自分のための人生(ウエイン・W・ダイアー)感想文
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自分のための人生(ウエイン・W・ダイアー)感想文

2019-12-18 21:27


    自分のための人生 (知的生きかた文庫)
    ウエイン・W・ダイアー (著), 渡部 昇一 (翻訳)
    文庫: 288ページ
    出版社: 三笠書房; 改訂新版 (2011/7/21)
    言語: 日本語
    ISBN-10: 4837979602
    ISBN-13: 978-4837979609
    発売日: 2011/7/21


     自分のやりたいことをやり、人生の楽しみは自分の力でつかむようにしていかなければ、これから先をずっと、他人から「お前はこうしなければいけない」と言われるように生きていくことになるだろう。
     確かに、この地上で生きるのは束の間だが、そのわずかな時間は、少なくとも自分にとって楽しいものであるべきだ。
     誰のものではない、自分自身の人生なのだ、自分のやりたいように生きることだ。

    ■知的生きかた
     自分の「感情」は内的に自分自身が考えることで自分が作り出している、しかれば自分の考えをコントロールし自分の感情をコントロールできる、そしてしなければならない、それが自分のために「自分の頭脳を使う」ということ、それが知的生きかたといえる。
     自分の感情は自分自身が作りだしているとすれば、感情の責任は自分が取るべきである、感情の責任を他人や外的ものごとに責任転嫁すれば、自主的に生きることができなくなる、自分の感情のコントロールを失い、他人や外的ものごとに振り回され支配され依存してしまう。
     自分の感情や「ものごとの感じかた」は選択できる、感情に先立つ思考に働きかけることによって感情をコントロールできる、要は頭を使えということ、「まわりの人間やものごとが自分を不幸にするのではない、自分で自分を不幸にするのだ」。
     他人やできごとを、どうにかして役立てることができないかと頭を働かせ、そういうものを自分のために利用する、それが知的生きかた。
     自分の感情は自分で責任をとる、自分のものの感じかたには自分に責任がある、「彼のせいで傷ついた・彼のせいで不愉快だ・彼のせいでつまらない・彼のせいで気分を害した・彼のせいで落ち込んだ」「他人の行為が無駄だと感じて腹が立つ・他人の行為が気に入らないと腹を立てる」、こういった「他人の行為の『せい』で自分の感情がどうなった」、は当人が作り出した感情をコントロールする責任を放棄し、その責任を外的なものに転嫁することで自主的な生き方を放棄している。
     しかし、たとえ自分で作った感情である怒りにより自分の言動をコントロールできなくなったとしても、人を非難したり中傷して相手の心が傷つくようなやり方はやめるべきである、自分の感情も自分の言動もコントロールできるのだから。
     他人には他人の考えがあり自分とは違う、他人は自分と同じように考えたり行動するようなことはない、他人には自分とは違ったふうに自由に考え自由に行動する権利がある、自分が自分の権利を主張するように、他人にだって行動を選択する権利がある。
     他人の頭の中など、変えることが不可能なもの対して腹を立てて自分の時間を無駄に使うのではなく、外部の事柄によって自分の心が乱されないように、を働かせることで新しいものの考えかたをしたほうがよい。
     「効果的に生きる」とは、自分をコントロールする拠点を外部から自分の内部へ移すことである、どんな気持ちを味わっても、その気持ちに対する責任は自分で引き受けることだ。

    ■人間性について(かなり本文と違う主張です)
     この【自分のための人生】では人間性について「人間性などというものは存在しない。人間性という言葉そのものは、人が勝手に分類し口実をつくり出すように意図されたものである。」と書いてある。
     ウィキペでは「人間性」とは人間として生まれつき備えている性質を意味します。
     確かに人間性とは他人が勝手に考えた人工の概念ではある、先のブログで取り上げた向上心(サミュエル スマイルズ)では、IN GOD WE TRUST(我々は神を信じる)が土台にあってその上にイギリス紳士、ジェントルマン的な心得が積みあげられる。
     【自分のための人生】では、人間性を否定することで人間とは何かという土台がある前提を否定する。
     生きているモノと死んでいるモノの違いは成長(変化)するかしないかとする、生きていることの唯一の証拠が成長であり、心の世界でも成長していれば、その人は生きているし成長していなければ死んだも同然になる。
     「成長することが生きている」とすることで、なぜ人間は成長したり向上したり変わらなければならないかを定義して説明する。
     その定義は巧みに変わらない自由・向上しない自由・成長しない自由・死んだも同然で居る自由を排除している、人間とは何か、人間はどうあるべきなのか、人間のなすべきこと、といった土台の前提を捨てて本当に自由なれば神に憎まれてもいいし神の望まない子でも生ける屍であっても自ら自由に選択できる人生ということになる。
     私は性善説(人間性の根本は善を選ぶ)を信じるが、誰かが考えた人工の「人間かくあるべき」と強要するような、成長しろ・変化しろ・向上しろ・成功しろ・幸福になれ・生きろ・愛せ・愛されろ、などの強迫観念に追い回されて生きるのもまっぴらと感じる。
     私の思う、人間性なる「人間らしさ」とはありのままの自然の感覚、野生動物的感覚、自然(宇宙)と一体になった時に感じるあの開放感、そんなことが浮かぶ、知的な人間よりも本能的な動物に近い、知的に生きるよりは野生動物のように生きたい。

    ■自分の価値(かなり本文と違う主張です)
     社会の教育や教訓では、自分より他人を優先しろ・他人のことを考えろ・自分を過小評価しろ・でしゃばるな周りを見ろ・自分をわきまえろ、それらは「他人の人があなたをどう思うか」が基本となっている。
     個人を社会に効率よく利用するために他人を優先させ「他人からどう思われるか」を重要視させる、それは自分の精神の自由を捨てて自分で自分を拘束する足枷になる。
     他人優先足かせは、個人は不幸になっても構わないとし社会が効率よく利用できる資源になればいいという、社会のために人工製造した規範を個人に矯正するものだ、できることは頭を使って上手く折り合いをつけるしかない。
     他人優先足かせが自分を優先して自分を愛することを妨害する、わがままやうぬぼれとして自己愛は社会から攻撃される、しかし本来自分自身を愛することは全く自然なことである。
     「自分は存在している、自分は人間である、自分を愛している、自分には価値がある」自分の価値は自分自身で決めるもので、だれにも説明する必要はない、自分の価値は自然に発生し普遍であり完全であり増減も大小も高い低いも無い、ゆえに人間の価値は完成している、つまり生きとし生ける全ての人間の価値は完璧である。
     自分の価値は自然に発生し自然と存在する、自分にも他人にも外的にも内的にも神にも脅かされない、自分愛の意味するところは、自分を価値ある人間として受け入れることである。
     自分を愛することが自然であれば自分の価値も自然に在ることになる。
     人間の価値も人間性も自然発生し、自然のあるがままになるがままに、すべては自然であれ、そして自然に消滅すればいい。

    ■他人本位な生きかた(かなり本文と違う主張です)
     他人の賛同なしには生きづらい世の中になっている、私たちの生活は、他人の賛同を求める行為や他人にばかり注意を向ける傾向が生活の基準としてますます強化されている。
     前述したように自主的な思考というのは社会の砦となっている制度そのものの敵なのである。
     「自分自身を頼ってはいけない」というのが他人の賛辞や賛同を必要とする態度の本質である、他人の意見のほうが自分の意見よりも大切だとするなら、自分には価値がないと感じたり思い込む、その結果、自分の価値が他人にゆだねられてしまう。
     他人に操られないように自分自身を認め他人の支配から遠ざかり、他者依存的な立場から抜け出し自主自立する必要がある。

     話は変わるが思えば「他人の賛成を求めよ!」という脅迫観念は沢山のビジネスに利用されている、ツイッターなどのSNSのいいね・リツイート、ユーチューブなど動画サイトの高評価・再生回数・好意的コメント、その他もろもろ。
     他人の評価に精神的に右往左往して一喜一憂する、もっといえば他人の評価に行動すら右往左往しているかもしれない、それは他人に操られ他人の賛同を求め続ける他人依存ビジネスではないか!、他人の気を引こうと必死になったり競争したりすればするほど運営会社にお金が積まれていく。
     こういった依存ビジネスのシステム構築等には優秀な人材が投入されていると思うが、優秀な人間の能力を搾取と金集めの為に使うのは勿体無いと思う、なによりも重大なのは「人間を幸福にするよりも不幸にしている」、これを是とする資本主義を私は信奉する気にはなれない、人間の能力をもっと素晴らしいことに使って人間を不幸にするよりも幸福にすべきだ。

     話を戻すと「自分は価値のある人間」とする信念と「自分自身でありたい」という欲求に従って自分はこうなると決めた人間になれ。
     人間の価値は失敗や成功とは関係ない、自分の価値は失敗や成功で決まると考える人は、いつかきっと自分は役立たずと感じるだろう。

    ■生きれるのは現在のみ、過去の後悔捨て、未来の不安捨てる
     自分を大切にすること、そうすれば腹を立てたり怒ったりして、自分の時間をムダにしたり、自分を傷つけ駄目にするようなことはしようとは思わなくなる。
     今を生きること、そして、今この時を過去や未来に対する考えに縛られてムダに過ごさないことを学ぶべきだ。
     生きるべき時は今をおいて他にないのだ、そして、無益な自責の念や不安はすべて、うつろいやすい今という時をムダに使ってしまう行為なのである。


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