アニメーション監督の山本寛さんによる、アニメの深奥にある「意志」を浮き彫りにする連載の第16回。
かつて山本さんが「アニメ・イズ・デッド」と題した講義で、作品のテーマや思想を追求する姿勢を失い、ひたすら動物的に「萌え」を消費するようになった日本アニメの状況を批判してから4年超。毎クールの「覇権」争いなど、さらに不毛さの加速した現状を受けながら、2021年からのアニメの行く先を展望します。
山本寛 アニメを愛するためのいくつかの方法
第16回 「アニメ・イズ・デッド」その後~2021年を占う
この連載でも何度か参照している、僕が2016年夏に大阪で行った講義「アニメ・イズ・デッド」であるが、あれから4年超経った2021年、アニメはどうなったか、どうなっていくかを今回述べてみたい。
この講義の概要を改めて説明すると、アニメ視聴者たちの発信が2007年を境に、SNSを中心にアニメ業界に対する脅迫・恐喝に近い発言力を得て猛威を振るい始め、2009年からは「モダニズム」の崩壊と「ポストモダン」の隆盛、つまりテーマや思想の議論は急激に衰退し、ただひたすら「萌え」を享受し「動物的」な現実逃避に走るという消費スタイルが一般化する。それがさらに2011年の東日本大震災を経て、もはや現実世界の解釈や読み直し、批評としてアニメを捉えることを皆極度に忌避するようになった、つまり現実逃避が加速した、というものだった。
しかし、この講義でも述べたが、これはアニメ作品が世間から一本もなくなるということではない。
アニメが文化として滅ぶ、ということの証左だと言いたいのだ。
ではここで、「アニメ・イズ・デッド」にもう一つの要素を加えよう。「覇権主義」「勝ち負け主義」である。
これはかつて某作品の宣伝番組で某氏が宣言した「覇権」という語をきっかけに瞬く間に浸透したものだが、SNSの猛威が高まるにつれ人々は「自分が何を好むか」ではなく、「皆が誰を好むか」を気にし始め、付和雷同で多数に合わせるという動きを見せた。つまりそれが、「数が多いもの(作品)が勝ち」という、作品の内容の評価そっちのけの強固な価値観として定着してしまったのだ。
これは、それまでなんとなくあった、少なくとも議論の対象にはなっていた「傑作=駄作」の判断基準がポストモダン化によって無力化し、さらにはSNSの同調圧力によって個々人の「好き嫌い」の価値観にまで干渉するようになった結果であると言える。
僕はその「勝ち負け」の駆け引きの瞬間を目の当たりにしている。『宮河家の空腹』(2013)という作品はTVではなくUstreamで連続配信されたのだが、第1話の際のコメント欄がオンタイムで「是か? 非か?」と皆しばらく様子見をしていたのだ。やがて僕のアンチがどっと押し寄せ、どこまで傑作だったかはともかく特に瑕疵のない本作に「史上最悪の駄作」とまでの悪罵が押し寄せるに至った。
コメント欄が「是非」「勝ち負け」を即決する場となったのだ。
その「覇権主義」「勝ち負け主義」が去年、また猛威を振るった。『鬼滅の刃』(2019)である。
まさにここ数年の「覇権」を獲ったと言って過言ではない本作だが、遂に『劇場版 無限列車編』(2020)が長年「覇権」を握っていた『千と千尋の神隠し』(2001)を超え、歴代興行収入1位を更新したことで話題となった。
しかし、やはり誰もがこう思うのではないだろうか?
え、これが……??
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