脱政治化させた自由貨幣と自由市場そして脱国家主権化させたグローバル自由市場
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脱政治化させた自由貨幣と自由市場そして脱国家主権化させたグローバル自由市場

2020-02-16 08:30

     政治的に正統性のない貨幣は、商品又はサービスと交換できるまたは金銀やドルと兌換できるなどの「価値の裏づけ」が必要になる。

     政治的に正統性の与えられた貨幣は政治的な権威を持つ、すなわち国民の主権が貨幣価値の基盤にあるといえる、貨幣が国民に通貨として利用され市場で広く流通するのは二次的なことである。
     主権を持つ国民だけが政治的な権威を創出することができるのであり、国民の民主的な負託の無い市場・ブルジョア・インテリ・テクノクラートにはそれができない。
     主権を持つ国民が貨幣を利用すると貨幣が動く、国民が貨幣の利用を認めなければ政府は徴税を立法できない、間接議会制とはいえ政府は国民の負託が必要である。
     すなわち国民の主権が貨幣価値の基盤であり、貨幣が動くその原動力とは主権を持つ国民の意思である。

     国民の主権というものは過大評価されており、現代のグローバル化された相互依存的な世界市場においては意味がないとよく批判される、しかし予算を決め、徴税を決め、労働制度を定め、財政政策を決め、貨幣制度を決め、金利(政策金利・銀行制度・中央銀行を規定する法律を含む)を決め、為替を決め(プラザ合意など外国との取り決め)、物価を決め(規制制度減税増税)、輸入輸出制限を掛け、関税を掛ける。
     これらはすべて政府の政治的に正統性の与えられた法律や制度や政策である、ただし外国との取り決めに関しては国力の差により交渉の成果にも同じく差が生じる、外国との交渉の成果(為替・自国内の産業や労働者を守る貿易保護や貿易障壁など)を求めるのであれば富国強兵をせねばならない。

     制度によって規定された「市場」というものが過大評価されており、自由市場は自動還流せず(退蔵増加、不労所得増加、投資減少、租税回避、銀行の機能不全、親から子へ貧困継承)・滞り(成長鈍化、生活水準停滞、底辺への競争、経済の生産性低下)・不公平(消費者の搾取、労働者の交渉力低下、市場支配企業と政治権力の結合、教育や職業など"機会"の格差、AIやビックデータのテクノロジーアクセス優位性格差)・持続不可能(環境破壊、環境汚染、環境資源の枯渇、不健康、依存症)・不均衡(再分配偏り、自前分配偏り、所得格差)・不完全競争(新規参入競合排除、市場集中、支配力増大)・不安定(金融産業の膨張と影響力の拡大、グローバル化による広範囲な経済の影響)であり不確実性の上で成り立っている。
     それ故に国民経済を安定させる為に不確実性を政治的に調整する、国民から正当性を与えられた政治的な権威を持つ、市場を規定する法律・制度・制約・規制が必要なのだ。

     そもそも「市場」は政治が創出したのであり、政治的に制御しない選択肢などあり得ない。
     「市場が本来求められているとおりに機能できるような規制(制度)がなければならない。十分な情報を持つ当事者同士で取引を行い、一方が他方に利用(搾取)することがないような、競争的な市場を実現する規制(制度)である。市場が適切に規制されている(機能している)と思えなければ、市場は消失してしまうかもしれない。詐欺だという可能性の高い株式(モノ・サービス)など、誰が買うだろうか?」
     (PROGRESSIVE CAPITALISM スティグリッツ 引用)

     主権を持つ国民は政治的な権威を付与した貨幣と市場を創出し利用し運用する目的とは、国民経済の運営を容易にし、国民の生活水準を上げ、国民の安全を向上し、国民の健康を増進し、国民生活を安定させ国民福祉を充実させることである、貨幣と市場はその目的だけに奉仕すればよい。
     この貨幣経済は国民個人の所有する貨幣の数によって有限であるモノ・サービスの獲得を常に妨害するが、前述した目的に資するように「妨害の程度」は民主的な政治によって調整されなければならない。
     脱政治化させた自由貨幣と自由市場は国民経済の目的を粉砕する、少子化は貨幣と市場の脱政治化という自虐行為が国民経済で顕在化した現象である、つまり自ら災いを招いたのだ。

     貨幣と市場は自然宇宙の摂理でもなければ神が定めたものでもない「神の見えざる手」の介在もない、まぎれもなく人間が創造し人間だけが運用し人間だけが利用して人間だけが動かしている、であれば前述した目的に資するように民主的制御「人間の見える手」による制御は可能である、すなわち国民経済は「人間の見える手」により制御は可能なのである。

     脱政治化させた自由貨幣と自由市場そして脱国家主権化させたグローバル自由市場は、国境を無くし国民の既得権益を無くし国家主権と国民主権を制限し国家間の争い(利害の衝突)を無くすことで富国強兵の意義を排除しようとした、その意図にはテクノクラート的な平和主義があった。
     その結果、各国の民主主義の基礎となる自主独立自治は崩れ、国内政治は乱れ、民主主義は枯れ、国民福祉は崩壊し、市民の不平不満不安恐怖怒り憤り絶望感不信感が蔓延した、その失敗から生じる「穴埋め・帳尻あわせ」は弱国と弱者に押し付けられる、つまり「戦争の災」と「経済の災」がトレードされただけで結局は市民の血で清算される、それがインテリが好むテクノクラート的平和主義の結末である。

    インテリが好むテクノクラート的平和主義の基本的な考え
     国際社会は、過去70年にわたってルールに基づく制度をつくり、通商や協力を推進してきた。
     アメリカはこの制度の形成において中心的な役割を担ったが、それは利他主義からではない。
     アメリカを含め、世界全体にとってそのほうがいいと考えたからだ。通商や交流は、国境を越えた理解を促進し、平和をもたらす。
     前世紀に猛威を振るった戦争を抑制する。
     それに、この制度は経済的にもプラスになる。グローバル化は、ルールに基づいて管理を適切に行えば、あらゆる国がその恩恵を受けられる。
     (PROGRESSIVE CAPITALISM スティグリッツ 引用)
     この考えによって民主主義の負託がないテクノクラートがルールに基づいて管理するべきということになる。

    ■国境と国民国家は戦争の原因なのか?
     欧州委員会委員長のジャンクロードユンケルは、2016年8月に「国境は政治家がこれまでに作り出した最悪の発明品だ」と宣言した。
     政治家が実際に国境を「発明」したのかどうかは議論の余地があるにせよ、ユンケルがこの発言をした時までに、政治家が確かに国境を消せることは明白になっていた。
     シュンゲン協定(26カ国による国境のない領域形成)は新たな平和と統合の時代の先触れとなるよう企画されていた。「人、物、サービス、資本の自由で制限のない移動」に何らかのデメリットがあろうとは思わなかった。
     戦争が本当に「国境の存在」と「国民国家」によって引き起こされたのだとしたら、その廃止を望まない者がいるだろうか。
     だが20世紀の戦争を「国境」と「国民国家」のせいにするには無理がある、時として紛争の原因になるにしても、だからといって国境と国民国家がなければ世界から紛争がなくなるというものでもない。
     (西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム ダグラス・マレー (著) 引用)

    ■自由市場による相互依存平和主義
     自由経済制度を世界中に広める、そうすれば世界中の人が商売するようになり、その商売関係が壊れたら嫌だから戦争をしなくなる。
     リベラルな経済を実現して、各国の経済的な相互依存関係が深まるようになれば、世界の国々は戦争しなくなる、すなわち世界平和になる。


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