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空虚な中心をめぐる物語としての『KATSU!』| 碇本学
2021-09-30 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。21世紀初頭に連載されたボクシング漫画『KATSU!』をめぐる分析の最終回です。主人公の亡き父・赤松隆介が物語における「空虚な中心」となった本作の成否を、現在公開中の映画『ドライブ・マイ・カー』など同型の構造をもつ作品群と対比しながら考察します。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第19回 ③ 空虚な中心をめぐる物語としての『KATSU!』
映画『ドライブ・マイ・カー』に通じる物語構造
今回は『KATSU!』に通じる現在公開中の映画『ドライブ・マイ・カー』の話から始めてみたい。なぜならば、映画『ドライブ・マイ・カー』の物語の構造が『KATSU!』と近いものがあるからだ。 『KATSU!』はあだち充の兄の勉が亡くなるなどの外的な要因も含めて、プロ編に突入することはせずに物語を途中で切り上げて、新しく編集者となった市原武法と共に次作『クロスゲーム』を始めることになった。 映画『ドライブ・マイ・カー』のような方法論が取れていれば、『KATSU!』はあだち充がフリージャズ的な手法で無意識で描いてしまっていた物語の主軸がもっと活きていたのではないかとも思える。今回は両作品に通じるものはなにかについて論じてみたい。
映画『ドライブ・マイ・カー』は村上春樹の短編集『女のいない男たち』に収録された「ドライブ・マイ・カー」を『ハッピーアワー』や『寝ても覚めても』で知られる濱口竜介監督が映像化したもので、2021年開催の第71回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品され、同映画祭の脚本賞、国際映画批評家連盟賞、エキュメニカル審査員賞、AFCAE賞を受賞した。 短編小説「ドライブ・マイ・カー」は原稿用紙70枚ほどの長さであるが、映画版では『ドライブ・マイ・カー』だけではなく、『女のいない男たち』に収録されている短編小説「シェエラザード」「木野」もモチーフとして使われている。また、演劇作品『ゴドーを待ちながら』や『ワーニャ伯父さん』も劇中劇として取り入れられたものとなっており、上映時間はほぼ3時間と長尺なものとなっている。
舞台俳優であり演出家の家福は、愛する妻の音と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう──。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。 喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。最愛の妻を失った男が葛藤の果てに辿りつく先とは──。〔参考文献2〕
上記が簡単な作品の流れである。 家福の妻の音が死ぬまでが物語の冒頭パートのようになっており、その2年後、家福が演劇祭で上演される『ワーニャ伯父さん』の演出をするために広島に滞在することになる。そこで演劇祭の事務局が選んだ専属ドライバーとなるみさきと出会う。そこから物語の本編が始まるという構成になっている。
冒頭パートにあたる妻の音が生きている頃に主人公の家福が『ゴドーを待ちながら』の舞台に出演している場面がある。その舞台終わりの家福の楽屋を音が訪ねてきて、紹介するのが物語のキーマンであり、家福とは対照的な俳優の高槻だった。ここで音を中心にして家福と高槻というふたりの男が出会うことになり、2年後の広島の演劇祭に繋がっていく。 高槻は出演者オーディションに合格し、ワーニャ伯父さん役を家福から指名されることになる。ふたりは稽古の後に何度かバーで一緒に飲むことになるが、高槻はその場にいた一般人がスマホのカメラのシャッター音を鳴らすと、芸能人である自分たちを盗撮したと思って凄むという行動を取ってしまう危なさがあった。その凶暴さやキレる早さに家福は付き合っていれないと思って、当初は深くは関わらないようにしていたが、彼は本番前に大きな事件を起こしてしまう。高槻は音が生きていた時に性的な関係を持っていたであろう人物であり、彼にとって音はある種のメンターであったような発言をしている。そのメンターを失った彼はその夫であった家福に近づいてきたようにも見えるのだ。家福と高槻は同じ女性を愛したが、同時に彼女を失ってしまい、バランスが取れなくなった男性として描かれている。
演劇『ゴドーを待ちながら』はアイルランド生まれのフランスの劇作家であるサミュエル・ベケットが1952年に発表した2編からなる戯曲であり、1953年のパリのバビロン座で初演された。賛否両論を巻き起こしながらも前衛劇として異例の成功を収めた。 存在しているのかいないのか、来るのか来ないのか分からない「ゴドー」という人物をずっと待ち続けるという内容であり、不条理演劇の元祖ともいわれる。 今作では『ゴドーを待ちながら』と『ワーニャ伯父さん』が劇中劇として取り入れられているが、前者は原作小説には登場しておらず、後者は原作小説にタイトルのみだが登場している。 濱口監督が前作『寝ても覚めても』でチェーホフの『三人姉妹』を使っていたこともあり、原作に『ワーニャ伯父さん』の文字を見つけ、テキストの強度に圧倒されて、ワーニャと家福がシンクロし始めるような事態が監督の中で起きたという。そのため、『ワーニャ伯父さん』はもうひとつの原作と言っていいほどの存在感を映画の中で発揮している。 では、『ゴドーを待ちながら』はなぜ使用されたのかという疑問に関しては、共同脚本を書いた大江崇允に関係があったようだ。 大江はもともと演劇をやっていたこともあり、主に前半部の監督補として、演劇部分のリアリティをチェックしていた。そして、大江が一番好きな演劇が『ゴドーを待ちながら』だと聞いた濱口監督が作中に取り入れるかたちとなった。
冒頭パートでわずかにしか登場しないこの『ゴドーを待ちながら』は、この『ドライブ・マイ・カー』のテーマのひとつを正確に現している。つまり、いるのかいないのか、来るのか来ないのかわからない「ゴドー」という中心をめぐる物語は、そのまま妻の音という中心を欠いた家福の物語を暗喩している。 大江が好きだという理由だけではなく、この中心を欠くという部分に濱口監督はワーニャと家福を重ねたように、『ゴドーを待ちながら』に登場する浮浪者のウラミディールとエストロゴンと家福を重ねたのではないだろうか。
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「ダメおやじ」の原型となった兄・あだち勉と父親の視線をめぐる物語としての『KATSU!』| 碇本学
2021-08-27 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。前回に続き、21世紀に入ってから連載されたボクシング漫画『KATSU!』を取り上げますが、本作からは従来のあだち作品にはない家族像の変化が読み取れます。漫画家・あだち充の「父」的存在であり連載中に他界した兄・勉と、平成不況による家族構造の変化は物語にどのような影響を与えたのでしょうか?
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第19回 ② 「ダメおやじ」の原型となった兄・あだち勉と父親の視線をめぐる物語としての『KATSU!』
あだち充作品における「父」の原型となった実父と兄
初めてボクシングをメインにした漫画『KATSU!』がそれまでのあだち充作品と違うのは、主人公の活樹とヒロインの香月の父親が共に元プロボクサーだったという部分だろう。活樹の父親は結婚前にはボクサーを辞めていてサラリーマンとして働いており、香月の父親はプロ引退後に自らボクシングジムを経営していた。 『タッチ』や『H2』では主人公の父親が会社をさぼって球場に応援にくるというお決まりのパターンがあった。また、あだち充作品の主人公の家庭は大抵の場合は父親がサラリーマンで母親が専業主婦、家は一戸建てでペットを飼っているというかつてのサラリーマン家庭だった。それは郊外の核家族を描いた代表作ともいえる『クレヨンしんちゃん』の野原家と同じである。しかし、『クレヨンしんちゃん』のアニメが始まった1992年時点ではまだありふれたものだった郊外のサラリーマン家庭は、時代を経ていくとともに若者が欲しくとも手に入らないものとなっていく。そのくらいに「失われた30年」で日本は貧しくなっていったのだ。
阪神・淡路大震災やオウムの地下鉄サリン事件が起きた戦後50年目となる1995年は、日本にとって大きな転換期となった。世紀末にノストラダムスの大予言は当たらなかったものの、ゼロ年代以降にはバブル崩壊後の就職氷河期世代が「ロスト・ジェネレーション」(1975-1979年生まれ)と呼ばれるようになった。その世代はバブル崩壊の余波や社会的な環境の変化も大きく影響し正社員になれずに契約社員になった者も多かった。その後、2010年代後期になってから内閣官房による就職支援プログラムなどが始まったが、遅きに失している印象がある。なにもかもが遅すぎた。
新世紀が始まった2001年にはアメリカで同時多発テロが起きたことによりイラク戦争が始まり、2008年には「リーマン・ショック」が起きて連鎖的に世界規模の金融危機が起きた。もちろん日本もその影響を大きく受けることになった。そのことで契約社員やバイトだったロスト・ジェネレーションの世代の人間はそのままの雇用形態が続くことになり、低賃金であったり年齢的に親の介護問題なども出てきたりしたことで、結婚や出産を諦める者も増えていく。そうした背景に加え、ゼロ年代初頭の堀江貴文のライブドア事件などで起業して新しいイノベーションを起こそうという気概が失われたことも影響してか、彼らの下の世代以降では正社員となって定年になるまで同じ会社で働きたいという願望が上の世代よりも強くなり、かつての「昭和」的なサラリーマン家庭への願望が強くなっていく傾向もみられた。
こうした経緯によって、ゼロ年代、10年代も過ぎた2021年現在では、野原家のような家庭環境はありふれたものではなく、ある種、憧れの対象に変わってしまったのである。そして、同様にあだちが描き続けてきたのは戦後の復興後の「昭和」的なサラリーマン家庭がベースになっており、あだち作品における主人公の家庭環境の描写はある時期を除いては大きく変わっていない。あだち充作品を代表するそれぞれのディケイドの野球漫画を例にあげてみよう。
1980年代の『タッチ』ではサラリーマンの父と専業主婦の母、一戸建てに住んでいて犬のペット(パンチ)を飼っている。 1990年代の『H2』ではサラリーマンの父と専業主婦の母、一戸建てに住んでいて犬のペット(パンチ)を飼っている。 ゼロ年代の『クロスゲーム』ではスポーツ用品店を経営する父と店を手伝う母、店舗兼住宅に住んでいてペットは飼ってない。 2010年代の『MIX』では再婚同士のサラリーマンの父と専業主婦の母、一戸建てに住んでいて犬のペット(パンチ)を飼っている。
このように4つの代表作を並べてみるとゼロ年代の『クロスゲーム』だけが他の作品と違う設定になっているのがわかる。『クロスゲーム』のひとつ前の連載作品だった『KATSU!』は先程書いたように、主人公の父親はサラリーマンだったが、ヒロインの父親はボクシングジムの経営者という設定だった。 ゼロ年代という新しい世紀に入ってから、それまでの「昭和」的な価値観や社会システムが崩れていく中であだち充の漫画もそれを反映するかのように、この時期は「昭和」的なサラリーマン家庭の設定が揺らぎ始めていた。 次作『クロスゲーム』では主人公もヒロインの両親も共に店を自営している設定になり、サラリーマン家庭ではなくなった。また、『KATSU!』の主人公の父親である里山八五郎は勤めていた会社の社長が夜逃げによって会社が倒産したことで、息子の活樹の高校ボクシング部の顧問を引き受けることになった。この時点ではすでに「昭和」的なサラリーマン家庭を描くことを一度諦めている。 だが、2012年から連載が始まった『MIX』では『タッチ』や『H2』といった昭和後期と平成前期にはまだ一般的だった「昭和」的サラリーマン家庭を復活させている。『MIX』がタイトルのようにあだち充作品のリミックスであり集大成となる最後の「少年漫画」だからだ。そのため、あだち充作品と言えば多くの読者が思い浮かべる「昭和」的なサラリーマン家庭を描くことになったのだろう。そこには年長世代にとってのかつての原風景やノスタルジーを換気させるものがあり、同時に若い世代が抱く憧れとしての家庭環境にもなっている。 若い女性が専業主婦になって夫やパートナーに養われたいという願望が以前よりも強くなっているとニュースや記事を見ることがあるが、実際には正社員であっても男女の賃金格差があり、女性の非正規雇用の割合が高いという現実がある。正確には専業主婦になりたいというよりも、日本社会における男女の雇用問題がかつての「昭和」的なサラリーマン家庭がモデルのままで大部分では続いてしまっているため、女性の自立を妨げているという背景がある。そして、「平成」を通して続いた不況の影響とその変わらない社会構造への諦めも含めた専業主婦願望の高まりがあるのではないだろうか。
話を戻すとあだち充は「少年漫画」の書き手として読者の大多数が当てはまりやすい「昭和」的なサラリーマン家庭を描くことで読者を増やしていった部分がある。そのほうが物語に没入しやすいからだ。そこにはあだち充自身の家庭環境は反映されていない。反映されているのは酒飲みでダメな親父という部分ぐらいであり、彼自身は安定したサラリーマン家庭で育ったわけではなかった。あだち充自身の家庭環境がどうだったかと言うと、インタビューで実父についてこのように語っている。
群馬県人って、幕末でさえ何もやってないですから。時代を変えようって人が出てこない土地柄なんです。とりあえず賽の目暮らしが性に合ってるから、あそこで天下を語る人なんかいないでしょう。男はとりあえず博打。だから女房が働いてる家が多かった。だいたいがカカア天下で、奥さんがちゃんとしていないと家が潰れてしまう。〔参考文献1〕
親父の甲斐性がなくてやたらと引っ越してたから、生まれた家の記憶はほとんどないんだよね。 (中略) 親父はその頃は会社に勤めてたけど、勤める会社がいつも潰れてた気がする。詳しい話は聞いたことないんだけど。 だからおふくろも和裁の仕事とか、いろんなことをやってましたね。でも周りもみんな貧乏だったから、まったく気にしてなかった。〔参考文献1〕
このことからあだち充作品に出てくるサラリーマン家庭は実際の安達家とはほど遠いものであったことがわかる。そこに描かれていたのは、当時の漫画雑誌を読んでいる子供たちの典型的な家庭だったと言えるだろう。 安達家が一般的なサラリーマン家庭とはかなり違った環境だったことは、あだち充のインタビューや、兄の勉の描いた『実録あだち充物語』や勉の弟子だったありま猛による『あだち勉物語』にも描かれている。
充「あんちゃん、おれ…もうマンガかく自信なくしちゃった…」 勉「あにいうだ、充!! こんなことでくじけてどうすんだ!! ここでやめたら一生負け犬で終わっちまうんだぞ!!」 充「やだ! そんな人生やだよ!!」 勉「さあ、いつもの“いましめの言葉”を大声で叫ぼう!!」 勉&充「父ちゃんみたいになっちゃうぞ!!」〔参考文献2〕
証言・その2 偉大なマンガ家を二人も息子にもつ安達恵喜蔵 そりゃあ、おめ…なんだよ。父親つうのは、子供たちの鏡でなきゃいかんべよ。 勉にタケノコのかっぱらい方を教えてやったのも、このワシよ。 充に「人の家を訪ねる時はメシ時をねらえ!!」と教えたのも、このワシだ。 今じゃ、二人ともえらくなったもんで、ワシも鼻が高いで!! (談)〔参考文献2〕
安達家の子供たちは四人の兄弟で、出来の良かった長男の欣一は母のきよの姉が嫁いだ小山家に養子に出され、その下に次男の勉、長女の恵子、三男の充がいた。 小学五年生の充、中二の勉、二十歳の欣一、五十歳の恵喜蔵の四人で家族麻雀をさせられたことで無理やり麻雀を覚えさせられたというエピソードが『あだち勉物語』に描かれており、そのこともあって上京して漫画家になったあだち兄弟は赤塚プロなどの漫画家やアシスタントや編集者たちと麻雀をしても、とんでもなく強かったとありま猛に回想されている。兄の勉が師匠の赤塚不二夫と立川談志の立川流「芸能コース」で弟子入りした際につけられた名前は「立川雀鬼」だったというのもそれに由来している。 以前にも書いたように、あだち充はフリージャズ的な手法で漫画を描いているが、麻雀というツキと流れをたのしむゲームに幼い頃から慣れ親しんでいたことが、漫画家としての資質や物語展開にも影響を及ぼしているように思える。 『タッチ』における原田正平はとりえあえず出してみただけのキャラクターだったが、物語が進むたびに達也を鼓舞し、ナビゲーター的な役割を果たしていく重要な存在になったあたりは、麻雀でたまたま手元に来た牌を捨てずにそれを使って役を作っていく感じにも似ている。同様に手元にあっても使えないとなるとすぐに捨てるというのも出したキャラクターが使えないと次第に出なくなっていくことを彷彿させる。
あだち兄弟から漫画のネタにされる父は家ではいつも冷酒(ひや)を飲んでいて、家族で麻雀をしていていたようだ。だが、勉と充が大きくなっていくと彼らが同級生を家に連れてきて麻雀をするようになったことで、安達家は兄弟の友達のたまり場となっていく。父は彼らと一緒に麻雀をやりたがったが、ゲーム代を支払わなかったことで次第にハブられるようになっていったという。その辺りを聞くとあだち兄弟はわりと金銭にはシビアだったことが伺える。 父とは対照的な母のきよは、家庭が裕福でなかったものの毎月のように月刊誌『ぼくら』と『冒険王』を欠かさずに買ってきてくれていた。このことがあだち兄弟を漫画家にする大きな要因となった。昭和四十年代は学校などで「マンガなんか読んでるとバカになる」などと普通に言われていた時代であり、母の存在がなければ兄弟は漫画に触れ合う機会は少なくなっていただろう。それもあってか高校生になった頃には兄の勉は貸本漫画家としてデビューしていた。
高校生の勉は麻雀のたまったツケ代わりに全額出すからと同級生を東京へ連れていったが、平日だったこともあり補導されて浅草署に連れていかれた。その際に勉が当時の警察官の給料の何倍もの現金を持っていたので犯罪絡みかとも疑われたが、それは貸本漫画の原稿料として出版社から受け取っていたものだった。 このように安達家では、すでに高校生の勉が自分の手でしっかりと金を稼いでおり、勉のアシスタントをしていた充もアシスタント料としてお金をもらっていたので小遣いには不自由な思いをしなかった。その意味でもあだち充の一番最初の師匠は兄のあだち勉であり、その環境がデビュー時に「描きたいもの」がなく、「何でも」描けてしまう漫画家のあだち充を生み出していくことになったと言える。 あだち充が実際に自分の描きたいものを見つけて、手応えを感じるようになるのは「少年サンデー」を放逐されて、「少女コミック」に活動の場所を移してからとなる。その時も焦らずに漫画を描いていたのは、いい流れが来るのを待っていればいいという考えがあったからかもしれない。
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選ばれた者と選ばれなかった者を描いた『KATSU!』| 碇本学
2021-07-29 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。今回から、21世紀に入ってから連載されたボクシング漫画『KATSU!』を取り上げます。過去のあだち作品でサブエピソード的に取り上げられることの多かったボクシングに、ついに真正面から取り組んだ本作。連載中に兄・あだち勉の逝去も重なった「死と隣り合わせのスポーツ」に、あだち充はどんな思いで臨んだのか?
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第19回 ① 選ばれた者と選ばれなかった者を描いた『KATSU!』
歴代担当編集者からのバトンを受け取り、「少年漫画家」としてのあだち充を再生させた編集者・市原武法
「僕ら団塊ジュニア世代は、人がいっぱいいた。部活をやっても試合に勝つどころか、レギュラーにすらなれない。99.9%の人間が負けてきた。そこに現れたのが上杉達也だった。それまでのヒーローは、持てる才能や能力で、できうることすべてをやる。でも達也は、プロに行きたいからでも、甲子園優勝したいからでもなく、死んでしまった和也が果たそうとしていた夢を叶えようと思っただけで、その夢を叶えたら平然と『もういいよ』と手放せる。その才能、能力で大切なものを守ればいい。新しいヒーロー像にしびれたんです」〔参考文献1〕
1974年生まれの市原武法は中学一年生だった1986年に『タッチ』の最終回をリアルタイムで読んだ読者のひとりだった。あだち充作品の登場人物の中でも上杉達也は彼にとって特別であり、「人生における大切なことは、すべて上杉達也に教わったと言ってもいい」というほどに思い入れがある。 市原は記念受験として小学館の入社試験を受けた。志望動機は「あだち充が好きなので、会ってみたいんです」というもので、それを言い続けていたら、なぜか入社試験に受かってしまう。会社には言えなかったが「週刊少年サンデー」以外の配属なら辞めようと決めていた。1997年に小学館に入社することになった市原は「週刊少年サンデー」配属となった。
『タッチ』の二代目担当編集者だった三上信一は、『タッチ』が始まった1981年に小学館に入社し、希望する配属部署を聞かれるたびに、「『週刊少年サンデー』です! それ以外なら辞めます!」と言っていた。実際に希望通り「少年サンデー」に配属されており、市原の話と通じる部分がある。『タッチ』担当中に「ビッグコミック」へ異動となり、再び「少年サンデー」に戻ってきた三上は連載中だった『虹色とうがらし』の最後の時期を担当し、そのまま新連載となる『H2』を立ち上げる。
1970年生まれの小暮義隆が「少年サンデー」編集部に正式配属されたのは新連載『H2』が始まってすぐの夏のことだった。少年時代からあだち充作品を愛読していた木暮は編集長に「誰の担当をしたい?」と聞かれて、「あだち充!」と答えた。木暮のその願いは叶わず、すでに「少年サンデー」の宝だったあだちの担当にはすぐにはなれなかったが、『H2』のコミックスが20巻近くまで連載が進んでいた頃に三上から担当編集を引き継ぐかたちとなった。 木暮は『H2』とその次に連載した『いつも美空』も担当するが、次作ボクシング漫画『KATSU!』の連載開始前にボクシングのプロライセンスを持つ彼は異動になってしまう。このことはあだち充にとっても誤算だった。そして、連載が始まってすぐにかつて『陽あたり良好!』や『スローステップ』を担当していた都築伸一郎に変わって三上信一が「週刊少年サンデー」編集長に昇格することになった。
市原が「週刊少年サンデー」に配属されて、あだち充の担当となったのは入社してから8年後のことだった。編集者として新人漫画家育成のエースとなっていた彼にベテラン作家を任すような状況ではなかった。市原はそんな中でもずっとあだち充の連載を必ず読んでいた。 少年時代からずっとあだち作品を読み続けていた彼は『KATSU!』の連載が始まってすぐに、ある異変に気付く。どんなに遊びの回であってもあだちは登場人物の感情を追っていたのだが、それがまったくない回があったのだ。 当時のあだちは兄の勉の体調が悪かったこともあってかモチベーションがうまく上がらない状況だった。そのことを知らない市原は「こんな漫画を描く人じゃない、このままでは廃業してしまう」と心配するほどだったという。 また、小学館社内でも「あだち充少年誌限界説」が流れていた。このままではあだち充が少年誌で描き続けることができなくなってしまうと危機感を覚えた市原は、早く自分を担当につけてほしいと思うようになっていた。
そして、2004年の秋に編集長である三上に市原は急遽呼び出される。 三上は「あだち先生、まだ担当したいか?」と聞き、市原は「永久にしたいですよ」と答えた。入社してから市原がずっと夢に見ていたあだち充の担当編集者となることがその時決まった。その2週間後に三上は「週刊ヤングサンデー」に異動することになる。ほんとうにギリギリのタイミングであだち充をめぐる編集者のバトンが渡されたと言ってもいいだろう。三上はおそらく異動することがわかっており、あだち充の状況がかなり悪いこともわかっていた。だからこそ、入社してからずっとあだち充を担当したいと言い続けていた市原に最後の可能性を託したのではないだろうか。この判断は間違いなく英断であり、「少年漫画家」としてのあだち充を再生させることに繋がった。
市原は自分がどれほどあだち充作品に影響を受け、担当したかったかという思いを一回目の打ち合わせの際に伝えた。そして、三度目が勝負だと思った市原は本題に切り込んだ。
「少年漫画家として死んでほしい。もしも、先生の葬儀があったら、『青年誌で連載中のあだち充』と報じるニュースを見たくない。『少年誌で連載中の少年漫画家あだち充』と報じられてほしい。そのためには『KATSU!』を終了させ、新連載に切り替えたい。僕は、すぐにでもと思っていますが、あとどのくらい描けば終わらせられますか?」〔参考文献1〕
市原は1年という返答を予想していたが、あだちは「4話で」と答えた。編集部に帰って、そのことを三上の次の編集長に伝えると、「連載をやめるという話は聞いてない」と大喧嘩になってしまう。最終的にはあだちはそこから14話描いてコミックスの16巻を発行できる分の連載を続けて『KATSU!』は終了した。 そして、あだち充が不本意な終わり方をした『KATSU!』の次にどんな新連載をするべきか、市原は悩んでいた。何度もシミュレーションをしてから打ち合わせに行くと、あだちは思っていた通り、「次は何描きゃいいんだよ?」と聞いていた。市原はあだちがきっとそう聞いてくるだろうとシミュレーションしていた。彼は用意していた殺し文句を言った。「逆『タッチ』を描いてほしんです」と言うと、数秒の沈黙のあとであだちが「面白いな。それで行こう」と言った。そして、始まったのが『クロスゲーム』だった。
以前にも連載で紹介したあだち充のデビュー以降を第四期まで分けたものがある。下記に第三期と第四期を引用する。
第三期は『H2』(1992〜1999年)、『じんべえ』(1992〜1997年)、『冒険少年』(1998〜2005年)、『いつも美空』(2000〜2001年)、『KATSU!』(2001〜2005年)、『クロスゲーム』(2005〜2010年)。連載誌が「少年サンデー」と「ビッグコミックオリジナル」の二紙であり、『クロスゲーム』が現状では最後の「少年サンデー」で連載した野球漫画となっている。
第四期が『アイドルA』(2005〜現在まで不定期連載中)、『QあんどA』(2009〜2012年)、『MIX』(2012年〜現在まで連載中)。『アイドルA』は当初は「ヤングサンデー」連載だったが、休刊になり「ゲッサン」に連載場所を移動した。また、他の二作品も「ゲッサン」での連載作である。
市原は第三期の後期からあだち充の担当編集者となった。また、彼は創刊企画者として『月刊少年サンデー』を立ち上がるために奔走し、実際に『ゲッサン』が創刊されることになった。その『ゲッサン』では「死んだ兄貴が幽霊になって帰ってくる話」である『QあんどA』の連載を立ち上げる。そして、『QあんどA』の連載が終了したあとに打ち合わせで『クロスゲーム』が始まった時のように、次の連載であだち充に描いてほしいと思っていることを伝えようと決めていた。 あだちが「次は何描きゃいいんだよ?」と言うと、市原は「明青学園を、もう一度甲子園に連れていってください」と南っぽく言った。そして、『ゲッサン』2012年6月号から『タッチ』の舞台となった明青学園を再び舞台にした『MIX』の連載が開始され、現在も連載は続いている。
2015年の初夏、市原は編集長として「週刊少年サンデー」に戻るように異動を告げられる。編集長になった市原は「サンデーを大革命する」という所信表明を紙面で発表し、大きな注目を集めることになった。 市原が歴代のあだち充の担当編集者から受け取った「少年漫画」のバトンは、次世代の漫画家と編集者たちに引き継がれている。
ヒーローはいかに誕生したか
1年ほどの連載で終了した『いつも美空』の連載が終わった2001年5月末からわずか2ヶ月少しで始まった新連載が『KATSU!』だった。連載は同年の8月から2005年2月までの3年7ヶ月続くことになった。
木暮がボクシング漫画をやって欲しいと思っていたことは知っていたし、僕も一度ちゃんとボクシング漫画を描きたいという気持ちはずっとありました。ボクシングと野球は、少年漫画の王道ですから、過去に、読切では何度も描いてるし、長編の中でもボクシングを描いたことはあったけど、中心に捉えて書いたことはまだなかった。〔参考文献1〕
結果的には、これまでのボクシング漫画の中でも、変なものができたかもしれない。望んだかたちではないけど、結果として「あだち充のボクシング漫画」になりました。『あしたのジョー』まではいかなくとも、僕の漫画で真っ白な灰になっちゃ困るんだけど、もう少しいきたかったですね。そこまでいったら、自分でもどんな漫画になったのかわからない。それは見てみたかった気もします。「KATSU!」の絵は今でも気に入ってます。絵の調子の良い時だったから、あの絵をもう少し描きたかったという気持ちもありますね。〔参考文献1〕
私が熱心にボクシングを見ていた時期のスター選手は鬼塚勝也と辰吉丈一郎が全盛期の時であり、いつも父親と一緒に興奮しながらテレビで見ていた。 『KATSU!』はあだち充の兄・勉が連載中に亡くなったりしたことで、生死が関わるボクシングを描くこと、そして学生ボクシングの先のプロを描こうとしていたが、それができなくなった作品だった。もちろん、そこは大事な部分なので外せないのだが、上記の引用のようにあだち充にとってボクシングは「少年漫画」の王道であり、彼が若い頃にはボクシングのタイトルマッチが多く行われていた。 ということを踏まえれば、あだちがボクシングを描いたのは彼が戦後の復興に生まれ育ったことも大きいはずだ。私の父は戦後すぐ生まれの現在74歳で、あだち充は70歳、兄のあだち勉は弟の三つ半上だから父と同学年である。
戦後生まれの団塊の世代である彼らの成長と敗戦後の日本の復興は重なり、そこに野球とボクシングとプロレスというスポーツも時代と共に発展していき、彼らにとって身近で楽しんでいた娯楽だったのは間違いがない。 野球で言えばやはり王貞治と長嶋茂雄、ボクシングではファイティング原田や輪島功一など世界王者が誕生し、プロレスでは力道山とその弟子だったジャイアント馬場とアントニオ猪木たちが活躍していたのをリアルタイムで見ているはずだ。その団塊の世代である彼らが20歳前後になると「安保闘争」や学生運動が始まる。
1970年代に革命は頓挫し、学生運動と共に「劇画」も終焉していく。「劇画」における三大ヒーローは『巨人の星』の星飛雄馬であり、『あしたのジョー』の矢吹丈であり、『タイガーマスク』の伊達直人だったが、彼らは物語において「象徴的な死」を迎えた。勝つために己の信念を曲げたり、試合に負けるが相手が死んでしまったり、子供を救うために車に轢かれたりしてしまう。 学生運動の敗北をトレースするように劇画のヒーローたちは表舞台から退場していった。そのことは『タッチ』を取り扱った際にも取り上げたが、上杉達也の双子の弟である上杉和也は星飛雄馬や矢吹丈や伊達直人の末裔だった。だからこそ、彼は最初から死ぬことを運命づけられていたと言える。
上杉和也は70年代の劇画ヒーローたちの亡霊であり、メタファだった。そして、伊達直人同様に子供を助けることで自らは死んでしまった。最初から和也を殺すことだけはあだち充は決めていたというが、無意識に上記のことがあだちの頭の中にあったのではないか。 和也と彼らのバトンを受け取ったのが80年代的ヒーロー像となる兄・上杉達也だった。ここで「劇画」から「ラブコメ」へとバトンは渡され、達也と和也の双子と共に育ったヒロインの浅倉南は和也の死によって、物語では野球部マネージャーをクビにされ、新体操に打ち込むことになった。和也が亡くなるまでの南は70年代的「劇画」における見守るヒロイン像の要素が強かったが、和也の死と彼の意志を引き継いだ達也が本格的に野球を始めることで、自らも新体操に打ち込み自らも表舞台に立つことで、成長していく主体性を持ったヒロインへと進化していった。 『タッチ』とは70年代的な「劇画」の敗れ去っていったヒーローやヒロインたちから受け取ったバトンを引き継ぎ、新しい時代を生きていくヒーローとヒロインを描いた「ラブコメ」だった。
達也は野球部に入部しようとした際に、先に南がマネージャーになってしまったために入部届を出せずにいたところを同級生の原田に強引にボクシング部に入部させられた。また、『スローステップ』では主人公の中里美夏に好意を寄せる3人の男たちはボクサーであり、美夏の父親はプロレスラーだった。あだち充作品には脇役などにちょこちょこプロレスラーや元プロレスラーのような人物も登場している。 戦後生まれのあだち充にとって「少年漫画」の王道であった野球を描くのもボクシングを描くのも違和感はなかった。それを見て育ったのだから。高校三年の夏過ぎまでの「青春の終わり」をずっと描いているあだち充からしてみれば、プロレスは部活動では描きにくいが、野球とボクシングは部活動としては描けるものであり、しっかりと描きたいテーマだった。
次はボクシングにしようというのは、自分で決めました。長編連載で何を描くのかは、いつも任せてもらっていましたから。まぁ、見切り発車は毎度のことで、気楽に始めちゃいました。 僕が若い頃は、ボクシングのタイトルマッチがすごい視聴率を稼いでいた時代だったし、ボクシング漫画の名作も数多くありました。そういう漫画もだいたい読んでますが、意識してもしょうがない。スタイルがまったく違う漫画家なんで。 「タッチ」「スローステップ」などでボクシングを扱ってきましたが、それまでは漫画の中でボクシングをおちゃらけて扱ってました。でも本来、ボクシングは死と隣り合わせだし、選手はみんな人生を賭けているというとんでもない世界です。そういうところも逃げずに描いていこうと、連載当初は思ってました。ボクシングが持ってる暗さ重い部分を、自分なりに描いてみたかった。〔参考文献1〕
連載の途中でうちの兄貴が癌になって、人の生き死にだとか、親子だとか、そういうテーマを描くのがえらく辛くなっちゃった。自分でも、段々中途半端になってきたのが分かったんで、描けないんだったら描かなくていいや、と開き直って終らせたんです。〔参考文献2〕
あだち充がこれまでずっと描きたかったが描くことができなかった死と隣り合わせのスポーツであるボクシング。今回は逃げずに描こうと決めていた。その思いはかつての担当編集者だった武居や兄の勉、そして高橋留美子にも伝えるほどに彼は本気だった。しかし、あだち充の才能を一番最初に見抜き、漫画業界に引っ張り込んで、ある時点からはマネージャー兼アシスタントを務めた兄の勉の癌がわかり、彼は漫画で生と死に向き合うボクシングを描くことはできなくなっていく。 そんな時に三上の置き土産のように担当編集者となった市原がやってきたことで連載を畳むことを決めた。そのため、あだち充作品では初となっていたかもしれない「プロ編」は描かれることなく、物語は終わりを迎えることになった。そして、連載中だった2004年6月18日に兄の勉は胃癌のため死去した。
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ネット社会を予見させる「超能力」を描いていた『いつも美空』|碇本学
2021-06-29 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。今回は、世紀の変わり目の短めの連載作品『いつも美空』を分析します。SF×時代劇だった『虹色とうがらし』に続き、超能力少女たちを主役に据えた異色のSF×現代活劇として、あだち充としては息抜き的に描かれたとされる本作。荒唐無稽な作風ながら、のちのネット社会の問題への洞察を孕んだその予見性とは?
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第18回 ネット社会を予見させる「超能力」を描いていた『いつも美空』
あだち充の息抜きとしての短期連載作品
第16回で論じた『H2』はあだち充にとって7年を越える過去最長の連載(現在連載中の『MIX』は月刊誌連載ながら9年目に突入し、この記録を更新している)となり、「少年サンデーコミックス」では全34巻(2018年時点でシリーズ累計発行部数が5500万部を突破)となったが、その連載終了後に始まったのが『いつも美空』(2000年−2001年)だった。今作は『H2』の担当編集者だった小暮義隆が引き続き担当することになった。
プロボクサーのライセンスを持ち、プロのリングに2度立っている小暮は『H2』連載終了後に、あだちに「新連載はボクシングでどうですか?」と提案しているが、その時には「今は描く気がない」と断られている。この辺りはタイミングの問題だったのだろう。 小暮は『いつも美空』終盤になって異動してしまうが、『いつも美空』のあとにあだちはいなくなった小暮の期待に応えるかのようにボクシング漫画『KATSU!』を始めることになる。そちらは次回以降に取り上げる。
「『H2』でしっかり野球を描いたんで、次はスポーツから離れたほうがいいんだろうなと。先生の作品の長い連載で女子が単独で主人公だったことはない。そして当時、僕が頻繁に映画記事でライターの方と仕事をしていたんですが、その人が『映画記事は、以前書いていた事件記事やゴシップ記事と違い、書いた人全員に喜んでもらえる。なんて素敵な仕事だろう』と言っていたことを思い出し、『アカデミー賞を獲る女のコ、みんなを幸せにするスーパーヒロインはどうでしょう?』と提案したところ、『やってみようか』と始まったのが、『いつも美空』でした。」〔参考文献1〕
登場人物たちは超能力の持ち主で、ヒロインは大女優になるかもしれないと話は振ってるけど、女優の話にしようなんて全然思ってませんでした。遊ばせて好きに描かせると、こんな話を描く漫画家です。 猫がしゃべり始めたり、そういうデタラメな話が好きなんです。長いこと連載をやらされると、いろいろと溜まってくるってことだね。この時は、僕の中のデタラメなギャグの部分が、きっと溜まってたんでしょう。「H2」では遊び切れなかったからね。最初から短いものだと思ってると、いくらでも遊べるんです。 「いつも美空」は、どう考えても読者の反応はイマイチでしょう。それもある程度は覚悟の上でした。〔参考文献1〕
ボクシング漫画を執筆してもらうことを早々に諦めた小暮は上記のような提案をあだちにした。それをあだちは受けつつも、ある種デタラメな漫画にしようと決めていたようだ。このパターンは『ラフ』と『H2』という長期連載作品の間に連載されていた『虹色とうがらし』を彷彿させる。 『虹色とうがらし』は「SF×時代劇」だったが、『いつも美空』は「SF×現代劇」という形になっている。そして、『虹色とうがらし』の時と同じように読者の反応はイマイチであり、大ヒットを見込めないので長期連載にならないことをあだちはわかった上で描いていたことも本人の発言からわかる。 長期連載をしたあとの息抜きとして、読者ではなく著者である漫画家のあだちにとって漫画を描く楽しみを再認識させるような大切なものが『虹色とうがらし』や『いつも美空』という作品だった。これはあだちにとっては真面目に連載をやりきった自分へのご褒美のようなものとしても考えることができる。
『いつも美空』は、本連載で以前、あだち充がデビューしてから現在までの作品歴を四期に分けたうちの第三期にあたる。 『H2』(1992〜1999年)、『じんべえ』(1992〜1997年)、『冒険少年』(1998〜2005年)、『いつも美空』(2000〜2001年)、『KATSU!』(2001〜2005年)、『クロスゲーム』(2005〜2010年)の頃である。『じんべえ』と『冒険少年』は「ビッグコミックオリジナル」掲載作であり、「少年サンデー」連載作品ではなく、ほかはすべて「少年サンデー」連載作品である。 『H2』と『KATSU!』の間で一息していたのが『いつも美空』だったことがわかる。『KATSU!』は連載中に兄のあだち勉が亡くなったこともあり、あだちが描きたい生死が関わることになるプロ編が描けずに終わってしまった作品だ。その『KATASU!』をできるだけ早めに終わらせて、次の新連載となる『クロスゲーム』を立ち上げたのが編集者の市原武法だった。もしかすると、市原がいなければ、あだち充は少年漫画がそれ以降描けなくなっていた可能性もあった。その『KATSU!』『クロスゲーム』の連載期間を合わせるとちょうど10年となり、『H2』の7年とその10年を繋ぐのが『いつも美空』だった。
あだち充作品の中では『虹色とうがらし』同様に影が薄く、人気作品の上位に入ることはないという共通点もある。ただ、あだち充が幼少期から楽しんできた少年漫画らしさを楽しんで描いているのは間違いなくこの2作だった。そして、悲しいかな、あだち充は自分が大好きなデタラメな漫画は読者受けが悪いことも知っていた。しかし、そうわかっていても「少年サンデー」の二枚看板であり、功労者であるあだち充だからこそ、許される連載漫画でもあった。そして、あだちもこのくらいでやめないとヤバいなと思うと連載を終わらせていくというプロ意識もあってか、1年(実際は13ヶ月)で物語は終わる。 『虹色とうがらし』の連載は2年4ヶ月だったので、期間としてはほぼ半分であるが、「デタラメだけど、手は抜いてないですよ。こういう作品を間に挟んでいるから、長生きできた漫画家なんです」とあだちも『いつも美空』について語っている。
環境問題や、自分の中で「違うんじゃないか」ということも自然に言葉にしています。「得るものの大きさはわかっても、失うものの大きさは失ってからじゃないとわからない」というセリフなんて、結構自分の本音を言わせてます。現代劇じゃないし、「地球じゃない」と言っているから、もう言いたい放題。 世の中を皮肉な目を見るクセは変わらないですね。今はスマホ全盛になってるのが気に食わない。どこを目指しているのかまったくわからない。最終的に目指しているところが、「それって幸せなの?」と思ってしまう。人と関わる必要がなくなっちゃうんじゃないかと……はい、基本的には古き良きモノを愛する保守的なひねくれ者です。〔参考文献1〕
上記は『虹色とうがらし』に関してのあだちのインタビューからだが、『いつも美空』でも環境問題に関するセリフが出てくる。
「拾っても、拾っても。あっという間にまた元どおりだ。エコロジー…か。地球にやさしい人間なんているのかね。船にしろ飛行機にしろ車にしろ、人は移動するだけで空気を汚し、水を汚し、海を汚す。木を切り倒し森をつぶし生態系をぶち壊して、繁殖してきた生き物じゃねえか。キリがねえんだよ、こんなことしてても… 捨てるヤツを減らしゃいいのさ。もともとこんな大勢の人間を養うようにはできてねえんだよ。この地球(ほし)は──な。」『いつも美空』5巻「キリがねえんだよ」より
これは『いつも美空』の主人公の坂上美空のライバルとなる野神篤史が作中で言ったセリフである。弟の剛志と共に海岸のゴミ拾いをしている時に篤史は弟に向けてというよりも、他にボランティアでゴミ拾いしている地域の人たちや偽善者に向けて言い放っているようなシーンだ。 また、篤史は能力者である弟の剛志の超能力を使って、中学の陸上男子100mや走り幅跳び、水泳男子100mと200mで日本新記録を更新し、そのルックスのよさもあり一躍全国区のヒーローとなる。そんな全能感を持った篤史の上記のセリフは悪役にはピッタリであり、どこかガイア説すら感じさせる。そのガイアからの使者として、邪魔な人間を排除し、自分にとって都合のいい世界を作ろうと企んでいるかのようである。それを阻止しようとするのが13歳の誕生日に神さまからそれぞれ超能力を授けられた主人公の美空たち6人と人の言葉を話せる美空の飼い猫のバケだ。 『虹色とうがらし』でも悪役がわかりやすく描かれていたが、今作『いつも美空』も同様に悪役がわかりやすく描かれた作品だった。あだちが少年時代に影響を受けた作品に回帰すると勧善懲悪的な物語になりやすく、ほかのあだち充作品の人間の微細な感情の変化をコマ運び屋風景描写によって描いているものに慣れていると少し子供っぽさも感じる。おそらく、人気ランキング上位に上がってこない理由もその辺りにあるのだろう。
あだち充劇団のプチリニューアル
ここで『いつも美空』のキャラクターと物語の展開についておさらいしておきたい。
「──これは日本人として初めてアカデミー主演女優賞に輝いた、一人の女の子のドラマ…… ──に、なればいいなァ……」というモノローグから始まる。冒頭では横転したトラックの荷台から10頭の豚が浅見台中学校に逃げ込んでしまったのだが、入学したばかりの坂上美空と三橋竜堂と村田十四郎の3人が9頭までを退治してその潜在能力を見せつける。しかし、残りの1頭が見当たらずに業者が探していると豚料理の本を読んでいる小久保都と豚の前足と後足を棒に結んで担いで歩いている春日千代之介と北島光太の3人がいた。その6人全員に一斉に呼び出しがかかる。彼らを呼び出したのは「レンタルクラブ」顧問の船村正だった。 過去に有名スポーツ選手を輩出している浅見台中学だが、少子化の影響で試合のたびにあちこちから頭数をそろえて、なんとかその場をしのいでいる部も少なくなかった。6人の優れた身体能力に目をつけていた船村は、彼らを責任もってスケジュール調整して、必要とする部に派遣したいと語るものの、彼らは強制ではないならと帰ってしまう。 美空たち3人は4年前に小学生限定の「緑の自然教室」に3日間参加していた。そして、美空たちの近所の小学校から参加していたのが都たち3人だった。そこで都たちからスイカ泥棒の汚名を着せられた美空たちは、一番楽しみにしていた花火大会の日に決闘をしようと社に集まった。ところが、打ち上げを失敗した花火が飛んできてしまったことで火事になって社が燃え上ってしまう。そんな中、美空が偶然社のご神体を持ち出したことでご神体は難を逃れるが、まさかの2発目が飛んできて、6人は気を失ってしまう。しかし、その意識が遠のく瞬間に美空は杖を持ったハゲで白い眉とひげの老人が現れたのを見たのだが、他の二人は見ていなかった。 美空が13歳の誕生日を迎えた4月10日の深夜、その杖を持った老人が部屋に現れ、「ありがとう、少年少女諸君。お礼として勇気あるきみ達に──それぞれが13歳を迎えた日にひとつずつの力を授けよう。わしからの誕生日プレゼントとしてな。」と言って消えてしまう。 美空が起きてから学校に行くと6人の中では一番誕生日が遅い北島光太が美空に元にやってきて、「13歳になったんだろ? 何か変わったことあった?」「──だよな、そんなバカな話あるわけないもんな。やっぱりあれは夢だったのかァ」と告げる。光太も美空同様にあの老人をあの時に見ていたことが判明する。その夜に美空は自身に授けられた超能力が「念動力」であり、離れた物体を少しだけだが動かすことができることを知る。しかし、その様子を見ていた愛猫のバケがなぜか煙草を吸いながら、人の言葉で美空に話しかけてくる。「驚いたよなァ、実際── まさかあいつが本当に神さまだったとは…… なァ美空」と。 バケは「緑の自然教室」で美空についてきた猫であり、その時に連れて帰って飼いだした坂上家のペットだった。バケの口から自分は美空と1日違いの誕生日で「13歳」になったと語る。猫の13歳なのでかなりのおじいさんであるためか、口調が年寄りくさい。 6人は結局レンタルクラブに入ることになる。それぞれの特技を活かして様々な部をヘルプする6人だったが、もちろん彼らのことが気にくわない他の部活動の部員たちもおり、その学生との対決や物語が進んでいく中で、都、千代之介、竜堂、十四郎、光太がそれぞれ誕生日を迎えて超能力を得て、6人は次第にそれぞれを認め合い、仲間として一緒に成長していくことになる。
美空の死んだ父の慎太郎を大作映画の準主役に抜擢しようとしていた大物監督の別荘に母と招かれた美空。彼女はその大物監督の前で台本を読みながら演技を披露するハメになる。その大物映画監督である北島圭一郎は北島光太の祖父であることがわかる。美空の魅力に気づいた圭一郎は彼女を主演にして最後の一本を撮ろうと決めるが、その夜に眠ったまま安らかな笑顔で亡くなってしまう。そのまま物語は大きな展開をみせることなく、美空は平凡な学生生活を過ごしていくはずだった。 光太の祖父の別荘で夏合宿をしていた美空たちは、近くでドラマ「化け猫ワトソンと美少女探偵シリーズ」を撮影している撮影クルーと出会う。主演のアイドル・西野ちはるの代わりに危険なスタントを美空が担当することになり、そこで彼女の魅力にドラマのスタッフや関係者たちも徐々に気づいていく。そんな演技力の凄まじい美空を見た光太は彼女を主演にした映画をいつか撮ろうと決めるのだった。 別荘近くには6人と1匹が特殊な能力を授かった社にそっくりなものがあり、そこも3年前に打ち上げ花火の火が飛び込んできたため、燃えてしまったが、一人の少年がご神体を運び出してくれたという話を撮影クルーたちがしていたのを美空たちは聞いてしまう。 人気者のちはるのストーカーらしき瓶底眼鏡の少年に、スタント役だった美空は間違ってさらわれてしまうが、すんでのところの念動力を使ってそこから逃げ出すことに成功する。バケが光太に頼んでご神体を運び出した人物の写真を探してもらうと、やはり彼は美空をちはると間違えてさらった少年・野神剛志だった。
2001年になり、6人の中で最後の誕生日を迎えた光太の能力は「瞬間移動」だった。他の5人も授けられた能力が以前よりも強化されていることがわかる。そして、新世紀の幕開けに一人の天才少年・野神篤史が現れる。その年の春、中学三年生になる彼は水泳や陸上の10種目で中学記録を更新し、さらにその半分は日本記録をも塗り替えるものだった。そのビジュアルのよさも相まって国民的な大騒ぎとなっていった。 美空はそんな男のことはまったく興味がなかったが、ある雑誌で野神篤史と一緒に、美空をさらった超能力者の剛志が映っているのを発見。二人は兄弟だったのだ。篤史は剛志の超能力を使って、自分の欲望のために邪魔になる人間をどんどん潰していっていた。 そんな巨大な相手に美空を中心としたレンタルクラブの面々は、スポーツでの篤史の記録を塗り替えることで、野神兄弟へ宣戦布告をすることになる。レンタルクラブメンバーが塗り替えた記録を再度塗り替えたのち、タレント活動を始めた篤史は、スポーツと同じように裏で剛志を使ってライバル俳優にケガをさせたりして蹴落としながら、そのポジションを奪い取っていき日本中が注目する新たなスターとなっていく。芸能人として圧倒的な人気を誇るようになって、さらに影響力も増していく篤史と勝負できるのは美空しかいないと、彼女も女優として芸能界デビューする。そして、篤史と美空が共演することになった映画の雪山での撮影において、彼の野望を食い止めるために美空とレンタルクラブの面々が対峙することになる。
以下、主要人物について詳述する。
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『冒険少年』と大人を再生する装置としてのノスタルジー|碇本学
2021-05-25 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。今回は、「ビッグコミックオリジナル」で1998〜2005年の7年間にわたって掲載されたシリーズ連載をまとめたオムニバス短編集『冒険少年』を取り上げます。心のどこかに「少年」を引きずる男たちが、様々なシチュエーションで時を超えて過去の自分の思いと向き合う7篇の物語に描かれた「大人」像を辿ります。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第17回 『冒険少年』と大人を再生する装置としてのノスタルジー
『じんべえ』から始まった年1回連載という珍しい連載の形
今回取り上げるオムニバス短編集『冒険少年』は「ビッグコミックオリジナル」で連載されたものであるが、連載期間は1998年から2005年と連載期間としては長尺のものとなっている。実はあだち充はこの『冒険少年』の前にも「ビッグコミックオリジナル」で、1992年から1997年の間に不定期掲載という形で『じんべえ』を連載していた。
『じんべえ』については『みゆき』について書いた際に少しだけ紹介しているが、改めて連載の経緯を説明しておこう。 『みゆき』は「少年ビッグコミック」で1980年から1984年まで連載されたあだち充の初期大ヒットラブコメ作品であり、「血の繋がらない」兄と妹というシチュエーションはのちに多くのフォロワー作品や漫画だけではなく後世へも影響を与えることになった。その際の担当編集者は亀井修であり、彼は1995年には「週刊少年サンデー」編集部部長、2002年には小学館取締役、2006年からは小学館常務取締役となっている。 ちなみに2009年から発行された「ゲッサン」を創刊する際の企画者であり、創刊時より編集長代理を務めていた編集者の市原武法(二代目「ゲッサン」編集長、あだち充『KATSU!』『クロスゲーム』『QあんどA』『MIX』の担当編集者)は亀井から「『ゲッサン』を創刊するなら、あだち充の連載を取れ」と言われて頭を抱えたという話がある。当時のあだちは「少年サンデー」で『クロスゲーム』を連載中だったからだ。 亀井のその一言がなければ、現在「ゲッサン」で連載中の『MIX』も生まれていなかった可能性もあり、あだち充という漫画家の人生を大きく変えた編集者のひとりが亀井修と言える。
『みゆき』の大ヒットによって、一度は「週刊少年サンデー」を放逐されたあだちは呼び戻されるかたちとなり、連載が始まったのが国民的な大ヒットとなった野球ラブコメ漫画『タッチ』だった。それ以降あだち充は高橋留美子と共に同誌の二枚看板となって「少年サンデー」を代表する漫画家となっていったのは周知の事実だろう。そういう背景があったため、あだち充は「週刊少年サンデー」に主軸をおいて活動していたのでほぼ年に1回という不定期掲載とはいえ、『じんべえ』は数少ない他誌掲載連載作品という珍しいものだった。
読切を描くきっかけは、大抵義理で、恩返しです。ある程度売れて名前も出たので、だいたい元担当がいるところで描いてます。 元担当が異動するたびに、異動祝いで読切を描かされるという。亀井さんがやたらと異動してくれるんで大変でしたよ。〔参考文献1〕
あだち充が『タッチ』以降に「週刊少年サンデー」以外で漫画作品を掲載するときは基本的には上記引用にあるように元担当編集者が異動したか、その雑誌の何周年記念というお祝いの時だった。そして、『じんべえ』はあだちが名前を出している『みゆき』の元担当編集者である亀井が「ビッグコミックオリジナル」に異動したことが始まりだった。
『じんべえ』は雑に言ってしまえば、『みゆき』のバージョン違いであり、少年誌ではなく青年誌用に主人公の年齢を上げた作品だった。 『みゆき』は「血の繋がらない」兄と妹という設定だったが、『じんべえ』は「血の繋がらない」父と娘という設定になっていた。これに関してもあだちは「ビッグコミックオリジナル」の編集長として異動した亀井が言い出したのではないかと回顧している。『H2』連載中の5年間で7話が描かれており、1997年には全1巻のコミックスとして発売された。 あだち充作品の中ではかなり地味な作品であり、連載時やコミックスが発売された当時もあだち充ファンは知っていても、一般的な知名度はない作品だった。
『じんべえ』の知名度が上がるのは1998年の10月クールからフジテレビのドラマの王道枠である「月9」で田村正和と松たか子主演でドラマ化されたからだ。 あだち充作品の実写化は『じんべえ』以前では、同じくフジテレビ系列の「月曜ドラマランド」で単発ドラマとして1987年に放送された『タッチ』が最後となっていた。その際に上杉達也/和也の双子を一人二役で演じたのはジャニーズ事務所所属の「男闘呼組」の岡本健一だった。
『じんべえ』から7年後の2005年の1月クールから堤幸彦演出、山田孝之主演で『H2〜君といた日々』がTBS系で「木曜10時」枠で放送された。また、同年の2005年には東宝系で長澤まさみ主演の『タッチ』が映画公開され、翌年の2006年にも同様の枠組みで『ラフ ROUGH』が映画公開された。 『じんべえ』では主人公となる父親・高梨陣平が漫画では大学時代はサッカーをしており、名の知れたゴールキーパーであった設定もあったことからガタイの良い人物として描かれていたが、ドラマでは真逆に思える線が細いダンディな雰囲気の田村正和が演じたこともあり、原作を知っているとかなりの違和感を覚えた記憶がある。 また、今見返すと『H2〜君といた日々』は真面目なことをしようとするほどギャグやおふざけを入れたがる堤幸彦演出の名残が感じられることや、出演者に現在は大ブレイクして有名になっている役者も多数いるのでそこそこには楽しめる作品である。しかし、長澤まさみありきで作られた『タッチ』と『ラフ ROUGH』は原作をかなり改変してしまっているため、あだち充の世界観をほとんど表現できていないのでかなり残念な気持ちになる。そういう背景があり、あまりあだち充ファンからも一般からもウケがよくなかったからか、それ以降あだち充作品の実写化はされていない。
ちなみに、今年大ヒットした映画『花束みたいな恋をした』のラスト近くのシーンでは、主人公の二人が互いに「あだち去(ざり)」をしている場面があり、あだち充ファンとしてはうれしいシーンがあった。 「あだち去(ざり)」とはコマの中で登場人物が去り際で後ろ向きの状態で片手をあげている状態であり、もう片手を後ろポケットにいれていると完璧なあだち充的別れ方である。主人公格だけではなく、ヒロインから脇役までと幅広いキャラクターが「あだち去(ざり)」をしており、それだけを数えているブログもあったりするので、興味ある人は検索してみてほしい。 映像化ではないが、『虹色とうがらし』が「SF時代活劇 『虹色とうがらし』」として舞台化することが最近発表された。もともとチャンバラや時代劇や落語が好きだったあだち充が描いたのが『虹色とうがらし』だったので、「活劇」として舞台化されるともしかすると相性はよく、映像化のような失敗作にはならないかもと期待はできそうである。
さて、実写映像化の余談はこれくらいにして話を戻すと、『じんべえ』から始まった不定期連載という形だけがなぜか残ったまま、『H2』連載終盤(全34巻)にあたるコミックス27巻と28巻が出る間に「ビッグコミックオリジナル」に掲載された短編漫画が「扉のむこう」だった。この時期は『H2』の連載中で多忙を極めており、コミックスに関しては2ヶ月か3ヶ月に1冊は新刊が出ているハイペースな刊行状況だったが、あだち充は短編漫画を描いたのである。
オムニバス漫画『冒険少年』の最初の1作となる「扉のむこう」に関しては、おそらくであるが『タッチ』の終盤編集者であった有藤智文が「ビッグコミックオリジナル」に異動した際にあだちが描いた作品ではないかと思われる。
『少年サンデー』で担当した期間は短かったが、ふたりの関係は続く。最近、有藤はあだちに「短編はお前がいちばん取ってんじゃんねぇ!?」と言われている。『少年サンデー』の増刊で「チェンジ」、『スピリッツ』で「どこ吹く風」「ゆく春」、『ビッグコミックオリジナル』で「冒険少年」、『スペリオール』で「ゆく年くる年」など、有藤が担当した短編は数知れない。〔参考文献1〕
と『あだち充本』に書かれている。 だが、有藤は『タッチ』のほとんどラストである柏葉監督が手術を受けるエピソードが描かれた頃に「ビッグコミックオリジナル」へ異動となっている。そうすると『H2』の終盤時に「ビッグコミックオリジナル」への異動をきっかけに「扉のむこう」の原稿をあだちに描いてもらったというのは矛盾が生じてしまう。 有藤のツイッターアカウントを見てみると「from1983 少年サンデー→オリジナル→スピリッツ→オリジナル→ヤンサン→ビッグ→ヤンサン→スペリオール→そして今」とあるので、『タッチ』のあとに「ビッグコミックオリジナル」に異動し、その後には「ビッグコミックスピリッツ」へ、再び「ビッグコミックオリジナル」に戻ってきたのが1998年だったのではないだろうか。そして、そのときにあだちが異動祝いとして描いたのが『冒険少年』の1作目となる「扉のむこう」だったのだろう。
掲載誌となった「ビッグコミックオリジナル」が青年誌であったこともあり、「週刊少年サンデー」掲載のあだち充作品よりも大人に向けたものとなっており、内容もどちらかというと設定にビターさも感じるものとなっている。 「週刊少年サンデー」でのあだち充作品は『タッチ』『ラフ』『H2』を筆頭に高校三年生までを描いており、青春の終わり前までの季節の辺りで物語は終わっていくものが多かった。 「少年ビッグコミック」で連載された『みゆき』では、主人公の若松真人が一浪後に大学入学しキャンパスライフを過ごす時期までが描かれていた。「ビッグコミックオリジナル」で不定期連載された『じんべえ』では、じんべえの娘の美久が高校を卒業し、大学からは血の繋がった実父の家から通学するようになる時期までが描かれることになる。ただ、美久は娘としてではなく、ひとりの女性としてじんべえに会うために一緒に住んでいた家を出たことがわかるラストシーンになっていた。 では、『冒険少年』に収録された作品はどんなものであったのだろうか?
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国見比呂というヒーローの成長としての失恋を描いた『H2』| 碇本学
2021-04-28 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。平成を代表する本格野球ラブコメ漫画『H2』の読み解きの完結編です。最後に考察するのは、主人公・国見比呂のヒーロー性について。『ナイン』や『タッチ』と異なり、ライバル役の橘英雄とともにプロ野球入団が視野に入る超高校生級の選手として描かれた比呂の回り道の成長劇には、あだち充の人生観やゼロ年代に向かう時代の変化への応答が、どんなふうに刻まれていたのでしょうか。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第16回(4)国見比呂というヒーローの成長としての失恋を描いた『H2』
あだち充野球漫画はスロースタートすることでラブコメを強化する
『H2』はあだち充にとって『タッチ』以来の野球漫画であり、タイトルが示すように国見比呂と橘英雄のヒーロー二人と古賀春華と雨宮ひかりのヒロイン二人の関係性をメインにした青春群像劇で、好き放題に描かせてもらった前作『虹色とうがらし』では商業的な手応えがなかったため、必ずヒットさせるべき勝負作だった。 あだち充を国民的な漫画家にした『タッチ』は野球と恋愛のバランスにおいては後者の「恋愛」のほうに比重が置かれていた。そのため、野球がしっかり描かれていたのは作中では最後の試合となる地区大会決勝の須見工戦だけだったとも言えなくもない。『H2』では野球と恋愛ではどちらに比重が置かれていたかというと、このバランスはかなり拮抗しており、両者が鬩ぎ合うことで『タッチ』で描いた1980年代的な新しいスポ根とラブコメの融合をさらに深化させたものとなった。それもあってか、20年以上前に連載が終わった作品であるにも関わらず、今読んでも古びた感じがまったくしない。
野球と恋愛のバランスがいいのは、「タッチ」より「H2」ですね。ラストはもうああするしかなくなっちゃったんです。比呂と英雄の直接対決、比呂と春華とひかりと英雄の恋の決着を描きたかったのであって、その後の甲子園の決勝について描くつもりはありませんでした。〔参考文献1〕
あだちがインタビューで答えているように今作においては比呂と英雄の直接対決に向けての流れをどう演出するかということ、そしてヒーロー二人とヒロイン二人の四角関係となった恋愛の決着をいかに描くかということがこの作品のクライマックスとして考えられていた。
『タッチ』では恋愛面において、主人公の上杉達也とヒロインの浅倉南の幼なじみの二人が上杉和也の突然の死を乗り越え、達也が南の気持ちを受け止めて自分の思いを伝えられるかという物語でもあった。 達也は和也と南の夢であった「甲子園に南を連れていく」という願いを叶えることで、ある種の通過儀礼を終えて本当の自分の気持ちを伝えることで、和也の空白を二人で受け入れて自ら決断ができる大人になっていく。終盤の上杉達也から朝倉南への告白が『タッチ』における最大の見せ所であり、語り継がれる名シーンとなった。 改めて読み返してみると『タッチ』はやはり恋愛面のラブコメ要素が物語全体を引っ張っていっていた。後半では野球の場面が多くなっていくが、物語は達也と南の関係性がどうなるかがメインなので、とてもわかりやすいストレートな展開だったとも言えるだろう。
和也が交通事故で亡くなる一年生の夏までは、主人公である達也が野球を本格的に始めることはなく、物語のテンポがスロースタートだったこともあり、序盤で遊びの部分としてラブコメ的な展開やギャグを入れることで野球を描くことから逃れる可能性を残していた。それについては『みゆき』と同時連載していたことで、最初は力を抜いていたことも理由としてあだち本人が語っている。 同様に『H2』も物語の序盤では主人公の国見比呂は偽医者の誤診によって野球部のない千川高校に入学し、サッカー部に入っていたことでフルスロットルでのスタートにはならなかった。物語としては遠回りであるが、最初は野球愛好会に入会して野球部に昇格させるプロセスを置くなど、甲子園を目指す前にいくつかのハードルがあり、元々野球選手として高い資質を持つ比呂が本気で甲子園を目指すようになるまでの準備期間が設けられていた。『タッチ』も『H2』も共に主人公の達也と比呂は高校一年の夏は地区大会どころではなく、二年生になるまでは準備期間として描かれている。 あだち充は「僕の野球漫画は、主人公が、英雄の明和一高校みたいな強豪校に入ることはないです。そうしたら、本格的な野球漫画にしないといけないし、放課後でラブコメをやってる時間もないだろうし、野球漬けの青春なんて想像できないから。そのためには主人公が野球部のないような高校に行くほうが、漫画家としては描きやすい」とインタビューに答えているが、「本格的な野球漫画」「野球漬けの青春」にしないことでその時代ごとの少年たちに支持されてきた部分もあっただろう。自分もそうだったが、野球漫画は読みたいが、あまりにも真面目なものはどこか恥ずかしく、なにかに熱中していない自分と主人公の本気度を比べてしまうと手が伸びなくなってしまうことがあった。
『H2』では当初は比呂と春華、英雄とひかりというカップリングで進んでおり、比呂と春華は互いに好意は持っているが彼氏彼女という恋人手前の関係を維持していた。 高校二年の夏の甲子園大会、比呂と英雄の直接対決の直前にあたる二回戦で、比呂率いる千川高校は伊羽商業高校に負けてしまう。その翌朝に比呂はひかりに自分の初恋の相手がひかりだったことを告げ、試合で足を痛めていた比呂がよろけた際にひかりが抱きとめた場面を、宿からいなくなった比呂を探していた春香が目撃してしまう。ここから二組のカップルの関係が四角関係になっていき、誰と誰がくっつくのかがわからなくなっていくのが物語における一番大きな転換点であり、方向性を完全に決めたものとなった。 物語としては比呂と英雄の直接対決がクライマックスになるのは予想できたが、そこに四角関係の行方も重なることで野球と恋愛の要素が互いに鬩ぎ合い、クライマックスの高校三年生の夏の甲子園大会に向けて物語の緊張感が高まっていき、目が離せなくなっていく。そのため、読み比べると『H2』のほうが『タッチ』よりも人間関係やそれぞれの想いが複雑になった人間ドラマになっている。
また、『H2』はあだち充の漫画家としての描写の進化もあり、セリフなどで状況を語らずに描写とコマだけで表現するという省略の技術がより高度なものとなっていた。 「北・東京大会」決勝の千川対樟徳戦はコミックスでは17巻の最後に収録されている「ほんとですか!?」と「千川が勝つよ」の2回で描かれているが、この試合の最後の数ページがあだち充の省略の美学の真骨頂のような描写になっている。 「千川が勝つよ」の終わる10ページ前ぐらいからは試合中の比呂たちのセリフはほぼなく、ナインの攻守の活躍が1コマずつ描かれ、そこには英雄による「実際、強ぇんだよ千川は」「実績がねえから、ただの勢いみてぇにいわれてるけどな」というひかりに話した言葉がモノローグのようにコマに入っている。 4対1で千川が勝利した試合のラスト3ページでは、見開き2ページで球場での歓喜のシーンが見事な構図で描かれている。そして、最後の1ページであり、コミックスの最後のページとなる180ページ目には明和第一の校舎とセミの鳴き声、水道から勢いよく出る水に頭を差し込んで冷やしている練習の合間の英雄、そこに笑顔で走ってくるひかり、そして飛び立っていくセミという5コマが描かれている。 千川が甲子園出場を決めたあとの3ページにはセリフはなく、球場の歓声や熱闘への賛美などの熱さが感じられ、ラストは対照的に頭を水で冷やしている英雄と比呂たちのことを喜ぶひかりによって、物語はもう甲子園での戦いが始まるのだと読者にこの先の物語を感じさせるものとなっていた。この描写はもう見事としか言いようがなく、あだち充の技巧の素晴らしさを改めて感じることができる名シーンでもある。 比呂たちが三年になる前の春季高校野球大会で千川高校野球部が初優勝した際には、その優勝をテレビで見届けていた明和第一の監督は一緒に見ていた英雄に、前年の夏同様にひかりを夏限定で野球部のマネージャーになってくれるように頼んでくれと告げる。監督にとってひかりは甲子園で優勝させてくれる女神のように思えていたからだ。そして、比呂が優勝した甲子園のスタンドにはひかりもいた。英雄は比呂が優勝したのはひかりのおかげではなく、実力ですと告げると「実力だけで勝てないのも甲子園だ」と返される。その部屋から出ていった英雄は野球場にある水道を勢いよく出して頭を突っ込む。水が頭から滴る英雄の顔には、この夏にはついに親友である比呂と戦うことになるのだろうといううれしさとひかりはどちらを応援するのだろうかと考えているような、英雄にしてはどこか自信なさげな表情が浮かんでいた。
もうひとつ『H2』でこれぞという名シーンを挙げるとすると、連載ではほとんど取り上げていないが千川高校野球のセンターである木根竜太郎が甲子園で比呂の代わりに一試合を投げ切って勝利を収めたコミックス32巻収録「本当の自分の限界よりも」だろう。 9回裏2点差で勝っていた千川高校だが、センターに入っていた比呂をなんとベンチに下げ、古賀監督は本来才能はありながらも不完全燃焼だった木根にすべてを託すという大胆すぎる決断をする。ベンチでは春華が「同点に追いつかれたら?」「延長戦は?」と兄である監督へ強めに問いただし、比呂には「なんでおとなしくベンチに下がったの」「この試合負けたら橘くんと戦えなくなるのよ」と感情的に言うシーンがある。比呂は「だとしたら、そういう運命だったんだろ」と言い、「運命を信じてるのさ」「絶対避けられないようになっているはずなんだよ。おれと英雄の勝負はな」と言うものの、木根は2アウトになってからヒットを打たれてしまう。そして、最後の打者が打った打球が大きく空へ飛んでいき、木根はスタンドの方をただ見ているコマが描かれる。 次のページでは1ページを使って新大阪駅の新幹線やキヨスク、新幹線の案内や時刻表や描かれる。その次のページでは喫茶店の入り口が描かれ、その奥にテレビがあるのが小さく描かれる。次のコマではズームアップし、3コマ目ではそのテレビ画面にアップでガッツポーズをしてうれし涙を流している木根が見え、最後の4コマ目はテレビの画面がさらに大きく描写される。その次の最後のページは木根がガッツポーズしているコマが半分近くを占め、その下のひとコマには「第16日 準決勝」「明和一(南東京) ― 千川(北東京)13:30」と日程が描かれる。千川が勝利し、ようやく比呂と英雄の直接対決が叶ったことが明かされてこの回とコミックスは終わる。そこにはセリフもモノローグもないのだが、コマと描写だけで見せるあだちの技術が感動を呼ぶ。
超高校級の投手・国見比呂と橘英雄はかつてのあだち充だった?
6年ぶりとなる野球漫画の主人公となる国見比呂はどんなヒーローだったのか、と考えていくと、1990年代的な新しいヒーロー像という感じは当時からあまりしていなかった。 『H2』連載時に「少年サンデー」で連載していた作品には、『うしおととら』『GS美神 極楽大作戦!!』『鬼切丸』『名探偵コナン』『烈火の炎』『犬夜叉』『ARMS』『からくりサーカス』などがあった。時代的にもミステリーやダークファンタジー的な要素が入った作品が多くなっていったこともあり、主人公がどこか闇の部分や秘密を抱えているものが多くなっていた。そうした中で、セリフやモノローグなどでできるだけ状況を説明せずに描写とコマによって見せるあだち充の技術は、他の作品とはかなり違った印象を与えていた。 他の作品が世紀末に向かっていくのに呼応するかのように、絵的にも暗く、スクリーントーンも重めのものを使っていたため、『H2』では描写されるものもシンプルに見え、抜けたような空が多く描かれることで対照的に明るい雰囲気を醸し出していた。
キャラクター設定はそこまで細かくはしてなかったけど、主人公・国見比呂の成長が遅いということは決めてました。同じように成長が遅かった自分が投影されてますね。中学時代は、同級生の女の子を見ると「どう考えても見てる世界が違う」と思ってました。 比呂は中学時代、自分の初恋には気がつかなくて、気づいた頃には、幼なじみの雨宮ひかりと比呂の親友である橘英雄はもう付き合っています。 これまでの漫画は、主人公とヒロインがいて、なんだかんだあったとしても最後はふたりは一緒になるんだろうということはわかっていた。でも「H2」は四角関係という設定を作ったので、どうにでもできると思いました。最後の最後まで比呂とひかりはどっちにいくかわからない展開になります。〔参考文献1〕
国見比呂のキャラクターを構成する大きな要素としては成長期と思春期が少しだけ周りよりも遅れていたというものがあった。このことはあだち充自身の体験が反映されている。
『タッチ』における上杉達也と和也の双子の兄弟について、あだちの周りの人間たちからすれば「愚兄賢弟」としてあだち勉とあだち充の兄弟が反映されたものだとも言われていた。実際にそういう部分はあったのかもしれない。 上杉和也とは何者だったのかというのは以前の連載に書いているのでここでは詳細は省くが、弟の和也は1970年代的劇画ヒーローの要素を持ち合わせていたからこそ、死んでしまうキャラクターであり、最初から死ぬことが運命づけられていた。兄である達也は1980年代的な新しいヒーロー像を体現するキャラクターであり、それまでのスポ根的な主人公像を軸としながらも新しい時代に合わせたアップデートされたヒーローとして造形されていた。
「愚兄賢弟」と思われていたあだち兄弟だが、それを地で行くように兄の勉は「飲む・打つ・買う」の三拍子揃った遊び人であり、漫画家の師匠でもある赤塚不二夫とも遊び歩いていた豪快な人物であり、多くの人から可愛がられ、慕われてもいた。そして、多くの人に漫画家としての才能もあると買われていたものの、そちらに関しては弟の充がヒット漫画家になっていくのに反比例して自分の漫画を描かなくなってしまい、歴史に残る漫画家にはなれなかった。その意味でもぐうたらでなにかに真剣になることがなかった上杉達也は、あだち勉に重なる部分がある。しかし、その潜在能力が天才肌だと思われていた(実は努力家だった)弟の和也を遥かに凌ぐものであったということは、弟の充があだち勉の漫画家としての能力に重ねて描いた部分もあったのではないかと思えるのだ。
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他者としてのヒロイン・古賀春華が世界の外側へと導いていった『H2』| 碇本学
2021-03-30 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。平成を代表する本格野球ラブコメ漫画となった『H2』を、今回はあだち充のヒロイン像という切り口から読み解きます。さらに、去る3月8日の公開以来、四半世紀にわたる国民的アニメシリーズの完結編として話題の映画『シン・エヴァンゲリオン新劇場版:||』との対比から、あのヒロインとの共通性についても考察します。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第16回(3)他者としてのヒロイン・古賀春華が世界の外側へと導いていった『H2』
あだち充の画業50年と『新世紀エヴァンゲリオン』四半世紀後の終焉
今回は『H2』で描かれたヒロイン像について考えていくが、本論への導入として、平成を象徴するアニメ作品が終焉したことについて触れておきたい。 2020年はコロナがなければ、東京オリンピックが開催されるはずだった。同年はあだち充の画業50周年という記念すべき年でもあったが、ずっと作品を刊行し続けている小学館からも特別なイベントやあだち充展のようなものは行われずに、ひっそりと過ぎていった。 第二次世界大戦は1945年に終わった。そこから四半世紀ずつ25年ごとに区切って考えると、2020年は敗戦から四半世紀×3の75年目でもあった。
あだち充がデビューした1970年には、第三次佐藤内閣が発足し、大阪万博が開催された。また、共産主義者同盟赤軍派によって「よど号ハイジャック事件」が起きる。これは日本で最初のハイジャック事件であり、共産主義者同盟赤軍派は日米安保条約に反対する安保闘争の目前に最左翼の分派として結成されたものだった。この年に小説家・三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部にて割腹自殺をした。そのため、2020年は三島由紀夫没後50年として、再び三島由紀夫作品が脚光を浴びることとなった。 本連載でもすでに取り上げたように安保闘争と学生運動と「劇画」は近い関係にあり、学生運動の終焉とともに「劇画」の時代も終わっていった。そこに新人の漫画家として巻き込まれながらも、「少女漫画誌」に形としては島送りになったことで生きながらえたのがあだち充だった。この1970年代という時代は、「日本では革命は起きないのだ」ということを国民が無意識に思うきっかけになったディケイドだったのではないだろうか。
日本の第二次世界大戦の敗戦から50年後、1995年はあだち充のデビュー25年目の年となった。この1995年は、その後の日本の行末に重大な影響をもたらす事件が立て続けに起こるとともに、現在まで続く国民的なアニメとなった作品の放送が始まった年でもあった。 まず1月には阪神淡路大震災が起きる。私の実家は岡山県と広島県の県境にあり、早朝にかなり揺れたが被害が出ていない地域でもあり、そのまま学校に登校した。学校から家に帰ってテレビのニュースを見ると、隣にあるはずの兵庫県が見たこともない風景になっているのを知った。 3月には地下鉄サリン事件が発生し、日本国内における最大の無差別テロ事件となる。ただし私の地元に電車が通っておらず、当時は地下鉄にも一度も乗ったことのなかった中学生の私には遠くの東京でのこの事件はほとんどイメージができないものであり、テレビで苦しそうに喘いでいる人たちを見ても現実感はまるで沸かなかった。 このように、何か時代の大きな転換になるような大事件が起きているという空気感がメディアの中で形成されている一方で、6月には「週刊少年ジャンプ」で11年間連載し、少年漫画を牽引し続けた『ドラゴンボール』の連載が終了した。また、同年の7月にはAmazonのサービスが開始され、GAFA帝国の第一歩が始まっていた。 そして、10月4日から『新世紀エヴァンゲリオン』(以下『エヴァ』)のアニメ放映がスタートした。もっとも、当時主人公のシンジたちと同学年の中学二年生だった私はリアルタイムでこの作品にハマったわけではなかった。部活から帰ってきて、テレ東系列の「テレビせとうち」をつけるとたいてい本編は終わっており、ギリギリ見ることができたのはエンディング部分だけだった。そのため、『エヴァ』の最初のイメージは、ED曲「FLY ME TO THE MOON」がかかる中で水中に浮かぶ月と逆さまになって回り続ける綾波レイの姿というものだった。数話はリアルタイムで観たはずだが、熱狂したという記憶もなく、謎本や批評などもまったく手にとることはなかった。 その後、1997年公開の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』に連動した深夜帯での再放送時に高校の同級生がハマったこともあり、改めて第壱話から観るようになって初めて内容を把握し、そのまま映画にも行ったという流れだった。それもあって、中学時代よりも高校時代に『エヴァ』を観たという印象が強く、同世代にはそういう人が多かったはずだ。
『エヴァ』のアニメが放送されていた時期には、あだち充は「少年サンデー」で『H2』を連載していた。1995年は1992年から1999年の連載期間で考えるとほぼ真ん中にあたる時期でもあった。アニメ放映の半年間の時期に『H2』で描かれていたのは、高校二年の夏の地区大会予選での広田勝利率いる栄京学園高校との一戦だった。コミックスで言えば15巻から17巻であり、ちょうど全34巻の折り返しにあたる部分であった。この栄京学園高校との戦いのあとは、基本的には舞台は甲子園での試合がメインとなっていった。
そこからさらに四半世紀を経て、あだち充の画業50周年となる2020年はコロナウイルスの世界的な猛威によって、予定されていた東京オリンピックが延期となり、さまざまなイベントが休止となっていった。現在もなお続くそんな状況の中、公開を延期していた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』全四部作の第四作目となる『シン・エヴァンゲリオン新劇場版:||』(以下『シン・エヴァ』)が、2021年3月8日に公開となった。1995年から26年が経っていた。当時中学二年生だった私たちは四十代に入る、そんな2021年だった。 Twitterでは公開の前からネタバレを喰らわないためのワード設定をしたり、SNSをしばらく見ないと広言するツイートも少なからず見受けられたり、多くの人々が国民的なアニメとなった『エヴァ』の最後をしっかりと見届けようとしていた。 私については、特に初日でなくてもいいと考えていたので、仕事のない公開2日目の9日の朝一の回に観に行った。観る前に思っていたのはひとつ、「お願いだから終わらせてほしい」ということだけだった。 「平成」が終わっていないような気がまだしているのは、「新世紀エヴァンゲリオン」に庵野秀明監督がしっかりケリをつけて終わらせていないからだと、いつからか思うようになっていた。
『虹色とうがらし』の回でも述べたように、昭和天皇が崩御し、「昭和」が終わっていく時には「昭和」を象徴する人物が相次いで亡くなった。「昭和の歌姫」である美空ひばりと「マンガの神様」と呼ばれた手塚治虫という巨星たちだ。 ところが、「平成」は同じようにはならなかった。現在の上皇明仁陛下は生前退位するかたちで「平成」という年号を終わらせた。その「平成」を象徴するグループともいえる「SMAP」は解散することで活動を終え、同じく「平成」を牽引したアーティストの安室奈美恵も引退してその活動を終えた。「平成」を象徴する彼らは亡くなることもなく、それまでの活動を自ら終止符を打つことで、次の元号「令和」へと時代が移譲されていった。それもあってか、どうも自分の中では、まだ「平成」が終わったという感じがしていない部分があった。そして、もしかするとこのまま「平成」を代表するアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』も彼らと同じように途中で活動を終え、未完のままになってしまうのではないかという危惧があった。
『シン・エヴァ』を観終わって感じたのは、「平成」がやっと終わったんだなというものだった。だから、いろんな思いはあるが、きちんと終わったのだから、これはこれでよかったのだと思えた。だが、僕らはすでに「令和」を生きているのに、という気持ちも同時にやってきた。
その後、宇野常寛さんのネタバレを含むnoteを読んだ。やはりここで書かれていることが、私に「平成」を感じさせたのだと思った。ネタバレに関わることでもあるので、まだ観ていない人は次の節を飛ばしてしまってほしい。
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アンチヒーロー(悪役)だった広田勝利の挫折と再生を描いた『H2』| 碇本学
2021-02-25 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。前回につづき、国民的ヒット作『タッチ』以来の本格野球漫画となる『H2』の読み解きです。今回は、『北斗の拳』原作者・武論尊をして「初めて悪役を描いた」と言わしめた、あだち充作品きってのアンチヒーロー・広田勝利のドラマにスポットを当てていきます。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第16回(2) アンチヒーロー(悪役)だった広田勝利の挫折と再生を描いた『H2』
甲子園大会で唯一の敗北を喫した原因は比呂のやさしさだった
『H2』は国見比呂と橘英雄という二人のヒーローと、古賀春華と雨宮ひかりという二人のヒロインの四角関係をあだち流の野球×ラブコメで描いた青春群像だった。あだち充は比呂と英雄の二人のヒーローの対決を甲子園で決着をつける形で描こうと考えていた。 また、前作の野球漫画『タッチ』は甲子園出場を目指すことが物語を動かす大きな動力となっていたが、今作では甲子園での戦いを描くことが最初から決められていたため、比呂や英雄以外の超高校生級選手が数多く登場することになった。
高校二年の夏の甲子園大会では、比呂率いる千川高校野球部があと1勝すれば、三回で英雄率いる明和第一高校との直接対決が実現するはずだった。しかし、二回戦で戦うことになった伊羽商業高校との試合に千川高校は敗れてしまい、高校二年の夏では比呂と英雄の直接対決は叶わなかった。 そして、試合の翌朝に宿舎から抜け出した比呂と眠れずに散歩に出掛けたひかりが海岸でばったり出会い、比呂はそれまで決して伝えることのなかったひかりへ初恋をしていたという想いを告げることになる。そうやって、物語は比呂と英雄と春華とひかりのいびつな四角関係として進み始め、終盤の比呂と英雄の直接対決への大きな伏線となっていった。
雨宮ひかりの叔父であり、新聞記者の雨宮高明は千川高校と伊羽商業高校の試合前に姪のひかりにお世辞を抜きに新聞記者として、今年の優勝校の予想を聞かれた際にこんな発言をしていた。
高明「予想? ──ま、周りの評判を聞いても、明和一が一番人気であることにはまちがいないよ。」 ひかり「周りじゃなくて、叔父さんの予想を聞いてるのよ。」 高明「伊羽商業──」 ひかり「千川と二回戦で当たる?」 高明「ああ。4番の志水と、エースの月形。飛び抜けた才能を持ったこの二人は、同じ中学出身の親友同士なんだよ。根っからの野球好きで、監督が止めなければぶっ倒れるまでやめない練習好き。 ──しかも、人の意見に耳を貸さない思い上がった天才ではなく、乾いたスポンジの吸収力を持った、柔軟で素直な性格── 比呂くんと橘くんが、一緒のチームにいるんだよ。伊羽商業(あそこ)には── 今年の選抜では、明和一を優勝候補に挙げていたんだ。」 ひかり「え。」 高明「心配しなくても、おれの予想は当たらんことで有名だ。」〔『H2』コミックス20巻/「なんの話?」より〕
自分以外のピッチャーでは初めてカッコいいと比呂のことを感じ、研究ではなくファンとして比呂のピッチングのビデオを何度も繰り返して見ていたエースピッチャーの月形耕平、「右の橘、左の志水」と称されるほどのスラッガーであり、四番打者の志水仁。伊羽商業高校のこの二人は中学からのチームメイトで親友であり、比呂と橘が「もし、同じ明和一野球部に入っていたら」という可能性を感じさせるコンビだった。
甲子園大会二回戦における千川高校対伊羽商業高校戦の延長十回表、打者の比呂が一塁に向かった際に、月形がヘッドスライディングしながらグローブを前に突き出してベースタッチしようとした。 月形はタイミング的にも自分のグローブが比呂のスパイクで踏まれると思い、その刹那、目を閉じた。しかし、痛みはやってこずにアウトカウントが審判によってコールされた。比呂は月形のグローグをスパイクすることを躊躇し、そのせいでアウトになったばかりでなく、足を挫くかたちとなってしまう。 比呂はそのことを誰にも悟らせずに、延長10回裏に志水に甲子園大会で初のヒットを打たれる。志水の前に凡退していた月形は監督に「送りバントならピッチャーの前がいいですよ」と助言する。 志水の次の打者はバントするもののサードにさばかれ、2アウトになるが、伊羽商業の監督は次の打者にも国見の前に転がせとバントを指示する。意表をつかれた比呂は取れずに、ランナー一塁三塁、伊羽商業監督がポツリと「左足か」とつぶやく。次の打球で、一塁ランナーが盗塁し、延長十回裏、1点差を追う伊羽商業高校は2アウトながらも、二塁三塁とした。 マウンド上の比呂は口端から血をわずかに流していた。テレビを見ていた明和一の選手たちは口の中を切ったのかもしれないと判断していたが、比呂が歯を食いしばりながら残った力でなんとか投球していることには気づかなかった。また、英雄は「大事なのは次の試合なんだぜ」と心配そうなひかりに告げるが、最後の打者がバントし、比呂の前に転がっていく。誰しもがこれで千川の勝利だと思ったファーストへの比呂が投げた球は、長身の大竹がジャンプしても届かない上の方へ向かっていき、そして逆転のランナーがホームを踏んだ。千川高校は伊羽商業高校に敗れてしまった。
記者たち「足?」 比呂「──ああ、そうスね。ものすごく痛いです、負けたいいわけにしといてください。」 記者たち「10回表一塁に走った時だね、ベースタッチに行った月形くんの手をかばって、足の踏み出しをおかしくしたように見えたけど──」 比呂「なんでもなかったんです、とっさによけとけば。一瞬、そのまま踏んじゃったほうが得かな、なんて考えたもんだから、その分、反応が遅れて、空足になったんです。」 記者たち「またまた。そのまま書いちゃうよ。」 比呂「いいスよ。」 反対側でインタビューを受けている月形と比呂の視線が重なる。月形が頭を下げる。記者たちのうしろで壁に背中をあずけるように話を聞いている高明の姿を見つける比呂。〔『H2』コミックス22巻/「えらいよな」より〕
ここでも、普段はガサツだが他人に気を遣う部分が比呂の性格が出ている。比呂はあえて自分から言い出すことで月形に残るかもしれない罪悪感を少しでもなくそうとしていたのだろう。おそらく、ここで比呂が言わなかったら月形だけではなく伊羽商業監督ももし明和一に勝ち、その後、優勝できたとしてもずっと心にしこりを残してしまうことになったはずだ。 甲子園で敗退して東京に帰り、明和第一高校と伊羽商業高校の試合当日の朝に比呂が起きると、野田が勝手に国見家に上がり込んで飯を食べていた。
比呂「心配すんな。」 野田「ん。」 比呂「おまえが思うほど、落ちこんじゃいないよ。」 野田「見事だったよ。おれにも気づかせなかったもんな、その足。まったく、おまえらしい負け方をしてくれるよ。」 比呂「悪かったな、ドジで──」 野田「おまえはプロには行かねえほうがいいな、あそこで月形の手を踏めないようじゃ──な。本当に手に入れたいものがあるのなら、だれかを踏みつけてでも進むべきだ。」 比呂「こらっ、てめえ! おれの分がなくなるだろ!」 野田「踏みつけてでも進むんだ!」 比呂「食うな!」〔『H2』コミックス22巻/「悪かったな、ドジで──」より〕
甲子園大会三回戦で明和第一高校は伊羽商業高校に勝利する。その後も勝ち進み夏季甲子園大会で優勝を果たすことになった。春華は明和一か伊羽商業の勝者のどちらかが今年の優勝校だと言い、それが当たることになった。それは千川が伊羽商業に勝っていれば、明和一にも勝利し、千川高校が優勝していたはずだという気持ちの現れのようにもみえる。 ちなみに『H2』での千川高校が出場した夏季&春季甲子園大会において作中で描かれている限りでは、千川高校が負けた唯一の相手校は伊羽商業高校となっている。
比呂が月形のグローブをスパイクで踏みつけなかったというこの行為は、実はある人物と比べると非常に対照的なものとしても捉えることができる。それが千川高校と同じ北東京ブロックにおいて最大の敵となった、栄京学園高校の広田勝利である。 広田はそれまでのあだち充作品に出てきたキャラクターの中でも、もっとも悪役らしい悪役だった。また、『タッチ』におけるダークサイドに落ちて明青学園高校野球部に復讐を果たそうとした柏葉英二郎に近い存在(亜種)としても考えることができるだろう。 柏葉英二郎に関しては、なぜ彼が野球部に復讐をしようとしたのかや過去の事情について、上杉達也と浅倉南という主要キャラが知ることになり、読者も彼を完全な悪としては見ることができないという構図があった。しかし、この広田に関してはそのバックグラウンドは親戚筋であり、千川高校野球部にスパイとして送り込まれた島オサムと大竹文雄、そして中学時代に広田によって野球部から追い出された佐川周二といった脇役たちによって語られる。そのため、読者の視点においても、柏葉英二郎に対して感じた同情のようなものは、ほとんど感じることができなかった。広田は自らの持てる力を行使し、弱いものを徹底的に痛めつけるという非道さを見せていくからだ。
あだち充作品史上最も悪役≒アンチヒーローだった広田勝利
比呂たち4人のメインキャラたちのドラマに対するアンチテーゼとして広田勝利が劇中に登場するのは、コミックス6巻の「何が?」の回からの高校一年の秋季大会決勝戦での明和一高校戦からとなる。それまでの展開では、英雄の幼なじみである佐川周二が少し悪い(グレた)奴という感じで描かれていた。しかし、その佐川がグレてしまったのは、実の兄の死だけではなく、中学時代に野球部を追い出されたことが原因となっており、その張本人が広田であった。 佐川は英雄やひかり、そして比呂と触れ合っていくうちに真面目に勉強して、千川高校へ入学することを決める。佐川が野球で広田に復讐するためには、英雄がいる明和一高校ではブロックが違い、甲子園大会予選では対決することができなかったという理由もあった。また、比呂のピッチングを目の当たりにした佐川は、広田を倒せるとしたら比呂しかいないと確信したからだった。
英雄たち明和一との秋季大会から姿を現した広田勝利。その顔は、ちょっと精悍な柳守道(千川高校野球で比呂のチームメイトの二塁手であり、校長の息子。広田と同じく父と息子の関係が物語の前半で描かれることになった)といった印象だ。英雄の第一打席は三振だったが、もっとも試合を観にきていた比呂たちに衝撃を与えたのは、予告三振で英雄を三振に打ち取ったということだった。 一度帽子をさわって手を上げる。そんなふざけた真似であるものの、その一連の動きをした際には打者を実際に三振にとっていた。しかし、明和一だけではなく、秋季大会の毎試合でそれが続くため、本人は否定していても周りや観客は、いやでもその仕草による予告三振を期待するようになっていた。 広田は試合中にサードの選手の出足が遅れたことについて、「スタート遅いんじゃないすか先輩。レギュラーは大事にしてくださいよ。一年にいいサードの控えがいるんですよ」とわざと言って年上の先輩を恐縮させていた。そうやって他のナインが自分の支配下にあること、逆らえない立場であることが数コマで示唆された。
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サッカー人気が過熱する中で始まった野球漫画『H2』| 碇本学
2021-01-25 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。今回から、1990年代を代表する野球漫画となった『H2』の読み解きです。Jリーグ開幕でサッカー人気が過熱するなか、あえて国民的ヒット作『タッチ』以来の野球&ラブコメという王道テーマへの再挑戦となった本作の成立背景と作風の特徴に迫ります。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第16回(1) サッカー人気が過熱する中で始まった野球漫画『H2』
1990年代を代表する野球漫画『H2』
『タッチ』以来となる野球漫画『H2』は、前作『虹色とうがらし』の連載が終了してから、わずか4ヶ月後に連載が開始された。『H2』は「少年サンデー」1992年32号から1999年50号まで連載され、コミックスは全34巻まで発売された。 コミックス全34巻中、高校一年生編は1巻の第1話「おれの青春だよ」から9巻「まァ、いいさ」まで、高校二年生編は9巻「スタート!」から28巻「絶好調」まで、高校三年生(夏まで)編は28巻「土をまいているの」から34巻最終話「最初からないのよ」までとなっている。 「ゲッサン」で連載中の『MIX』は、2012年6月号から現在まで連載が続いており、連載期間では『H2』よりも長くなっている。しかし、『MIX』は月刊連載(何度か休載している)であり、連載回数があだち充作品で最も多い作品は今のところ、『H2』となっている。
1980年代には『タッチ』、1990年代には『H2』、2000年代には『クロスゲーム』、2010年代から2020年代には『MIX』。1980年代以降、あだち充はその時代の読者にとって、代表的な野球漫画を描き続けていることになる。それぞれの作品の合間には、あだちが好きなものを楽しんで描いた作品がいくつか存在する。あだち充が自らのコンディションやモチベーションを維持するという意味でも、合間の作品は必要不可欠なものだった。
『H2』が長期連載になった要因のひとつは、前作にあたる合間の作品である『虹色とうがらし』を描いたことだった。『虹色とうがらし』から『タッチ』や『ラフ』の時とは違うピッチングフォームにガラリと変えたことで、いろんな意味でリセットをすることができたと、インタビューであだちは答えている。また、この連載の終わり近くになってからは、『タッチ』の担当編集者でもあった三上信一が「少年サンデー」に帰ってきて、再びあだちの担当編集者になったことも『タッチ』以来の野球漫画を描くことにも繋がったのだろう。
当時サッカーJリーグが開幕した頃で、実はサッカー漫画にしたいという要望もありました。Jリーグの開幕戦も無理やり観に行かされました。でもやっぱり僕は、間のないスポーツがダメなんです。タイムアップがあるのもね。作風的にも合わなかった。それはいまだにそう思います。 だから、比呂が高校で野球を始める前にサッカー部に入るのは、完全に当てつけ。周りがあまりにもサッカーサッカーとうるさかったから。当時のサッカー熱は異常だった。〔参考文献1〕
試合全体の結果については、最初に考えて始めることは一度もないんです。ここで三振を取ったほうが面白い。それなら次の打席ではどうしたらいいかなというくらいです。野球はスリーアウトを取るまでわからないんだから、どうにでも描ける。いくらでも逆転可能。そういう可能性が最後まであるスポーツは助かります。 サッカーは残り3分で5点差なら、そこでゲームは終わってますから。サッカーファンに嫌われると困るので細かいことは言いませんが。美意識や生き方で、やはり時代劇好きで、義理、人情好きの漫画家は、野球のほうが相性がいいみたいです。〔参考文献1〕
前半の、千川高校のサッカー部と野球愛好会の野球の練習試合なんて、ほんとデッタラメだよね。でもこの試合のおかげで木根竜太郎というキャラクターが立ったし、この試合自体でちゃんと野球の面白さを描いてます。〔参考文献1〕
1991年11月に「社団法人 日本プロサッカーリーグ」(略称「Jリーグ」、2012年より公益社団法人に移行)が設立され、1993年の5月には初年度のリーグ戦が開始された。日本中が「Jリーグ」フィーバーに沸いた。 著者は当時小学生だったが、それまでサッカーに興味なかった同級生たちが、それぞれお気に入りのチームのアイテムを買ったり、下敷きなどの文房具を「Jリーグ」のチームのものにしたりしていたのを見た記憶がある。その流れはやがて、日本代表戦への過熱な応援にも向かっていき、初のW杯出場へと日本を導くことになった。 同時に、サッカー日本代表の応援が、少しずつ違う形となって日本の中でファシズム的なものを形成していく要因のひとつにもなったように感じている。
話を戻すと、『H2』連載開始前には、あだちと「少年サンデー」編集長と白井康介と担当編集者の三上信一の4人で新連載の合宿を行ったもののなにも決まらなかった。編集部としては「Jリーグ」の人気にあやかって、あだちにサッカー漫画を描かせたがっていたようだが、あだちは次回作では野球漫画を描くと最初から決めていた。
上記のあだちの発言にあるように、物語の序盤には主人公の国見比呂がサッカー部に入部する。物語の舞台となる「千川高校」には野球部はなく、「野球愛好会」がほそぼそと存在していたが、運動神経のいいものたちが集まっているサッカー部に馬鹿にされ、その存在を校内でさえ知られていないありさまだった。 ひょんなことから「野球愛好会」とサッカー部の野球対決が持ち上がる。その試合の途中で、比呂はサッカー部のメンバーたちの野球を馬鹿にする態度に苛立ちを覚え、試合中に突如退部して「野球愛好会」に入会する。 「野球愛好会」のメンバーとして、サッカー部のピッチャーである木根から満塁ホームランを打った比呂は、「タイムアウトのない試合のおもしろさを教えてあげますよ」と印象的なセリフを放つ。これは編集部からサッカー漫画を描くように言われたことによる、彼なりの反抗が込められていたはずだ。また、あだち充が考える美意識や生き方について、この『H2』で描くという宣言のようにもとれる。
1986年に『タッチ』の最終回を迎えており、『H2』連載前には『タッチ』フィーバーの余波はほとんどなくなっていた。あだちも6年経った今なら、もう一度野球漫画を描いても大丈夫だろうという気持ちになっていた。 また、『タッチ』では野球の試合をすっ飛ばして描いていた(しっかりと野球を描いているのは地区大会の決勝戦の須見工戦だけとも言えなくもない)ことから、今度はしっかり野球をやろうという意識もあだちに芽生えていた。 そして、好き放題にやらせてもらった『虹色とうがらし』の次の作品では、ヒットする作品を狙わないとマズいということも強く認識していた。『みゆき』と『タッチ』は国民的な漫画となるほどの爆発的な売れ方をしたが、それに比べれば『ラフ』も『虹色とうがらし』もそこまで売れていなかった。 サッカー人気が出ているからと言っても、義理や人情のある時代劇が好きな彼の感性とサッカーという競技は合わないことも彼の中ではすでにわかっていた。だからこそ、あだち充流のラブコメ要素のある野球漫画を描いて、ヒットさせることが新連載の大きな目標となった。
タイトルの『H2』は「ヒーロふたり、ヒロインふたり」という設定から取られており、すんなり決まった。 主人公であるエースピッチャーの国見比呂、比呂の親友でスラッガーの橘英雄、比呂の幼なじみであり英雄の恋人である雨宮ひかり、比呂が入学した千川高校の野球愛好会でマネジャーをしている古賀春華の4人がメインとなった。 比呂と春華、英雄とひかり、それぞれのカップリングは順調に進んでいくが、高校二年生の終わり近くでひかりの母が急死したことから、4人の関係性やバランスに変化が起こり、いびつな四角関係となってしまう。
『H2』がヒーローとヒロインそれぞれふたりずつという設定は、ヒットさせたいというあだちの気持ちの現れだったのだろう。また、この四角関係の設定を作ることで、最後の最後まで比呂とひかりはどっちにいくかわからない展開になり、読者を強く惹きつけることになった。 あだち充のこれまでの作品では、主人公とヒロインが物語においていろいろあったとしても、最終的には一緒になるというのが当たり前だった。『H2』で言えば、幼なじみの比呂とひかりが最終的には一緒になるのではないか、という考えが大方の読者にはあった。このことは『みゆき』のラストにおいて、主人公の若松真人とヒロインの若松みゆきが一緒になり、ふたりそれぞれに振られたかたちとなった鹿島みゆきと沢田優一が旅先で出会って終わるという未来を感じさせるものだったことも影響していたはずだ。 比呂とひかり、英雄と春華、という組み合わせで終わる可能性が高いのではないか、と当時リアルタイムの読者だった私も思っていた。しかし、物語が進むにつれて、古賀春華の読者人気が高くなっていったことも関係し、その予想は見事に裏切られていった。
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父としてのあだち充の「本音」と「優しさ」が描かれた『虹色とうがらし』(後編)| 碇本学
2020-12-22 07:00550pt
ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。前編に続き、異色作『虹色とうがらし』の読み解きです。ファンが期待する青春ラブコメ路線を離れ、あだち充がSF×時代劇の趣向を隠れ蓑に個人的な好みと思いを徹底的に追求した本作は、それ以前にも以後にもない「父」の視点が際立つ作品となりました。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第15回 父としてのあだち充の「本音」と「優しさ」が描かれた『虹色とうがらし』(後編)
「SF×時代劇」の見かけに隠された「本音」
「ラフ」を描いたあとで、もうこの辺で好きなことやってもいいんじゃないかと。ウケようがウケまいが知ったことではないということで始めたのが、「虹色とうがらし」ですね。〔参考文献1〕
『虹色とうがらし』における「SF×時代劇」という世界観は、ほかのあだち充作品と比べるとやはり異色である。それは作品の冒頭からすでに現れていた。 それまでのあだち作品では、このキャラクターが主人公だということを示すようなシーンや、彼らの住んでいる家や町の風景のコマ、あるいは主要人物の関係性や特徴を示すものが冒頭に描かれているものが多かった。 あだち充作品の中でも、特に冒頭が素晴らしい『タッチ』を例に挙げてみよう。 冒頭2ページは達也たちの勉強部屋の全景を一コマで描いたほぼ同じものが四コマ続く構図がそれぞれのページで繰り返される。 1ページ目の一コマ目は全景のみ、二コマ目は左から学生服の南が歩いてくる、三コマ目は南がドアを開けて中に入っていく、四コマ目でドアが閉まり学生鞄を持った南が左方向へ歩いていく。 続く2ページ目も構図はほぼ同じ。一コマ目は屋根にスズメがいる以外は同じであり、二コマ目で右から学生服の和也が歩いてくる。三コマ目も南とほぼ同じであり、四コマ目も学生鞄を持った和也が部屋の左側へ歩いていくという同じ構図だった。 3ページ目では通学路での南と和也のやりとりが描かれ、二人の顔がやっとわかり、4ページ目でやっと主人公である達也が登場する。ここでは南と和也の最初の登場シーンと同じ勉強部屋を描いた四コマであるが、最初の一コマ目は二人とほぼ同じであり、違うとすればスズメが地面をチュンチュン歩いていることぐらいだ。二コマ目では服を着替えながらパンを口にくわえた達也が右からやってくる姿が描写されている。また、さきほどのスズメが達也に踏まれて「グェッ」と鳴いている。三コマ目では先の二人と比べて勢いよくドアを開ける達也、四コマ目ではパンをくわえて学生鞄を持った達也や部屋の左側に向かって走っていく。達也に踏まれたはずのスズメはなんとか復活して少し地上から飛び上がっている。そして、次の5ページ目では「明青学園中等部」の学校プレートが描かれて物語が動き始める。
連載1回目の最初のページ──見開きで8コマ使って同じ背景に主人公たちが出入りしている絵は、コピーじゃなくてちゃんと全部描いてますよ。今となっては気にならないかもしれないけど、まあ、当時の少年誌の1回目としてはあり得ないよね。でも、とりあえずなんか変なことをしたかったんでしょう。『サンデー』の新連載だからって肩に全然力が入ってない。我ながら呆れます。〔参考文献1〕
このように『タッチ』の冒頭で、達也と和也と南の三人それぞれのキャラクターをほとんどセリフもなく読者に伝えていけるのが、あだち充の作家としての魅力である。その凄みが感じられないぐらいに自然な描き方をしているため、読者はすぐに物語の世界へ入っていくことができるし、キャラクターの性格や関係性を違和感なく受け止めることができる。
対して『虹色とうがらし』は、それまでとは違うものを描くという意欲もあってか、連載前に高橋留美子に作品の構想を話していたという話もあり、あだち充作品と少し違う始まり方をしている。かなり力を入れて始めたと思しき初回はこんなものだった。 第1話の冒頭、作品の最初の1ページ丸々使った一コマでは宇宙に浮かんでいる地球が描かれ、「これは未来の話です。」とあり、次ページからはどんどんズームアップされて地上へ近づいていく。
次に空が描かれたコマには「オゾン層に穴はなく、大気も汚染されていない。」とあり、その次のコマでは「原生林もそのままに、川には魚が住み、海に油も浮いてない。」と続く。海の中を描いたコマでは「もちろんイニシャル入りの珊瑚礁など、どこにもみあたらない。」とある。
「あだち充先生より」みなさんこんにちは、あだちです。「ラフ」完結以来しばらくの間お休みをいただいていましたが、いよいよ今号より新連載スタートです。僕が時代劇に挑戦するとあって驚かれた方も多いと思いますが、僕自身は描きたいことがいっぱいあってドキドキしています。ご期待を!! 〔参考文献2〕
「少年サンデー」1990年4・5合併号に掲載された第1話のそのページの枠外には上記のような、あだちからのコメントが入っていた。「描きたいことがいっぱいあって」という部分から、意欲的にこの作品に臨もうとしている姿勢がわかる。 次のページには空から見た日本が描かれ、物語の舞台が日本だということがわかる。そこには「昔の地球? 最初にいったろ! これは未来の話だと。」とモノローグが続き、さらにズームアップされて、町の地図と立ち並ぶ長屋が描かれ、「この風景が昔の地球のある国のある時代に似ていたとしても、それはただの偶然だということなのである。」というモノローグが挿入されている。 ページが変わると立札に「時代考証に口出し無用 奉行所」とあり、そのコマに続けて、「念のためもう一度、──これは未来の話である」とくどいほどモノローグと世界観についての説明がされている。そのコマでお墓の前で手を合わせている主人公の七味と火消しの番頭夫妻がようやく現れる。そして、母を失ったことが明かされ、ある意味では孤児になった七味が江戸の「からくり長屋」に旅立っていくという流れになる。 あだち充は冒頭の3ページを使って舞台設定についてモノローグで説明をしている。基本的にあだち充はモノローグを使わない漫画家である。また、江戸時代にしか見えない物語の舞台が「昔の地球のある国のある時代」に似ていても偶然であり、「未来」の話とも言っている。これは後々何度か作中でも「モノローグ」として挿入されており、他の作品ではこのようなことはないので、かなり特異なものとして感じられる。
こんなふうに、『虹色とうがらし』は過剰なまでに「SF×時代劇」という題材の特異性を強調して始まった作品だった。確かに「SF×時代劇」という部分は際立っているので、「ラブコメ」を求める従来のあだち充読者には、あまり手を伸ばしにくいものになっていたのかもしれない。しかし、それは一種のカモフラージュでもあって、その下にはあだち充が考える「優しさ」がセリフとして表現したいという思惑が潜んでいた。
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