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記事 116件
  • e-sportsはどう社会を変えるのかーー〈ゲーム〉と〈スポーツ〉の相克をこえて(後編)

    2019-11-13 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、2018年に明治大学で行われたe-sportsをテーマにしたシンポジウムのレポートをお届けします。後編では、メディアテクノロジーの研究者・福地健太郎さんが、スコアを争う競争に留まらない、多様な評価軸を取り込んだ文化的なゲームのあり方について提案します。 ※本記事は「明治大学アカデミックフェス2018」(2018年11月23日開催)での各種プログラムを収録した電子書籍『知を紡ぐ身体ーー人工知能の時代の人知を考える』(明治大学出版会)の一部を転載したものです。
    2019年11月23日に「明治大学アカデミックフェス2019」が開催されます。学生・一般の方を問わず無料でご参加できますので、ぜひご来場ください。
    デジタル技術と身体
    中川 最後にご登壇をお願いするのは、同じく明治大学の福地健太郎先生です。福地先生は主にメディアテクノロジーの工学的なご研究をされていて、デジタルゲームにも非常に造詣が深く、学内の教員ではもっともゲーム研究に通じていらっしゃる方の一人です。いまの高峰先生のご発表のなかにもあった「デジタル技術と身体」の問題に対して、クリティカルな立場からのご発表をいただけると思います。
    身体運動とテクノロジーの関係をめぐって
    本学総合数理学部で教員を務めております、福地と申します。ふだんは、さまざまな映像メディアを多様な場面に実装していく研究をしております。最近は能と映像技術の融合ということをやっておりまして、2019年1月には実際に能舞台で披露いたします。この系統のルーツにあたる研究として、もう15年くらい前のものになりますが、2003年には音楽フェスティバルでお客さんがリアルタイムに楽しめる映像作品の展示を行っています。こうした実践を通じて、映像技術が人間の身体や行動にどのような影響を与えられるのかということが、自分の研究の中心テーマになっております。 この技術を応用したもので、スポーツとエンターテインメントのテーマに関連するものとして、「自撮りトランポリン」というものをつくりました。この研究の背景として、健康増進やリハビリテーションの現場では、ただ「運動しなさい」と言っても誰もやりたがらない、ということがあります。特にリハビリテーションの場合は、継続が辛くて、ついついサボってしまう。そのような人たちに対して、モチベーションを提供するために映像技術を応用できないかというところから取り組みました。具体的には、トランポリンでピョンピョン跳んでいると、Instagramよろしく、パシャッと良いタイミングで写真を撮ってくれるという、単純な機構のシステムです。 これを明治大学中野キャンパス前の中野セントラルパークで行われた夏祭りで展示したところ、4時間の展示で約660枚の写真を撮影することができました。1枚の写真を撮るためにだいたい10回くらい跳ぶので、延べ6,600回くらい人を跳ばしています。図の右側に一番枚数が多い順番に結果を並べた順位表がありますが、一位の子は84枚、つまりこの日、840回くらいトランポリンを跳んでいることになると思います。さぞかしこの日の夜は、ぐっすり眠れたのではないでしょうか。
    ゲームの力でスポーツの評価軸を多様化する
    ここでポイントになるのは、ゲームの面白さをリハビリテーションや運動に取り入れようという際には、より高く跳びましょうとか、たくさん跳びましょうとか、ある種のスコア競争のかたちで採り入れがちになることです。いわゆるゲーミフィケーションの方法論の多くは、そのような定量化された指標によってユーザーを動機づけしようという仕組みが中心になっているように思います。 ただ、トランポリン運動の場合に「高く跳ぼう」ということを目的に取り入れてしまうと、危険な姿勢で跳んでしまったり、反対にすぐに諦めてしまう子がどうしても出てしまう。そうした時に、競争の原理として「より高く」「より速く」といったスポーツ的な競技性ではなく、「より面白い写真を撮りましょう」という呼びかけをしているところが、この研究のポイントです。
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  • e-sportsはどう社会を変えるのかーー〈ゲーム〉と〈スポーツ〉の相克をこえて(中編)

    2019-11-12 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、2018年に明治大学で行われたe-sportsをテーマにしたシンポジウムのレポートをお届けします。中編では、スポーツ社会学が専門の高峰修さんが、デジタルゲームを含んだ包括的なスポーツの定義のあり方について発表します。 ※本記事は「明治大学アカデミックフェス2018」(2018年11月23日開催)での各種プログラムを収録した電子書籍『知を紡ぐ身体ーー人工知能の時代の人知を考える』(明治大学出版会)の一部を転載したものです。
    2019年11月23日に「明治大学アカデミックフェス2019」が開催されます。学生・一般の方を問わず無料でご参加できますので、ぜひご来場ください。
    e-sportsとスポーツ
    中川 さて、ここまではe-sports業界の「中の人」側からのプレゼンテーションでした。ここからは明治大学の二人の教員に、それをアカデミックサイドがどのように受け止めるのかという方向で議論の提起をお願いしたいと思います。e-sportsという新しいジャンルの勃興に対して、われわれの社会にはスポーツが築いてきた既存の文化があります。いわば先達である一般スポーツの経験から捉え直した時に、e-sportsが果たす社会的な意義や役割は、どのように考えることができるのか。スポーツについての研究を専門とされている高峰修先生のお話をいただきたいと思います。
    「スポーツ」の定義からe-sportsを考え直す
    皆さん、こんにちは。私は大学で体育の実技の指導をするかたわら、「スポーツ社会学」という分野でスポーツのことを考えています。 そもそも、スポーツとはどういうものかということを、皆さんは深く考えたことがあるでしょうか? これを考えるにあたって、スポーツをめぐる著名な専門家や国際会議、あるいはいろいろな国の法律などで取り上げられているスポーツの定義について、共通する要素を抜き出してみました。 一つ目は、スポーツのいちばんの基本にあるのは、何かのために行う仕事や労働ではなく、広い意味での「遊び」だということ。英語では「play」という言葉が使われますが、これは人間にとっての遊びについて深く考察した研究家であるヨハン・ホイジンガやロジェ・カイヨワといった人たちが指摘している、非常に有名な考え方です。 二つ目は、遊びのなかでも、特に「競争」や「対戦」、あるいは「挑戦」といった要素を本質とするもの。レスリングやサッカーのように対戦相手がいる場合もありますし、陸上競技で記録の更新をめざすように自分との戦いという場合もあります。または登山や波乗りなど、自然環境への挑戦という場合も含まれます。 三つ目は、そういったもののなかでも、さらに「身体活動」を伴うもの。私が大学に入った頃は、「大筋運動」ということが、スポーツの定義のなかで言われていました。要は、身体を構成する筋肉を大きく動かす、または大量の筋肉を使って行う活動だという定義です。 ただしこれは、よく考えると「本当にそうなのかな?」と思えてきます。スポーツを語る時の難しさは、あまり典型的な定義には収まらないさまざまなスポーツがあるということですが、今日のこの話に関しては、利点になるかもしれません。
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  • 今夜20:00から生放送! ゲーム・オブ・ザ・ラウンド 第3回 令和元年のeスポーツ──ゲーセン文化とコミュニティの視点から 出演:影澤潤一(かげっち)/加藤裕康/松田泰明/中川大地

    2019-11-11 07:30  

    「ゲーム・オブ・ザ・ラウンド」は、話題の最新タイトルから懐かしの名作、xRやAIといったテクノロジーや社会的・学術的なトピックまで、あらゆる話題を縦横無尽に語り合う〈ゲーム円卓会議〉。『現代ゲーム全史』の評論家/PLANETS副編集長の中川大地を進行役に毎回豪華ゲストをお迎えしながら、ゲーム・カルチャーの真髄をえぐるクリティカル・トークを繰り広げていきます。

    第3回目のテーマは、世界的な盛り上がりが継続中の「eスポーツ」ムーブメントの実像について。
    古くからゲームセンターで育まれてきた日本の対戦ゲームコミュニティは、
    2018年の日本eスポーツ連合(JeSU)発足以来の「eスポーツ」化の波をどのように受け止めているのか。
    伝説のゲーセン「ゲームニュートン」のオーナーで、
    今年8月からはGaming Community Network(GCN)の活動を開始した松田泰明さん、
    個人
  • e-sportsはどう社会を変えるのかーー〈ゲーム〉と〈スポーツ〉の相克をこえて(前編)

    2019-11-11 07:00  
    550pt

    世界的なe-sportsの隆盛に対して、ようやくキャッチアップをはじめた日本のゲーム業界。日本のe-sportsはどのような課題に直面しているのか。PLANETS副編集長・中川大地がコーディネーターを務めた明治大学でのシンポジウムの記録をお届けします。前編では、SEGA・eスポーツ推進プロデューサーの西山泰弘さんとウェルプレイド株式会社代表取締役CEO谷田優也さんが、日本のe-sportsの状況について報告します。 ※本記事は「明治大学アカデミックフェス2018」(2018年11月23日開催)での各種プログラムを収録した電子書籍『知を紡ぐ身体ーー人工知能の時代の人知を考える』(明治大学出版会)の一部を転載したものです。
    2019年11月23日に「明治大学アカデミックフェス2019」が開催されます。学生・一般の方を問わず無料でご参加できますので、ぜひご来場ください。
    イントロダクション
    明治大学野生の科学研究所研究員の中川と申します。 土屋恵一郎学長からのアカデミックフェスの主旨説明でもあったように、これからの知のあり方の「楽しさ」を考えていくことが、この「e-sportsはどう社会を変えるのか」と題したセッションの役割になります。ニュースなどで耳にしたことがある方も多いかと思いますが、e-sportsというのは、いわゆるデジタルゲームを使った対戦競技です。これが2018年に入って、非常に大きく盛り上がってきています。 もともと日本には、1970年代からゲームセンターや家庭用ゲーム機で根強くゲーム文化を培ってきた土壌があります。対して、世界では主にPCでプレイするゲームタイトルを競技種目に、個人あるいはチームを組んだゲーマーたちが高額な賞金をかけて対戦するのを一種のプロスポーツとして観戦するといったシーンが、ここ15年ほどで急成長してきました。そのような海外主導の競技文化を輸入するかたちで、いまようやく国内でもe-sportsブームが起きているという状況です。 こうしたゲームをめぐる異文化接触が、どのように社会を変えていくのかということを、今日は楽しみながら考えていきたいと思っています。実はこのセッションの後、「明治大学学長杯 三種混合e-sports大会」として、実際に大学でe-sports大会を行ってみようという取り組みを準備しています。その主旨紹介も兼ねたかたちで、今回のセッションを進めていきたいと思います。 最初にご登壇いただくのは、午後のe-sports大会の競技種目の一つである『ぷよぷよeスポーツ』のベンダーであるSEGA eスポーツ推進室プロデューサーの西山泰弘さんです。
    e-sportsとは。そして何が生まれるんだろう。
    日本におけるe-sportsの現状
    皆さん、SEGAの西山と申します。私からは、「e-sportsとは。そして何が生まれるんだろう。」と題して、日本におけるe-sportsの現状や、SEGAのようなゲーム会社の立場からはどう見えるかというスタンスについて、私の個人的な考え方も交えながらご説明させていただきます。 まず、e-sportsとは何かについてですが、ゲームを通してプレイヤー同士がスキルを駆使して対戦することに加えて、ゲーム大会とその環境下でのプレイヤーとファンの共感の場、といった捉え方をさせていただいています。つまり、プレイヤー同士が競う大会が、観客を集める興行として行われるという構造があるわけです。 たとえばスポーツというカテゴリーには、個人的にキャッチボールをしたり、学校の運動会でリレーをしたり、さまざまな内容が含まれていますが、そのようなアマチュアの活動が裾野になって、プロ野球を観たり、オリンピックで応援したりする人たちがいます。あるいは関連グッズを売ったり、それを買ったりする人たちもいて、プロスポーツという興業が成り立っています。そのような活動を全部含めて、私たちはスポーツと呼んでいます。 ゲームについても同じことが言えるわけです。家庭でゲームを買って、ちょっと友達と対戦することもあれば、ゲームセンターやオンラインで見知らぬ誰かと対戦することもある。そこからいまではプロゲームプレイヤーと呼ばれる人たちが登場して、自分でプレイする以外にも試合を視聴したり、ファンとして同じ場を共感するという、スポーツビジネスと同じようなシーンが成立してきています。このような状況を指してe-sportsという表現があるのだと思っていただくと、わかりやすいかと思います。 国内でe-sportsが話題になっている背景には、2018年の2月に「JeSU(日本eスポーツ連合)」という統一団体が発足したことがあります。それまではe-sportsの業界団体は四つほどあったのですが、オリンピックやアジア大会、あるいは国体などの国内外のスポーツ競技大会に日本の選手が出場する場合の派遣主体になったり、競技種目となるタイトルの版権をもつゲーム会社とのあいだでの権利処理をしたり、あとは大会で選手に賞金を出す際の法律的な問題をクリアにするための窓口として、一つに統合したわけです。 そのような動きを受けて、国内のゲームメーカー各社も本腰を入れ始めて、2018年は「e-sports元年」と言われるようになりました。たとえば、私がいるSEGAグループ内でのe-sportsの事業部も4月に立ち上がりましたし、5月にはコナミの『ウィニングイレブン[註1]』が2019年に開催される国体文化プログラムに協力する告知があり、さらには、8月にジャカルタで開かれたアジアカップに採択されています。9月の東京ゲームショウでも、2017年のVRに続いてe-sportsがゲーム業界のいちばんのメイントピックとして扱われるような状況が生まれています。
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  • 今夜20:00から生放送!池谷勇人×木村祥朗×吉田寛×中川大地「『moon』復刻と メタフィクション・ゲームの系譜」2019.10.31/GAME OF THE ROUND

    2019-10-31 07:30  

    新番組「ゲーム・オブ・ザ・ラウンド」は、 話題の最新タイトルから懐かしの名作、xRやAIといったテクノロジーや社会的・学術的なトピックまで、あらゆる話題を縦横無尽に語り合う〈ゲーム円卓会議〉。『現代ゲーム全史』の評論家/PLANETS副編集長の中川大地を進行役に毎回豪華ゲストをお迎えしながら、ゲーム・カルチャーの真髄をえぐるクリティカル・トークを繰り広げていきます。
    第2回目のテーマは、去る10/10にニンテンドーSwitchで復刻配信されて 人気再燃中の『moon』をめぐって。 20世紀末プレステ黄金期のゲームシーンに衝撃を与えた「アンチRPG」は、 なぜ21世紀の現代に蘇ったのか? 『MOTHER』とともに『UNDERTALE』などの インディーゲームを触発した本作のゲーム史的な意義とは? 開発者の一人である旅人でゲームデザイナーの木村祥朗さん、 ねとらぼ副編集長の池谷勇人さん、東京
  • 今夜20:00から生放送!飯田和敏×犬飼博士×高橋ミレイ×中川大地「『ドラクエウォーク』と位置情報ゲームの思想戦」2019.10.16/GAMES OF THE ROUND

    2019-10-16 13:00  

    今夜から、新番組「ゲーム・オブ・ザ・ラウンド」がスタートします。話題の最新タイトルから懐かしの名作、xRやAIといったテクノロジーや社会的・学術的なトピックまで、あらゆる話題を縦横無尽に語り合う〈ゲーム円卓会議〉。『現代ゲーム全史』の評論家/PLANETS副編集長の中川大地を進行役に毎回豪華ゲストをお迎えしながら、ゲーム・カルチャーの真髄をえぐるクリティカル・トークを繰り広げていきます。記念すべき第1回のテーマは、『ドラゴンクエストウォーク』と位置情報ゲームの最新動向について。『テクテクテクテク』や『ハリー・ポッター:魔法同盟』なども含め、『ポケモンGO』以降の3年間で何が変わったのか?ゲームクリエイターの飯田和敏さん、運楽家/ゲーム監督の犬飼博士さん、ライター/モリカトロンAIラボ編集長の高橋ミレイさんとともに、各タイトルの“思想対決“の諸相に迫ります!▼放送日時2019年10月16日
  • 今夜20:00から生放送!菊池昌枝×岸本千佳×宇野常寛「これからの京都の話をしよう」2019.9.24/PLANETS the BLUEPRINT

    2019-09-24 07:30  
    今夜20時から生放送!「PLANETS the BLUEPRINT」では、 毎回ゲストをお招きして、1つのイシューについて複合的な角度から議論し、 未来の青写真を一緒に作り上げていきます。 年間5000万人以上の観光客が訪れる、日本随一の観光都市・京都。2020年東京五輪を前にして、多くの外国人観光客の訪日が予想される今、京都には果たしてどんな観光戦略が必要とされているのでしょうか。今回は、京都での宿泊事業立ち上げに携わり、現在は某リゾート・リート 投資法人でIRをご担当される菊池昌枝さんと、京都を拠点に活躍する不動産プランナーの岸本千佳さんをお迎えし、「観光しない京都」を提唱する宇野常寛とともに、京都のこれからについて考えます。▼放送日時2019年9月24日(火)20時〜☆☆放送URLはこちら☆☆https://live.nicovideo.jp/watch/lv321656191▼出演
  • 【特別寄稿】中川大地 ゲーム学からみた人類史──ルールとフィクションが織りなす文明の発展

    2019-09-24 07:00  
    550pt

    今朝のメルマガは、ゲーム評論家の中川大地さんによる論考をお届けします。近年勃興しつつある「ゲーム学」は、人類史・文明史をいかに読み替えるのか。ホイジンガやロジェ・カイヨワの〈遊び〉の議論を、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』『ホモ・デウス』と接続することで切り開かれる新たな地平を展望します。 ※本記事は、上海・澎湃新聞の日中韓ゲーム批評特集に掲載された「中川大地:规则与虚构交织的人类文明发展」(中沢新一・中川大地編『ゲーム学の新時代』(NTT出版)掲載の論考を改稿)の翻訳前の原稿を転載したものです。
    ▲『ゲーム学の新時代 遊戯の原理 AIの野生 拡張するリアリティ』
    情報技術(IT)が現代社会のインフラとして普及して以降、遊びとゲームは、急速に人々のライフスタイルや社会の在り方を変えつつある。それは、人々が日常的に接するモバイルゲームやeスポーツといったデジタルゲーム産業が拡大しているということだけに留まらない。かつてオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガやフランスの文芸批評家ロジェ・カイヨワが指摘したように、遊びという営みには本質的に、人間が生成する文化や文明を駆動する作用としての側面がある。その遊び本来の力が、第二次世界大戦を機に20世紀後半から飛躍的な発展を遂げたコンピュータテクノロジーによって大きく押し進められ、現代のゲーム産業の隆盛に結実していく様子を、筆者は日米のデジタルゲームの発展史を辿った著書『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』にて素描した。 そのようなデジタルゲームの発展を背景に、現在の世界では北欧圏などを中心に、ホイジンガやカイヨワの問題意識を継承して、ゲームが持つ人文学的な本質をより精緻に探求しようとする「ゲーム・スタディーズ」という学問分野が盛んになっている。
    まず、文明とテクノロジーをめぐる現在の世界の思潮動向を確認しよう。 筆者が〈複合現実の時代〉(注1) の幕開けと位置づけている2020年を間もなく迎えようとする現在、インターネットの普及がもたらしたディープラーニング以降の第三次AIブームによって、現在の社会思想では未来学者のレイ・カーツワイル等のシンギュラリティ論への是非が共有されるようになり、幅広く人口に膾炙するようになっている(注2) 。米欧主導のリベラル・デモクラシーの理念の結晶としての解放的なIT思想であるカリフォルニアン・ イデオロギーが、資本主義のオルタナティブ運動としてのマルクス主義に代わって世界を変えてきたのがこの半世紀の流れだったが、卑近な流れとしては中国の国家主導のIT化で「デジタル・レーニン主義」(セバスチャン・ハイルマン)が台頭しようとしていることが、テクノロジーのもたらす将来像に不安を与えている。
    こうした当世の未来学のスタンダードになっているのが、『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』で世界的ベストセラーとなったイスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリの議論であろう。人類学を中心とする最新の人間諸科学の知見を総合し、文明の発展と人類の過去と未来を巨視的なスパンで見据えた彼のアジェンダ・セッティングの洞察は有益だ。そこで提示された、7万年前に起きた認知革命以来の農業革命、科学革命といったいくつかの転換点を経て、人類の多くがテクノロジーの管理者としての「ホモ・デウス」か、ビッグデータの提供者として管理される「無用者階級」かに分断されるといったペシミスティックな描像は、たしかに容易に否定しがたい説得力を持っている。 ただ、今世紀になってから蓄積されている世界のゲーム学における様々な議論や知見は、そうした未来像とは別のシナリオを示唆する方向にも接続可能な芽を懐胎しているようにも思う。よって、本稿ではハラリの枠組みを批判的に検証し、人類史の根源的な捉え直しを行っていきたい。
    1 認知革命から始まったフィクションとルール構築の相互作用
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  • 今夜20:00から生放送!石岡良治×福嶋亮大×宇野常寛「続・高畑勲の遺産をどう受け継ぐか」2019.9.17/PLANETS the BLUEPRINT

    2019-09-17 11:20  
    今夜20時から生放送!「PLANETS the BLUEPRINT」では、 毎回ゲストをお招きして、1つのイシューについて複合的な角度から議論し、 未来の青写真を一緒に作り上げていきます。 今回のゲストは、批評家・石岡良治さんと、文芸批評家の福嶋亮大さんです。 戦後日本アニメーションに多大な影響を与え、昨年この世を去った高畑勲監督。 彼がアニメーション業界に遺したものとは、一体なんだったのでしょうか。そしてその遺産は、どう受け継がれるのでしょうか。 現在国立近代美術館で開催中の回顧展を踏まえ、改めてその功績について議論します。 【合わせてご覧ください】 高畑勲監督追悼企画 -アニメにとって高畑勲の遺したものとは何か-https://youtu.be/FHvDC2xDHAc▼放送日時2019年9月17日(火)20時〜☆☆放送URLはこちら☆☆https://live.nicovideo.jp
  • 宇野常寛×中川大地 いま、「もう一度、男女を出会わせる」ことは可能か?――『ごめんね青春!』でのクドカンの挑戦と挫折を考える(PLANETSアーカイブス)

    2019-09-06 07:00  
    550pt

    今朝のPLANETSアーカイブスは、2014年の宮藤官九郎脚本のドラマ『ごめんね青春!』をめぐる、宇野常寛と中川大地の対談です。『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』など初期作からクドカンを見守ってきた二人が、『あまちゃん』大ヒット以降の新たな挑戦を考えます。(初出:サイゾー2015年2月号) ※本記事は2015年2月25日に配信されたものの再配信です。
     

    ▲『ごめんね青春!』Blu-ray BOX
     
    ▼作品紹介
     『ごめんね青春!』
    プロデューサー/磯山晶 脚本/宮藤官九郎 演出/山室大輔、金子文紀 出演/錦戸亮、満島ひかり、永山絢斗、斎藤由貴ほか 放映/TBS系にて毎週土曜21:00〜21:54(14年10月〜12月)
    TBS「日曜劇場」枠にて放映された、クドカン脚本作品。経営難を理由に合併話が持ち上がった、駒形大学付属三島高校(通称「東高」トンコー)と、カトリック系の聖三島女学院という不仲の別学校を舞台に、その教師であり高校時代に後ろめたい過去を持つ原平助(錦戸)と、シスターでもある蜂矢りさ(満島)ら教師、そして学園の生徒たちの恋愛と青春を描く。
    宇野 「つまらないわけじゃないんだよなぁ」という感想ですね。宮藤官九郎(以下、クドカン)&磯山プロデューサー【1】コンビのドラマは、長瀬智也くんと一緒に年を取ってきたところがあるわけじゃないですか。思春期の終わりに直面している『池袋ウエストゲートパーク』(00年〜)、大人になって地に足をつけた共同体や家族的なものと向き合わないとやっていけないというのが『タイガー&ドラゴン』(05年)で、大人になりきった後にホモソーシャル空間でどう生きていくかというのが『うぬぼれ刑事』(10年)だった。その流れの中で一番重要な作品がやはり『木更津キャッツアイ』(02〜06年)ですよね。これはまさに男の子のモラトリアムとその終わりの話で、今でいう「マイルドヤンキー」的な、部活動の延長線上にあるような同世代のホモソーシャルに依存したまま年を取って死んでいく、というモデルを提示したわけで、これはやはり決定的に新しかった。その後のクドカンはむしろ、『木更津キャッツアイ』的なものを自分で信じられなくて試行錯誤していったところもあると思うんですよね。
    【1】磯山プロデューサー:TBSのドラマプロデューサー・磯山晶。『IWGP』以降のクドカンTBS作品をすべて手がけた、クドカンを育てたゴッドマザー。
     磯山ドラマで培ったものを、80年代以降の消費社会の総括に応用して大成功を収めたのが『あまちゃん』(13年)だったと思うんです。そして今回クドカンがTBSに帰ってきたわけだけど、今度は長瀬くんより5歳若い30歳の錦戸くんを主人公にして、もう一回青春との決別の話をやった。『木更津〜』シリーズでケリをつけたはずだったところに、戻ってきてしまった。もちろん、あれから10年くらい経っていて、相応のアップデートは随所に見え隠れしていたんだけど、全体的には単ににぎやかな楽しい話を無難に描いて終わってしまったように思うんです。もちろん、それはそれでいいんだけど、なぜ今この作品を描く必要があったのか、よくわからないんですよね。
    中川 「先に進めなかったな」という感想は、僕も同感。はじめは、すごく期待感があった。基本的にクドカンが得意としていたのは、『木更津〜』以降の、ホモソーシャル的なコミュニティで異性愛を絶対視しない幸福像を描くことだったわけだけど、だんだん世の中がそこに追いついてきて、2014年に至っては『アナと雪の女王』で「ソフト百合な女子バディもの最強!」になりましたよね。で、これに対して男女共にホモソーシャルな世界観が広がってきた中で、今度は女子高と男子校の合併話を通じて2つのホモソーシャリティがぶつかると、どのように軋轢を起こし融和するかのプロセスを描くという、そのコンセプト性はすごく刺激的でした。実際、最初の2〜3話くらいまではそれがいきいきと描かれていてワクワク観てました。最近ネットで神経質になりがちな性愛にまつわるジェンダー問題も相当先回りして取り込んだ上で、「そうはいっても一緒にやっていかないといけないよね」という描き方は非常に巧みだった。だけど、その葛藤が解消されてからドラマがなくなってしまった。
    宇野 90年代の日本のポップカルチャー全体は、Jポップに代表されるように、恋愛至上主義的だったわけですよね。ゼロ年代はその反動で、脱恋愛の流れがやってきた。というか、恋愛やファミリーロマンスでは人間の欠落は埋められない、という世界観が支持を集めていって、まず『ONE PIECE』的な仲間主義が台頭し、さらに先鋭化したものはだんだん「ホモソーシャリティ最高!」となっていった。クドカンはその先鋭化を担っていた中心的な作家ですよね。そのクドカンが、人間はホモソーシャル抜きでは生きていけないことを前提にした上で、もう一回男女をどう出会わせるか、ということを今回やったわけだけど、コンセプトが途中で空中分解してしまったところがあると思う。
     中川さんが言う通りそのモチーフは、第3話で生徒会長(黒島結菜)が「男子」と書いて「アリ」と読んだ瞬間に終わってしまった。でも、それを「アリ」としてしまったら、ただの共学青春ものになってしまう。
     『木更津〜』って「人は死なないと青春を卒業できない」という話だったと思うんですよ。「青春」や「卒業」といった概念自体を崩していった作品だともいえる。だって木更津にいる大人も、キャッツの連中とやっていることはあまり変わらない。「そういうところから究極的に離脱する唯一の方法が死なんだ」として、モラトリアムが終わって意識の高い大人になっていくという従来の青春観を打ち破っていくところが斬新だった。なのに『ごめんね青春!』では、最後に平助が「卒業」してしまう。
    中川 「遅れてきた卒業」モチーフって、日テレ土曜9時枠の『マイ☆ボス☆マイ☆ヒーロー』(06年)や『35歳の高校生』(13年)で、さらに赤裸々なシチュエーション設定でやられちゃったからね。
    宇野 そう、まさに00年代クドカン磯山ドラマのライバルだった河野英裕プロデューサー【2】が立脚していた、オーソドックスな成熟観に寄り添ってしまって、しかもそれをクドカン自身が信じきれていない。

     
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