた地下鉄サリン事件に端を発したオウム真理教事件だろう。状況を煽るワイドショーの露悪的な見せ方も含めて、よく95年にこれを放送できたなぁと、改めて感心する。
     『未成年』の放送がスタートした95年10月には、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系)もスタートしている。ユダヤ教の旧約聖書をベースにした宗教的世界観のもとで展開される哲学的な物語だったこともあってか、『エヴァ』もまたオウム事件と一緒に語られることが多い作品だった。  本作は使徒と呼ばれる謎の巨大生物と人類の戦いを描いたロボットアニメだったが、物語は途中から迷走していき、最終的には主人公の14歳の少年・碇シンジの内面が自己啓発セミナー的な舞台装置のもとで強引に救済されて終わる。
     『未成年』の終わり方も『エヴァ』と同じように、最後に物語を放棄したような展開となり、ヒロの自問自答のような演説の果てに、唐突に終わる。  廃校から逃げ出したヒロは、警察に捕まったデクを助けて無罪を立証しようとする。しかし、その過程で萌香は病気が悪化し命を落とす。 仲間とはぐれ孤立無援となったヒロは、高校の屋上に立つ。 見上げる同級生たちの前でヒロは演説をし、デクの無罪と正当な裁判を受けさせてほしいと訴える。 「俺の愛する人が教えてくれた。ただ精一杯そこに咲いていた彼女、人間の価値をはかるメジャーはどこにも、どこにもないってことさ。頭の出来や、身体の出来で簡単にはかろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ! 俺たちを比べるすべてのやつらを黙らせろ! お前ら、お前ら自分は無力だとシラける気か。矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してノーって言いたい時、俺は、俺のダチはみんな一緒に付き合うぜ」  その後、ヒロの演説に熱狂したクラスメイトたちの後押しもあってかヒロたちは改めて公平な裁判を受けることになり、物語は幕を閉じる。 長回しで引いた視線から撮影されるヒロの演説は、下から見上げる生徒たちや撮影するカメラマンの目線で描写される。つまり正面から彼の表情を捉えたアップがないのだ。下から見上げる限定された視点は、ドラマの映像というよりは報道番組の映像で立てこもり犯の姿を観ているようである。
     ヒロの姿は、テレビカメラを通じて全国に中継される。『人間・失格』でも誠の葬式の場にワイドショーのリポーターが押しかけ、憔悴した衛に話しかける無神経な場面が描かれたのだが、『未成年』では当時の加熱するオウム報道の影響もあってか、事件を煽る報道の在り方そのものに対する批判にも見える。

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