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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(3)──『池袋ウエストゲートパーク』が始動した2000年代(後編)成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-02-15 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は『池袋ウエストゲートパーク』論の後編です。ドラマ版と原作小説を比較しながら、作品に関わった3人のクリエイター、石田衣良と堤幸彦と宮藤官九郎の影響を検討。さらに本作以降、窪塚洋介が背負うことになった時代性について考察します。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(3)──『池袋ウエストゲートパーク』が始動した2000年代(後編)
    原作者が見た『池袋』
     石田衣良はシナリオ本の解説で、小説とドラマの違いについてこう書いている。

     メディアが違うから、原作(寒色系シリアス)とドラマ(暖色系コメディ)のトーンは違うけれど、両者はもっとも大切な部分で共通していたとぼくは思う。  それは圧倒的なスピード感とキャラクターの立体感だ(もうひとついうなら池袋という現実の街のライブ感)。ぼくも作家なので、文体にはかなり気をつかう。IWGPでなにを一番大切にしているかというと、人物の描写と文章のスピード感なのだ。それを宮藤さんは即興性豊かな組み立てと特異なコメディセンス(その場の思いつきともいう、だがなんと切れ味のいい思いつきか)でしっかりと再現してしまった。(6)

     石田はドラマ化に際して「小説とテレビではメディアが違います。原作に気兼ねなどしなくていいから、とにかく思い切りフルスイングしてください。そうしたら空振りだって納得できますから」(7)と磯山に伝えたそうだが、ドラマ版『池袋』と小説を比べると、物語の流れは大筋では同じだが、細部が微妙な変更が施されており、その改変の仕方が見事だというのが当時の印象だった。  のちに数々のオリジナルドラマを手がけることになる宮藤だが、本作は原作モノだったこともあり、作家性に関してはまだ未知数だったが、まずは優秀なアレンジャーとして、その才能を大きく印象づけたと言えよう。
    「ダサさ」をまとうことで見えてくるもの
     原作の改変ポイントは多数あるが、中でも大きく変わったのは主人公のマコトの造形だろう。小説はマコトの一人称で進むハードボイルド小説の構造となっている。台詞もカッコよくてクールだ。  それをドラマ版では工業高校上がりの馬鹿なヤンキーで素人童貞という側面を強く打ち出している。  原作小説の第1巻が発売されたのは1998年、ドラマ化されたのは2年後だが、最先端の都市の風俗(ストリートカルチャー)というものは、活字になった時点でどんどん古びてしまう。 小説の『池袋』もその側面は強く、情報の鮮度という意味ではドラマ版は圧倒的に不利である。また、小説では成立したカッコいい語りも生身の人間が喋ったら台無しになることも多い。仮に小説をそのまま映像化していたら目も当てられない作品となっていただろう。  だが、宮藤の脚本はカッコよく書かれていた石田衣良の世界を少し斜めから見て、あえてかっこ悪く──宮藤がドラマ内で用いる言葉で言うなら「ダサく」──することで、物語を読み替えていった。  それはそのまま、トレンディドラマで描かれていたような匿名性の高いおしゃれな街としての東京ではなく、地元(ジモト)としての池袋という、具体的な土地の持つ固有性を打ち出していくという作業だった。  宮藤の脚本は、構成がとてもごちゃごちゃしているが、一つ一つのディテールはとても具体的だ。会話の中には固有名詞がたくさん登場し、その延長で、実在するテレビ番組や芸能人が登場する。  権利関係の処理の問題もあってか、実在する商品名や固有名詞を出すことをためらうドラマは今も少なくないが、固有名詞が具体的であればあるほど、そこに描かれている人間たちの実在感は増していく。すべてのものに固有の名前があり、ワイドショーや雑誌で語られる記号としての東京や女子高生やカラーギャングではなく、くだもの屋のマコトや風呂屋のタカシといった、固有名を取り戻すことで、流行り廃りの激しい風俗の根底にある地に足の付いた感覚を取り戻したことこそが、テレビドラマにおける宮藤の最大の功績だろう。  それは人間関係の描き方にも現れている。特に画期的だったのはマコトの母親・リツコ(森下愛子)の描き方だ。  原作小説では、ほとんど描写されていないリツコのディテールはコミカルではあるが、シングルマザーながらにマコトを育ててきた母親としての優しさやたくましさが描かれていた。  のちに織田裕二主演の連続ドラマ『ロケット・ボーイ』(フジテレビ系)の脚本を宮藤に依頼するプロデューサーの高井一郎は『池袋』の脚本について「よく見ると普遍的な親子愛や友情が隠れて描かれていますよね」(8)と語っている。  小ネタで彩られたサブカルドラマとして語られがちな宮藤の作風の奥底にある本質を高井は早くから見抜いていた。それは一言で言うと、家族も含めた共同体(仲間)に対する信頼である。  1980年代のトレンディドラマ以降、テレビドラマで家族が描かれる機会は年々減っていた。橋田壽賀子・脚本の『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)を例外とすれば、家庭内暴力や不倫といったネガティブな形でしか家族は描かれなくなっていた。 『未成年』(TBS系)等の野島伸司のドラマは、その反動もあってか、家族再生を試みるのだが、そこで描かれたのは血の繋がらない中間共同体的なもの、『池袋』で言うとGボーイズ的な共同体だった。そういった共同体は反社会的な性質を帯びて、やがては暴走して崩壊する。それは学生運動末期の連合赤軍事件やオウム真理教の地下鉄サリン事件などに連なる、日本の疑似家族共同体の失敗の歴史の反復とも言えよう。  対して宮藤が面白いのは、一方で疑似家族的な仲間のつながりを描きながら、対立軸として血縁関係にある親子を描かないところだ。むしろ、親子も友達のように付き合ってしまうことで、今まで重々しいものだった家族という概念自体を軽いものとして扱っていたのである。
    原作小説とドラマ版の大きな違い
     ドラマ版『池袋』は原作小説の1巻と2巻(『少年計数機 池袋ウエストゲートパークⅡ』)のエピソードの一部と、オリジナルエピソードの7話、8話で構成されている。  物語は一話完結だが、主軸となっているのは原作小説第1巻に収録された「池袋ウエストゲートパーク」(ドラマでは第1~2話)と、第4話「サンシャイン通り内戦(シビルウォー)」(ドラマでは第9~11話)。独立したエピソードだったこの2作を一つの事件としてつなげることで、全体の流れを作っている。
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(3)──『池袋ウエストゲートパーク』が始動した2000年代(前編)成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-02-08 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は、2000年に放送されたドラマ『池袋ウエストゲートパーク』を取り上げます。宮藤官九郎が脚本を手掛け、長瀬智也や窪塚洋介といったキラ星のごとき若手俳優たちが出演していた本作は、以降のテレビドラマの方法論を劇的に変えることになります。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(3)──『池袋ウエストゲートパーク』が始動した2000年代(前編)
    2000年の『池袋ウエストゲートパーク』
     『ケイゾク/映画』が公開された直後の2000年4月。堤幸彦は石田衣良の小説をドラマ化した『池袋ウエストゲートパーク』(以下、『池袋』)をTBSで手がけることになる。
    ▲『池袋ウエストゲートパーク』(2000)
     物語の舞台は東京都豊島区にある池袋。くだもの屋の実家で母親と暮らす真島マコト(長瀬智也)は、仲間たちとつるんで楽しい日々を送っていたが、ある日、友達のリカ(酒井若菜)が何者かに殺される。リカが援助交際をしていて、あやしい男に付きまとわれていたことを、ヒカル(加藤あい)から聞かされたマコトは、カラーギャングのGボーイズたちの協力の元、独自の調査をはじめる。やがて世間を騒がしている性犯罪者・絞殺魔(ストラングラー)に犯人の目星をつけたマコトたちはストラングラーを捕獲。リカを殺した犯人とは別人だったが、この事件をきっかけにマコトの名前は池袋中にとどろき、警察には相談できないイリーガルな事件の解決を依頼されるようになる。  リカを殺した犯人はいまだ不明だったが、トラブルシューター(便利屋)として池袋で起こる事件を次々と解決していくマコト。一方、池袋では勢力を拡大するGボーイズに対抗するカラーギャングのB(ブラック)エンジェルズが勃興、やがて、池袋を巻き込んだ抗争へと発展する。
     『池袋』は今となっては伝説的な作品だ。まずは豪華な出演俳優。主演の長瀬智也を筆頭に佐藤隆太、山下智久、窪塚洋介、坂口憲二、妻夫木聡、高橋一生、加藤あい、酒井若菜、小雪といった、のちに頭角を表す若手俳優が勢揃いしている姿は壮観だ。同時に脚本を担当したのが大人計画の宮藤官九郎だったこともあって、阿部サダヲ、荒川良々、池津祥子といった大人計画所属の俳優も脇で活躍しており、大人計画以外にも古田新太、河原雅彦、きたろう、峯村リエといった小劇場系の俳優が出演している。三谷幸喜という先行例はあったものの、小劇場系の才能がテレビドラマに一気に流入してくるきっかけとなったという意味でも画期的な作品である。  この見事な配役を行ったのが、プロデューサーの磯山晶。『ケイゾク』の植田博樹と同じ1967年生まれ。1990年にTBSに入社した二人は同期である。 『池袋』は、今はなくなった金曜夜9時枠で放送されていたドラマで、夜10時からの金曜ドラマでは植田がプロデュースする『QUIZ』が放送されていた。 『QUIZ』は『ケイゾク』にあったアメリカン・サイコサスペンスの要素をより強めた劇場型犯罪を題材にしたもので、閑静な住宅街で起きた誘拐事件を精神を病んだ女刑事・桐子カヲル(財前直見)が追いかけていくというドラマだ。チーフディレクターは『ケイゾク』に参加した今井夏木が担当した。  一方、『池袋』には『ケイゾク』に参加していた金子文紀がセカンドディレクターとして参加している。磯山と金子、そして本作でプライムタイムの連続ドラマの初執筆となった宮藤が『池袋』でチームを組むことになる。後にクドカンドラマと呼ばれる一連の流れはここから始まったのだ。
     植田と磯山という、TBSの二人のプロデューサーがドラマ界に新しい風を吹き込んだのでは?という質問に対して植田はインタビューで以下のように答えている。

     「磯山の『池袋』もそうですけど、それまでのTBSのドラマ作りのフォーマットを大きく変えたとは思いますね。スタジオ2日、ロケとリハで3日みたいな、それまで何十年も続けてきたクラシックな撮り方ではなく、オールロケで、編集室を3ヶ月押さえっぱなしにして編集し続けるとか、音楽も、劇伴をそのまま使うのではなく、コンピューターに取り込んで音の要素だけを使うとか。『JIN-仁-』(2009年TBS系)も、音楽は『ケイゾク』のチームが担当しましたし、その後のTBSのドラマは、当時のチームの分派が作ってるものが多い。『ケイゾク』や『池袋』で始めたドラマ作りのノウハウは、今のTBSドラマに着実に受け継がれていると思いますね」(1)

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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(後編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-02-01 07:00  

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。押井守作品の強い影響下にありながら、刑事ドラマとしては真逆の方向を向いていた『踊る大捜査線』と『ケイゾク』。そして、堤幸彦が『ケイゾク』で鋭く追求したオタク/匿名性の問題は、後のフェイクニュースの時代を予見することになります。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(後編)
    『踊る大捜査線』と『ケイゾク』アニメの影響で生まれた真逆のドラマ
     「否定すること自体がテーマだった」という『ケイゾク』だが、その否定していった作品の一つに、刑事ドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系、以下『踊る』)も含まれていたのが、いま振り返ると興味深い。(7) 『踊る』と『ケイゾク』。この2作は1990年代に盛り上がりを見せていた『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメの影響が、テレビドラマに移植されていった代表作だと言える。しかしその影響の現れ方は正反対だったと言えるだろう。
     まず、『踊る』について簡単に説明したい。 本作は1997年にフジテレビ系で放送された刑事ドラマだ。
    ▲『踊る大捜査線』
     主人公は脱サラして刑事になった青島俊作(織田裕二)。コンピューター会社の営業として働いていた青島はサラリーマン的なしがらみに幻滅して刑事となるが、刑事ドラマのような世界は現実には存在せず、警察の世界もサラリーマンと同じく、組織のしがらみに縛られた場所だったという現実に直面する姿を描いたドラマだ。 『踊る』は、過去の刑事ドラマや『エヴァ』等のロボットアニメからの引用やパロディが多い。監督の本広克行(1965年生まれ)はアニメ監督の押井守の影響を受けており、その影響を隠そうとしないオタク世代の監督だった。 『踊る』は、舞台となる湾岸署を中心とした箱庭的世界観が実に豊かで、細部まで作り込まれた、繰り返しの視聴に耐えうる作品だった。そのためテレビドラマでは珍しいオタク的なファンが多数生まれた。視聴率こそ当時の基準ではヒット作と言えるものではなかったが、熱狂的なファンの後押しもあってか、放送終了後にレンタルとビデオセールスが盛り上がり、SPドラマが3本放送された後に映画化された。  このような、テレビ放送時は低視聴率で打ち切りに近いかたちで終わるものの、熱狂的なファンコミュニティが生まれ、再放送で人気に火が付き、雑誌やラジオといったメディアの後押しと口コミで話題となり、やがて劇場映画が公開されて大ヒットしイベント化していくという流れは、1974年の『宇宙戦艦ヤマト』や1979年の『機動戦士ガンダム』といったアニメで起きた現象だ。1995年に放送された『エヴァ』も、テレビ放送終了後に同じ流れを辿って社会現象となっていき、インターネットのファンサイトがその後押しをした。  つまり、『踊る』は作品自体も繰り返しの鑑賞に耐えうるマニアックな作品だったが、ファンの消費行動や、放送終了後のメディア展開も、『ヤマト』、『ガンダム』、『エヴァ』といった過去にヒットしたアニメ作品の盛り上がりを、なぞるようなものとなっていったのだ。  それ以前にも、ドラマとは別の世界を描いた『高校教師』や深夜ドラマの『NIGHT HEAD』(フジテレビ系)など、「ドラマから劇場映画へ」という流れは何度もあったが、この流れを決定的なものとしたのが『踊る』だった。  今ではドラマシリーズの続きが劇場版として放送されるというモデルは当たり前のものとなっているが、視聴率偏重だったテレビドラマの評価軸に、新しい成功モデルを持ち込んだドラマだったと言えるだろう。そして、テレビシリーズが終了した後にSPドラマ、劇場版が作られた『ケイゾク』も、基本的には『踊る』と同じビジネスモデルを展開していったと言える。
     しかし、同じアニメの影響下にあるオタク的なテレビドラマでありながら、画面に現れている世界観は、真逆のものだったと言える。  それはどちらも押井守作品を参照していながら、『踊る』の劇場版タイトルが『踊る大捜査線 THE MOVIE』という『機動警察パトレイバー』の劇場版タイトル『機動警察パトレイバー the Movie』 を連想させるものとなっていたのに対し、『ケイゾク』の劇場版タイトルが『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』であったこと。押井守の初期代表作で、『パトレイバー』に較べるとアニメ的なビジュアルが全面に出ていて、記号的な映像だからこそできる観念的な世界を展開した『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』から引用されていたという違いに、大きく現れている。
    ▲『踊る大捜査線 THE MOVIE』/『機動警察パトレイバー2 the Movie』
    ▲『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』/『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(前編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2021-01-18 07:00  
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    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。『金田一少年の事件簿』で一躍ヒットメーカーに躍り出た堤幸彦が1999年に手がけた、テレビドラマ史に残る問題作『ケイゾク』。サンプリングとリミックスを旨とし、最終的に自己破壊でしかリアルを表現できないという、90年代の時代精神を体現した作品でもありました。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(2)──メタミステリーとしての『ケイゾク』(前編)
    1999年の『ケイゾク』
     堤の映像は土9のみならず、佐藤東弥、大谷太郎といった日本テレビのディレクターたちに大きな影響を与え、その後の土9のドラマはもちろんのこと、日本テレビのドラマの映像を書き換えてしまったと言っていいだろう。しかし堤は現状に満足していなかった。

     彼らにしたらある種、ショックだったと思うんですよ。ただ、僕自身はずっと土曜9時でやっても、何の広がりもなかったワケです。自分の位置がテレビ的にどうなのかっていうのもわかるし、いくら暴れん坊みたいにやっていても、結局はドラマを作るっていう、ベーシックな仕事の基本はなんら変わらないっていう、そういう意味で寂しくなってきたなと思っていた、ちょうどそういう時期に、渡りに船で『ケイゾク』の話をいただいたんです。なら、もう一回チャンスがあるだろうなぁって、それでやってみたんですね。(1)

     堤が土9の仕事に限界を感じはじめていた頃、蒔田光治の仲介で、TBSの植田博樹と出会う。編成時代の植田は、TBSのドラマが持つ保守性にフラストレーションを抱えていて、なんとか新しいドラマを作れないかと考えていた。そんな時に堤が手がけた『金田一』を見て、これはTBSでは作れないドラマだと驚いたという。 しばらくして、植田はプロデューサーに復帰することとなり、1999年の1月からはじまるドラマを急遽、立ち上げなければならなくなる。その時にTBSでは作れない新しいドラマを作るため、堤幸彦とコンタクトを取る。

     TBSのブランドイメージって僕的には非常に高かったんですよね。第2NHK的というか、絶対、自由に作れる世界じゃないなっていう気がなんとなくしていたワケです。ところが、そこにいた植田という男が、これが、僕が今まで見た中で一番の暴れん坊でね、スレスレの人だったんです。(2)

     視聴率ではフジテレビや日本テレビに遅れをとっていたものの、当時のTBSにはNHKに次ぐ老舗というイメージが強かった。中でもテレビドラマ、特に金曜ドラマに関しては「ドラマのTBS」という圧倒的なブランドがあり、外部ディレクターの堤にとっては、プレッシャーの大きな仕事だったのだろう。 そんなTBSの社員ということもあり、植田に対しても、自分とは違う世界を生きるエリートだと感じ、どこまでドラマ作りに対して本気なのかと様子を窺っていた堤だったが、企画を進めていくうちに植田の情熱は本物だと感じ、やがて意気投合するようになっていく。そして、ドラマ史に残る問題作『ケイゾク』(TBS系)が生まれることになる。
    ▲『ケイゾク』
    ミステリーに対する醒めた視点
     『ケイゾク』は、東京大学法学部を首席で卒業した警部補・柴田純(中谷美紀)が迷宮入り(ケイゾク)となった事件を専門に捜査する部署・警視庁捜査一課弐係に配属されるところから始まる。
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(後編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-12-21 07:00  
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    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。今回は『金田一少年の事件簿』でブレイクした堤幸彦を、押井守や村上龍、小林よしのり、秋元康などとならぶ1955年生まれの作家、すなわち「60年代の革命と80年代の消費社会の間に宙吊りにされた世代」という側面から捉え、彼らの作品に滲み出る革命への〈憧れ〉と〈断念〉について考えます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(後編)
    人工的でありながら生々しい映像
     堤幸彦は自身の映像について「主義主張としてやっているわけじゃないんですよ」(4)「自分に似合うものを追求していったら、不思議とああいう形になってるということですね」と、インタビューで語っている。(5)  だが一方で、ルーティーン化されてきた映画やドラマの撮影方法に対する不満と反発をずっと抱えており、いかに効率よく自分ならではの制作体制を作り上げるかに腐心していったとも語っている。
     「テレビドラマの仕事人たち」の中でインタビューを担当した上杉純也は、堤の演出の特徴を以下のように書いている。

     極力スタジオセットを避ける、スタジオで撮る場合でもセットは全部天井ありの4面総囲みにする。それは“人間の視点に一番近い映像でなくては、アニメやCMには勝てない”という思いからだった。(6)

     堤は『金田一』の際に、マルチカメラ(複数のビデオカメラを使ってマルチアングルで撮影する手法)で、スタジオに組んだセットで撮るという、既存のテレビドラマの手法ではなく、オールロケで一台のカメラで撮影していくという手法を選択した。  また、当時のテレビドラマとしてはカット数が多く、下から煽るようなアップや、魚眼レンズの歪んだ映像で顔を撮影するような、奇抜な構図の映像が多かった。これは堤がミュージッククリップで試してきた手法を持ち込んだものだった。カット数の多い堤の映像はリズミカルで、その切り替わり方に音楽的な快楽がある。  『金田一』第2シーズンではマンネリを避けるために、演出がより過激化したと堤は語っている。

     例えば“犯人はお前だ!”っていうのも“は・ん・に・ん・は・お・ま・え・だ・!”って10カットくらいになったり、縦にカメラがグルグル回ったり。まぁ、小難しくても、小学生が楽しめる作品にはなったと思いますけど」(7)

     また『サイコメトラーEIJI』では、照明を使わずにノーライトで撮影しているが、これは当時としては画期的な一つの事件だった。  当時のテレビドラマが、映画と比べて映像面で劣ると言われた理由は、照明に時間を割くことができず全体にライトを当てるため、陰影のないぺらぺらの映像となっていたからだ。この点を逆手に取り、あえて照明を使わずに撮影すると、ザラザラとした映像となりブロックノイズなども出てしまうが、それが逆にドキュメンタリー映像のような生々しさを生んでいた。
     こうした堤演出の特徴をまとめるなら、下記の3点だろう。  1. 奇抜な映像でカット数が多い。  2. オールロケ  3. 照明を使わない手持ちカメラの映像
     そして『金田一』の時点ではまだ控えめだが、『池袋ウエストゲートパーク』以降になると、小ネタを多用したアドリブ混じりの軽妙な会話劇が劇中に持ち込まれるようになっていく。
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  • 堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(前編) 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-12-14 07:00  
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    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。1990年代ドラマの寵児だった野島伸司と、入れ替わるように台頭してきた堤幸彦。1995年に「土9」枠で手がけた『金田一少年の事件簿』は、以降のキャラクタードラマの時代を先駆けた画期的な作品となりました。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉堤幸彦とキャラクタードラマの美学(1)──『金田一少年の事件簿』は何を変えたか(前編)
    1995年の『金田一少年の事件簿』
     1990年代後半、失速する野島伸司と入れ替わるようにテレビドラマの世界で頭角を現しはじめたのが、『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系、以下『金田一』)でチーフ演出を務めた堤幸彦だった。
     『金田一』は少年マガジン(講談社)で連載されていた人気ミステリー漫画をドラマ化した作品だ。横溝正史の推理小説『八つ墓村』や『悪魔の手毬唄』に登場する名探偵・金田一耕助を祖父に持つ高校生・金田一一(はじめ)が主人公となり、行く先々で起こる殺人事件を探偵として解決していく。
    ▲『金田一少年の事件簿』
     1995年4月にSPドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』として放送された本作は7月から連続ドラマが放送。その後、SPドラマ、第二シーズンが放送されたのちに映画化されて大ヒットとなり、堤幸彦は日本テレビから社長賞を受け取っている。 堤が手がけた『金田一』シリーズはここで終了したが、その後も『金田一』は二度もリブートされる人気シリーズとなっている。
    『金田一』が切り開いたティーンズドラマ
     『金田一』は様々な意味で画期的な作品だった。 本作が放送された日本テレビ系土曜9時枠(土9)は、もともと『池中玄太80キロ』や『熱中時代 刑事編』などが放送されていた老舗のドラマ枠だった。しかし1988年に土曜グランド劇場として、リニューアルして以降は、当時流行っていたトレンディドラマテイストの女性をターゲットにした作品を作るようになる。堤幸彦も演出として秋元康が企画した『ポケベルが鳴らなくて』や『そのうち結婚する君へ』といったメロドラマを手掛けていたが、後発ゆえに苦戦し、他局との差別化に苦しんでいた。 そんな中、野島伸司が企画した『家なき子』が大ヒットしたことで、ドラマ枠の方向性が大人向けの作品から10代のティーンエイジ向けの作品へと大きくシフトすることになる。その結果、生まれたのが少年漫画を原作とする『金田一』だった。(1)
     『金田一』が果たした役割はいくつかあるが、商業面においては、仕事と恋愛が中心だった日本のテレビドラマに、漫画やアニメを楽しんでいたような男性視聴者のマーケットを切り開いたことが大きな功績だろう。
     1970年代から80年代前半にかけては、人気刑事ドラマの『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)や松田優作が主演を務めた『探偵物語』(日本テレビ系)のような男性視聴者に向けた男臭いドラマが多かったが、80年代後半になりバブル景気が盛り上がっていくと、トレンディドラマのような社会で働く女性にとっての仕事と恋愛を描いたものが増えていった。その結果、いわゆるF1層(20~34歳の女性)に向けた作品がテレビドラマの中心となっていく。当時は邦画も低迷期だったため、若い男性の多くはハリウッド超大作か、漫画・アニメ・ゲームといったオタクカルチャーへと、関心が向かっていた。 そんな状況下において、少年マガジンのミステリー漫画を原作とする『金田一』は、劇中の犯人を推理するというゲーム的な要素が受けて、普段はドラマを見ない男性視聴者からの支持を獲得したのだ。  同時に、主演を務めたのが、ジャニーズ事務所に所属する男性アイドル(以下、ジャニーズ・アイドル)の堂本剛(KinKi Kids)だったため、アイドルファンの女性視聴者の取り込みにも成功している。 つまり本作は、男性アイドルを主人公にした「アイドルドラマ」の始まりでもあったのだ。 今でこそ、テレビドラマの主演をジャニーズアイドルが占めることは当たり前となっている。しかし、当時はSMAPの木村拓哉が『あすなろ白書』(フジテレビ系)等の恋愛ドラマに進出し始めたばかりの時期で、堂本剛も同じユニットの堂本光一と共に『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら〜』(TBS系)に出演していたが、それはあくまで例外的なもので、俳優とアイドルの距離は、今よりも大きく隔たっていた。本木雅弘が本格的に俳優業をスタートするのは、シブがき隊を解隊してからであり、アイドルでありながら俳優としても活動するというスタイルが成立するようになるのは、SMAPによってアイドルが歌、バラエティ、司会、俳優といった多ジャンルを横断しながら活躍できることが証明されてからである。

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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(4)──『未成年』『家なき子』に刻まれた臨界点 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-12-07 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。阪神淡路大震災にオウム真理教事件と、戦後日本社会の繁栄を揺るがす出来事が相次いだ1995年。その時代の空気に呼応するかのように、TBS金曜ドラマ枠の『未成年』や「土9」の先駆けとなる日本テレビ系の『家なき子』では、野島の作風は自閉的な肥大化に向かっていきます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(4)──『未成年』『家なき子』に刻まれた臨界点
    1995年の『未成年』
     ここまでの野島ドラマの特徴をまとめると、以下のようになるだろう。
    ・子どもや少年・少女といった「無垢なる存在」への憧憬。 ・社会から開放された仲間たちだけで暮らす疑似家族的共同体の構築。 ・愛する者を守るためなら「暴力も辞さない」という覚悟。
     つまり、「無垢」、「共同体」、「暴力」の3点こそ、当時の野島が70年代的な表層の奥底に抱えていたテーマだと言えるが、この問題意識を極限まで突き詰めたドラマが『未成年』だ。
    ▲『未成年』
     1995年の10月から金曜ドラマで放送された『未成年』は、野島ドラマの臨界点とでも言うような作品だ。それは95年という時代とも完全にシンクロしていた。 物語は、父との関係がうまくいっておらず、優秀な兄・辰巳(谷原章介)にコンプレックスを持っている高校生のヒロこと戸川博人(いしだ壱成)が、ライブハウスの警備員のアルバイトをしている時に知りあった女子大生・新村萌香(桜井幸子)と出会うところからはじまる。 萌香は兄の恋人だが、心臓に疾患を抱えており性行為ができない身体だった。そんな萌香に惹かれていくヒロ。そして彼の周りには、クラスメイトのインポこと田辺順平(北原雅樹)、ヤクザの構成員のゴロこと坂詰五郎(反町隆史)、デクこと知的障害者の室岡仁(香取慎吾)、進学校に通いつつ母親からの過干渉でノイローゼになっている優等生こと神谷勤(河合我聞)といった、それぞれに深い悩みを抱えた少年たちがおり、やがて立場を超えて深い友情で結ばれるようになる。
     あるとき、デクがゴロから預かった拳銃で銀行員を誤射してしまったことから、ヒロたちは銀行強盗だと誤解されてしまい指名手配されてしまう。しかし家にも学校にも居場所がないヒロは、デクと一緒に逃げようと言う。そして一度は自首を勧めた仲間たちも、家にも学校にも職場にも居場所がなくなり、この世界から逃げ出して山奥の廃校で暮らそうと決意して、ともに家出をすることになる。 夜中に仲間たちが先に乗り込んだ貨物列車に乗り込もうと走るヒロの姿に「知ってるかい? 知ってるかい? これから何もないとこ目指すのさ」「知ってるさ、知ってるさ、そこにはきっとホントのことしかないってことを」というモノローグが被さる。 廃校での暮らしは、はじめは順調に思えた。しかし、田畑瞳(浜崎あゆみ)の出産準備をする中で、神谷がノイローゼになって火炎瓶を作って「戦いの日は近い」と言い出し、妄想じみた革命思想に囚われるようになっていく。 「誰と戦うってんだよ」と言うヒロに銃を突きつけて神谷は「体制さ。歪んだ社会をつくってる国家さ」と言い、その後、ゴロを撃ってしまう。 神谷は、地球と人間を含めた生物を一つの巨大な生命体だと唱えるガイア理論と反体制思想が混同されたような、被害者意識にまみれた妄想を語り、戒厳令を敷くと言ってヒロたちを閉じ込める。 そんな神谷の盲言を、(田畑の出産をフォローするために)廃校を訪ねた萌香が録音してマスコミにリーク。その音声が恣意的に編集されて、ワイドショーで報道されてしまったことで、ヒロたちは革命思想を持った反社会的組織だと誤解されてしまい、やがて機動隊に取り囲まれる。
     廃校に立て籠もったヒロたちが機動隊に取り囲まれる様子は、まるで浅間山荘の立てこもり事件の戯画化のようでもある。しかし、それ以上に連想してしまうのは、95年に連日連夜放送されていた地下鉄サリン事件に端を発したオウム真理教事件だろう。状況を煽るワイドショーの露悪的な見せ方も含めて、よく95年にこれを放送できたなぁと、改めて感心する。
     『未成年』の放送がスタートした95年10月には、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系)もスタートしている。ユダヤ教の旧約聖書をベースにした宗教的世界観のもとで展開される哲学的な物語だったこともあってか、『エヴァ』もまたオウム事件と一緒に語られることが多い作品だった。  本作は使徒と呼ばれる謎の巨大生物と人類の戦いを描いたロボットアニメだったが、物語は途中から迷走していき、最終的には主人公の14歳の少年・碇シンジの内面が自己啓発セミナー的な舞台装置のもとで強引に救済されて終わる。
     『未成年』の終わり方も『エヴァ』と同じように、最後に物語を放棄したような展開となり、ヒロの自問自答のような演説の果てに、唐突に終わる。  廃校から逃げ出したヒロは、警察に捕まったデクを助けて無罪を立証しようとする。しかし、その過程で萌香は病気が悪化し命を落とす。 仲間とはぐれ孤立無援となったヒロは、高校の屋上に立つ。 見上げる同級生たちの前でヒロは演説をし、デクの無罪と正当な裁判を受けさせてほしいと訴える。 「俺の愛する人が教えてくれた。ただ精一杯そこに咲いていた彼女、人間の価値をはかるメジャーはどこにも、どこにもないってことさ。頭の出来や、身体の出来で簡単にはかろうとする社会があるなら、その社会を拒絶しろ! 俺たちを比べるすべてのやつらを黙らせろ! お前ら、お前ら自分は無力だとシラける気か。矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してノーって言いたい時、俺は、俺のダチはみんな一緒に付き合うぜ」  その後、ヒロの演説に熱狂したクラスメイトたちの後押しもあってかヒロたちは改めて公平な裁判を受けることになり、物語は幕を閉じる。 長回しで引いた視線から撮影されるヒロの演説は、下から見上げる生徒たちや撮影するカメラマンの目線で描写される。つまり正面から彼の表情を捉えたアップがないのだ。下から見上げる限定された視点は、ドラマの映像というよりは報道番組の映像で立てこもり犯の姿を観ているようである。
     ヒロの姿は、テレビカメラを通じて全国に中継される。『人間・失格』でも誠の葬式の場にワイドショーのリポーターが押しかけ、憔悴した衛に話しかける無神経な場面が描かれたのだが、『未成年』では当時の加熱するオウム報道の影響もあってか、事件を煽る報道の在り方そのものに対する批判にも見える。

    【12/15(火)まで】オンライン講義全4回つき先行販売中!三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』ゲームAI開発の第一人者である三宅陽一郎さんが、東西の哲学や国内外のエンターテインメントからの触発をもとに、これからの人工知能開発を導く独自のビジョンを、さまざまな切り口から展望する1冊。詳細はこちらから。
     
  • 野島伸司とぼくたちの失敗(3)──作家的到達点としての『高校教師』『人間・失格』 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-11-30 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。バブル絶頂期のトレンディドラマ、純愛ドラマというブームの波に乗って、一躍時代の寵児となった野島伸司。フジテレビ系からTBS系に活躍の場を移した野島は、『高校教師』『人間・失格』で、いよいよその本来の作家性を剥き出しにしていきます。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(3)──作家的到達点としての『高校教師』『人間・失格』
    要約されることに対する反撥
     1990年代前半に野島伸司が手掛けたフジテレビ系のドラマは、当時の空気を知る上での歴史的資料としては面白い。しかし、音楽の使い方等の演出がトレンディドラマで培った欲望と感情を煽るような広告的な手法と変わらなかったため、手法と描こうとしたテーマが乖離している印象が残る。  大多と野島が当時おこなったことはヒットの要素を因数分解していき、それぞれのパーツをわかりやすく見せることだった。そのため、主題歌、衣装、ロケ地、俳優、キャッチーな決め台詞といった個々の要素が風俗として語られることは多いのだが、今見ると古臭く見えて、現在のテレビドラマの水準と比較すると映像や演出の面で、どうしても見劣りする部分がある。  日進月歩の激しい映像表現の側面から過去作を裁くことがアンフェアなのはわかっている。しかし、当時のフジテレビが作ったトレンディドラマ的手法の最大の問題点として、このわかりやすさ。個々のパーツの順列組み合わせに見えてしまうという弱点については、どうしても指摘しておきたい。
     山田太一は、コラムニストのボブ・グリーンがセールスマンについて書いた露悪的な文章に対して「ひとの人生をそんな風に要約してはいけない」と反撥を感じたことが『ふぞろいの林檎たち』(1983年)を書いたきっかけだと語っている。

     セールスマンだとか三流大学、三流会社だとか、そういう視点で、ひとの人生を要約することに反撥して書きはじめたのが、この作品であった。自作の中でパートⅡを書く値打ちのある世界だと、はじめて続篇を書くことにしたのがこの作品である。結局のところドラマというのは、要約を憎む人々のものなのではないだろうか、(などとドラマを要約すると、それから漏れるものをドラマから沢山感じてしまう人々のものなのではないか、だからこそ論文ではなくドラマを求めてしまうのではないか)などと思うのである。[26]

    ▲『ふぞろいの林檎たち』
     この文章が書かれたのは1988年だが、トレンディドラマと、そこから派生した野島ドラマに対する本質的な批判に読めてしまう。  山田が語っていることは、テレビドラマを考える上でとても重要なことだと感じる。テレビドラマに限らず、現在、世の中に出回っているフィクションは、現実の出来事に根ざした現代的なテーマを扱っているかがジャッジの基準となっており、現実との答え合わせにおける加点法(もしくは減点法)によって作品が評価されがちである。いわゆる社会派ドラマ全盛という状況はトレンディドラマの時代とは真逆の現象だが、どこか表裏一体に思えるのは、そうやってテーマやリアリティに対する作品の態度が抽出される時に、フィクションならではの雑多な魅力がないがしろにされて、受け止める側も箇条書きの情報として処理して「要約」になっていると感じるのだ。  おそらく同じ問題意識を打ち出したドラマが、2017年に坂元裕二の執筆したドラマ『anone』(日本テレビ系)だろう。本作の冒頭、余命半年の男・持本舵(阿部サダヲ)が、医師が(様態が悪い時に患者に)よく言う「止まない雨はありませんよ」「夜明け前が一番暗いんです」といった名言の羅列にうんざりして「自分、ちょっと名言恐いんで」と言う場面があるのだが、この台詞は、本来、ひとつの流れで理解するべきドラマの台詞を断片的に切り取って名言集にされてしまうことが多い、坂元裕二が自身のドラマの消費のされ方に対して苦言を呈しているように見える。それは言い換えるならば、「簡単に要約するな」ということである[27]。
    ▲『anone』
     つまり、いくら大多や野島が脱トレンディドラマを打ち出そうとして、70年代的なものや不幸なシーンを持ち出したとしても、それ自体がわかりやすい商品としてパッケージ化され流通してしまう構造がすでにでき上がっていたため、何を書いても断片が切り取られて、わかりやすく「要約された情報」としてしか流通できないということだ。そんなフジテレビで作った野島ドラマの限界が見えてしまうのが『愛という名のもとに』(1992年)以降の作品で、だから今となっては色あせて見える。
     対してTBS系の金曜ドラマで放送された野島三部作と言われる作品群は、今の視点で見ても、一つの映像作品として鑑賞に耐えうる強度を保っている。
    1993年の『高校教師』

     デビュー当時の僕は、それこそ日本中の視聴者に好かれなければならない、好青年であらねばならないという思いが非常に強かったんです。でも、視聴者とドラマの制作者というのは恋愛関係のようなもので、たとえ一部の人に嫌悪されても、僕の作品を支持してくれて、濃くわかりあえるような視聴者がいるんなら、それでいいんじゃないかと思うようになって…。そのきっかけが「高校教師」の成功だったんです。[28]

     1993年、野島伸司はドラマ『高校教師』を執筆する。野島にとって憧れの場所だったドラマのTBSの金曜ドラマ初登板だった。
    ▲『高校教師』
     物語の舞台は、とある女子校。大学の研究室から生物の教師として赴任した羽村隆夫(真田広之)は二宮繭(桜井幸子)という女子生徒と知り合い、やがて教師と生徒という立場を超えた恋愛関係へとなっていく。しかし繭は芸術家の父親と近親相姦の関係にあった。  物語は羽村だけでなく、繭の友人の相沢直子(持田真樹)と体育教師の新藤徹(赤井英和)、そして相沢をレイプすることで自分のものにしようとした藤村知樹(京本正樹)の関係も同時に描いていく。  教師と生徒の恋愛にレイプや近親相姦といったショッキングな描写が盛り込まれた本作は、過去の野島作品と比べても、過剰に性的でスキャンダラスな物語だった。  しかし映像の見せ方は淡々としていて心理描写は行間を読ませるものとなっている。森田童子の主題歌「ぼくたちの失敗」に乗せてゆったりと展開される自然音を多用した映像には、静謐な雰囲気があり、簡単に消費することができないドラマとしての強さが存在した。

    【12/15(火)まで】オンライン講義全4回つき先行販売中!三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』ゲームAI開発の第一人者である三宅陽一郎さんが、東西の哲学や国内外のエンターテインメントからの触発をもとに、これからの人工知能開発を導く独自のビジョンを、さまざまな切り口から展望する1冊。詳細はこちらから。
     
  • 野島伸司とぼくたちの失敗(2)──「純愛」から人間の暗部を描く「タブー」破りへ 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-11-16 07:00  
    550pt

    (ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信しています。フジテレビのトレンディドラマ路線を築き上げたヒットメーカー・大多亮プロデュースのもと、坂元裕二とともに頭角を現していった野島伸司。しかしその路線は、1990年代に入ると『素敵な片想い』に始まる「純愛三部作」を機に、大きな転換を遂げていくことになります。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(2) ──「純愛」から人間の暗部を描く「タブー」破りへ
    1990年の『すてきな片想い』
     1989年1月7日に昭和が終わり、翌日から平成がはじまると、少しずつ世の中の雰囲気が変化していき、その影響もあってか、フジテレビのドラマも少しずつ変わっていく。  野島に続く形で坂元裕二も柴門ふみ原作の『同・級・生』(’89)で連ドラデビュー。野島真司も89年に明るい学園ドラマ『愛しあってるかい!』をスマッシュヒットさせるものの、既存のパターンを踏襲したトレンディドラマに大多は手応えを感じなくなっていく。そしてトレンディドラマの集大成と言える90年の『恋のパラダイス』が平均視聴率14.4%(関東地区、ビデオリサーチ社)と不調に終わったことで、次の路線を模索するようになる。その結果、生まれたのが野島伸司脚本の『すてきな片想い』である。

    ▲『すてきな片想い』
     本作は大多にとって初めての単独プロデュース作品。本作のコンセプトについて大多は以下のように語っている。

     キーワードは“一途な想い”。  今までのトレンディドラマが華麗な多重恋愛をしながら“よりいい恋”を探していたのに対して、ここでは、届かないかもしれないけど、決して揺れない、一途な恋を描いていこうと思ったのだ。[21]

     本作と、その後、作られる坂元裕二脚本の『東京ラブストーリー』(’91)、そして野島伸司脚本の『101回目のプロポーズ』(’91)の三作を、大多は純愛路線だと『ヒットマン』の中で書いている。  この三作はトレンディドラマと混同されて語られがちだが、大多の中では明確に区分けされている。もっとも大多自身も、トレンディドラマを全否定したわけでなくポイントを変えただけで「リニューアル」だと語っているため、ある程度は地続きなのだろう。しかしここでポイントを変えたことが作り手にとっては重要だった。
     ではどこが変わったのか?
     物語は海苔問屋で働く地味で平凡なOL・与田圭子(中山美穂)と小さなおもちゃ会社で働く野茂俊平(柳葉敏郎)のラブストーリー。二人は友達を介して知り合うのだが、電車の中で野茂に醜態を見られたことがある与田は正体を隠し、本棚にあった小説の作家、林真理子と吉本ばななの名前をもじった、林ナナという名で野茂と話すようになる。  物語はリアルでは与田圭子、電話では林ナナというキャラクターで野茂と接する与田の二重生活がコミカルに描かれる一方で二人の友達を交えた3×3のグループ交際を描いた恋愛ドラマとなっている。  インターネットが登場して以降は複数のキャラクターを使い分けるコミュニケ―ションが当たり前のものとなっているが、そういった感覚をいち早く“電話”で描いていたドラマだと言えるだろう。もちろん、すでにテレクラや伝言ダイヤルは存在しており、1976年の山田太一脚本のドラマ『岸辺のアルバム』でも、間違い電話をかけてきた男と不倫関係になる主婦の姿が描かれていた。そういった先行事例を踏まえると、「嘘」というモチーフをラブコメにうまく落とし込んだ秀作というのが、妥当な評価だろう。  一方、大多が言うような純愛路線として、それ以前のトレンディドラマから脱却していたかというと、当時の筆者の感覚としては、そこまで差があるとは思えなかった。確かに主人公の職業はマスコミ系のオシャレなものでもリッチな金持ちでもないが、華やかさで浮ついた印象は相変わらずだった。
     それでも大多にとっては手応えがあったようで、本作について以下のように語っている。

     このドラマがコケてたら、もしかしたらトレンディドラマは死んでいたかもしれないし、そうなったら現在のテレビ界におけるフジのドラマ黄金時代というのもなかったような気がする。  ドラマの重心を主人公の一途な想いに集中させることによってトレンディドラマは生まれ変った。それを最も効果的に表現できることができるテーマが“純愛”だった。[22]

     大多は「物欲的なトレンディから地味な純愛路線に」[23]路線転換を狙った作品だと本作を解説するのだが、この対比をみていると大多がトレンディドラマの向こう側に、80年代後半に日本で達成された高度消費社会を見ており、その先に来るものとして「純愛」というテーマを持ち出したように見える。  この次に大多が手掛ける『東京ラブストーリー』は柴門ふみの同名漫画が原作だ。当時の柴門は「恋愛の神様」と呼ばれていた。邦楽では90年にKANの『愛は勝つ』が200万枚を超えるヒットとなり、恋愛こそが唯一信じる価値として様々なメディアで語られていた。それを準備したのはトレンディドラマやファッション雑誌が提示した高度消費社会における男女のゲームとしての恋愛カルチャーだったが、そこから発展して恋愛の宗教化が加熱しはじめたのが90年代だったのだろう。その状況を大多は「純愛」という言葉に集約させたのだろう。
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  • 野島伸司とぼくたちの失敗(1)──トレンディドラマの変革者として 成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉

    2020-11-09 07:00  
    550pt

    今月から(ほぼ)毎週月曜日は、ドラマ評論家の成馬零一さんが、時代を象徴する3人のドラマ脚本家の作品たちを通じて、1990年代から現在までの日本社会の精神史を浮き彫りにしていく人気連載『テレビドラマクロニクル(1995→2010)』を改訂・リニューアル配信いたします。大幅にグレードアップした第1部で取り上げるのは、90年代を代表する脚本家・野島伸司。昭和最終年となった1988年のヤングシナリオ大賞でのデビュー当時、バブル経済下の「トレンディドラマ」の時代とどう対峙していったのかを辿ります。
    成馬零一 テレビドラマクロニクル(1995→2010)〈リニューアル配信〉野島伸司とぼくたちの失敗(1)──トレンディドラマの変革者として
    転換点としての1995年と「野島伸司の時代」
     1995年は、戦後日本の大きな転換期となった年だ。1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、3月20日にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。  戦後、経済発展と共に治安に関しては世界一と言ってもいい平和大国だった日本に初めて不穏な影が差し込んだ。  また、バブル崩壊により1993年から有効求人倍率は1.0%を切り、95年にはついに0.63倍に。終身雇用と年功序列という戦後の経済成長を支えた日本型の家族経営は機能不全に陥り、新卒採用が見送られ就職氷河期が叫ばれるようになる。後に「失われた20年」などと言われる日本の低成長時代がいよいよ本格化しはじめたのだ。  だが一方で、ポップカルチャーは、遅れてきたバブルを謳歌していた。週刊少年ジャンプの発行部数は653万部を達成。小室哲哉がプロデュースしたアーティストの曲は立て続けにミリオンセラーを記録した。中でも大きな存在感を見せ始めていたのが、アニメーションである。  95年には押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』と大友克洋が監修を務めたオムニバスアニメ『MEMORIES』といった劇場アニメが公開された。大友克洋は88年公開の『AKIRA』が、押井は93年公開の『機動警察パトレイバー2 the movie』がそれぞれ海外でカルト的に評価され、それ以降「日本のアニメはクール」という、ジャパニメーションブームが起き、逆輸入的に国内のアニメを評価する動きが起こっていた。その勢いがいよいよ本格化するのも、この年である。  何よりもっとも反響を巻き起こしたのが、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送だろう。  14歳の少年・碇シンジが、エヴァと呼ばれる巨大ロボット(劇中では人造人間と呼ばれている)に乗って、使徒と呼ばれる謎の巨大生物と戦う本作は、『マジンガーZ』以降のロボットアニメや『ウルトラマン』等の特撮ドラマのテイストを盛り込んだ、戦後サブカルチャーの総決算とも言えるような物語となっており、謎が謎を呼ぶストーリーと登場人物のナイーブな心理描写は、アニメの枠を超えて、あらゆる国内カルチャーに影響を与えた。  一方、テクノロジーとコミュニケーションの面で大きかったのはマイクロソフトのOS・Windows95が発売されたことだろう。今まで一部のマニアだけのものだったパソコンが一般層にも普及し、メール、チャット、BBSといったインターネットを介したコミュニケーションが本格的に始まったのもこの年だった。  つまり、戦後日本が積み上げてきた経済発展が終わりを告げ、不況が始まる一方で、文化面では漫画やアニメといったオタクカルチャーを中心とした後にクールジャパンと呼ばれるような流れが誕生し、その一方でインターネットの登場によるコミュニケーションの変容が始まったのが、この95年だったと言えるだろう。
     そのような激動の年、テレビドラマは、連日のオウム事件に対するニュース報道の影響もあってか、全体的に不調だったとも言われている。しかし、それでも現在(2020年)とくらべると高い視聴率を誇っており、歴史に名を残す話題作も多数放送されていた。  中でも、もっともこの年を象徴する作品だったのが野島伸司脚本のドラマ『未成年』(TBS)である。本作は93年の『高校教師』、94年の『人間・失格~たとえば僕が死んだら~』に続くTBS制作の野島ドラマ。この三作は、野島三部作と呼ばれており、彼のキャリアにおいてはもちろんのこと、日本のテレビドラマ史においても重要な作品だ。しかしそれ以上に『未成年』には、この95年にしか成立し得ない同時代性が刻印された野島ドラマ最大の問題作だった。
     2020年現在、野島伸司はテレビドラマの中心にいるとは言えない存在だ。辛辣な言い方をするならば、ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)とコンプライアンス(法令遵守)が叫ばれ、倫理的な振る舞いが一番に求められるテレビドラマにおいて、野島ドラマはとても座りが悪いものとなっている。雑誌等で「今のテレビでは放送できないドラマ特集」を組むと、上位を90年代に野島が書いたドラマが独占することが多いのだが、これは逆説的に彼が時代とズレてしまったことを証明している。  民放プライムタイムで脚本を手掛けたドラマは、2018年の『高嶺の花』(日本テレビ系)が最後の作品となっており、現在は、FOD(フジテレビオンデマンド)で配信されるドラマが活動の中心となっている。  それらの配信ドラマも、表向きは過激な題材を扱っているようにみえるが、かつての求心力があるというわけでもない。どうにも中途半端な立ち位置に今の彼はいる。  しかし、テレビドラマの歴史において「野島伸司の時代」としか言いようがない時代が、かつて存在した。  それは『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)が大ヒットした91年から『未成年』が放送された95年までの5年間である。この時代、なぜ野島ドラマはヒットを連発し、物議を呼んだのか? まずは彼がたどった80年代末から90年代前半の道のりをなぞることで、本書で中心に扱っている1995年以降のテレビドラマを準備した前史について整理しておきたい。

    ▲『101回目のプロポーズ』
    ヤングシナリオ大賞でのデビュー
     野島伸司は1963年生まれの脚本家だ。1988年に第二回フジテレビヤングシナリオ大賞を『時には母のない子のように』で受賞し、ドラマ脚本家としてのキャリアをスタートしている。  ちなみに第一回(1987年)のヤングシナリオ大賞を受賞したのは当時19歳だった坂元裕二である。  ヤングシナリオ大賞はフジテレビがトレンディドラマブームの中で、若手新人脚本家を輩出するために設立した新人賞だ。  第一回の坂元裕二、第二回の野島伸司を筆頭に、金子ありさ、尾崎将也、浅野妙子、武藤将吾、安達奈緒子、金子茂樹、桑村さや香、野木亜紀子といった、今も現役で活躍する脚本家たちも、この賞でデビューしている。  応募資格は自称35歳以下。「月刊ドラマ」1987年8月号に掲載された第一回ヤングシナリオ大賞の選評「ヤングの特権」で、シナリオライターの佐伯俊道は、この賞の審査基準について以下のように書いている。

     ノッているか、ノリが悪いか。 過去をひきずり、未来を嘱望しつつ、いかに現在に具現化しているか。  『夢に飛べ!!』と銘打つヤングシナリオ大賞の審査の基準はそこにある。[1]

     これだけだと「若くて勢いのある作家が欲しい」くらいしか意図がわからないのだが、それ以降には、歴史ある他の賞の最終審査だったら残る水準の作品は、第一次、第二次で落としたと書かれており、以下のような宣言が書かれている。

     『文学としてのシナリオ』『テクニックに長けたシナリオ』『完璧に近いが何も新鮮味の感じられないシナリオ』は対象外なのだ。  具体的に言えば、『東芝日曜劇場』や『銀河ドラマ』の線は要らない。  泣かせや笑わせのだけで引っ張ろうとするドラマは要らない。[2]

     東芝日曜劇場はTBS、銀河ドラマはNHKのドラマ枠でどちらも80年代後半に良質のドラマを放送していたドラマ枠だ。  70年代後半から80年代初頭にかけて頭角を表した、山田太一、倉本聰、市川森一、向田邦子といった脚本家が書いたドラマが文学的な評価を得ており、その拠点となったのがNHKとTBSである。中でもTBSは「ドラマのTBS」と呼ばれていた。  そんな大人向けの文学的なドラマに対してアンチテーゼとして打ち出されたのがフジテレビのトレンディドラマだった。
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