• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 35件
  • 勇者シリーズ(3)「勇者エクスカイザー」|池田明季哉

    2023-02-07 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。90年代に人気を博した「勇者シリーズ」。タカラ社が手がけた同シリーズの玩具商品群は、それ以前まで展開してきた「トランスフォーマー」シリーズの精神をどう受け継いだのでしょうか。
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝勇者シリーズ(3)「勇者エクスカイザー」
    『トランスフォーマーV』では、ジャン少年という「子供」にとって、スターセイバーという人格を持ったロボットが目指すべき「大人」である、という父子の関係が確立されたことを示した。言い換えれば、これは「未成熟な主体」が「魂を持った乗り物」にアクセスすることによって成熟を試みていく構造の確立でもある。
    この『トランスフォーマーV』に続いて制作されたのが、「勇者シリーズ」だ。「勇者シリーズ」という名称は、1990年に放送された『勇者エクスカイザー』から続く8年間に発表された8作品のおもちゃ/TVアニメシリーズのことを指す。タカラトミーが東映動画と日本テレビに代えてサンライズと名古屋テレビと組んだこの企画は、2020年代である現代においてなお商品が展開される大人気シリーズとなった。
    本稿では、勇者シリーズは、『トランスフォーマーV』が確立した人間の「子供」とロボットの「大人」という関係を拡張しながら、そこにさまざまなバリエーションを与えていったシリーズだと考える。その視点、つまり主人公となる「少年」とメインとなる「ロボット」の関係性と主体、そして彼らと対立する「敵」がどのように設定されたのか、さらにロボットが行う「グレート合体」がどのような要素を持っていたのかを整理していくことで、こうした構図が描き出す成熟のイメージがどのようなものであったのかを見ていきたい。
    「谷田部勇者」「高松勇者」「末期勇者」
    勇者シリーズは、アニメーションの制作時期と担当スタッフに注目しておおまかに3つに分類される。谷田部勝義が監督を担当した『勇者エクスカイザー』(1990年)、『太陽の勇者ファイバード』(1991年)、『伝説の勇者ダ・ガーン』(1992年)の3作。高松信司が監督を担当した『勇者特急マイトガイン』(1993年)、『勇者警察ジェイデッカー』(1994年)、『黄金勇者ゴルドラン』(1995年)の3作。そして望月智充に監督を交代した『勇者指令ダグオン』(1996年)、米たにヨシトモが手掛けた最終作『勇者王ガオガイガー』(1997年)の2作である。ここではそれぞれの区間を「谷田部勇者」「高松勇者」「末期勇者」と呼ぶことにしたい。
    ただし、本稿はあくまでおもちゃのデザインと、そこに宿された成熟のイメージについて扱う連載である。監督名による分類は一般的にファンのあいだで流通するものを踏襲した便宜的なもので、作家論に踏み込むことは本意ではない。たとえば谷田部勝義がサンライズロボットアニメを手掛けていく中で富野由悠季や高橋良輔から受け継いだ要素、高松信司による『新機動戦記ガンダムW』と『勇者特急マイトガイン』に共通する美学や『機動新世紀ガンダムX』で発露されたようなメタフィクショナルな要素が勇者シリーズにも見られること、そもそも谷田部と高松は共同作業で物語を作っていたこと、あるいは望月智充の『海がきこえる』と『勇者指令ダグオン』に共通する青春への眼差し、そして米たにヨシトモの『勇者王ガオガイガー』と裏表の関係にある『ベターマン』、大張正己の美学とシリーズに対する貢献――などについては掘り下げない。だとしても、アニメーションによって表現されるイメージと手を組むことを前提にしたおもちゃの想像力が、このまとまりでゆるやかに変化したと見ることにも一定の妥当性はあるだろう。
    エクスカイザーにおけるクルマと少年
    それでは第一作目となる『勇者エクスカイザー』から見ていこう。本作はこれから続く勇者シリーズの端緒として、基礎フォーマットを確立した重要な作品である。アニメーションにおける設定とおもちゃの仕様・商品構成を照らし合わせることで、勇者シリーズがどのような構造を基礎に置いたのかを確認していきたい。
    ▲『勇者エクスカイザー』のポスター。ロボット、自動車、少年という要素に注目してほしい。 『勇者シリーズデザインワークスDX』(玄光社)p7
    まずは物語の側から見ていこう。『エクスカイザー』の基本的なキャラクター配置は『トランスフォーマーV』とおおむね同じであるが、トランスフォーマーというブランドに積み重なった幾つもの作品が織りなす重層的な文脈を背負った『トランスフォーマーV』に対して、よりシンプルになるよう整理されている印象を受ける。
    物語の中心となる〈ロボット〉エクスカイザーは、「宇宙警察カイザーズ」のリーダーであり、仲間と共に地球にやってくる。目的は宝を求めて地球にやってきた〈敵〉「宇宙海賊ガイスター」を逮捕することだ。エクスカイザーは偶然自らの正体を知ってしまった〈少年〉――小学4年生の星川コウタの家にあるスポーツカーに融合し、地球の知識や常識を学びながら、ガイスターと戦っていくことになる。
    エクスカイザーをはじめとした宇宙警察カイザーズ、そして宇宙海賊ガイスターは、ともに宇宙のエネルギー生命体と設定されている。ゆえに地球ではさまざまなものに融合して活動することになり、カイザーズは主に乗り物に(エクスカイザーはコウタのスポーツカーと融合)、ガイスターは恐竜の実物大模型に融合する。ディティールは若干異なるものの、これは宇宙の機械生命体が地球の乗り物をスキャンすることで潜伏するトランスフォーマーと相似の設定である。
    しかしながら『トランスフォーマーV』と比べると、主人公である少年との関係性はやや変化している。スターセイバーは象徴的にも実際的にもジャン少年の「父」であったが、エクスカイザーとコウタ少年の関係は少々入り組んで見える。
    エクスカイザーはコウタ少年の家が所有するスポーツカーに宿っており、車に乗り込んだコウタ少年と会話する。この連載でも何度も扱ってきたように、自動車とは男性的な成熟のイメージだ。しかしポイントは、エクスカイザーが完璧な「父」ではない、ということだ。確かにエクスカイザーは宇宙警察に属する警察官であり、コウタ少年にとっての理想の成熟のイメージを色濃く反映する。しかしエクスカイザーは、地球についてはなにも知らず、人目に触れず自然に活動していくために、むしろコウタ少年が地球の文化を指導していくことになる。
    少年が少年のまま成熟するために
    さて、それではこうした設定と手を組んで発売されたおもちゃの構成は、どのようになっているだろうか。
     
  • 勇者シリーズ(2)「ぼくらも勇者になれますか」|池田明季哉

    2022-11-15 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。前回に引き続き、「トランスフォーマー」のローカライズが「勇者シリーズ」へ継承したものについて考察します。今回大きく取り上げるのは「勇者シリーズ」開始直前、1989年から放送された『トランスフォーマーⅤ』です。
    【イベント情報】11月25日(金)19時〜青山ブックセンター本店(渋谷)にて、宇野常寛が浅生鴨さんと対談します。題して、“それっぽい「いい話」と、この悪いやつを叩き潰せという怒号にあふれたこの世界を生きるために、「情報」との付き合い方をもう一度考えてみよう”。浅生さんの新刊『ぼくらは嘘でつながっている。』&宇野の新刊『砂漠と異人たち』の発売記念イベントです。たくさんの方のご参加をお待ちしています!お申し込みはこちら。
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝勇者シリーズ(2)「ぼくらも勇者になれますか」
    頭、動力、脳
    「トランスフォーマー」から「勇者シリーズ」への継承を語るうえで欠かせない、『トランスフォーマー 超神マスターフォース』(1988)で提示されたジンライ/スーパージンライ/ゴッドジンライという「グレート合体」による主体の拡張の構図は、その後も引き継がれていく。
    1989年に展開された『トランスフォーマーV』では、「マスターフォース(パワーマスター)」の代わりに「ブレインマスター」と呼ばれる概念が登場する。基本的な玩具の仕様そのものは、乗り物がロボットに変形、乗り込んでいた小型ロボットが合体して完成するというもので、これはヘッドマスター/パワーマスターをほぼ踏襲している。最大の差は、ヘッドマスターが頭部、パワーマスターが胸部であったのに対して、ブレインマスターは「顔」になることだ。
    小型ロボットの胴体には、大型ロボットの顔が収納されている。大型ロボットの胸に小型ロボットを収納、ハッチを閉じることによって、大型ロボットの顔がスライドして登場するという仕組みになっている。表面的には顔が登場するように見えるが、空洞の頭部に変形した小型ロボットが収まる様子は、なるほど「脳」も思わせる。ヘッドマスターでは大型ロボットの顔は、小型ロボットの背中に露出したままであった。それを考えれば、大型ロボットの顔が完全に内部に収納され合体するまで隠されたままとなるブレインマスターは、玩具としてはストレートな発展型といえる。
    「ブレイン」というモチーフについては確認しておきたい。前段の「マスターフォース」では、「精神」「知性」に重きを置く世界観が西洋的であり、そこに「魂」という日本的な概念を導入した点に注目した。その意味ではブレインマスターは、一見西洋的な色彩が濃く、トランスフォーマーとしては原点回帰であるようにも見える。しかしヘッドマスターにおいては海外版の設定が主体と身体の関係についてかなり工夫をこらした(悪く言えば無理がある)ものであったことを思い出しておきたい。この文脈では、ブレインマスターはむしろ「小型ロボットがビークルと合体して大型ロボットになる」「主体と身体が一致していない」日本版ヘッドマスターの設定を引き継いでいると言えるだろう。
    ブレインマスターを中心に置いた『トランスフォーマーV』の主人公となるのが、サイバトロン司令官スターセイバーである。ジンライ同様、多段階に合体する構成の玩具となっており、小型ロボットであるブレインマスターが、SFジェットと合体、中型ロボット「セイバー」となる。そしてこれが強化ブースターと合体することで大型ロボット「スターセイバー」を構成する。さらに2号ロボ・ビクトリーレオと合体することで、「ビクトリーセイバー」へとパワーアップする。1989年に発売されたスターセイバーは、記録的な大ヒット商品となった。

    ▲スターセイバー。完成度が高く大ヒット商品となった。 『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』(メディアボーイ)p53
    「0号勇者」としてのスターセイバー
    この大ヒットが後に続く勇者シリーズに多大な影響を与え原型となったという意味で、『トランスフォーマーV』はファンのあいだで「0号勇者」と呼ばれることがある。一般には、合体によるパワーアップを主軸に据えた玩具としての仕様やデザインの方向性、2号ロボとのグレート合体、アニメーション作品と連携した体制、地球人の少年と絆を深めるドラマなどが確立されたとされる。ただ、こうした要素は前作のジンライの時点ですでに見られたものだ。にもかかわらず、なぜスターセイバーがそのエポックとして語られるのだろうか。
    もちろん、デザイナーに以降勇者シリーズを手掛けることになる大河原邦男を起用したことや、デザインが既存のトランスフォーマーのキャラクターを参照していない新規のものであることなど、さまざまなところに差異を見つけることはできる。しかしこの連載では、理想の成熟のイメージの変遷としてこれを捉える。すなわちジンライからスターセイバーに至った段階で、そのまとう「かっこよさ」のイメージが変化し、そのイメージこそが勇者シリーズに引き継がれたのだと、そのように考えたい。
    それを象徴するポイントはふたつある。ひとつは「剣」というモチーフ、そしてもうひとつは「子供」との関係だ。
    アメリカと銃、日本と剣
    前作の主人公であるジンライは、もともと「パワーマスターオプティマス」として開発された玩具に対して、日本独自のバイオグラフィを与えたキャラクターであった。そのためトラックドライバーを生業とする若者であり、やや粗野なところを持ちながらも頼れる兄貴分というジンライのキャラクターは、オプティマス・プライムが象徴するアメリカン・マスキュリニティをベースとした再解釈であった。
    対してスターセイバーは大河原邦男がデザインを手掛け、最初から日本市場独自のキャラクターとしてデザインされている。ホワイトとレッドをベースにし、ブルーとイエローをバランスよく配置した清潔なトリコロールは、極めて日本的な感覚の配色と言ってよいだろう。キャラクターとしてのスターセイバーは、普段は穏やかでありながら、いざとなれば勇敢に戦う司令官として描かれる。ジンライと比較すると、スターセイバーのこの態度は騎士道的あるいは武士道的な道義を思わせるものだ――というのは、現段階ではいささか目の粗い議論に聞こえるかもしれない。しかしこれまでのリーダーたちが銃を主な武器としてきたのに対して、スターセイバーが剣を持ち出してきたことと関連づければ、興味深い見方ができるようになる。
    トランスフォーマーは全体的に銃を武器とするケースが多いが、剣を持つキャラクターがまったくいなかったわけではない。正義のサイバトロン/オートボット陣営においてはグリムロックなどダイノボットたちが、悪のデストロン/ディセプティコン陣営においてはブリッツウィングやメナゾールなどが剣を武器としてきた。しかし、前者は原始の力を持つ粗野な存在として描かれるし、後者については悪役であった。理想の成熟を担うべき「正義の味方」が、その象徴的な武器として「剣」を持つというのは、少なくともトランスフォーマーの価値観においては稀であると言ってよい。すなわち、トランスフォーマー文化においては、精密な近代工業製品である銃こそが正統な武器であり、おそらく剣は中世的で野蛮な近接武器と見なされてきた。
     
  • 勇者シリーズ(1)「勇者が剣を取る前夜、神を超える人」|池田明季哉

    2022-08-29 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。前回まで論じてきた、「人間と機械の関係」から独自の想像力を表現してきた「トランスフォーマー」は、1990年以降の「勇者シリーズ」にどのように受け継がれたのか。その足がかりとして独自ローカライズがなされた1980年代末の「トランスフォーマー」シリーズを分析します。
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝勇者シリーズ(1)「勇者が剣を取る前夜、神を超える人」
    前回ではビーストウォーズというシリーズを通じて、動物というモチーフにどのような想像力が与えられていたのかを扱った。もともとトランスフォーマーは、日本の玩具を自動車/銃をリーダーとして再編集することで、そこに理想像としてのアメリカン・マスキュリニティを託したのであった。ビーストウォーズでは、動物というモチーフを導入することで、エコ思想をはじめとする90年代のトレンドに対して、新しいかっこよさを提案することに成功した。しかし特にアニメーションの脚本については、旧来の価値観の重力から完全に自由になることは難しかったと、いったんは結論づけた。
    ビーストウォーズが内包していた芳醇と混沌は、世紀末におけるアメリカン・マスキュリニティのひとつの到達点であり、20世紀という時代における限界を露呈するものだ。考え方によっては、この想像力をうまく21世紀に接続できなかったことが、映画版トランスフォーマーにおけるアップデート不全の遠因とも言えるかもしれない。
    我々は80年代から21世紀に至るまで、トランスフォーマーがどのようにアメリカン・マスキュリニティを変奏させてきたかを確認してきた。ここからは、日本においてトランスフォーマーの想像力が――人間と機械の関係がどのように変化していったのかを見ていきたい。
    少年とロボットの8年間
    日本ではこの想像力は、一般に「勇者シリーズ」と呼ばれる別のシリーズへと受け継がれた。これは1990年の『勇者エクスカイザー』から1997年の『勇者王ガオガイガー』まで8作品が制作されたタカラの玩具シリーズで、サンライズによるTVアニメシリーズと手を組んだ企画だった。これらの作品の権利は現在ではバンダイナムコホールディングスへと引き継がれており、30年が経過した現在でも商品がリリースされ続ける人気シリーズである。
    ▲勇者シリーズの主役ロボ一覧。8作品8体が並ぶ。 『勇者シリーズデザインワークスDX』(玄光社)p2
    前提として、全8作品作られた「勇者シリーズ」は基本的に世界観の繋がりを持たず、すべてが独立した作品となっている。登場人物とロボットの関係や、敵対勢力の位置づけもそれぞれまったく異なっている。一方で、「少年」と「ロボット」の関係というおおまかな主題は共通している。20世紀末の日本における理想の成熟の物語という本連載の主旨に照らして、勇者シリーズはその完成形のひとつといえるだろう。
    勇者シリーズの8作品は「少年」と「ロボット」の関係をさまざまに展開していった。その関係を追っていくことで、成熟のイメージにまつわるバリエーションを網羅していくことができるだろう。まずはその前日譚として、80年代末におけるトランスフォーマーの日本独自展開を整理しておきたい。
    高佐一慈『乗るつもりのなかった高速道路に乗って』PLANETS公式ストアで【オンラインイベントのアーカイブ動画&ポストカード】の特典付で販売中!
     
  • トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(後編)|池田明季哉

    2022-03-01 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から、引きつづき時代の意志の変遷を読み解きます。「トランスフォーマー」の歴史を塗り替える存在として、1990年代後半に登場した「ビーストウォーズ」。ゴリラやティラノサウルスといった動物モチーフがどのような象徴だったかを、アニメーション制作の背景から解き明かします。(前編はこちら)
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(後編)
    コンボイが守ろうとしたもの、メガトロンが滅ぼそうとしたもの
     おおまかに整理するならば、『ビーストウォーズ』が作られた時代は、「機械」を中心にした価値観から「自然」を鑑みる価値観への過渡期であり、20世紀への反省から来たるべき21世紀への期待が込められた時代だったといえる。 『ビーストウォーズ』はシナリオの面でもこうした対立の上に作られている。  物語のあらすじは、次のようなものだ。時系列的には、トランスフォーマーG1のシリーズの遠い未来と設定されている。かつて激しい戦争を繰り広げたサイバトロンとデストロンは戦いを終え休戦している。しかしその現状をよしとしないビーストメガトロン(自称初代メガトロンの後継者)は、サイバトロンからエネルゴンにまつわる極秘情報が記されたゴールデンディスクを強奪、逃亡する。それを追うビーストコンボイ(おそらく初代コンボイの子孫にあたる)はこれを追撃、デストロンと共に惑星エネルゴアに不時着する。この惑星ではエネルゴンの影響が強く、現地の動物をスキャンし変身しなければ、長時間の活動は不可能だった。コンボイ率いるサイバトロンとメガトロン率いるデストロンの両軍は、エネルゴンが大量に貯蔵された未知の惑星で動物の姿を取って戦う「ビーストウォーズ」をはじめる。  名称が重なるキャラクターが複数いるためややこしいが、構図としては初代コンボイの子孫たるビーストコンボイと、初代メガトロンの後継者たるビーストメガトロンが対立し、未知の惑星でエネルギー争奪戦を繰り広げていると考えてもらえればよい。  これ自体は、地球におけるエネルギー争奪戦という初代のトランスフォーマーの構図をそのままなぞったものである。しかしそれゆえに、「魂を持った乗り物」と「人間」の関係に注目した作品として発展してきたトランスフォーマーにおいて、「動物」だけが存在し「人間」も「乗り物」も登場しないこの作品の特異性が強調されることになる。  それが意識的なものであることは、『メタルス』で明らかになる。実はサイバトロンとデストロンの面々は、惑星エネルゴアに不時着する時点で400万年の過去にタイムスリップしている。惑星エネルゴアとは未知の惑星ではなく、太古の地球であったのだ。  ではなぜビーストメガトロンは過去の地球に降り立ったのか? その真の目的とは、過去に干渉することで未来を改変し、デストロンが勝利した世界を作り出すことにあった。そのためにビーストメガトロンは、ふたつのものを抹殺しようとする。ひとつは人類。もうひとつは、初代コンボイである。  太古の地球に存在する原人を絶滅させてしまえば、後にサイバトロンと協力することになる人類を消滅させることができる。そして休眠状態にある初代コンボイを殺害することによって、その子孫であるサイバトロンも消去しようとする。  この計画そのものは、ビーストコンボイ率いるサイバトロンの奮闘や、味方であるはずのデストロンの裏切りによって頓挫するのだが、その後もビーストメガトロンの思想は一貫している。
     ビーストメガトロンは『メタルス』において、初代メガトロンのスパーク(魂を意味する劇中用語だと思ってもらえればよい)と融合し、その意志の影響を受けて、自らの体から有機体を排除しようとする描写が見られる。これはビーストメガトロンの思想が初代メガトロンによって歪められたと見えなくもないが、もとより初代メガトロンの後継者を名乗っていたことを考えれば、むしろ元から持っていた思想がオリジンに立ち返って先鋭化したと見るべきであろう。すなわち、ビーストメガトロンは機械生命体であるところのトランスフォーマーの原理主義者であり、人間とかかわる以前のトランスフォーマーこそが純粋であると信じていることになる。  一方で、ビーストコンボイは初代コンボイの後継者として、現在までのトランスフォーマーを守ろうとする。こちらの思想は『リターンズ』以降に際立っていくのだが、いったんは「人間と乗り物」の側に立っていると理解してもらえればよいだろう。  すなわち、この物語における対立とは、乗り物として人間とかかわってきたトランスフォーマーの歴史そのものを守ろうとするビーストコンボイと、その間違った歴史を消滅させ本来の純粋なトランスフォーマーを取り戻そうとするビーストメガトロンの対立ということになる。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(前編)|池田明季哉

    2022-02-28 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から、引きつづき時代の意志の変遷を読み解きます。「トランスフォーマー」の歴史を塗り替える存在として、1990年代後半に登場した「ビーストウォーズ」。ゴリラやティラノサウルスといった動物モチーフがどのような象徴だったかを、アニメーション制作の背景から解き明かします。
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(8)「ゴリラが守った時代、ティラノサウルスの描いた夢」(前編)
    子供はなぜ「自動車」と「動物」が好きなのか
     動物が機械である、という主張は、一見突飛なものに聞こえるだろう。一般に動物は自然の象徴であり、機械は文明の象徴である。そのふたつは、長らく対立したものとして捉えられてきた。  これがどういうことかを説明するために、まず自動車が宿した成熟のイメージがどのようなものであったかをおさらいしよう。自動車は、近代的な主体による意思決定を、工業技術によって拡張する存在だ。精神が肉体を動かし、肉体は自動車を操作し、自動車は操作を受けて、生身では考えられない強大な力でこの世界を走り出し、物理的な作用を与える。それは主体が社会に、精神が物理に作用を与えるためのシステムであり、その構造こそが近代的な主体概念が仮構する理想の身体像であった。  だとすれば、逆に「身体とは機械である」ということもできる。精神による操作を受け、それを物理的な作用に変換する系として考えるならば、肉体と機械は同一の存在としてシームレスに繋がる。有機的であるか工業的であるかという違いは、単なる製造方法の違いにすぎない。肉体もまた、細かな部品が精妙に組み合わされた結果機能していることに異論はないだろう。  人間の肉体が、自動車がそうであるような「機械」だとするならば、同様に動物も「機械」であるといえる。肉体も自動車やその他の乗り物も、ある機能を果たすためにデザインされている。動物のデザインもまた、環境に適応した進化の結果である。それは「ある作用を及ぼすために最適化された身体」という意味で、相似のものなのだ。そう考えれば、たとえばブルドーザーが土を押し出すプレートを備えることと、キリンが高い場所の葉を食べるために長い首を持つことは、機能がビジュアライズされたデザインという意味で、玩具のモチーフとしては近似のものなのだ。  では、人間とのかかわりについてはどうだろうか。「乗り物」は、そこに人間がかかわることができるからこそ「乗り物」たりうる。トランスフォーマーが異星からやってきた超ロボット生命体でありながら乗り物という人間向けインターフェースを持つことで、人間とテクノロジーの関係を描き出していたことは、本連載ですでに分析した。  この論理でいえば、動物は一見人間からは独立した存在に見える。もちろん馬などをはじめとした家畜には人間とのかかわりを持つものもいるが、「ビーストウォーズ」の世界観において、そういった動物が特別の地位を与えられているということはなく、むしろ野生であることが強調されている。では、「ビーストウォーズ」の美学は人間をどのような存在として捉えているのだろうか。  これはやはり、両陣営のリーダーのモチーフによく表れている。G1時代のコンボイ(以下「初代コンボイ」)はトラックに、G1時代のメガトロン(以下「初代メガトロン」)は銃に変形した。これがテクノロジーの持つ進歩と破壊というふたつの側面を表しており、同時にフロンティアの記憶に根ざすアメリカン・マスキュリニティを象徴していることは以前指摘したとおりだ。  では、ビーストウォーズではどうだろうか。「ビーストウォーズ」におけるコンボイ(以下「ビーストコンボイ」)はゴリラに変身し、「ビーストウォーズ」におけるメガトロン(以下「ビーストメガトロン」)はティラノサウルスに変身する。こうしたモチーフと「人間」の関係は、どのように考えればよいのだろうか。
    ▲MP-32 コンボイ(ビーストウォーズ)。ゴリラからロボットに「変身」する。写真は後年設計されたリメイク版で、CGアニメ劇中の姿に忠実。(出典)
    ▲MP-43 メガトロン(ビーストウォーズ)。ティラノサウルスからロボットに「変身」する。コンボイと同じく写真は後年設計されたリメイク版で、CGアニメ劇中の姿に忠実。(出典)
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • トランスフォーマー(7)自動車の挫折と動物の台頭|池田明季哉

    2022-01-17 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から、引きつづき時代の意志の変遷を読み解きます。自動車などの工業製品がヒーローロボットに変形する点が特徴だった「トランスフォーマー」の歴史を塗り替える存在として、1990年代後半に登場した「ビーストウォーズ」。ゴリラなどの動物から変形するというコンセプトの裏には、どんな精神性が読み取れるのか?
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(7)自動車の挫折と動物の台頭
     前回は合体戦士からヘッドマスターズまでの流れを分析したが、その後のトランスフォーマーの展開もまた、多様である。  ヘッドマスターと同様のミニフィギュアがエンジン(状のデバイス)に変形して本体に合体する「パワーマスター」、人間や動物を模した外装の中にロボットを収めた奇抜なコンセプトの「プリテンダー」、非変形のフィギュアが武装したりビークルに乗り込む遊びを提案した「アクションマスター」、小型のトランスフォーマーによる基地遊びを前面に押し出した「マイクロマスター」──他にもさまざまなカテゴリがあるが、ここでは多くの試みによって、遊びの幅が実に野心的に開拓されていったことを理解しておくに留めたい。  平行して、日本独自の展開としてアニメーション作品『トランスフォーマー 超神マスターフォース』(1988)『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマーV』(1989)が制作されており、これは後に『勇者エクスカイザー』(1990年)をはじめとする「勇者」シリーズに繋がっていくのだが、こちらの流れについては、「勇者」シリーズの流れと関連して後述しよう。  アメリカにおいては1990年でいったんトランスフォーマーの展開は終了しており、1985年の展開スタートからここまでを便宜上「ジェネレーション1(G1)」と呼ぶことが多い。そしてこのG1に続いて1993年から1995年にかけて展開したのが「ジェネレーション2(G2)」と呼ばれるラインだった。G2は、「フリーポーザブル」と呼ばれるロボット形態の関節稼働や、さまざまな新しいギミックが搭載された傑作シリーズとして人気を博した。

    ▲G2最後期の傑作「バトルコンボイ」。ライト点灯やミサイルの発射などさまざまなギミックを搭載しつつ、優れたプロポーションと関節可動を持つ。 『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』 (メディアボーイMOOK、2019) p85
     フリーポーザブル仕様を投入した変形ロボットであるG2のトランスフォーマーたちは、おもちゃの進歩の歴史としてはたいへん重要な存在である。自由に関節が動くということが遊びの想像力にどのような影響を与えたかも興味深いところではあるが、モチーフのレベルではむしろマシン―ロボットというトランスフォーマー初期のコンセプトに立ち返ったと考えることもできる。そのためここではその存在に触れるに留め、次の展開に論を進めていきたい。  その展開とは、1996年よりスタートした『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー』だ。

    ▲「ビーストウォーズ」wave1として発売されたコンボイ(Optimus Primal)。ゴリラからロボットへ変形する。丸みを帯びたシルエットと毛並みのディティールが、それまでのトランスフォーマーとはまったく異なる。写真は2021年発売の復刻版。(出典)
    フロンティアのG1、冷戦のG2
     このシリーズは、ふたつの点で画期的である。ひとつは、これまでのようなマシンではなく、生の動物がロボットに変形すること。もうひとつは、フル3DCGで制作されたアニメーションで物語が展開されたことだ。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • トランスフォーマー(6)ロボット、自動車、都市、そして身体|池田明季哉

    2021-03-24 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。前回に引きつづき、玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から読み取れる意志を読み解きます。アメリカと日本で横断展開された「トランスフォーマー」シリーズでは、同じ仕様の商品であっても、とりわけ「合体」の意味論をめぐって、双方の物語メディアでの解釈が大きく異なります。そこで表面化した、ロボットの「心」と「身体」をめぐる思想の違いとは?
    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(6)ロボット、自動車、都市、そして身体
    トランスフォーマーの心はどこにあるのか
     1987年から、トランスフォーマーの展開は一気に複雑化する。『2010』のアニメーションが終了したことによって、アメリカ展開と日本展開で独立したメディア展開が行われたためだ。アメリカではアニメーション『ザ・リバース』を経て後にマーベル・コミックスが物語を担当し、日本では独自に制作されたアニメーション『ザ☆ヘッドマスターズ』が物語の中心を担うことになる。とはいえ展開している玩具そのものは同一であるため、ひとつの玩具デザインに対して、アメリカと日本でふたつの物語的な解釈が存在する、奇妙な状態になっている。  この解釈の差はたいへん興味深い。ここではそれぞれの文化がトランスフォーマーに対してどのような解釈をもって理想の身体を見出したのかを考えていきたい。  まずは共通する玩具のデザインについて確認しよう。「ヘッドマスター」と呼ばれるカテゴリの商品は、大きくふたつのパートからなる。すなわち大型ロボットの頭部に変形する小型ロボット「ヘッドマスター(カテゴリと同名)」と、大型ロボットの胴体に変形するマシン「トランステクター」だ。ふたつが合体(ヘッドオン)してひとつの大型ロボットを構成するほか、マシン形態になったトランステクターには、ヘッドマスターを搭乗させることができる。  ヘッドマスターとトランステクターの接続部は基本的に共通の規格で作られており、交換することができる(クロスヘッドオン)。トランステクターの胸部パネルを開けば「SPD(speed)」「STR(strength)」「INT(intelligence)」と表示されたメーターがあり、これはロボット(人格があるのでキャラクターだが)の性能を示している。

    ▲ヘッドマスターズの中心キャラクターのひとり、クロームドーム。小ロボットが頭部に、スポーツカーが胴体に変形、合体する。(出典:『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』(メディアボーイ)P24)
     日本版の物語においては、小型ロボットであるヘッドマスターに意志の本体があり、それがトランステクターという乗り物に合体することによって力を発揮する、という構図になっている。大型ロボットへの変形前は、ヘッドマスターという乗り手がトランステクターという乗り物に搭乗するかたちになっていた。頭部に主体を置き、胴体はそれに追従する存在としたこの日本版の設定は、頭という部位を乗り手、胴体という部位を乗り物として解釈したと理解できるだろう。
    ▲日本版アニメーションに準拠するヘッドマスターの概念図。(出典:『決定版 トランスフォーマーパーフェクト超百科 』(テレビマガジンデラックス)P40)
     一方、海外版アニメーションの設定はやや入り組んでいる。まずヘッドマスターは、頭と胴体が一体となった通常のトランスフォーマーとして登場する。しかし敵と戦う過程で、人間と同サイズの異星人「ネビュロン人」のアドバイスが必要になる。そこでヘッドマスターたちは、頭にあった記憶を胴体にコピーし、胴体のみで活動可能な状態となる。その上でスーツを着たネビュロン人が頭部に変形し、胴体に合体するのである。当然、頭部にはネビュロン人の意志があり、胴体には従来のトランスフォーマーの意志があることになる。映像作品の中では、頭部にいるネビュロン人の助言を受けながら、胴体が戦闘を行う、というような描写になっている。  一方、マーベルのコミックス版もこれと近い構造で、トランスフォーマーたちは信頼の証として自ら頭部をもぎ取り、改造を受けたネビュロン人がその位置に収まるというような描かれ方になっている。主体については基本的に頭部となったネビュロン人側にあるように思われるが、本来の頭部もボディとリンクがあるようであり、主体の位置についてはやや曖昧である。

    ▲マーベル版の描写。信頼を得るために自ら頭をもぎ取る姿はショッキングなものとして描かれており、カバーにも使われている。(出典:『トランスフォーマークラシックススペシャル:ヘッドマスターズ』(メディアボーイ)P4, P26)
     こうして比べてみると、興味深い差が明らかになる。日本版は「頭部になる小型ロボット」を、「胴体になるマシン」が「拡張」すると考えている。逆に海外版の設定は、アニメーション版もコミックス版も、トランスフォーマーの身体を「頭」と「胴体」に「分割」すると考えている。  なぜこのような差が起きるのだろうか。
    【4/8(木)まで】特別電子書籍+オンライン講義全3回つき先行販売中!ドラマ評論家・成馬零一 最新刊『テレビドラマクロニクル 1990→2020』バブルの夢に浮かれた1990年からコロナ禍に揺れる2020年まで、480ページの大ボリュームで贈る、現代テレビドラマ批評の決定版。[カバーモデル:のん]詳細はこちらから。
     
  • トランスフォーマー(5)「合体するロボットたちの主体とリーダーシップ」|池田明季哉

    2021-01-21 07:00  
    550pt

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。今回からは改めて『トランスフォーマー』について、玩具としてのプロダクト展開を歴史的に辿っていきます。日本のタカラとアメリカのハズブロ社の2社によって作り上げられた「トランスフォーマー」シリーズは、日本とアメリカ、それぞれの美学の綱引きによって移り変わっていきました。今回はその中でも「合体戦士」に着目し、合体にまつわる日米の価値観の違いをひもときます。

    池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝トランスフォーマー(5)「合体するロボットたちの主体とリーダーシップ」
     こんにちは、池田明季哉です。前回からかなり間が空いてしまいました。実はこの間、1年住んでいたイギリスから日本へと帰国していました。そしてイギリスに滞在した経験を元に書いた小説が電撃大賞で賞をいただき、その出版に追われていました。『オーバーライト──ブリストルのゴースト』というタイトルで、4/10に発売され、続編である『オーバーライト2──クリスマス・ウォーズの炎』が10/10に発売されています。慌ただしい日々を送っていましたが、おもちゃ遊びを欠かしたことはなく、改めておもちゃの可能性を整理していきたいと思っています。よろしくお願いします。
    ────
     今回からは、トランスフォーマーの展開について補足していきたい。  ここまで「G1」と呼ばれる初期トランスフォーマーのリブランディングがどのような想像力で行われたかを推察し、そしてハリウッド映画版が美学の上でどのように行き詰まったかを整理してきた。いわば原点と現在地点の双方から挟み撃ちにするかたちで、トランスフォーマーが描いてきたイマジネーションを分析してきた。  しかしこれはトランスフォーマーというブランドが歩んできた35年以上の長い歴史の、あくまで両端にすぎない。その歴史のなかで「魂を持った乗り物」の想像力もまた、大きく変遷してきた。補足をしてなおすべてを語りきることはできないが、特に重要だと思われるアイテムやシリーズの宿した想像力について、メディアでの描かれ方と突き合わせながら確認していきたい。  トランスフォーマーは、日本文化とアメリカ文化の両義性に本質があると定義した。そしてトランスフォーマーの想像力もまた、日本のタカラとアメリカのハズブロの関係に象徴されるように、日本的な美学とアメリカ的な美学の綱引きによって移り変わっていった。長い歴史を持つぶん、提出されたデザイン・語るべき文脈もまた膨大である。そのすべてを網羅的に紹介できないことは心苦しいが、重要な想像力を持つアイテムをピックアップして、その想像力について論じていきたい。
    合体戦士は強いか、弱いか
     1984年にスタートしたトランスフォーマーはそのラインアップを拡げ、1985年には1つのロボット形態に2つのマシン形態を持つ「トリプルチェンジャー」であるブリッツウィングやアストロトレイン、また複数のトランスフォーマーが合体する「合体戦士」である「ビルドロン巨人兵 デバスター」といった、印象的なキャラクターが登場した。

    ▲ビルドロン巨人兵 デバスター。6体のロボットが合体する。(出典:『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』 (メディアボーイ)P13)
     まず、この「合体戦士」の受け止められかたについては触れておきたい。「複数の主体を持ったロボット/マシンが合体すると、さらに強くなる」という文化は、1970年代の数々の日本ロボットアニメをはじめ、タカラにおける玩具発のシリーズとしては「ミクロマン」、そしてそれを引き継いだ「ダイアクロン」の時点ですでに確立されていた。デバスターの原形となった「ダイアクロン 建設車ロボ」もまた、こうした想像力を下敷きにしていると見ていいだろう。
    ▲ダイアクロン建設車ロボ。(出典:『ダイアクロンワールドガイド』(ホビージャパン)P72)
     ところがデバスターには、明確に異なった特徴がある。確かに合体によって強力な力を得るのだが、合体する6人の意志がバラバラのため、知力が下がっているという弱点が与えられているのである。
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝 番外編 ヨーロッパおもちゃ最前線ーー虹色に輝く「うんち」の美学

    2019-10-10 07:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』。今回は番外編として、ヨーロッパ諸国のおもちゃ事情を報告します。ジェンダー的な中立性が好まれるフランスやドイツでは、児童向けおもちゃの偏向は厳しく咎められますが、一方イギリスでは、「悪趣味」で「下品」なおもちゃが人気を集めているようです。
     こんにちは、池田明季哉です。先日イギリスから帰国し、久々に日本での生活を満喫しています。今回は番外編として、イギリスのおもちゃ事情を振り返りながら、海外、特に中心的に訪れた西ヨーロッパのおもちゃを取り巻く文化について考えてみたいと思います。
    日本、アメリカ、イギリス、そしてフランスとドイツ
     この連載では「おもちゃには理想の成熟のイメージが込められている」という前提のもとに、日本のおもちゃが発展させてきた独自のイメージについて議論を進めてきました。そのなかで、日本のおもちゃ文化はアメリカ文化がベースになっている、と幾度か言及しています。  さらに遡って、こうしたアメリカ文化における成熟の美学の源流を求めるとき、イギリス文化の存在を避けては通れないでしょう。もちろんイギリス文化は西ヨーロッパの文化の中心たるフランス文化の影響を大きく受けていますし、フランスの長年のライバルともいえるドイツ文化との関連も見逃せません。  世界史的には文化の中心地のひとつと目されているこうした地域で、果たしておもちゃにどのような成熟のイメージが込められているのでしょうか。
    ヨーロッパに「おもちゃ屋さん」はあるか
     さて、そもそもヨーロッパの子供たちは(あるいはその親たちは)、おもちゃをどこで、どのようにして買っているのでしょうか。  日本では専門のおもちゃ小売店が次々と閉店して久しく、現在に至っては街でその姿を見ることはほとんどありません。代わりに台頭してきたのが、家電量販店です。多くの家電量販店にはおもちゃのフロアが用意されていて、品揃えもかなり優れています。  いっぽう、Amazonをはじめとしたオンライン通販も非常に便利です。東京都内であれば翌日には届きますし、筆者の実家である北海道にも、翌々日には届くことがほとんどです。日本国内で普通に流通している一般的なおもちゃであれば、あえて小売店に行く必要はほぼないと言ってしまってよいでしょう。  ところがヨーロッパには、こうした文化はほとんどありません。専門の「おもちゃ屋さん」が街にあり、そこで購入することが普通です。もちろんオンラインで購入することも可能ですし、若い世代を中心に徐々に浸透してもいるようですが、日本ほど受け入れられているとはいえないように思われます。少なくとも、大きなショッピングモールがあれば、そこにかなりの確率でおもちゃ屋さんがある程度には、小売店は存在感を発揮しています。  こうした環境の違いは、社会において「おもちゃ」が置かれている文脈の違いを象徴しています。  日本において、家電量販店に置かれているのは、子供向けのおもちゃだけではありません。高価格高品質のフィギュアをはじめとして、主に大人の「オタク」向けのいわゆる「ホビー」に分類されるような商品も、同じフロア、近接した棚に並んでいることがほとんどです。原理的にすべての商品が並列に置かれるインターネット通販でも、状況は同じであるといってよいでしょう。  また基本的には子供向けに開発されているおもちゃであっても、大人が購入して遊ぶような状況も稀ではありません。たとえば「スーパー戦隊」「仮面ライダー」「ウルトラマン」「ガンダム」など、長年続くIPのファンが親となり、その子供におもちゃを買い与えて一緒に遊ぶ風景は、もはや普通のものになってきています。  対してヨーロッパでは、おもちゃは基本的に「子供のもの」です。筆者が住んでいたイギリスにおけるおもちゃ小売の大手「Hamleys」や「the entertainer」などに並べられているのは、子供を対象にしたものに限定されています。特に「Hamleys」において顕著ですが、キャラクターIPを軸とした商品はむしろジャンクなものとされている雰囲気もあり、狭い意味で「子供らしい」ものが中心となっています。  もちろん、アメリカンコミックスに代表されるような「大人のホビー」としてのおもちゃも、しっかりとしたファン層があります。しかしこうしたおもちゃはアクションフィギュアのような、どちらかというとコレクターズアイテムとして、コミックショップなどで販売されています。コミックショップでは子供や親子連れの姿も頻繁に見ることができますので、「おもちゃ屋さん」と「コミックショップ」を訪れる客層が完全に別れているというわけではありませんが、やはり「子供のおもちゃ」と「大人のホビー」が分かれた場所で販売されているということの意味は大きいように思われました。  おもちゃ史としては、こうした「おもちゃは子供のもの」というヨーロッパ的な態度のほうがむしろ伝統的なものです。むしろ「子供」と「大人」が境界なく融合する傾向の強い日本文化こそが、特殊なものであることが再確認できました。
    「レゴの警察セット」は是か非か――フランス
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。
     
  • 池田明季哉 “kakkoii”の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝 番外編『トイ・ストーリー4』(3)タイム・アフター・ザ・スペース・レンジャー

    2019-07-30 07:00  
    550pt

    デザイナーの池田明季哉さんによる連載『"kakkoii"の誕生ーー世紀末ボーイズトイ列伝』、番外編『トイ・ストーリー4』論のラストとなる第3回です。ジェンダー論的な「政治的正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)を体現する本作で、ウッディやバズに代わってマチズモを象徴する役割を与えられたキャラクター・カブーンから「新しい男性性」の萌芽を考えます。 ※注意:本記事には『トイ・ストーリー4』のネタバレが含まれています。
    物語のレベルで「置き去り」にされるバズ
    『トイ・ストーリー4』は、現代におけるジェンダーと結びついた美学の問題を、おもちゃという必然性あるモチーフによって整理し、ボーというキャラクターを中心に力強く描き出した傑作です。しかし本連載の立場からは、ふたつの問題点を指摘したいと思います。象徴的にいうなら、それはバズの立場が希薄化しているということに集約されます。  ひとつは、『トイ・ストーリー3』まで展開されていた、アニメーション映画史におけるコンピュータ・テクノロジーという主題が後退してしまったこと。これは3DCGがあまりにも当たり前になったという時代の変化に対応していますし、『トイ・ストーリー3』でアンディの物語と共に完結した主題であったので、脚本上の要素の取捨選択としてはむしろ正当なものであるともいえなくはありません。しかしウォルト・ディズニーが確立したアニメーションの伝統を、コンピュータ・テクノロジーで大胆に換骨奪胎し更新していくダイナミズムによって駆動されていた前3作に対して、こうした文脈での批評性は限定的なものに留まってしまっている印象はあります。  先述のように、バズはテクノロジーを象徴するキャラクターでした。バズが物語上積極的な役割を果たす立場でなくなっているのは、テクノロジーという主題がほぼ放棄されていることと関係しているでしょう。これには90年代にはまだギリギリ「新しいもの」としてのイメージを持っていた宇宙飛行士やギミック満載のアクションフィギュアというモチーフが、現在では「中途半端に古いもの」という非常に扱いにくい存在になってしまったという難しさもあると思われます。しかしそれでも「トイ・ストーリー」シリーズが、ポリティカリー・コレクトな世界以上の「未来」を語ることができなくなっている現状には、一抹の寂しさを感じてしまいます。  もうひとつ、より大きな問題は「新しい男性性」の描かれ方が不十分であることです。これまでの作品において「新しい男性性」を象徴してきたのはバズでした。本作において、バズはほとんど物語の中心から外されています。「旧い」「新しい」という縦軸と、「男性性」「女性性」という横軸によって区切られる四象限を定義するとき、『トイ・ストーリー4』は「新しい女性性」による「旧い男性性」の放逐と「旧い女性性」の救済を描いているのですが、「新しい男性性」については、ほとんどなにも描いていません。  ギャビーを通じて「旧い女性性」を救済しつつボーに「新しい女性性」を象徴させ、「旧い男性性」の象徴であるウッディを葬る物語を描いた『トイ・ストーリー4』が語り残してしまったもの、それはアニメーションの未来と「新しい男性性」ーーバズの物語であった。これまで論じてきた本作の問題点は、このようにまとめることができるでしょう。
    デューク・カブーンとジョン・ウィック
    ■PLANETSチャンネルの月額会員になると…・入会月以降の記事を読むことができるようになります。・PLANETSチャンネルの生放送や動画アーカイブが視聴できます。