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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第4回 記憶・小説・人間【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.604 ☆
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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第4回 記憶・小説・人間【不定期連載】 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.604 ☆

2016-05-30 07:00

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    大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』
    第4回 記憶・小説・人間
    【不定期連載】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.5.30 vol.604

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    今朝のメルマガでは大見崇晴さんの連載『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第4回をお届けします。近代が生み出した〈記憶〉の小説家であるプルーストとベケット。その系譜を受け継ぐ村上春樹もまた、三島由紀夫という時代の記憶を作品の中に封じ込めていた。『ノルウェイの森』において巧妙に配置された固有名と、その意味について論じます。


    ▼プロフィール
    大見崇晴(おおみ・たかはる)
    1978年生まれ。國學院大学文学部卒(日本文学専攻)。サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動、カルチャー総合誌「PLANETS」の創刊にも参加。戦後文学史の再検討とテレビメディアの変容を追っている。著書に『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)がある。
    本メルマガで連載中の『イメージの世界へ』配信記事一覧はこちらのリンクから。


     近代以降の文学、特に小説は記憶を題材とする。
     多くの論者に繰り返し書かれ読み飽きられていることであるが、カントの『純粋理性批判』が十八世紀後半に登場して、時間と空間が主観的なものでしかないと人々は気付かされた。客観そのものである世界に対して、人間はその一端しか知りうることは叶わない。人間が知りうるのは主観的なものであり、世界の一部に過ぎないとする考えが広まっていくのである。
     しかし、言い換えれば主観を介して世界はその一端を描き得る。英文学者イアン・ワットは、小説に影響を及ぼしたものとして、経験の個別性について論じた。デカルト、ロックといったカントに先行した哲学者が広めた、経験とは普遍的なものではなく、経験は個別的なものであるという考えが、「個人が把握した現実を小説が具象化できるようになる」のでる。
     してみれば、カントの学説は、人間の認識(自己)を介して世界の一端を把握すると読み替えられることもあった。カントの研究者として知られる坂部恵――彼のカント研究が柄谷行人の初期批評に影響を与え、日本現代文学批評に間接的ながら影響を及ぼしたことは周知の事実である――は、日本近代文学に現れるカント理解について、次のように取り上げる。以下の引用は「普請中」の作者としても知られ、近代日本の持つ国民国家という虚構性を重々承知していた医師・森林太郎、筆名・森鴎外の短編小説「かのやうに」からである。

     「小説は事実を本当とする意味に於いては嘘だ。併しこれは最初から事実がらないで、嘘と意識して作つて通用させてゐる。そしてその中に性命がある。価値がある。尊い神話も同じやうに出来て、通用して来たのだが、あれは最初事実があつた丈違ふ。君のかく絵も、どれ程写生したところで、実物ではない。嘘の積りでかいてゐる。人生の性命あり、価値あるものは、皆この意識した嘘だ。第二の意味の本当はこれより外には求められない。かう云ふ風に本当を二つに見ることは、カントが元祖で、近頃プラグマチスムなんぞ余程卑俗にして繰り返してゐるもの同じ事だ」

     引用したのは、鴎外がドイツの哲学者ハンス・ファイヒンガーの『かのようにの哲学』を鴎外が要約したものである。「かのやうに」が書かれたのは一九一二年のことである。ここにおいてカントが亡くなり百年近く経過して、人生(=自己)に価値があるのは本人にとって都合が良い虚構(=記憶)であると暴露される。
     とはいえ、これは二十世紀前半においては後進国であった日本の都合である。
     「個人」であるとか「主体」といった概念は近代を他地域より先行して受け入れた欧州から輸入したものである。それら見慣れない概念を、さもある「かのやうに」近代日本の土台を構築しなくてはならないと考えた。まさしく国家「普請中」にあった鴎外という人物なりの要約と言えよう。
     プラグマティズムも謂わばアメリカにおけるカント的な世界観の改版として開始されたものである。それはヨーロッパから距離をとりつつ「近代」を迎えた地域で始められた。『メタフィジカル・クラブ 米国100年の精神史』などでも紹介されているように、カント的な(簡略して説明すれば、人間が理性的に行動すれば、道徳的な結果が得られるという)世界観は信用ならなくなっていた。すでに奴隷制を巡って国内で南北戦争が勃発し、六十万という人命が失われていた。この時期について、二十世紀を代表する詩人T・S・エリオットはこのように述べる。


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