お勧め本紹介【西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム ダグラス・マレー著 】
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お勧め本紹介【西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム ダグラス・マレー著 】

2020-04-05 20:50
    西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム
    ダグラス・マレー (著), 中野 剛志 (その他), 町田 敦夫 (翻訳)

    単行本: 526ページ
    出版社: 東洋経済新報社
    言語: 日本語
    ISBN-10: 4492444505
    ISBN-13: 978-4492444504
    発売日: 2018/12/14

     欧州が自死を遂げつつあるというのは、欧州の文化が変容し、近い将来には、かつて西的と見なされてきた文化や価値観が失われてしまうであろうということである。
     つまり、我々がイメージする欧州というものが、この世からなくなってしまうというのである。

     なぜ、そうなってしまうのか。それは、欧州が大量の移民を積極的かつ急激に受け入れてきたことによってである。
     本書には、無分別で大衆社会の許容できる限界を超えた大量移民の受け入れによって、欧州の社会や文化が壊死しつつある姿が克明に描かれている。
     一つの偉大な文化、例えば人権擁護の精神、民主主義や社会契約の精神・リベラリズム・西欧哲学・西欧思想・西欧芸術・キリスト教など宗教精神などを創造した知の巨人達が絶滅しつつあるその様には、身の毛もよだつ思いがするであろう。
     しかも恐ろしいことに、この欧州の文化的絶滅は、欧州の指導者たちの決断が招いた事態なのである。
     もっとも、この大量移民の受け入れによる文化的な自死という戦慄すべき事態は、対岸の火事などではない。
     これは日本の問題でもある。
     日本は、移民に対しては閉ざされた国であると考えられてきた。
     しかし、経済協力開発機構(OECD)加盟35ヶ国の外国人移住者統計(2015年)によれば、日本は2015年に約39万人の移民を受け入れており、すでに世界第4位の地位を得ているのである。

     さらに、2018年6月、日本政府は、2019年4月から一定の業種で外国人の単純労働者を受け入れることを決定した。
     その受け入れ人数は、2025年までに50万人超を想定しているという。
     そして、11月2日には、新たな在留資格を創設する出入国管理法改正案が閣議決定された。
     ついに日本政府は、本格的な移民の受け入れへと、大きく舵を切ったのである。
     しかも、国民的な議論がほとんどなされぬままに、である。
    (本書の解説文を一部編集して引用)


    ■イギリス紳士の保守的な考察
     外国労働者、移民、難民を受け入れ前提ではなく長期的な視野で考え直し、「自分たちの社会と文化とは何か」という定義を模索する、そして自分たちの社会と文化が変質したり壊れたりするのを防ぐにはどうすればよいかを考えて具体的に提案する。
     社会と文化が変質したり壊れたりするのを防ぐには、受け入れ人数に限界があり、どんな人々が受け入れ易く受け入れ難いのかを論じている。
     自分の西欧精神、社会、文化とは何かについてダグラス・マレーの考察はイギリス紳士然とした教養や考え方に特徴がある、かつその枠に囚われてもいない、ものごとを一般化しない視点や視野がある。


    ■被害は庶民が被る
     IMF(国際通貨基金)が日本は移民(外国人労働者)をもっと増やすべきという主張の記事を見た、エリート経済学者様が主張する通り、確かに短期的には労働者不足は解決する、しかし長期的には移民は様々な問題が起こる、しかもその様々な問題によって被害を被るのは我々庶民である。
     外国労働者、移民、難民と「直接」接して相手から影響を受け、また相手へ影響を与えるのは殆ど庶民である、もしお互いに軋轢が生じればお互いが不幸になったり、片方が不幸になったり被害を被る、特に受け入れ先の低所得者が軋轢の危機に晒されやすい。
     現実の現場視点に立って、受け入れる一般庶民の要望を政策に反映するのは長期的には重要なことだと思う。
     「世界中の乏しく抑圧された人々の味方だととりあえず表明しておいて、あとは自分の代わりに誰かが慈悲をなすだろうと期待するのは簡単なことだった。自分の慈悲心が招く結果は、誰かに押し付けることができた。」(本書引用)
     昨今世界中でグローバル化、グローバル経済、移民難民、外国人労働者、問題は有権者と政治家の間の信頼関係を瓦解させている主要因の一つになっている、この政治家(安全で裕福に暮らせる立場)と国民(物事の影響を受ける立場)の深刻な乖離は世界的なトレンドになっている。


    ■警鐘を鳴らす人へ向けられるレッテル批判
     「人種差別主義者、排外主義者、排斥主義者、レイシスト、心が狭い、不寛容、外国人嫌い、ナチズム、ファシズム、ファシスト、ムッソリーニ、ヒットラー、ナチス、極右、右翼、国粋主義、純血主義、特に黒や茶色の肌の人を嫌っている人、人権の価値に対する裏切り者、偏見や冷たさや憎悪を持つ人、死んだ子供に無関心な人、性差別主義者、同性愛険悪者、反ユダヤ主義、イスラム嫌い」などのレッテルがいかに多くの有益で重要で必要な議論を長らく妨げてきた事実を明らかにする。
     このレッテル批判に怯えて誰もが、移民難民に関して負の側面など無く移民難民の受け入れを歓迎するという政治的コンセンサスの枠から踏み出せなくなる、このレッテルを貼られたら下手をすればキャリヤはもちろん仕事や生活を失いかねない、それはもはや全体主義というべき異様な雰囲気となる。

     
    ■もともとアメリカは移民国家、もともとイギリスは移民国家というイメージ
     ・アメリカ
     アメリカの人種構成を統計では1960年は、アメリカ人口のうち85%が白人でした、黒人は10%、ヒスパニック(中南米系)は2.6%です1960年のアメリカは圧倒的に白人国家でした。
     ところが2017年になると、白人の人口比率は60%に激減しています。黒人は13%、ヒスパニックは統計では18%ですが、不法移民も含めると19〜20%になります、白人は人口的に優勢でなくなってきたのです。
     非白人が増えたきっかけは、1965年に大改正された移民法です、それ以前の移民法は露骨な人種差別法案でした。
     それまでアメリカへ移民できる人数は毎年10万~20万人程度と少なく、しかも移民を許可された人の8割以上がヨーロッパ出身でした、基本的に、発展途上国、アジア、アフリカ、ラテンアメリカからは受け入れていなかった。
     (白人がマイノリティーになると、何が起きるのか 伊藤貫 から引用)

     ・イギリス
     多様性への賛美や移民の正当化したり擁護するために、もともと英国は移民国家だったと歴史や歴史認識を改ざんする。
     しかし、英国はいまだかつて「移民国家」だったことなどなかった、小数の人々が移住してくることはしばしばあったが、大挙してやって来た例はほとんど知られていない。
     第二次世界大戦の復興期に入ると労働ギャップを埋める必要に迫られ、かくして移民の時代が始まったわけだが、ただし出だしはゆっくりとしたものだった。(本書引用編集)


    ■人口置き換え「代置換」少数派になる白人
     うち続く大量移民と、移民の出生率の高さ、そして生粋の欧州人の出生率の低さから見て、現行の変化が今後も加速する一方であることは確実視された。
     膨大な数の移民たちを見ていると、そして彼らがまったく異なる生き方をしているのを見ていると、いずれは彼らが優勢になるかもしれない。
     現状のような移民の流入と、移民コミュニティの突出した人口増加が続けば、非欧州人人口はすぐにこの国の文化と価値観の存続をおびやかすほどになるだろう。
     大量移民政策は欧州大陸を変容させ、社会全体を変えることを助長していた。移民地区の増加は官憲が入れない無法地区の増加となり、宗教の諍い、テロ・レイプ・暴行暴力による治安悪化、モスク増加、世界から移民を呼び込むと同時に世界の問題を欧州に呼び込んだ影響を今後何世代にもわたって受け続ける。


    ■本当の問題は宗教
     オランダVVDの党首は1991年の記事で「イスラム教は単なる宗教ではなく、生き方である。この点において、イスラム教の考え方は政教分離と異にしているとした、またイスラム教の女性観と、法律や慣習に基づくそれとの違い」を記した。
     21世紀の欧州はある特定の宗教に絶えず要求を突きつけられるようになるのではないかとの警報がだされていた、なぜならその宗教の信者は大挙して欧州にやってきていたからだ、早い時期からこの議論を開始したのがオランダだった。
     思想警察の殺人やテロを含む威嚇や脅迫が効果を発揮し、言論は封殺される。


    ■理性的判断の保護と義務の厳格性
     我々はどこかの海岸線に立って、船が近づいてくるのを見ているようなものだった。
     目の前にいる人間が上陸できずに苦しんでいれば、大半の人は困っている人を衝動的に助けようとするだろう。
     相手を海に押し戻そうとする者はめったにいないはずだ。
     しかし、海から引き揚げられ保護を申請し、認められた人々は、その措置があくまでも善意に基づくものであり、永遠のものではないことを認めなければならない。
     善意の措置による社会契約は移民先の法律を守り、社会と文化と価値観を尊重する義務を含むだろう、加えて国家へ忠誠の宣誓、同化する義務の明確化も考慮するのも非常識とは思えない。


    ■移民と保護者、ニーチェとキリスト教道徳
     現代人であれば海や陸で遭難者(難民)に遭遇すれば助けるだろう、しかし移民の問題には移民先の善意が食い物にされる問題がある、キリスト教精神は自分のことを配慮せず善意が旺盛だと想像に難しくない。
     ニーチェいわく「悪より有害なもの、すべての弱者に向けられる憐憫」
     ニーチェいわく「他者に哀れみを感じるとき我々は力を奪われる」
     同情は偽善であり、もっともこの世で害悪を及ぼすものである。
     同情される側は、プライドを傷つけられ、感謝ではなく復讐の念を抱かせられる。
     また同情する側も、理知も感情も誤らせられ、自由な想像行為を忘れてしまう。


    ■戦後の文化となった人権思想(本文引用)
     戦後の文化となった人権思想は、まるで信仰のように自らを主張し、あるいは信奉者によって語られる。
     人権思想はそれ自体がキリスト教的良心の世俗版を根付かせようとする試みなのだ、それは部分的には成功しているかもしれない、だが必然的に自信を欠いた宗教にならざるをえない。なぜなら、その拠り所に確信が持てないからだ。
     言葉は隠れた秘密を明かす、人権を語る言葉が立派になり、その主張が執拗になるに連れて、このシステムにその大志を果たす能力のないことが誰の目にも明らかになっていく。
     こうした見える失敗、そして拠り所の喪失感は、個人にとっても社会にとっても、不安の原因になるばかりではなく、時としてひどく感情を消耗させるプロセスになる。


    ■イギリス紳士の言わないおぞましいこと、ナチス式"最終的解決"
     イギリス紳士はナチス、ナチズムに手を突っ込んで何か取り出してみようとは思わないようだが、あえて取り出すとしたら淘汰と優生学(優性思想)だろう。
     自らの身を守れず自分の価値を守れず自分の社会や文化を守れず自分の国家を守れない者は、生きる価値など無いし生き残るべきでもない、そのような弱者は絶滅すべきだ。
     自分の社会、文化、価値観を守りたいのであれば、そのために冷徹で確固たる意思でもって戦い、死に、さらには殺すことも辞さないような妥協なき正義が存在する。
     強者は優秀であり生きる価値があり、また優秀な者が権力と責任を持ち国家を統治し社会を統制し、その者に忠誠を誓って付き従う者が国民である。
     優秀さ、頑強な肉体と頑強な精神は次の世代へ遺伝され継承される、それとともに社会も文化も遺伝され継承される。
     イギリス紳士はハッキリと言わないが警鐘をするのは、「有権者と政治家の間の信頼関係を失い続ける」「レッテル批判に終始する」「パーティーをして享楽に耽る」「人道主義者のふりをする」「理想を振りかざし強行する」「ニヒリストや虚無主義」などを続けて移民や難民の問題が無いかのようにずっと振舞っていると、大衆の不安や不満がいずれは誰もが恐れた最もおぞましい最終的解決を導くことになるということ。
     これは現在の日本にとっての問題でもある、「相模原障害者殺傷事件」はナチス式の優生思想やナチスの蛮行と最終的解決にいろいろな点が類似している気がする、この事件には社会的な不安と恐怖が背景にあるように思われる。
     社会的な不安と恐怖を生む背景として、たとえば「生産性の無い人間は劣等であり、劣等な人間は価値(生きる価値)がない」「子供は親の責任であり、親から子へ経済環境(能力や優劣を含む)などの継承を肯定する」などはナチス式淘汰と優生思想だ。
     ナチス式淘汰は実存的恐怖を潜在意識に浸透させ、社会集団から個人を切り離して考える志向が強く、その上合理主義が選好される昨今では勝ち組・負け組みなど、優劣を他人と比べる価値観は孤立した個人を精神的に追い詰めつつある。
     また、あらゆる生活の活動が貨幣経済化することで、「ひとたびつまずいて貧困に陥れば経済的自由を広く剥奪されること」、またさらに「貧困は自己責任だと断罪されること」などが不安と恐怖を生んでいると思われる
     どちらにせよヒットラーや無差別大量殺人犯を醸成するような土台が社会の根底に築かれてしまうのではないかという思いになる。

    ■難民と経済移民
     ・経済移民の目的は自由と経済的利益であり、多くの移民が移民先のライフスタイル(生活水準)を享受し、経済成長が続く限りは自由主義の夢と果実に参加するものの、移民先の文化は険悪し見下す。
     ・難民は戦争紛争、人種差別、宗教的迫害、思想的弾圧、政治的迫害、経済的困窮、自然災害、飢餓、伝染病などの理由によって居住区域(自国)を離れた、あるいは強制的に追われた人々を指す 、移民先の社会に同化する難民は少ないと想像される。
     移民の過半数は難民申請者ではなく経済移民だったのに、来る者すべての移民は合法的な難民だという振りを長らく続けていれば、やがては合法的な難民など皆無だと信じる人々の運動を呼び起こしてしまう。


    ■縦の時間軸
     文化や社会というものは、たまたま今そこにいる人々の便のためにではなく、死者と生者とこれから生まれてくる者たちが結ぶ大切な契約のために働くものだ。
     そうした社会観においては、尽きることなく供給される安価な労働力や、多様な料理、特定の世代の良心を慰謝することなどを通じて人々がどれほど大きな恩恵を得たいと望んでも、その社会を根底から変えてしまう権利までは持ちえない。
     なぜなら自分たちが受け継いだ良いものは、次に引き渡すべきものでもあるからだ。
     仮に先祖の考え方やライフスタイルの一部は改善可能だという結論に達するとしても、だからといって次の世代に混沌とし、粉砕され、見分けもつかないようになった社会を引き渡すべきだということにはならない。


    ■服従する用意のできた人々
     我々の慣れ親しんだ生活水準が続いている間は楽しいかもしれないが、楽しさだけを売り物にする社会で単なる消費者として送る人生に、真の意味や目的が欠けていることは言うまでもない、それは人生の隙間を露にする、そして何か他のもので隙間を埋めようとする。
     多くの人が幾分ほっとしながら、そうした空虚感を抱える自分自身からの逸脱を歓迎したり、時代に合わせて喜んで変化したり、自分らしさを希薄にしたりして、結局自分の人生を広漠たる不安と不信へと変えてしまった。
     私たちが不安と不信を抱えて、全ての真実に対して「疑り深く」なったのは、基盤となる物語を失ったからである。
     キリスト教の物語、日本でいえば天孫降臨神話、国譲り神話など、真に宗教的重要性を持つ物語の信頼性は失われた。
     戦後、我々は愛国心の可能性をも否定した、大東亜戦争の惨禍によって、愛国心は許しがたく、非常識なものに見えていた。
     現代人は愛国心に変わって歴史的罪悪感を背負うべきだと感じている、そこには戦争とりわけホロコーストの罪悪感(国家神道、軍国主義、覇権主義、韓国併合、日中戦争、満州建国、南方作戦など)だけでなく、過去に関わるあらゆる領域の罪悪感(アイヌ??、琉球??)が含まれる、たとえば消えやらぬ植民地主義や人種差別主義の罪悪感などだ。
     奇妙なことに罪悪感の物語は、社会から望まれ、歓迎されているように思える、自己批判が流行して人々が真に望んでいるものは、次第に事実が"インフレ"を起こすのが常だ。
     インフレした悪行のイメージは、やがてその国の人々の自国観にまで深く根を張っていくかもしれないが、適度なレベルを超えて歴史を卑下するような極端な性向を持ったとして何も得られない、まったく謝らない国もあるという世界において、何をしようと本当の意味で過去の罪は贖罪されない。
     罪悪感は道徳的麻薬と化している、人々はそれが好きだから、それに耽るのだ。
     自国が背負う原罪や歴史的罪悪感による過去と現在の重荷から実存的な疲労感に苛まれるような自己否定を全方向から求められる。
     国家には多くの歴史の層が積み重ねられている、それは「疲れ」を引き起こすものがやってくる、歴史のすべてが忘れ去られることもかなわず、常にそこにあるのだという畏怖である。
     時として歴史は我々にのしかかることもある、それらからくる疲れは、「実存的な疲れ」となって顕在化する、それから逃れようと解決策を探してリベラル自由主義をかじって海外に目を向けたり、ニヒリズムに陥ったり、享楽に耽ったりすることで、過去と現在の重荷から開放され、ささくれだった魂を癒すことができた。
     こうして我々は自分自身の物語を十分に信用せず、自らの過去に不信感を持つ一方で、自分たちが望まない別の物語が入ってくることを防げないという立場に追い込まれた。
     「我々は自分自身のことは悪く思っているし、それ以外の人々はとびきり良く思うつもりだ」我々は服従する用意ができたのである。


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