北京大学助教授の古市雅子さん、中国でゲーム・アニメ関連のコンテンツビジネスに10年以上携わる峰岸宏行さんのコンビによる連載「中国オタク文化史研究」の第13回(前編)。
2017年、中国政府によって厳しいコンテンツ規制が施行される少し前、日本で誕生したバーチャルYouTuberキズナアイが中国にも登場しました。大旋風を巻き起こしたアイちゃんは、中国エンタメ業界における一筋の希望となる「虚擬偶像(バーチャルアイドル)」という存在になりました。「虚擬偶像」はどこから来てどこへ行くのか、中国における巨大市場を解説します。
古市雅子・峰岸宏行 中国オタク文化史研究
第13回 国境を超えた虚擬偶像(バーチャルアイドル)、リスクと変遷(前編)
2016年12月にキズナアイが「バーチャルYouTuber」(以下VTuber)を自称して以来、日本勢にはキズナアイ、輝夜月、ミライアカリ、バーチャルのじゃロリ狐娘YouTuberおじさん、電脳少女シロのバーチャルYouTuber四天王から始まり、hololive(カバー株式会社)、にじさんじ(ANYCOLOR株式会社)、ぶいすぽっ!(株式会社バーチャルエンターテイメント)、774inc(774株式会社)、ゲーム部プロジェクト(Unlimited、2021年解散)、個人勢と呼ばれる企業に所属しない天開司やイラストレーター兼業のしぐれうい、麻雀専門の千羽黒乃、自分でVTuber事務所を立ち上げた犬山たまき、ゲーム動画YouTuberながらもVtuberとしても活動しているガッチマンVやヒカキン、hololive、にじさんじの外国語配信メンバー、holollive English、ID、KRやNIJISANJI EN、VirtuaRealなどが活躍していますが、Gawr Gura(がうる・ぐら)がトップの390万人、Mori Calliope(森カリオペ)は200万人という登録者数を誇り、コメントなどを見ると日本国内だけではなく、海外でも驚くほど人気があるのがわかります。さらにプロジェクトメロディ、ヴェイベ、ニャンナーズ等、海外の個人VTuberがグループ化したV-Shojoや台湾の杏仁ミル、フィンランドのLumi等、筆者が日常的に見ているだけでもこれだけ多くのVTuberが世界中で活躍しています。
▲2018年12月31日に開催された年越しVR歌合戦イベント「Count0(カウントゼロ)」。キズナアイ、樋口楓(にじさんじ)、おめがシスターズ、東雲めぐ、ユニティちゃん、響木アオ、周防パトラなど現在でも活躍しているVTuberが多数参加している。
2020年には日本経済新聞で「Vチューバ―、雑談で1億円 投げ銭世界トップ3独占」という記事が報道され、2016年から考えると社会の認知、理解が格段に進んでいます。
中国でも動画プラットフォーム「bilibili」と「にじさんじ」が共同で運営するVirtuaRealや中国人個人勢VTuber、日本人個人勢VTuber、中国Bytedanceが運営するVTuberグループ・A-SOULが大きな人気を得ています。2021年以降、政府のエンタメ規制によってアイドルやアーティストの活動が制限され始めている今、次のエンタメ産業の要として、VTuberに代表される「虚擬偶像」(バーチャルアイドル)が注目されています。
本章では、これまでの連載で紹介してきた日本アニメ、ゲームコンテンツ消費史の最終章として、最新のオタク消費コンテンツである、VTuberが中国でどうして、どのように受容されているのか見ていきたいと思います。
みっくみくにされた中国人オタク
VTuberがすんなり中国人に受け入れられた要因には、Vocaloid「初音ミク」の存在、日本コンテンツへのリテラシー、コンテンツに接することができるプラットフォームの存在の3つがあります。
初音ミクは2007年8月31日、札幌に本社を置くクリプトン・フューチャー・メディア株式会社から発売された音声合成・デスクトップミュージック用のボーカル音源に付帯したキャラクターです。
周知の通り、初音ミクは音楽のみならず、キャラクターに対する消費の概念を大きく変えました。ITmediaに掲載された「初音ミク5周年」を記念した連載では以下のように書かれています。
草の根ミュージシャンたちが自作曲にミクで歌を付け、「ニコニコ動画」などに投稿。身近で日常的な曲たちが、たくさんの共感を呼んだ。曲にイラストや動画を付ける人々も現れ、イラストに合わせた新しい曲が作られる。視聴者の応援がクリエイターを刺激し、新たな作品が生まれる。無名のクリエイターによる創作のサイクルが、加速していった[1]。
中国のプラットフォームACFun、bilibiliにも、多くのクリエイターの楽曲が、連載第9回にご紹介した「搬運工」によってニコニコ動画から転載され、その影響から中国のオタク界隈でも初音ミクが広く認知されました。もっとも人気があった2010年代前半には、中国の音楽ランキング上位に必ずミクの歌があり、10代から20代前半を中心に圧倒的支持を受けていました。2015年に上海で行われた中国初のライブでは、オンライン視聴者数が150万人、弾幕の数は70万を突破、すでに熱は冷めたと言われるものの、2020年、オンラインモール「タオバオ」にオフィシャルショップが開店した際には、いいねの数や売上、閲覧数などから総合的に算出するアイドルオフィシャルショップランキングにおいて、わずか出店半日で中国のトップアイドルをダブルスコアで抑え、ダントツの結果となりました[2]。中国のオタク文化を代表する動画プラットフォーム、bilibiliも、そもそものスタートはmiku Fanというミクのファンサイトだったということも、第9回に書いたとおりです。
ミクの爆発的な人気を受け、2012年7月12日に上海禾念信息科技有限公司から中国人声優、山新の声をライブラリー化したVocaloid洛天依(ルオ・ティエンイー)が発売され、たちまち中国で人気のVocaloidとなりました[3]。
洛天依は、日本コンテンツを愛するあまり日本語を理解するコアなオタクから、より広い範囲のオタク、そして一部の一般人にまで受け入れられるようになり、ケンタッキー・フライド・チキンやピザハット、ネスレ、浦発銀行、ネット映画等とコラボ、中国SNS微博では2015年にフォロワー数でミクを超えました。
2018年にはbilibiliが香港にある上海禾念信息科技有限公司の親会社、香港澤立仕の持ち株比率を高め、その後「虚擬偶像」としてbilibiliの主催するイベントに主役として登場しています。
洛天依は「吃貨」、つまり食いしん坊として認知されています。これはファミリーマートの入店時のジングルをアレンジした楽曲『洛天依投食歌』が元ネタです。2012年にネットで火がついたこの曲は、中国のスーパーや売店、PCショップ、飲食店で使用され、洛天依を知らない人にも知名度が高まり、その後の洛天依の発展に大きく寄与しました。
▲bilibiliなどに投稿された『洛天依投食歌』の映像。YouTubeでも見ることができる。
「吃貨」、食いしん坊は中国では非常に受ける要素で、UUUM所属のフードファイターYouTuber、木下ゆうかは中国SNS微博に259万人のフォロワーを持ち、高い人気があります。
またオーディオライブラリに声を提供した山新がもともと人気だったことも、洛天依の人気に作用しました。山新、本名王宥霽(おう・ゆせい)は1989年生まれ、北斗企鹅工作室(ホクトペンギンスタジオ)に所属する声優で、もともとインターネット上で、日本アニメのファンアフレコを行っていた人です。彼女の作品でもっとも有名なのが、多くのネットスラングを輩出した『ギャグマンガ日和』のファンアフレコです。また『ヒカルの碁』(アニメ2001年・テレビ東京)、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ SAGA』(1996年)、『ケロロ軍曹』(アニメ2004年・テレビ東京)などの中国語アフレコ、そして中国のオリジナルアニメにも多数出演していました。とは言え、まだまだ一部のネットコミュニティーでしか知られていなかった彼女が、洛天依のボイスに採用されたことは大きな驚きでした。
もともと、中国では日本アニメの歌姫キャラに高い人気がありました。『マクロスフロンティア』(2008年・ビックウエスト)のシェリル・ノームやランカ・リー、『ギルティクラウン』(2011年・フジテレビ)の楪いのりといったキャラ、そしてニコニコ動画の歌い手やbilibiliの歌ってみた界隈が、個人の人気だけではなく同人文化として受け入れられ、初音ミク、洛天依は中国人の理想の歌姫となったのです。
2010年代後半、みっくみく化した中国オタクファンがそろそろ新しいコンテンツを求め始めた頃、登場したのがVTuber、キズナアイでした。