第2文学修行 02 「5月某日昼11時、専門学校で犬が〇〇を揺らした」
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

第2文学修行 02 「5月某日昼11時、専門学校で犬が〇〇を揺らした」

2020-05-23 13:05
    修行概要はコチラ
    縦書きでご覧になりたい場合は上リンクよりpdfファイルをダウンロード。



    広く閑散としたエントランスに
    Cはいた。順序良く並んだ長テーブルの、比較的入り口に近い席に、入口を背にして腰かけていた。

    今日の授業は三限から。思っていたよりも早く着いてしまったので、彼女はこうして本を読みながら時間をつぶしているのだった。パイプ椅子は自動ドア近くの観葉植物サンセベリアを延々と眺められるほどの座り心地はないが、読書ぐらいなら可能だ。

    十一時を過ぎたあたりから、大きなガラス張りの自動ドアが開く頻度も上がり、そのたびに春の心地よい風が吹き込んだ。凝り固まった背を優しくほぐしてくれるようだった。

    この学校はITだとかプログラミングだとかの分野を主体としていて、このエントランスを通り過ぎるのは、黒髪でなんでもないティーシャツを着た人がほとんどであった。だが時折、ギョッとするような銀髪の男や緑髪の女が通る。彼らはエンタメ系学科の人間だ。なんでもないティーシャツ女とは、心配せずとも関わらないようにできている。それを分かっていてもなお、Cはドアに背を向けていた。

    腕時計に目をやる。十一時八分、もうじき二限の授業が終わるので、Cは本を閉じ鞄に入れ、席を立つ準備をした。すると、背中越しに自動ドアの重たく開く音がした。だが、人の気配はなく、エントランスに響き渡る足音もしないのだ。

    Cは不思議に思い何気なく振り返った。はっとした。そこには茶色い毛をした犬が佇んでいた。犬は初めての場所に戸惑っている様子だが、Cもまた同様だった。犬が苦手というわけではないが、積極的にあやしに行くようなタイプでもない。どうしたものか、と。

    彼女はただ見守るしかなかった。一歩、また一歩と歩き出す犬を眺めるほかなかった。追い出した方がよいのだろうか。いや、いっそ見ないふりをしておけば、じきにここも人であふれ、その人波に押し出されるか誰かに対処されるだろう。そうだ、それで充分だ。彼女はそう自分に言い聞かせて、目的もなく鞄の中をあさって認知外を装った。誰も見ていないのに。

    腕時計は二十分を指していた。人波はもう間もなく、犬や彼女自身をさらって何事も無かった日々へ引き戻すだろう。

    その時、背後からカサカサと妙な音がした。距離はかなり近い。仕方なく振り返った。見れば、さっきまで5メートルは離れていただろう犬が、自動ドア近くの植木鉢のそばにいて、しきりにそれを頭で小突いていた。細長い葉の揺れる音だった。

    次第に植木鉢がカタカタと言い出し、揺れは激しさを増す。今にも倒れそうな勢いだった。さすがのCもしびれを切らして駆け寄り、揺れる植木鉢を抑えた。だが揺らす犬を抑えた方が良い気もしてきた。この犬はサンセベリアのどこが気にくわなかったのだろうか、小突きをやめる気配がない。犬の胴体を両手で抑えようとするとむしろ嫌がり、小突く力を強めてしまう。植木鉢の傾きに慌ててそちらを抑えれば今度は犬が活発に。ここから追い出すのが最適解だと考え、犬と植木鉢との間に滑り込んだが回り込まれて、揺らされて。

    慌ただしくそんなことを繰り返すうちに、外の別校舎からエントランス奥の階段から、人がぞろぞろと迫ってきた。やばい。何メートルも向こうから既に見られている。少し顔を上げただけで大勢と目が合ってしまう。ティーシャツから茶髪から銀髪から見られている。

    彼女は狼狽してその場を離れることさえままならず、ついに人波に飲み込まれてしまった。予定とはまるで違う、人波の中で何事かが起こっている。ただただ視線をこちらに向ける人、隣の誰かにささやく人。誰だ、今にやけた奴は。Cは身動きのとれぬまま、顔見知りがいないことを願った。この状況下でも植木鉢への執着を忘れない犬を両手に感じながら。

    考えれば顔見知りがいなくとも関係なかった。きっとこの人波は「犬を学校に連れてきたのか」と思っている。「非常識な奴もいたもんだ」とか言っている。生真面目にネームタグを首からぶら下げていたせいで、学生であることは明確にばれている。

    例えば急に犬をほったらかして人波に紛れようとすれば、それこそ変な目で見られることは間違いない。もしそんな中植木鉢が倒れようものなら、もはや救いはない。などと、Cの頭の中は悪い予感でいっぱいになった。とにもかくにも、凪を待つしかなかった。

    ようやくその時が訪れたのは五分ほどが経過した頃だった。彼女にとっては一時間とも感じられたであろうその間にも、犬は執着をやめなかった。とはいえ、もう誰も見てはいない。放置したって咎める者は誰もいない。多少申し訳なさを抱きつつも、Cは立ち上がり、教室へ向かい歩き出そうとした。その時、

    「おはよう、その犬は?」

    担任のDであった。


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。