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井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
第9回 どこまでが「ゲーム」なのか?
【不定期配信】
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.9.21 vol.694
今朝のメルマガは井上明人さんの『中心をもたない、現象としてのゲームについて』の第9回です。空手家・大山倍達の「強さ」の追求が、期せずして直面したゲーム的世界観。「ゲーム」と「それ以外」を区分する境界線は、どこに引かれるべきなのか。「現象としてのゲーム」の具体的な議論のために、ゲームを定義する5つの評価基準を提示します。
▼執筆者プロフィール
井上明人(いのうえ・あきと)
1980年生。関西大学総合情報学部特任准教授、立命館大学先端総合学術研究科非常勤講師。ゲーム研究者。中心テーマはゲームの現象論。2005年慶應義塾大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。2005年より同SFC研究所訪問研究員。2007年より国際大学GLOCOM助教。2015年より現職。ゲームの社会応用プロジェクトに多数関っており、震災時にリリースした節電ゲーム#denkimeterでCEDEC AWARD ゲームデザイン部門優秀賞受賞。論文に「遊びとゲームをめぐる試論 ―たとえば、にらめっこはコンピュータ・ゲームになるだろうか」など。単著に『
ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)。
本メルマガで連載中の『中心をもたない、現象としてのゲームについて』配信記事一覧はこちらのリンクから。
■ 2−5 どこまでが「ゲーム」なのか?-さまざまなゲームのボーダーラインについて-
神の手と呼ばれた20世紀後半の伝説的な空手家、大山倍達が語ったとされる言葉に
「地上最強の動物はアリクイ」[1]
というものがある。
どういう理屈かといえば、なんでも①ストレートに考えると、個体としての世界最強の動物はおそらく象である。②像であってもアリの集団に食われてしまうことがある ③アリクイはアリに勝利できる、ということらしい。
「何を馬鹿な」と思われるだろう。反論をするのも、いかにも容易だ。あまりにも突飛のない発言に、納得するというよりは、失笑を誘われる人のほうが多いだろう。
さて、なんでこんな話をしているのかというと、ある行為が「ゲーム」という概念に入るかどうかが難しいようなボーダーラインをどう扱うかということ話を扱いたいからだ。
大山倍達は20世紀後半の日本に「空手」を広めた立役者だが、大山によれば「勝負」という概念のボーダーライン上にいるからこそ出てくる発言であろう。大山は「ケンカと戦いの区別はどこにあるのか、ということは私には、はっきりとわからない」[2]と述べている。
大山倍達が伝説的な格闘家であることのいくつかの理由の一つは、彼が人間以外の動物と戦っていることによる[3]。若き日の大山は「人間の相手がいない」[4]と感じて、ジャングルのなかでライオンやワニと闘うターザンのように、人間以外の動物と戦いたいと思い「比較的たやすくぶつかれる相手といえば、まず牛だ。」[5]と言い、70頭もの牛を倒す。そして次に熊と戦おうとして警察に止められ、ゴリラと戦ってはゴリラに逃げ出されたという。ライオンと闘うことについても真剣に研究しており、その結果「うーむ、とても勝てない。勝てるわけがない」という結論を得ている。
大山による対猛獣戦についての発言には興味深い論点が多い。大山は、もし猛獣と人間が闘うのであれば、フェアな条件で闘うべきでないと言っている。虎やライオンに素手の人間が挑むとすれば、「壮年と壮年で、公平な条件で戦わせたら、勝つ可能性はゼロといってよい」という。もし空手の達人が真剣に虎に勝利する可能性を検討するのであれば、①老齢の虎であること ②弱らせておくこと ③広い場所で闘うこと ④200キロ以内の虎であることといった具体的な条件を挙げている[6]。また、若き日に、自身が熊と闘う際においても若い熊と闘って勝利をおさめるのはまず無理であると判断し、老齢でよぼよぼの熊に腹いっぱい食べさせて戦闘意欲をにぶらせた状態で対戦するように手配をしていたという。
実際、大山は老齢の熊を手配していたものの、大きな若い熊と対戦することになり、対戦開始2,3分で「これは勝ち目がない」と思ったという。その直後に対戦に中止命令が出てこの対戦は取りやめになった。
これらのエピソードから明らかなように、大山倍達の考える<強さ>をめぐる追求は、格闘技における<試合>の枠組みから大きく越え出ている。勝利とか、強さといった概念は、ふつう何かしらの枠組みの内側にある。異種格闘技戦であるにしても、それは一対一の人間による試合という範囲内であることがほとんどである。
しかしながら、大山の世界観は「人間の相手がいない」という稀有な理由によって、この大前提が崩れている。そのために、牛や熊と戦っているのであり、その時点でもはや人間社会内での勝負といった評価基準ではなくなっている。大山の思考は、生命全体の生態系のなかにおける人間個体のあり方を考えるというところに近づいていっている。
ちなみに、生物学者や、生態学者に「最強の動物は何か?」という質問をすれば、ほとんどの場合、まじめな答えとしては「生物というのは、環境によって有利・不利が決まるのであって、何が最強ということはありません」ということになる。大山の「アリクイ最強説」は、人間対人間の対戦という世界から遠く離れて、こうした生態系全体を考えるという視点へと旅立ってしまっている。ふつうの現代人が、自らの実体験からこうした発想へと至ることはまずないと思うのだが、大山の場合は例外的にこのようなことになってしまっている。熊や虎との対戦においても、フェアネスの概念を適用すべきでないと言っているのも、やはり人間対人間という枠組みの外側で、勝負における生死の問題を考えているということが大きいだろう。ライオンや虎に素手で勝てるかどうか、などといったことを真剣に思い悩めば、そういった発想に至るのは、ある意味ではあたりまえなのだろうが、大山の世界では人間社会において想定される「勝利」とか「強さ」という概念は、相対化されてしまっているからこそ「アリクイ最強説」のような、どう捉えればよいかわからない世界観が出てきうるのだろう。
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