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  • 『逃げるは恥だが役に立つ』――なぜ『逃げ恥』は視聴者にあれほど刺さったのか?そのクレバーさを読み解く(成馬零一×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】

    2017-03-23 07:00  
    550pt


    話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」、今回は2016年10月から年末にかけて放送されていたヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』をめぐる成馬零一さんと宇野常寛の対談です。「恋ダンス」の流行でも話題を呼んだ本作が、いかにしてテレビドラマの文脈の中で優れた作品となりえたのかを論じます。(構成:橋下倫史/初出:「サイゾー」2017年3月号)



    ▼作品紹介

    『逃げるは恥だが役に立つ』
    原作/海野つなみ 脚本/野木亜紀子 演出/金子文紀、土井裕泰、石井康晴 出演/新垣結衣、星野源、石田ゆり子ほか 放送/TBS系にて、毎週火曜22:00~22:54(16年10~12月/全11話)
    心理学の大学院まで出たが就職活動に失敗し、派遣で働いていた森山みくり(新垣)。派遣契約を切られて嘆いていたところ、父親の知り合いである津崎平匡(星野源)の家の家事代行として働くことになる。その後両親が東京を離れることになり、困ったみくりは就職としての結婚を平匡に提案。2人の奇妙な契約結婚生活がスタートする。最終話の視聴率は20・8%に到達。原作は「Kiss」(講談社)にて連載されていた。



    成馬 本作の感想は「良いドラマだった」の一言に尽きます。2016年にこの作品があって本当に良かったと思いました。今のテレビドラマは、物語が複雑で敷居の高いドラマと、『ドクターX』(テレビ朝日)のような単純でわかりやすいドラマの二極化が進んでいる。その中にあって、『逃げ恥』はちょうど中間だった。「ガッキー可愛い」「星野源可愛い」「恋ダンス楽しい」という軽いノリで入ってくる人たちでも楽しめる敷居の低さで視聴者を引きつける一方、深く観ていくとフェミニズムや今の社会問題を扱っていることがわかってくる。大絶賛する人もいる一方で、「この程度の作品」と低く見る人もいるけど、この幅の広い観られ方が、最終的に視聴率20%に到達した理由だと思う。だから単純に「面白い」とか「好き」というより、「正しいドラマ」という感じがします。「今面白いドラマを作りたいなら、最低限これはやらないといけない」ということをちゃんとやっていた。旬の俳優である新垣結衣と星野源を主演に起用して、脚本は『重版出来!』で注目されつつある野木亜紀子【1】、演出家は金子文紀・土井裕泰・石井康晴【2】というTBSのエースを3人揃えるという座組みの見事さ。
     それとやっぱり「恋ダンス」ですよね。1話放映後に完全バージョンをYouTubeでオフィシャルに公開して、「踊ってみた」をやる人のために星野源の所属レーベルが「ドラマの放映期間中は音源の使用を認める」と発表したことで爆発的に広がった。これも、アニメの世界では『涼宮ハルヒの憂鬱』で10年前に起きていたことだけど、ドラマの場合は芸能界的なしがらみがありすぎてできなかった。そういう、今の時代に作品を観てもらうために、やらなくてはいけないことをちゃんとやったことが、勝因だったと思います。
    宇野 そのあたりは、嫌な言い方になるけど、民放ゴールデンタイムのドラマがやっと21世紀基準に追いついたともいえる。堀江貴文さんやひろゆきさんが「もっとわかっている人がネット回りをやれば、『恋ダンス』は『恋するフォーチュンクッキー』になれたのに、テレビ局や芸能事務所は頭が固くてそこまでいかなかった」と批判していたけど、その通りだと思う。TBSのアナウンサーが恋ダンスに出てきたのは、本当にサムいからやめたほうがいいと思ったし。
     『逃げ恥』自体の感想は僕も、とにかく良くできたドラマだと思った。キャストもいいし演出も適切だし、しっかり作り込んである。原作を読んでなかったので、第1話を観たときはちょっと良妻賢母思想への回帰というか、保守反動的じゃないかと思ったんですよ。高学歴ニートみたいなヒロインが家事代行をやるうちに本当の恋愛に発展する、というような。それがアイロニーでわざとやっているということが1話を観たときにはあまりわからなかったんだけど、観ていく内に、これはフェミニズムの成果を一通り受け止めた上で、それをどう現代に軟着陸させるかという話なんだ、とわかった。フェミニズムへの距離の取り方と取り込み方が、いい意味でクレバーでいやらしくて、非常に感心した。


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  • 『真田丸』――『新選組!』から12年、三谷幸喜の円熟を感じさせるただただ楽しい大河の誕生(木俣冬×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】

    2017-02-23 07:00  
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    近年低迷している大河ドラマは2016年、12年ぶりとなる三谷幸喜作品によって大人気を博しました。話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」、今回は大河ドラマ『真田丸』をめぐる木俣冬さんと宇野常寛の対談です。三谷作品の変遷を追いながら、作家の円熟を読み解きます。(構成:金手健市/初出:「サイゾー」2017年2月号)



    ▼作品紹介
    『真田丸』
    脚本/三谷幸喜 演出/木村隆文ほか 出演/堺雅人、大泉洋、草刈正雄、長澤まさみほか 放送/NHKにて、2016年1月10日~12月18日
    真田信繁(幸村)を主人公に据えた16年大河ドラマ。信繁の青年期に主君・武田家が滅び、父と兄らと右往左往する様子から、大阪の陣で破れ去る最期までを描く。出演者たちの演技はもちろん、『信長の野望』などで知られるコーエーテクモゲームスが劇中背景CGを提供していることや、大阪の陣における真田丸の戦いで超大型オープンセットを組んだ撮影なども話題に。

    木俣 『真田丸』は本当にただただ楽しく観ていて、褒めることしかできなくて、「それでいいのか?」と自分で思うくらいでした。三谷幸喜さんの新たな代表作になったんじゃないでしょうか。
    宇野 僕も、三谷幸喜という作家の円熟を感じさせた作品だったと思います。三谷さんはおそらくはその中核にあるであろうシットコム的なものをやると空回ってしまう一方で、そのエッセンスをキャラクターものに応用すると評価される、ということを繰り返してきた作家だと思うんですよね。多分『HR』【1】のほうが三谷さんにとっては自分のやりたいことをストレートに出しているのだけれども、やっぱりシットコムの手法を別ジャンルに応用した『古畑任三郎』【2】のほうがずっとハマっている。それって多分「笑い」から政治風刺的なものを脱臭してきた、この国の文化空間の問題が根底にあるんだと思うんですよ。三谷さんはもっと欧米の政治風刺的なシットコムに憧れているところがあると思うんですが、それを日本のテレビは受け付けない。だから空気を読んで脱臭してやると『HR』みたいに無味乾燥になって、無理して押し通すと『合い言葉は勇気』【3】や『総理と呼ばないで』【4】のように空回ってしまう。どこが空回っているかというと、三谷さんの考える「正義」というのは基本的に戦後民主主義的というか、学校民主主義的な優等生っぽい「正義」で、端的に言えば淡白でダサい美学に基づいた正義感なんですよ。それを笑いで包むことによって粋に見せたいのだけど、政治と笑いを結びつける回路がこの国のテレビを中心とした文化空間では死んでしまっているわけです。
     そこで発見したのがキャラクターものとしての「歴史」という回路だったと思うんですよね。要するに、歴史ものという解釈のゲームに退避することによって、三谷さんの抱えてきた「笑い」と「正義」が初めてちゃんとかみ合うようになった。それが例えば『新選組!』【5】だったはずで、あの1話が劇中の1日になっていて、全50話をかけて近藤勇の人生で重要な50日を描く、なんてやり方なんかは、三谷さんがそれまでやってきたシットコム的なものの応用がハマった例ですよね。あのコメディの枠組みがあるから、新選組という敗者の側に立つことで学校民主主義的なイノセンスを浪花節的に見せる、というベタベタなものが逆に気持ちよく観れる。毀誉褒貶はあったみたいだけれど、僕は『新選組!』はアクロバティックな手法がうまくハマった作品だと思っていて、だから『真田丸』で今更やることがあるのかな? とまで思っていたわけです。しかし蓋を開けてみたらものすごくアップデートされていてびっくりしました。
    木俣 本当に、三谷さんの集大成になったな、と思いますね。『新選組!』に対しては、絶賛の一方で、「史実に沿っていない」などの批判もかなりあったじゃないですか。実際はそんなことなかったようで、その誤解に対する悔しさもあったかもしれませんね。それから12年、『真田丸』を描くまでに、三谷さんは結構いろんなことに挑んでいます。以前から好きだった人形劇に挑戦したり(『連続人形活劇 新・三銃士』【6】)、その発展形で文楽をやってみたり(『其礼成心中』【7】)。
     演劇の方面から三谷さんを語ると、彼は1980~90年代のいわゆる小劇場ブームの頃に人気があった東京サンシャインボーイズの主宰で、座付き作家であり、ときには俳優もやっていました。その頃は夢の遊眠社と第三舞台が小劇場界の二巨頭で、どちらの主宰も、イデオロギーというか、70年代的な社会問題意識みたいなものを隠し持った劇団だった。その中にあって、唯一全然思想を感じさせない、非常にウェルメイドで誰もが楽しめるお芝居を始めた珍しさを持っていたのがサンシャインボーイズで。それもあって、三谷さんはあまり政治色を出さない人だと思っていたんです。代表作である『笑の大学』(96年)は太平洋戦争開戦前の検閲の話ですが、あくまで2人の人間の関係性を描いた作品で。
     それが、13年にゲッベルスを中心にした群像劇『国民の映画』【8】をやったんですね。この舞台は世界が緊張状態にある中でのさまざまな立場の人たちの関係性を描いたもので、「ナチス」とか「ヒットラー」という言葉を一切出さないにもかかわらず、その巨大な抑圧みたいなものも感じさせ、作家としてかなり円熟味を増していた。『真田丸』はこの作品で突き抜けた先にあったと思います。この12年間の経験値が、『真田丸』を充実したものにしたんでしょうね。深みがある上、子供やお年寄りが観ても楽しめるような、すごくオーソドックスな構成でもあった。

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  • 『この世界の片隅に』――『シン・ゴジラ』と対にして語るべき”日本の戦後”のプロローグ(中川大地×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】

    2017-01-26 07:00  
    550pt

    話題のコンテンツを取り上げて批評する「月刊カルチャー時評」、今回のテーマはアニメ映画『この世界の片隅に』です。戦時下の一人の女性の視点を通して個人と世界の対峙を描き、大好評を博した本作。しかし、その出来の良さゆえに逆説的に明らかになった「戦後日本的メンタリティの限界」とは?(構成:須賀原みち/初出:「サイゾー」2017年1月号)

    (出典)
    ▼作品紹介
    『この世界の片隅に』
    監督・脚本/片渕須直 原作/こうの史代 出演(声)/のん、細谷佳正ほか アニメーション制作/MAPPA 配給/東京テアトル 公開/16年11月12日より全国順次
    1944年の広島県呉市。広島市で育ったすずは、知らない青年のもとに嫁いできた。戦争が激化し、呉もたびたび激しい空襲を受ける中で、絵を描くことが好きで得意だったすずが生活を守ろうとする姿と、ある出来事によってふさぎ込んでゆくさまを描く。
    08年に単行本が刊行された、こうの史代の代表作のアニメ化。劇場版製作に至るまでのクラウドファンディングという手法も話題となった。
    中川 本作は、『シン・ゴジラ』と対にして語るのに今年一番適した作品だと思いました。『シン・ゴジラ』は日本のミリタリー的な想像力が持ってきた最良の部分をリサイクルして、従来日本が苦手といわれてきた大局的な目線での状況コントロールに対する夢を描いていた。一方で、『この世界の片隅に』は『シン・ゴジラ』で一切描かれなかった庶民目線での大局との向き合い方を描ききった。この両極のコンテンツが2016年に出てきたことは、非常に重要です。
     すでに多くの人が語っていますが、雑草を使ってご飯を作るような戦時下の生活を“3コマ撮りのフルアニメーション”に近い手法で丹精に描くことにより、絵として表現できる限りの緻密さと正確さで日常描写を追求するという高畑勲の最良の遺産を、見事に現代的にアップデートしていた。そうした虚構の力によって、劣化していく現実へのカウンターを打てていたのは、素晴らしいと思う。
    宇野 片渕さんは高畑勲的な「アニメこそが自然主義的リアリズムを徹底し得る」というテーゼを、一番受け継いでいる人なんだと思う。高畑勲が前提にしていたのは、自然主義とは要するに近代的なパースペクティブに基づいた作り物の空間であるということ。だからこそ、作家がゼロから全てを生み出すアニメこそが自然主義リアリズムを貫徹できるという立場に立つ。対する宮﨑駿は、かつて押井守が批判した「塔から飛び降りてしまうコナン」問題が代表する反自然主義的な表現、彼のいう「漫画映画」的な表現こそがアニメのポテンシャルであるとする。
     片渕さんの軸足は高畑的なものにあるのだけど、『アリーテ姫』【1】や『マイマイ新子と千年の魔法』【2】がそうであったように「アニメだからこそ獲得できる自然主義リアリズム」をストレートに再現するのではなく、常に別の基準のリアリズムと衝突させることでアニメを作ってきた。比喩的に言うと、本作はその集大成で、“高畑的なもの”と“宮﨑的なもの”がひとつの作品の中でぶつかっていて、しかもそれがコンセプトとして非常に有効に機能している。そういう意味で、戦後アニメーションの集大成と言ってもいいんじゃないかと思いますね。

    【1】『アリーテ姫』:01年公開の、片渕監督の出世作。制作はSTUDIO 4℃。
    【2】『マイマイ新子と千年の魔法』:09年公開。片渕監督の代表作。制作はマッドハウス。

    中川 そうした大前提の上で、原作が持っていたコンセプトとのズレや違和を語るなら、こうの史代の幻想文学性とでもいうべきものが、映画では児童文学性に置き換えられて失われてしまった部分もある。片渕さんは「子どもだから見ることのできる世界」といった児童文学的なものへのこだわりが非常に強く、これはむしろ“宮崎的なもの”に近い。
     『この世界の片隅に』は、周りから大人になることを押し付けられて嫁に行ったすずさんの日常の鬱憤が、最終的に戦争という理不尽さの受け止め方につながる構造になっている。映画では周作と水原哲に対するすずさんの目線は、子どもでいたかった人が大人の性愛関係を拒絶するように描かれている。それは、片渕さんがすず役の声優として、『あまちゃん』以来ユニセックスなイノセンスを持ち続けているのんという女優にこだわったことにも表れています。でも、こうのさんはミニマムな人間関係の中で表出する世界の残酷さに対する感性が非常に高い人で、『長い道』【3】でも描かれたように、こうの作品のヒロインは大人の性愛関係を前提に織り込んだ上で、男性との間の丁々発止のバーター関係を築いている。その違いが、片渕さんによるこうの史代解釈の限界とも感じました。

    【3】『長い道』:訳ありで結婚した夫・壮介と妻・道の、穏やかだが奇妙な生活を描いた短編連作集。01~04年連載。


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  • 『聲の形』――『君の名は。』の陰で善戦する京アニ最新作が、やれたこととやれなかったこと(稲田豊史×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.759 ☆

    2016-12-22 07:00  
    550pt

    『聲の形』――『君の名は。』の陰で善戦する京アニ最新作が、やれたこととやれなかったこと(稲田豊史×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.12.22 vol.759
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは、映画『聲の形』について、稲田豊史さんと宇野常寛の対談をお届けします。
    後半失速した漫画原作を、統一感のある劇場向けアニメとして見事に再構成した本作。聴覚障害者を記号的な美少女として描くことで、00年代的な「萌え絵」を生々しい「現実」と対峙させる、その試みの是非について論じます。(初出:「サイゾー」2016年12月号)


    (画像出典:映画『聲の形』公式サイトより)
    ▼作品紹介
    『聲の形』
    原作/大今良時 監督/山田尚子 脚本/吉田玲子 制作/京都アニメーション 出演(声)/入野自由、早見沙織、悠木碧ほか 配給/松竹 公開/16年9月17日
    聴覚障害を持つ硝子は、普通学級に転入したが、クラスメイトからいじめや嫌がらせを受ける。その中心になっていた男子児童・石田だったが、ある日学校側からいじめを指摘されたことをきっかけに、今度は石田がいじめられる側に回ってしまう。硝子はその後転校し、石田は心の傷を抱えたまま高校生になった。ある時、硝子と石田は再会し、周囲の友人たちも含めて徐々に関係を深めていく。原作は作者のデビュー作であり、2011年に「別冊少年マガジン」にて読み切り版が掲載された際に、大きな反響を呼んだ(その後連載化)。
    ▼プロフィール
    稲田豊史(いなだ・とよし)
    編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
    http://inadatoyoshi.com
    ◎構成/金手健市
    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
    前回:『君の名は。』――興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(石岡良治×宇野常寛)
    宇野 前提として、僕は原作(連載版)を読んでいたときに、後半になるにつれて舵取りに失敗した作品だと思っていたんですよね。聴覚障害を持つヒロインを萌え系の絵で描くというある種露悪性のあるギミックを使って、取り扱いの難しい題材にどこまで深く切り込めるか、少年マンガの枠組みの中で挑んだ、かなり偉大な冒険作ではある。具体的には、どうしてもどこかの部分で絶対的な断絶がある存在と、あるいはどうしても消せない過去とどうやって向き合っていくのかを描きたかったんだと思うんですよ。コンセプトも面白いし、志も高かった。
     でも、原作マンガの後半は明らかに失敗している。あの『中学生日記』ならぬ『高校生日記』みたいな青春群像劇はないでしょう?この設定を用いている意味がない内容だし、描写も凡庸。そして何より、前半で提示したテーマが、この展開で雲散霧消してしまっている。
     作者としては、読者の感情移入の装置として群像劇にすることで、この物語を他人事じゃなくて自分事として捉えられるようにしようとしたんだと思うんだけど、結果、それが作者に対して高いハードルからの逃避として機能してしまったというのが、僕の原作理解です。その原作をどう映像化するのかというときに、劇場版では取捨選択がそれなりにうまくいって、結果として『聲の形』という作品自体をかなり救済したんじゃないか。
    稲田 長めのコミック原作モノの映画化でありがちなのが、原作を読んでいなくても、エピソードを端折った部分がなんとなくわかっちゃうということ。「このシーンの前後が本当は描かれていたけど、尺の都合でカットした結果、描き込みが足りなくて説得力がなくなってるな」とか。でも、『聲の形』にはそれが全然なかった。僕は原作を読まずに劇場に行ったんですが、1本の映画として過不足なくまとまっていて、いくつかのエピソードは端折ったんだろうけど、そのことが作品の本質をまったく傷つけていないのが伝わりました。
     観る前は、「障害者差別の話とそれに関する贖罪の話なのかな」程度の認識だったんですけど、実際はその数段上をいっていた。それをはっきり感じたのは、高校生になった植野【1】と硝子【2】の観覧車のシーンです。聴覚障害者の硝子を疎ましく思っている植野が、硝子に対して「あんたは5年前も今も、あたしと話す気がないのよ」と言う。「障害者を差別する側が100%悪い」という一般的な認識が絶対多数である中、ともすれば「いじめられていた障害者側の“非”を糾弾する」とも取られかねない、なんなら炎上しかねない展開ですが、ものすごく説得力がありました。
     実際、硝子はなんでもすぐに謝ってしまうし、態度はずっと卑屈です。植野が示した不快感は「健常者だろうが障害者だろうが、卑屈なのは良くない」という、現実社会においてはなかなか口に出しては言えない心の叫びだった。だから終盤に硝子が飛び降り自殺を図ったときに、観客はそれが彼女の絶望から来る行動というよりは、「人として身勝手な行動」だという解釈に納得できる。それまでに説得力あるシーンを重ねたからこそ、そこに到達できるんです。
     もうひとつ、若者コミュニケーション論的な部分にも目がいきました。この作品、とにかく登場人物がすぐ謝るんですよね。「ごめんなさい」のセリフがすごく多い。登場人物たちも含む“さとり世代”以降の世代に特有の、「深い人間関係を築いて不協和音に苦しむよりも、さっさと謝って距離を取ったほうが楽」というやつです。それに対して、「もっと深く関わらないと駄目なんだ」ということを描いている点は、非常に批評的だと感じました。
     こういった主張や批評を実写でやったら、主張が剥き出しすぎて実に空々しくなってしまうと思うんですよ。でもアニメという様式美を通すことで、観客はストレートな主張や批評にも聞く耳を持つ。素直に受け入れられる。今後、いわゆる“文芸”と呼ばれるような、人間を描こうとする映像ジャンルは、実写よりアニメで伝えたほうが伝達効率がいいんじゃないか、とすら思いました。少なくとも若者層に対しては。

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  • 『君の名は。』――興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(石岡良治×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.740 ☆

    2016-11-24 07:00  
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    『君の名は。』興収130億円でポストジブリ作家競争一歩リード――その過程で失われてしまった“新海作品”の力(石岡良治×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4木曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.11.24 vol.740
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは、映画『君の名は。』について、石岡良治さんと宇野常寛の対談をお届けします。コアなアニメファン向けの映像作家だった新海誠監督が、なぜ6作目にして大ヒットを生み出せたのか。新海作品の根底にある“変態性”と、それを大衆向けにソフィスティケイトした川村元気プロデュースの功罪について語ります。(初出:「サイゾー」2016年11月号)


    (画像出典)
    ▼作品紹介
    『君の名は。』
    監督・脚本・原作/新海誠 製作/川村元気ほか 出演(声)/神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみほか 配給/東宝 公開日/8月26日
    東京都心で暮らす男子高校生・瀧と、飛騨の山奥の村で暮らす女子高生・三葉は、ある時から、互いの肉体が入れ替わる不思議な現象を体験する。入れ替わって暮らす際の不便の解消のために、別の身体に入っている間に起こった出来事を互いに日記にし、その記録を通じて2人は次第に打ち解けていく。だがある日、突然入れ替わりは起きなくなり、瀧は突き動かされるように飛騨へ三葉を探しに行く。そこで彼は意外な事実を知り──。新海誠の6作目の劇場公開作品にして、まれに見る超メガヒットとなった。
    ▼プロフィール
    石岡良治(いしおか・よしはる)
    1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。青山学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。
    ◎構成:金手健市
    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。

    前回:『シン・ゴジラ』――日本が実現できなかった“成熟”の可能性を描く、“お仕事映画”としての『シン・ゴジラ』(真実一郎×宇野常寛)

    宇野 まあ、身もふたもないことを言えば、よくできたデート映画ですね、という感想以上のものはないんですよね。本当に川村元気って「悪いヤツ(褒め言葉)」だな、と思わされました。新海誠という、非常にクセのある作家の個性を確実に半分殺して、メジャー受けする部分だけをしっかり抽出するという、ものすごく大人の仕事を川村元気はやってのけた。
     新海誠の最初の作品である『ほしのこえ』【1】は、二つの要素で評価されていた作品だと思う。ひとつは、キャラクターに関心が行きがちな日本のアニメのビジュアルイメージの中で、背景に重点を置いた表現を、それもインディーズならではのアプローチで再発掘したという点。もうひとつは、後に「セカイ系」と言われるように、インターネットが普及しつつあった時代の人と人、あるいは人と物事の距離感が変わってしまったときの感覚を、前述のビジュアルイメージと物語展開を重ね合わせてうまく表現していたところ、この二つです。ただ、それ以降の新海誠は、背景で世界観を表現しようというのはずっと続いていたけれど、ストーリーとしてはそうした時代批評的な部分からは一回離れて、ある種正当な童貞文学作家というか、ジュブナイル作家として機能していた。
     今回、久しぶりに過去作を見返したんですけど、意外とというかやっぱりというか、あの気持ち悪さがいいんですよね(笑)。例えば『秒速5センチメートル』【2】でのヘタレ男子の延々と続く自己憐憫とか、『言の葉の庭』【3】の童貞高校生の足フェチっぷりとか。どっちも女性ファンを自ら減らしに行っているとしか思えない(笑)。でもそんな自分に正直な新海先生が愛おしいわけですよ。1万回気持ち悪いって言われても自分のフェティッシュを表現するのが『ほしのこえ』以降の新海誠作品であり、基本的に彼はそこを楽しむ作家だったと思う。
     それが『君の名は。』では、その新海の本質であるところの気持ち悪さの残り香が、三葉の口噛み酒にわずかに残っているだけで、ほぼ完全に消え去ってしまった。おかげで興行収入130億円を達成したわけだけど、あの愛すべき、気持ち悪い新海誠はどこにいってしまったのか。まぁ、それも人生だと思いますが(笑)。

    【1】『ほしのこえ』(公開/2002年):宇宙に現れた知的生命体を調査する艦隊に選ばれ宇宙へ旅立った少女と、地上の同級生男子の、ケータイメールを通じた超遠距離恋愛を描く。宇宙ゆえに、ケータイという身近なツールで連絡を取り合いながらも、それぞれの過ごす時間がズレていくという設定になっている。新海誠にとって初の劇場公開作品であり(短編)、本作で高い評価を受けたことが現在につながっている。
    【2】『秒速5センチメートル』(公開/2007年):新海誠の3作目の劇場公開作。3話の短編で構成される連作。小学校時代に惹かれ合っていた3人が、転校後も文通を重ねて一度は再会するものの、離れ離れになって時が経ち、思春期を過ぎて大人になり……という長い時間が描かれる。
    【3】『言の葉の庭』(公開/2013年):『君の名は。』の前作にあたる5作目。靴職人を目指す男子高校生が、雨の庭園で出会った大人の女性に惹かれてゆき、2人が近づく過程を描く。

    石岡 僕が新海作品でずっと興味を持っているのは、エフェクトや背景の描写です。彼が日本ファルコム在籍時に作った、パソコンゲーム『イースⅡエターナル』のオープニングムービーは、ゲームムービーを刷新した。この当時から空や背景の描写はとんでもなく優れているんですが、自然に迫る美しさとは違っていて、ギラギラした光線をバシバシ見せつけるような、人工的なエフェクトの世界を高めていくものだった。宇野さんが言った「気持ち悪さ」でいうと背景自体も気持ち悪いというか、その方向へのフェティッシュも濃厚でした。なぜ彼の作品が童貞文学的になってしまうかというと、圧倒的な背景描写に対して、キャラクターをあまり描けなくて動かせないからなんですよね。でもその結果、豊かな背景を前に、キャラクターが立ち尽くす無力感が背景そのものに投影されて、観る人はそれに惹かれる仕組みがあった。
     一方で今回は、キャラクターがよく動く作画でありながら、新海監督には由来しない別の気持ち悪さが生まれていると思う。去年この連載で『心が叫びたがってるんだ。』を取り上げた時、田中将賀【4】さんのキャラデザは中高年以上を描けないんじゃないか、という話をしましたよね。『君の名は。』も田中さんなんだけど、作画監督・安藤雅司【5】の力によって、三葉の父親や祖母はさすがにうまく描かれていた。だけどその代わりに、日本のアニメーター特有の病というか、演出的にはいらないはずのシーンでついパンチラを描いているあたりには、また別種の気持ち悪さがあるんじゃないか。

    【4】田中将賀:アニメーター/キャラクターデザイナー。『とらドラ!』や『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』シリーズのキャラクターデザイナー・作画監督を務める。
    【5】安藤雅司:アニメーター。『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』などのジブリ作品や、『東京ゴッドファーザーズ』『パプリカ』など今敏作品ほか、数々の人気アニメ作品の原画・作画監督を務めている。


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  • 『シン・ゴジラ』――日本が実現できなかった“成熟”の可能性を描く、“お仕事映画”としての『シン・ゴジラ』(真実一郎×宇野常寛)

    2016-10-24 19:00  
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    今朝のメルマガは、映画『シン・ゴジラ』をテーマに、真実一郎さんと宇野常寛の対談をお届けします。3・11以降の想像力を象徴する作品として高い評価を得ている『シン・ゴジラ』。本作を巡って、庵野秀明監督が見出した「お仕事映画」としての新境地、さらには、ポリティカル・フィクションの新しい可能性について議論します。(構成:須賀原みち/初出:「サイゾー」2016年10月号)



    (画像出典)

    ▼作品紹介
    『シン・ゴジラ』
    監督・脚本/庵野秀明 特技監督/樋口真嗣 出演/長谷川博己、竹野内豊、石原さとみほか 配給/東宝 公開日/16年7月29日
    東京湾沖の海中で、突然謎の爆発が起きる。海中火山かと思われたそれは、出現した「巨大不明生物」によるものであると判断され、政治家たちは対応を迫られる。保守政党の若手議員である矢口蘭堂をリーダーに、各省庁や学識関係者の中から技能と知識を持った変わり者たちが集められ、「巨大不明生物特設災害対策本部」が設立。ゴジラと名付けられた生物の侵攻を食い止めるべく、奔走する。

    真実 3・11の後、宇野さんにお会いした時「今後はフィクションにとって、厳しい時代になる。その代わり、“怪獣”的な想像力が蘇るかもしれない」とおっしゃっていたのを覚えているんですが、東日本大震災から5年たって、まさに『シン・ゴジラ』で、その通りになりましたね。怪獣好きにとっては、まさか21世紀に、オタクじゃない人たちと、こんなに怪獣のことを語れる日が来るなんて──と、それだけでうれしい。そもそも僕のような第二次オタク世代にとって、庵野秀明はDAICON版『帰ってきたウルトラマン』【1】などをリアルタイムで見ていたりして、もともと特撮の人というイメージでした。アマチュア特撮映画を作っていた人が『新世紀エヴァンゲリオン』を経由して、ついに日本を代表するゴジラというキャラクターで特撮映画を撮ったことは、非常に感慨深いです。
    宇野 正直、公開前はそんなに期待していなかった。理由はいくつかあるけど、ひとつは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(12年)ですよね。『エヴァQ』では冷戦期にイメージされていた終末の風景、つまり世界を一瞬で焼き尽くす原爆的な破滅が大安売りされていて、そのセカイ系的な陳腐さに白けてしまった。その庵野秀明が、『シン・ゴジラ』では、この先半永久的に世界を内部から蝕んで壊死していくような原発的な破滅を描くことによって、新しい形で「ゴジラ」を再生させたのは、良い意味で意外だった。
    真実 『エヴァ』でずっと10代の少年の自意識や承認欲求について描いてきた人が、 “働く”ということを真正面から描くようになったのは、僕にはものすごく大きな変化に思えました。『シン・ゴジラ』は “お仕事映画”だった。劇中では、ほぼ全部のキャラクターが、大事なシーンで「仕事」という言葉を使う。「仕事ですから」とか「総理の仕事って大変だなぁ」とか、「国民を安心させるのが我々の仕事だろ!」とか。組織の中での自分の使命を最優先にして働く大人たちというのは、これまで庵野さんが描いていたキャラクターとかなり違うものだな、と。それは、自分の会社として株式会社カラーを作った影響も大きいのかな、と思いました。

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  • 『火花』――“解像度”を上げて現実に対抗するフィクション――メガヒット小説映像化にNetflixが選ばれた理由(成馬零一×宇野常寛)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.696 ☆

    2016-09-23 07:00  
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    『火花』“解像度”を上げて現実に対抗するフィクション――メガヒット小説映像化にNetflixが選ばれた理由(成馬零一×宇野常寛)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.9.23 vol.696
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは、『火花』をめぐる成馬零一さんと宇野常寛の対談をお届けします。地上波ではなくNetflixで映像化されたピース・又吉直樹による小説『火花』。脂の乗った映画監督たちを起用して作られたこのドラマが、Netflixオリジナル作品だからできたこと、そして、現在のテレビが置かれている状況について語りました。(初出:「サイゾー」2016年9月号(サイゾー))


    (出典)
    ▼作品紹介
    『火花』
    総監督/廣木隆一 監督/廣木隆一、白石和彌、沖田修一ほか 出演/林遣都、波岡一喜、門脇麦ほか 制作/吉本興業 配信/Netflix
    若手漫才師“スパークス”のボケ・徳永は、営業で行った熱海で先輩芸人“あほんだら”のボケ・神谷と知り合う。その存在に惹かれ、弟子入りを志願すると神谷は「俺の伝記を書くんだったらいい」と受け入れる。そこから2人が笑いについて語り合って過ごした濃密な数年間と、売れる/売れないという永遠のテーマに翻弄される彼らを含めた若手芸人たちの姿を描く。原作は、ご存じ第153回芥川賞受賞作。若手から大御所まで、多くの芸人がカメオ出演している。
    ▼対談者プロフィール
    成馬零一(なりま・れいいち)
    1976年生まれ。ドラマ評論家。著書に、『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社)、『キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)ほか。
    ◎構成:橋本倫史
    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
    成馬 小説『火花』がベストセラーになったときは、「お笑い芸人が書いた小説が芥川賞を受賞した」という話題が先行していて、内容面にまで話が及んでいなかった印象がありました。実際、小説ではわかりにくい部分があったのですが、ドラマ版を観ていると、『火花』が描いていたことがなんだったのか、よくわかります。
     全10話で、1話につき1年分くらいの時間経過で描かれるじゃないですか。舞台は2001年から10年頃で、つまりこれってゼロ年代の青春ドラマなんだな、と。微妙な懐かしさがありました。基本的には徳永(太歩)と神谷(才蔵)という2人の若手芸人の話で、彼らはゼロ年代以降のお笑いブームの中で、そこで生まれたルールに則ったゲームを戦わされている大勢の芸人のうちのひとりにすぎないんだ、という小説ではわかりにくかったことが、ドラマ版ではよくわかる。
     神谷は、もしかしたら松本人志になれたかもしれなかった天才型の芸人だったけど、ゼロ年代以降、キャラクター文化がお笑いに流入したことで、芸人の生き残り手段が「面白いキャラをどう演じるか」という勝負になってしまって、芸人を作家として捉える文化が総崩れしてしまった。『M-1グランプリ』のようなコンテストがその比重を高めていく中で、神谷のような芸人がどうなっていくのか、というのがドラマの基本になっていたと思う。
     もしゼロ年代にこの作品が作られていたら、神谷が最後に死んで、残された徳永が思い切りキャラを押し出して売れて成功する、という終わり方になっていたと思うんですよ。でも、そこで終わらずに、それよりも少し先まで描かれるのが面白かった。そこに多分、又吉が芥川賞を獲ったことと、この作品がNetflixで作られたことの意味が透けて見えるんじゃないかな、と思います。
    宇野 原作の小説については僕は、特に興味はないんですよね。ただ、このドラマ版はなかなか面白かった。どこが面白いかというといろいろあるんだけれど、原作の処理で言うと、この小説家デビューによってマルチタレントへと舵を切った又吉が無意識のうちに書いてしまっているところを拾って再解釈することで、ぐっと射程が長くなったと思う。
     徳永=又吉は、芥川賞を獲ったことで究極のキャラ芸人の道を歩み始めたと思うんだよね。ピースのコントは誰も知らないけど、又吉の文芸キャラだけは世間に伝わっていて、芸人として生き残れなくても文化人として生き残るであろうことは、ほぼ確定している。又吉は賢い人間だから、そんなことは百も承知でやっているはずで、「生存戦略として、これを受け入れたんだな」と思った。これって実は、フィクションより現実に起こっていることのほうが面白いという、インターネット以降に世界中で起こっていることを示すひとつの大きな例なんだよね。つまりNetflixは、小説『火花』の存在を凌駕して面白くなってしまっている“又吉現象”と戦わなければいけなかった。そこでどういう戦い方をするのかな、と思ったら、1話60分×10話という長尺を活かして、ほんのわずかなエピソードもめちゃくちゃ時間をかけて描くことで、ひたすら解像度を上げるという勝負に出た。

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  • 『トットてれび』――テレビドラマの死への祝福と哀しみを込めて――『あまちゃん』演出家が送るレクイエム(松谷創一郎×宇野常寛)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.673 ☆

    2016-08-23 07:00  
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    『トットてれび』ーーテレビドラマの死への祝福と哀しみを込めて――『あまちゃん』演出家が送るレクイエム(松谷創一郎×宇野常寛)
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.8.23 vol.673
    http://wakusei2nd.com


    今朝のメルマガは、『トットてれび』をめぐる松谷創一郎さんと宇野常寛の対談をお届けします。黒柳徹子の半生と、名優・渥美清や森繁久彌、脚本家・向田邦子らとの物語を描き、ドラマファンから熱心な支持を集めた本作。そこに漂っていた「死の匂い」が表していたこと、そして、テレビドラマの終わりについて語り合いました。(初出:「サイゾー」2016年8月号(サイゾー))

    (出典)
    ▼作品紹介
    『トットてれび』
    放送/NHKにて4~6月毎週土曜日、全7回 プロデューサー/訓覇圭、高橋練 演出/井上剛ほか 脚本/中園ミホ 音楽/大友良英ほか 出演/満島ひかり、中村獅童、錦戸亮、吉田鋼太郎、ミムラ、濱田岳、松重豊ほか
    NHKの専属女優としてデビューした黒柳徹子と、彼女が立ち会ってきた昭和のテレビの草創期、そこで共に活躍した渥美清や向田邦子といった戦友や先輩たちの生きざまを重ねて描く。毎話エンディングが、スタジオ生演奏の音楽に乗せたミュージカル仕立てになっているのも話題に。1話30分。
    ▼対談者プロフィール
    松谷創一郎(まつたに・そういちろう )
    [ ライター/リサーチャー] 
    1974年生まれ。著書に『ギャルと不思議ちゃん論』(原書房)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(共著 /恒星社厚生閣)など。
    ◎構成:橋本倫史
    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
    松谷 単刀直入にまず言ってしまうと、すごく面白かったんだけど、同時に非常に問題作だとも思いました。なぜなら、このドラマが描こうとしていたことは、テレビ放送というパラダイムの終焉だと受け取ったからです。その最大の理由はあのラストシーン。あれを観たときに、『崖の上のポニョ』(2008年)を連想した。『ポニョ』のラストシーンは大洪水の後の世界で、あそこに出てくる人たちは死後の世界にいる、と解釈できる。宮崎駿の中では人間と自然は地続きで、それを彼なりの死生観で描いたのが『ポニョ』だった。『トットてれび』のラストは、いろんな解釈ができるように作られていて、普通に捉えるならばカーテンコール。
     それで「よかった、よかった」と観てもいいのだけど、森繁久彌(吉田鋼太郎)とか渥美清(中村獅童)とか向田邦子(ミムラ)とか、亡くなった人がぞろぞろ出てくるわけですよ。しかも、子役が演じる黒柳徹子と満島ひかりさんが演じる黒柳徹子、本物の黒柳徹子の3人が出てきて、それぞれに「私は今日の私です」と言う。そこでは、死んだ人と生きている人が地続きになっている。ただ、死者のほうが多いことを考えると、黒柳徹子の遺書のようにも見えましたけどね。
    宇野 その演出の原型は、『トットてれび』演出の井上剛【1】さんが昨春に撮ったドラマ『LIVE! LOVE! SING! 生きて愛して歌うこと』【2】にあったと思う。これは神戸と福島をつなぐロードムービーで、被災してバラバラになっていた福島の学生たちが再集結して、タイムカプセルを掘り起こしに地元へ戻るという話だった。地元に帰ったヒロインが、夜中に見た夢か現実かわからない光景として、無人の街で生者と死者が一緒に歌って踊っている祭りが描かれていた。あれが『トットてれび』の演出プランの原型になっていて、井上さんは確信犯的にあの世とこの世を混在させる演出をしていいる。『LIVE! LOVE! SING!』では被災地とそれ以外という断絶したものをつなぎ得るものとして、あの世とこの世の境界を融解させる虚構の機能がピックアップされていたのだけど、それが『トットてれび』に応用されることで別の意味が加わっている。
     それは要するに、テレビも、テレビが象徴する戦後日本も、これから先はこうやって過去の記憶を温め直すことしかできないっていう宣言と、そこに開き直って最高の葬式をしてやろうっていうこと。その手段として、メタフィクション的なアプローチと音楽の力で生者と死者を混在させている。
     もっとはっきり言ってしまえば、テレビも戦後日本ももう死んだも同然で、僕らはリスペクトを込めてそれを弔う段階に来てしまっているってことを描いているんだと思う。

    【1】井上剛:NHKディレクター。1968年生まれ。『クライマーズ・ハイ』『ハゲタカ』、朝ドラの『ちりとてちん』や『てっぱん』を手がけ、NHKドラマにこの人あり、と注目され、『その街のこども』『あまちゃん』で一躍広く知られるようになった。
    【2】『LIVE! LOVE! SING!生きて愛して歌うこと』:福島で被災し、神戸に移住したヒロインが、恋人の教師と、元同級生らを巻き込んで母校の小学校を目指すロードムービー。15年3月にNHKで放送され、16年1月から再編集された劇場版が公開された。


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  • 『ズートピア』ーーディズニーの自己批評路線が作り上げた、嫌になるくらいの完成度(イシイジロウ×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.652 ☆

    2016-07-27 07:00  
    550pt
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    『ズートピア』ーーディズニーの自己批評路線が作り上げた、嫌になるくらいの完成度(イシイジロウ×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2016.7.27 vol.652
    http://wakusei2nd.com



    今朝のメルマガは、映画『ズートピア』をめぐるイシイジロウさんと宇野常寛の対談をお届けします。高い完成度のシナリオで右肩上がりのヒットとなった本作。絶妙なさじ加減で盛り込まれた政治性と、3DCGが可能にした柔軟な映画作りの可能性、そしてディズニー買収後のピクサーが失ったテーマについて論じます。
    公開後は各所で話題となり、興行収入は右肩上がりとなった同作。その完成度の高さの理由とディズニーアニメとしてのすごさを語りました。(初出:「サイゾー」2016年7月号(サイゾー))


    (出典)
    ▼作品紹介
    『ズートピア』
    監督:リッチ・ムーア/バイロン・ハワード 脚本:ジャレッド・ブッシュ/フィル・ジョンストン 制作:ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ 公開:2016年4月23日(日本)
    進化によって、肉食動物と草食動物が仲良く共存できるようになった世界の大都会「ズートピア」。ウサギ初の警察官となったジュディと、この世界にあっても嫌われ者のキツネゆえひねくれた詐欺師ニックのコンビが、ズートピアで起きる連続行方不明事件の調査に当たる。その過程で変わってゆく2人のバディ的関係を軸に、種族を超えた共存が可能になってもなお続く差別や偏見を明確に描く。
    ▼対談者プロフィール
    イシイジロウ
    ゲームデザイナー/原作・脚本家。株式会社ストーリーテリング代表。1967年兵庫県生まれ。
    広告・映像業界を経て、老舗ゲームデベロッパー(株)チュンソフトに入社。その後(株)レベルファイブに移籍。
    2014年独立。2015年株式会社ストーリーテリング設立。
    代表作:ゲーム作品では「タイムトラベラーズ」「428 ~封鎖された渋谷で~」「3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!」アニメ作品では「モンスターストライク」「UNDER THE DOG」など。
    ◎構成:須賀原みち
    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
    イシイ 『ズートピア』、自分のようなクリエイターからすると、鼻につくぐらいよくできていましたね。「(ジョン・)ラセター【1】、ここで絶対ドヤ顔してる!」って思うところが何度もあって(笑)、嫌になるくらいの素晴らしさでした。これまでディズニーが作り上げてきたアーカイブを破壊するような邪道的なことをやりながら、エンターテインメントの文法にしっかり則っているから観客にも伝わるし、エンタメ作品として成立している。完成度が高すぎます。

    【1】ラセター:1957年生まれ。ディズニーでアニメ制作のキャリアをスタートさせ、インダストリアル・ライト&マジックに移籍。その後ピクサー創設に携わり、同スタジオ初の長編『トイ・ストーリー』をヒットさせる。現在はピクサーとウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの両方でCCOを務める。

    宇野 アニメーション映画の宣伝って、「このキャラクターが動くところが観たい」と思わせるのが重要じゃないですか。『ズートピア』はそのルックスが地味で、どうなのかな?と思っていた。でも実際に観てみたら、とにかく感心しましたね。設定や筋立ては結構いい加減なところもあると思うのだけど、そういう穴をかなり露骨に現実の比喩だと宣言することで無効化してしまう、というやり方でしょう? ディズニーがファンタジーの力を使って現実のヤバさをえぐり出してくるタイプのものを、このレベルで出してくるとは。
    イシイ 僕もコマーシャルを見ただけだとそんなに惹かれていなくて、「ステレオタイプなバディものだな」って思いながら観に行った。しかも、主人公のジュディが、最初は理想主義すぎて印象が良くないんですよ。ところが、10分も観ていると彼女を応援せざるを得ない気持ちになってしまう。その演出とシナリオの積み上げ方のうまさとテーマ性がセットになっていて、よく効くようになっていた。
    宇野 後味のコントロールが絶妙なんですよね。物語の中ではすごくキレイに完結してスッキリしている半面、例えば会見のシーン【2】で「自分がジュディの立場だったらどう答えたか?」とか、現実に持ち帰って考えさせるようにしている。政治的なメッセージが鼻につくという人もいるかもしれないけど、現実の問題を作品に取り込むことで、非常に奥行きの深いアニメーションを構築していたと思う。程よくモヤモヤを持ち帰らせているのがとにかくうまい。アニメに現代の現実を持ち込むと、作品の世界が壊れてしまうことも多いけど、本作は、そのバランス感覚が巧みだった。もともとディズニーはこういうことが苦手な印象があったんですよ。ディズニーランドじゃないけど、“夢の国”を作るのがディズニーで、社会的なものを取り込むのはピクサー、という感じで。

    【2】会見のシーン:物語の中盤で、凶暴化した肉食動物たちが隠されていたことが発覚した際、発見者としてジュディが記者会見を行う。そこで「肉食動物の本能の危険性」を語ってしまい、ニックと仲違いすることになった上、社会で肉食動物が迫害されるきっかけを作ってしまう。


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  • 『サイレントマジョリティー』ーーポンコツ少女たちが演じきった硬派な世界観と、秋元康詞の巧みさ(藤川大祐×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.623 ☆

    2016-06-22 07:00  
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    『サイレントマジョリティー』ーーポンコツ少女たちが演じきった硬派な世界観と、秋元康詞の巧みさ(藤川大祐×宇野常寛)【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】
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    2016.6.22 vol.623
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    今朝のメルマガは、欅坂46のデビューシングル『サイレントマジョリティー』をめぐる藤川大祐さんと宇野常寛の対談をお届けします。YoutubeでMVの再生回数1000万回を超えた同曲と欅坂46のすごさはどこにあるのかを語りました。(初出:「サイゾー」2016年6月号(サイゾー))


    (出典)
    ▼作品紹介
    『サイレントマジョリティー』
    発売/4月6日 発売/ソニーレコーズ
    アイドルグループ・欅坂46のデビューシングル。グループは現在20人(+アンダーメンバー1人)。
    ▼対談者プロフィール
    藤川大祐 (ふじかわ・だいすけ)
    1965年生まれ。千葉大学教育学部教授。メディアリテラシー、ディベート等を含めた新しい授業づくりを研究している。編集長を務める『授業づくりネットワーク』では「AKB48の体験的学校論」というコーナーを設けている。
    ◎構成:増田 優
    『月刊カルチャー時評』過去の配信記事一覧はこちらのリンクから。
    藤川 最初に欅坂46(以下、欅坂)の文脈的な位置づけを簡単に整理しておくと、まずAKB48の公式ライバルとして2011年に乃木坂46(以下、乃木坂)が誕生して、その流れを汲む新しいプロジェクトとして15年に生まれたのが欅坂です。オーディションの結果発表が乃木坂と同じ8月21日で(乃木坂は11年8月21日)、『乃木坂ってどこ?』と同様に『欅って、書けない?』【1】という冠番組がテレビ東京系の深夜で始まり、オーディション発表の翌春にCDデビューをし──と、乃木坂の足跡を追うように進んできている。そしてグループとしての基本的なフォーマットも乃木坂のそれに従っている。だから欅坂の話をする前に、乃木坂の話をしておきましょう。
     48グループと46グループのコンセプトの最大の違いは、構造なのか個人なのか、というところだと思います。48グループは私から見ると、構造、つまり仕組みが面白いんですね。一人ひとりのメンバーの能力というよりは、仕組みの中で各自ががんばる姿を見せている。乃木坂も最初はそうだったんですが、一方で「乃木坂らしさ」というのがずっとキーワードとしてあった。生駒(里奈)さんのAKB兼任【2】が終わった15年夏のライブの課題がまさに「乃木坂らしさとは何か?」で、そのあたりから明らかに48グループとは違う路線を探し始めた。そこで出てきたのが、一人ひとりのメンバーがもともと持っているものを活かす方向だった。仕掛けて面白くするのではなく、個性を活かすために楽曲をつくったりファッションモデルをやったり、という方向に転換したわけです。それが言ってみれば乃木坂フォーマットで、これを欅坂は引き継いでいる。

    【1】『欅って、書けない?』放送/テレビ東京にて、15年10月~:MCに土田晃之・澤部佑(ハライチ)を迎え、欅坂メンバーがトークや企画に挑戦する冠番組。
    【2】生駒さんのAKB兼任:乃木坂の1期生でありセンターの生駒は、14年の「AKB48グループ大組閣祭り」以降AKB48チームBと兼任で活動していた。15年5月で終了。

    宇野 これを言うのは非常に勇気がいるけど、グループ単位で考えた時に、今乃木坂は女子アイドルの中で一番強いですよね。実質的な訴求力という点において、もちろん絶対量はAKBなんですけど、10周年を越えて今難しい時期にいるのに対して、乃木坂は量こそ劣るけれど勢いがすごい。1期生の中心メンバーは非常に脂が乗っていて、背後には逸材だらけの2期生が控えている。09~10年頃のAKBと同等か、それ以上の戦闘力があるんじゃないか。
     その理由のひとつが、程よい遠さだと思う。AKB以降のライブアイドルは基本的にファンとの近さと、エンゲージメントの巧みさを競うようになっていった。乃木坂はその中で、ユーザーとの距離を直接的に近づけてくれる握手会だけを残して、戦略的にメディアアイドルへの回帰を果たした。これだけライブアイドルがあふれている中で、真逆の打ち出し方をすることで非常に輝いて見えるようになった。しかもメディアといってもいわゆるテレビバラエティ的なものとも距離が離れていて、モデル的な、言ってしまうと“お嬢さん”的な距離感でやっている。その結果出てきたある種のコンサバ感もいい方向に作用していて、音楽や映像などの各種表現もコンセプチュアルにコントロールできていると思う。
     そしてその乃木坂の流れを受けた欅坂がどんな路線で出てくるのか、固唾を呑んで見守っていたら、デビュー曲「サイレントマジョリティー」で「こう来たか!」とかなり驚かされました。

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