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【15】【美味しいウイスキーとは何か?-6】【認識と哲学】
【テイスティングノートの構築-2つづき】
大事なことは、自分ひとりだけの認識にとどまることなく、その明証性(疑いの余地をなくす)を期すためにも、間主観性を持った認識へ昇華すべきだということです。
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タケモトカツヒコ(著者)
私がよく批判例に出す人たち、バトルになる人たちは、いずれも独我論です。
自分だけの判断、それが正しいという考え方を独我論と言いますが、これを徹底すると理詰めでの反駁は不能であるということは、哲学においてもよく言われることです。何より自分の判断だけですから、他者からの意見は一切無視できるわけです。
しかし、大抵の人の場合、それは徹底されていません。
自分だけの考えでいいじゃないか!と多くの人は他人へのアピールを行います。
独我論においても、そのアピール主張内容も、自分だけの考えを貫け。であるのに、訴えかける相手である他者は、そのアピールをなぜ聞き入れる必要があるでしょうか? 中途半端な独我論は、この時点で崩壊します。
しかしこの中途半端な独我論は病のように、多くの人が罹患しています。ある人は一生、特に若年層に多い傾向です。ゆとり世代、サラリーマンにも多いのかもしれません。
思うに、ここから脱出する手だては、自らの責任が重くなり、他者なくしては生活が成り立たなくなった、その自覚を心底痛感する出来事に遭遇するかどうかでしょう。しかし、これが行きすぎる、誰も力を貸さない環境に落ち込むと、誰も頼りにならない、だから自分の判断だけしか信用できないとなってしまうものと思います。