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世界初の女吸血鬼の小説は『死者よ目覚めるなかれ』ではなく、E.T.A.ホフマンの『吸血鬼の女』だった?
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世界初の女吸血鬼の小説は『死者よ目覚めるなかれ』ではなく、E.T.A.ホフマンの『吸血鬼の女』だった?

2017-12-05 16:58
    ブロマガサービス終了に伴い移転しました。
    世界初の女吸血鬼の小説は『死者よ目覚めるなかれ』ではなく、E.T.A.ホフマンの『吸血鬼の女』だった? - 吸血鬼の歴史に詳しくなるブログ (vampire-load-ruthven.com)

    この記事は前の記事を見たという前提で話が進みます。下記の①~④までの記事を先にご覧いただいてから、この記事をご覧ください。面倒な場合は③の記事だけも構いません。

    【目 次】
    吸血鬼小説・ティークの『死者よ目覚めるなかれ』の日本語訳のご紹介
    最初の吸血鬼小説&最初の女吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の解説
    吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の作者はティークではなくて別人だった!本当の作者とは!?
    エルンスト・ラウパッハ、吸血鬼小説『死者よ目覚めるなかれ』の本当の作者について
    この記事

    下記動画は今回の記事の内容を先行して紹介したものです。
    よろしければ動画の方もご覧ください。


     尚、上記②の記事でも解説したように、日本では「死者よ目覚めるなかれ」というタイトルで長年紹介されてきましたが、これは誤訳であり本当は「死者を起こすことなかれ」がニュアンスとしては正しいです。この解説では啓蒙の為にも以降は「死者を起こすことなかれ」で表記していきます。


     前回前々回の記事では、吸血鬼小説「死者を起こすことなかれ」の作者はこれまで信じられてきたヨハン・ルートヴィヒ・ティークではなく、ドイツの多作劇作家・エルンスト・ラウパッハであること解説してきた。ジョージア大学ハイド・クロフォード講師の論文を元に、Web上にあった一次史料を見て検証してみた結果、クロフォード女史の主張はまず間違いないだろうということを、前の記事では解説した。この記事では最初の吸血鬼小説&女吸血鬼が出てきた最初の吸血鬼小説は何であったかを解説していきたい。

     今回もジョージア大学、ハイド・クロフォード女史のレジュメを引用する。「クロフォード女史曰く~」などといった説明がある場合、特に断りがない場合は「Journal of Popular Culture」で発表されたErnst Benjamin Salomo Raupach's Vampire Story “Wake Not the Dead!”からの引用である。

     さて目次の③の記事でも言及したので重複説明になるが、改めて現状を解説しておきたい。最初の吸血鬼小説というものは厳密には定義することはできない。だがそれでも近代文学というくくりで見るのならば、海外では最初の吸血鬼小説というものを定義している。詩まで含めれば、ドイツのオッセンフィルダーの「吸血鬼(Der Vampire)」というが、最初の吸血鬼の文学作品であると海外では紹介される。現に吸血鬼の情報サイトであるvampires.comでは、オッセンフィルダーの作品が最初の吸血鬼作品だとして紹介している(クリックで移動)

     では詩ではなくて小説という形式ならば、最初の吸血鬼小説とは一体何になるのか。それが前回まで解説してきた「死者を起こすことなかれ」という小説だ。
     これは『小説として最初に出来た吸血鬼小説』&『女吸血鬼が出てきた最初の吸血鬼小説』であると、何年も前からネット上で散見された。

     例えば「萌える!ヴァンパイア事典」を作成したTEAS事務所がツイッターで、「吸血鬼ブルンヒルダは小説や演劇など、文学の世界にはじめて登場した女性吸血鬼だといわれています」クリック先参照)と述べている。
     
     これは何も日本人が勝手に言っているのではない。恐らく吸血鬼情報誌のバイブルとして有名なマシュー・バンソンが「吸血鬼の事典」において、「文学史上初の、記憶されるべき女吸血鬼を描いた作品」と述べており、この記述が日本では広まっていったのだろう。他にもマヌエル・アギーレという学者は自著において「西欧文学における最初の吸血鬼」と評価している。
    Manuel Aguirre’s book The Closed Space: Horror Literature and Western Symbolism
    アギーレに関する記述は後述する、ハイド・クロフォード女史の論文から引用した。



    ~ドラキュラ以前(1897年)に出版された吸血鬼作品一覧~
    (鍵括弧はの作品・二十鍵括弧は小説作品を表す)
    (下記は主要なものを抜粋して掲載した。本当はもっとある)

    1748年 「吸血鬼」           オッセンフィルダー
    1773年 「レノーレ」         ゴッドフリート・アウグスト・ビュルガー
    1797年 「コリントの花嫁」      ゲーテ
         「クリスタベル」        サミュエル・テイラー・コールリッジ
    1800年 「破壊者タラバ」       ロバート・サウジー
         『死者を起こすことなかれ』   ティーク
    1805年 『O侯爵夫人』        クライスト
    1810年 「吸血鬼」          ジョン・スタッグ
    1813年 「異教徒(異端者・不信者)」 バイロン卿
    1819年 「つれなき美女」       ジョン・キーツ
         『吸血鬼』           ジョン・ポリドリ
    1821年 『セラピオンの兄弟』     E.T.A.ホフマン
    1828年 『骸骨伯爵』         エリザベス・グレイ
    1838年 『ライジーア(リジィア)』  エドガー・アラン・ポー
    1847年 『吸血鬼ヴァーニー』     J・M・ライマー(異説あり)
    1860年 『謎の男』          作者不詳
    1872年 『吸血鬼カーミラ』      シェリダン・レ・ファニュ
    1897年 『吸血鬼ドラキュラ』     ブラム・ストーカー

    ※吸血鬼→ヴァンパイアの日本語訳
     ヴァンパイア→所謂吸血鬼の英語、つまり普通名詞
     ドラキュラ→数多くいるヴァンパイアの中で一番有名なドラキュラ伯爵のこと、つまり吸血鬼の名前。これは串刺し公ヴラド三世に由来する。ドラキュラの名はあまりにも有名になったので「吸血鬼」の総称としてドラキュラと呼ぶこともある。だが本来は個人名であり、吸血鬼の総称を「ドラキュラ」と呼ぶのは誤り。ここでは小説ドラキュラの解説も行う為、混同を避けるためにも、「ドラキュラ」はブラム・ストーカーの小説に出てくる吸血鬼ドラキュラ伯爵のこと、「ヴァンパイア」は一般名詞ときちんと区別していくことにする。


     上記年表はマシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」からの引用である(骸骨伯爵だけ、筆者にて追記した)。上記の年表で分かるように「死者を起こすことなかれ」が、小説という形式においては最初の吸血鬼作品であることが伺える。そしてこの作品は女吸血鬼を描いた物であるから、女吸血鬼が出てきた最初の作品であるとも言われてきた。

     このように「死者を起こすことなかれ」は二つの「最初」を持つ作品であるので、吸血鬼マニアほど気になって仕方がない作品であった。だが日本語訳は、私が2017年6月にこのブロマガで投稿するまで存在していなかったので、吸血鬼マニアの間では何年も前から掲示板等で「読んでみたい」という声が散見された。

     だがしかし、前回前々回の記事で散々解説したように、この作品の本当の作者はルートヴィヒ・ティークではなくて、エルンスト・ラウパッハである。間違えた主犯はピーター・へイニングであり、そのヘイニング説を鵜呑みにしたマシュー・バンソンは「吸血鬼の事典」においてそのまま紹介したため、日本でも間違いが広まっていった。

     そしてマシュー・バンソンはもう一つ根拠のないことを述べている。それが「死者を起こすことなかれ」の出版日である。マシュー・バンソンは自著「吸血鬼の事典」において、この作品を1800年刊行として紹介している。1800年と紹介したため、日本では「最初の吸血鬼小説&女吸血鬼が出てきた最初の吸血鬼」と紹介されることに至った。クロフォード女史もマヌエル・アギーレという学者がこのマシュー説を鵜呑みにして「西欧文学における最初の吸血鬼」と評価したことを紹介している。

     だがマシュー氏が唱える1800年刊行説は物的証拠はなく1823年に刊行された、教訓的な物語を集めることを趣旨としたアンソロジー「ミネルヴァ」に収録されたのが、現在確認できるものの中では最古のものである(上記サイトで35と入力すると該当箇所にジャンプする)

     「吸血鬼の事典」で紹介されていた参考文献や数々の状況証拠から、マシュー・バンソンはこの作品のドイツ語原著は見ていないだろうということは、以前の記事でも説明した通りである。よってマシュー氏が唱える「1800年刊行説」は根拠が見当たらないので、初版は1823年と考えるのが妥当だろう。よって吸血鬼の創作年表は次の通りになる。


    ~ドラキュラ以前(1897年)に出版された吸血鬼作品一覧~
    (鍵括弧はの作品・二十鍵括弧は小説作品を表す)
    (下記は主要なものを抜粋して掲載した。本当はもっとある)

    1748年 「吸血鬼」           オッセンフィルダー
    1773年 「レノーレ」         ゴッドフリート・アウグスト・ビュルガー
    1797年 「コリントの花嫁」      ゲーテ
         「クリスタベル」        サミュエル・テイラー・コールリッジ
    1800年 「破壊者タラバ」       ロバート・サウジー
         『死者を起こすことなかれ』   ティーク
    1801年 『吸血鬼』          イグナーツ・フェルディナント・アルノルト
    1805年 『O侯爵夫人』        クライスト
    1810年 「吸血鬼」          ジョン・スタッグ
    1813年 「異教徒(異端者・不信者)」 バイロン卿
    1819年 「つれなき美女」       ジョン・キーツ
         『吸血鬼』           ジョン・ポリドリ
    1821年 『セラピオンの兄弟』     E.T.A.ホフマン
    1823年 『死者を起こすことなかれ』  エルンスト・ラウパッハ
    1828年 『骸骨伯爵』         エリザベス・グレイ
    1838年 『ライジーア(リジィア)』  エドガー・アラン・ポー
    1847年 『吸血鬼ヴァーニー』     J・M・ライマー(異説あり)
    1860年 『謎の男』          作者不詳
    1872年 『吸血鬼カーミラ』      シェリダン・レ・ファニュ
    1897年 『吸血鬼ドラキュラ』     ブラム・ストーカー

     詩も含めれば最初の吸血鬼作品はオッセンフィルダーの「吸血鬼」だ。ただこれは「愛する女よ、俺に振り向いてくれなきゃ、吸血鬼となって襲っちゃうぞー!」と、酒を飲んでくだをまくという内容であり、吸血鬼自体は出てこない。

     その次の「レノーレ」も実は吸血鬼なぞ一切出てこない。たがブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」や大デュマの吸血鬼作品「蒼ざめた貴婦人」等で、一文が引用されている作品である。またレノーレは民間伝承が元になっているのだが、それが吸血鬼伝承と関わりがあるということで、度々解説本等で紹介される。このように吸血鬼作品に影響を与えたためマシュー・バンソンは、吸血鬼作品として含めたようだ。

     コールリッジの「クリスタベル」も決して吸血鬼作品とは言えないが「吸血鬼ドラキュラ」や、とくに「吸血鬼カーミラ」に影響を与えたと考えられる為、吸血鬼作品にカウントしたようだ。

     ゲーテの「コリントの花嫁」は文中には吸血鬼という言葉は出てこない。だがゲーテの日記には「吸血鬼の詩」であるということが書いてあったので、詩という形式に置いては初めて女吸血鬼が出てきた作品と言えるだろう。2017年10月に完全邦訳が刊行された1800年の「破壊者タラバ」は、きちんと文中に吸血鬼(vampire)という言葉が出てくる叙事詩だ。
    (むしろ吸血鬼の登場はあまりにも唐突過ぎて面を食らうが)
    (ゲーテが「吸血鬼の詩」と日記に書いてあったという参考文献は、この後紹介する京都大学森口大地氏の論文に記載あり。また海外文献でもそのように記述する文献を参照している)

     クロフォード女史によれば、最初の吸血鬼小説は1801年に刊行されたイグナーツ・フェルディナント・アルノルト「吸血鬼(Der Vampire)」になると主張している。この作品はマシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」では紹介されていない。さてこの作品の内容であるが、全くもって不明である。これは昨年2016年に発表された京都大学大学院独文研究室・森口大地氏の研究論文「19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-」において、その事情が解説されている。J.ゴードン・メルトンの著書The Vampire Book: The Encyclopedia of the Undead」によれば、I.F.アルノルトの「吸血鬼」は同時代の書評やカタログにはタイトルが記載されているのが確認できるのだが、肝心の作品自体が現存していない。なので今の所は小説作品である、ということしか分からない。複数の書評やカタログに名前があるということなので、存在していたことは間違いないだろう。

     余談だが、J.ゴードン・メルトン教授は前の記事でも解説したように、ピーター・ヘイニングが「死者を起こすことなかれ」の作者をティークと間違えてから、イギリスやアメリカの研究者はヘイニング説を鵜呑みにしたが、鵜呑みにしなかった米国の研究者がメルトン教授だ。
     メルトン教授は本来はカルト宗教の研究者であり、吸血鬼に関することは趣味である。「J.ゴードン・メルトン」で検索すると、日本語記事がヒットする。実は本業のカルト宗教研究の方で日本では有名である。「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」で日本中を震撼させたオウム真理教オウム教団の擁護の為に、オウム教団負担で来日させたことがあるという経歴の持ち主だ。他にも世界中のカルト宗教が教団擁護の為に呼び出し、擁護演説を行わせている。

     閑話休題。内容が全く持って不明だが、最初の吸血鬼小説は1800年の「死者を起こすことなかれ」ではなく、1801年I.F.フェルディナント「吸血鬼」ということになる。

     ちなみに1805年のハインリヒ・フォン・クライストの「O侯爵夫人」は吸血鬼要素が全く見えず、マシュー・バンソンがなぜ吸血鬼作品として含めたのかは、全く持って謎である。

     最初の吸血鬼小説はとりあえず確定できた。それでは女吸血鬼が出てくる最初の小説は一体何か?I.F.フェルディナント「吸血鬼」の可能性は残されているが、現存していない以上は分からない。現存している中で女吸血鬼が登場した最初の小説は、E.T.A.ホフマン「セラピオンの兄弟」に収録された「吸血鬼の女」であると言えるかもしれない
     
    (1776~1822)
    画像は自身で描いたもの

     E.T.A.ホフマンは死後評価された文豪である。ホフマンの作品を題材とした創作で有名なものと言えば、バレエ曲の「くるみ割り人形」と「コッペリア」だろう。「くるみ割り人形」はホフマンの童話『くるみ割り人形とねずみの王様』からあの大デュマが翻案し、そこに曲を付けたのがチャイコフスキーである。「くるみ割り人形 第2曲 行進曲」を聞いたことがないというとはまずいないだろう。ホフマンの作品群は「ワルキューレの騎行」で有名なワーグナーの「さまよえるオランダ人」に影響を与えていたりもする。他にもあのエドガー・アラン・ポーもホフマンから多大な影響を受けている。日本の作品も影響を受けており、夏目漱石「吾輩は猫である」では、主人公の猫がホフマンの作品「牡猫ムルの人生観」に触れて、ドイツにも同じ境遇の猫がいると知って感慨にふけるシーンがある。

     さてそんなホフマンの「セラピオンの兄弟」に収録された「吸血鬼の女」について解説していこう。原題名は「Die Serapionsbrüder」であり「セラピオンの兄弟」は直訳に近い。だが「ゼラピオンの同盟員」とか「ゼラピオンの同人集」とする方が、意味合いとしては正しい。現にそのような題名で紹介する書籍もある。ここでいう兄弟は肉親ではなく「よう、兄弟!」というマブダチ的な意味合いでの兄弟である。セラピオンだったりゼラピオンと日本語訳は安定しないが、ゼラピオンと濁る方がドイツ語の発音に近いだろうか。

     さて「ゼラピオンの同盟員」「ゼラピオンの同人集」という訳語があることから分かるように、これはホフマンを中心とした文芸サークルみたいなもの及び作品集である。文芸サークルであるからホフマン達はこのセラピオン会においては、今でいうハンドルネームを名乗っていた。そのハンドルネームはドイツ語wikipediaの「Die Serapionsbrüder」を参照されたい。
    (ゼラピオンの集まりがどんな集まりなのか、詳しく解説したものは見つからなかったので、「文芸サークル」「ハンドルネーム」という呼び方違う可能性があることをご了承頂きたい。逆に詳しく知ってる方はぜひご教授願います。)
     
     ちなみにこのホフマン達にあやかり、同じく「ゼラピオンの兄弟」と名乗るソ連のサークルがいる。コトバンク等ではこのソ連の方のサークルがヒットするので、もし調査される場合はソ連のサークルと混同されないように気を付けて頂きたい。
     
     さて、その「ゼラピオンの同人集」に収録された作品群の中で、一作品が吸血鬼に関するものだ。日本では種村季弘の吸血鬼アンソロジー「ドラキュラドラキュラ」「吸血鬼の女」というタイトルで収録されている。独wikipedia「Die Serapionsbrüder」の記事を見てわかるように、原著では特にタイトルは付けられていないが「Vampirismus(ヴァンピリスムス)」という副題が付けられている。ヴァンピリスムスとは英語ではVampirism(ヴァンピリズム)となる。意味は「吸血鬼信仰」「吸血衝動」等の意味になる。この単語は先程の京都大学大学院森口大地氏によると、一義的に訳すのが難しい単語であるという。この記事でも森口氏にならい「ヴァンピリスムス」という単語をそのまま使用して解説をしていく。

     ホフマン達「ゼラピオン」のメンバーは私の調査不足により、どんな集まりだったのか今一つかめなかった。だがそれでも分かったことはメンバーの一人が物語を言って聞かせ、それを他のメンバーで評論しあう、というものだったようだ。そしてそれを後にE.T.A.ホフマンが文章としてまとめ、書籍として刊行したという流れだ。
     ここまで聞いて察しの良い人は感づいたであろうが、この「吸血鬼の女」を言って聞かせたのはでホフマンでなく”Cyprian”という人物である。日本語訳は「ツィープリアン」「チュプリアーン」などと媒体によって表記がまばらであるが、ここではGoogle翻訳で出てきた一番言い易い&タイピングがし易い「シプリアン」で表記していく。

    ハンドルネーム:”シプリアン”
    ポルトガル、スペインwikipediaは情報量が少ないので省略

     シプリアンは先程の独wikipedia記事を見る限りではどうも主要メンバーではなくて、ゲストメンバーであったようだ。またwikipediaにはシプリアンの本名が掲載されている。本名は「アーデベルト・フォン・シャミッソー」と名乗る。彼の本名で検索するとわかるが、シャミッソーは日本語wikipediaにも記事が存在している人物だ。それどころか岩波文庫から彼の著作「影を無くした男」という書籍まで販売されている。このように実力のあるドイツのロマン派作家であるのだ。だが現在はどちらかというと植物学者としての方が有名だそうだ。このあたりは海外のwikipediaの彼の記事を参照して頂きたい。

     私は吸血鬼を解説するゆっくり動画を投稿している訳であるが、この「吸血鬼の女」に関しては、動画で紹介するのはやめておこうと思っていた作品である。この作品の日本語訳は種村季弘の「ドラキュラドラキュラ」に収録されたものしか見当たらなく、日本語による解説も種村先生による簡単な解説しかなく、作品の説明のしようもなかったからだ。ところが2016年にこのE.T.A.ホフマンの「吸血鬼の女」を日本語で解説したものが発表された。それが先ほども紹介した京都大学大学院独文研究室・森口大地氏の研究論文「19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-」という研究論文である。この論文により色んなことが判明したのだが、同時にややこしいことになり、自分の中でまだ理解できていない部分もあって、紹介するのはやめておこうと思ったのだ。だが今回この作品の解説は避けて通れなくなってしまったために、理解した範囲で解説をしていきたい。

     まず森口氏の論文を見る前は当然、種村季弘「ドラキュラドラキュラ」に収録されている「吸血鬼の女」を読んでいたわけだが、とても吸血鬼の作品とは思えなかった。もちろん吸血鬼ドラキュラが刊行される前の作品であるから、今の吸血鬼イメージと照らし合わせるのは間違っているということは十分理解している。だがここに出てくる推定吸血鬼は、血を吸うというより腐肉喰らいと言った方がいい存在だった。血を吸う描写は無くて、ただひたすら人間の腐肉を貪っていた。だからゲーム等に登場するゾンビとかグールと言った方がしっくりくる。日本の妖怪に当て嵌めるとすれば、山姥とか鬼と言った方が近いだろうか。兎も角まずは物語の概要を見て頂いた方が早いだろう。
     父親が死んで遺産を相続したヒッポリートは、父の知人であるという男爵夫人とその娘アウレーリエの訪問を受ける。夫人は昔ヒッポリートの父親から冷遇されたことを訴え、償いを求める。彼女は説明のつかない嫌悪感をヒッポリートに催させるが、美しい娘のために彼は二人の滞在を許可する。夫人は硬直性痙攣、つまりカタレプシー持ちだった。

     母子がヒッポリート家に滞在してから、夫人が夜な夜な墓地に赴くという使用人の話を聞いた。だが特に不審な点は見当たらなかったので、ヒッポリートは夫人を信用する。そのうち彼は娘と懇意になり、婚礼の日も間近というときに夫人が急逝する。

     夫人の死後、アウレーリエの様子がおかしくなり、心配になって悩みを打ち明けるように促したヒッポリートは、彼女から過去の話を聞かされる。
     
     かつてある都市で夫人と共に暮らしていたアウレーリエのもとに、一人の「見知らぬ男」が突然現れたが二人の面倒を見てくれた。だがアウレーリエは気に入らなかった。40歳ぐらいで若々しいのだが、下卑で作法が不作法であったからだ。
     
     そしてある日、その男にアウレーリエは襲われそうになる。夫人も身の回りの世話をしてくれているのだから、身を指し出せと言い、娘を滅多打ちにする。だがこの男、実はウーリアンという犯罪者で指名手配されていた。そしてあえなく御用となるが、夫人と娘は暮らせなくなったため当てもなく出ていく。こうしたことがあってヒッポリートのとこに出向いたというのだという。

     この話をしたことを知った夫人は「私が死んだら、お前が幸せの絶頂のときに、復習に来るだろう!」叫ぶ。

     それからしばらく経った後、アウレーリエはますます痩せ衰えていった。医者はこれを妊娠の兆候だとみなした。。また肉に嫌悪感を見せ、何も口にしなくなった。

     ある日、夜に屋敷を抜け出すアウレーリエの後を追ったヒッポリートは、彼女が数人の老婆と共に墓で死体を食べている異様な場面を目撃する。

     翌日になって問いただすと、アウレーリエはハイエナのような獰猛さでヒッポリートに噛みついた。彼も渾身の力で叩き伏せる。アウレーリエはむごたらしく痙攣し、ヒッポリートはそれをみて狂気の闇に落ちる、つまり狂ってしまう、というところで物語は幕を閉じる。
     以上が「吸血鬼の女」の一通りの流れである。ご覧頂いて分かるように、吸血鬼というよりは、ゲーム等で登場するゾンビとかグールに近いと言った意味がよく分かって頂けたかと思う。
     ここで悩まされたことは、母子は共に化け物になったわけだが、その原因が全く持って示唆されていないことだ。夫人に至ってはそもそも「化け物」になったと明言すらされていない。呪いを受けただの天罰を受けただの一切ない。本当に唐突に腐肉喰らいになった。読者が何か感じ取ることができる描写が一切ないため、原因の推測すら立てることすらできない。

    追記:その後よく見なおしてみたら、サタンの奸計であると夫人が述べていました。ただなぜ悪魔の呪いが夫人やアウレーリエに降りかかったのか、その原因は不明のままです。

    種村先生の解説を見ても「シプリアンが語った物語である」ということしか解説していないため、どこに吸血鬼要素があるのか非常に悩んだものだ。マシュー・バンソンの「吸血鬼の事典」などを見る限りでは、海外の研究者は吸血鬼という定義を拡大解釈する傾向にある。例えば肉も食う悪鬼も含めれば、日本の般若火車も吸血鬼であるとマシュー・バンソンは解説している。それに当時の吸血鬼は現在の洗練された吸血鬼とは違う。なのでこの作品は、当時の基準では吸血鬼であったのだろうと考えるしかなかった。

     そんな状況の中、2016年に京都大学大学院独文研究室・森口大地氏の研究論文「19世紀前半におけるヴァンピリスムス -E.T.A. ホフマンに見るポリドリの影響-」が発表された。色んなことが判明したのだが、同時にややこしいことなったということは、先ほども述べた通りだ。さて何がややこしいことになったのかというと、この「吸血鬼の女」をそもそも吸血鬼の作品として含めるか否かで意見が分かれてしまうということだ。こう聞くと

    「論文のタイトル見る限り、吸血鬼に関することではないか。種村訳でも「吸血鬼の女」という題になっている。そもそも原著では「ヴァンピリスムス」という副題があるじゃないか。何を言っているんだ?」

    と思われることだろう。だがこのヴァンピリスムスという副題を付けたのではホフマン達ではなかったのだ。この副題を付けたのは1821年の刊行より91年後の1912年、編集者が勝手につけたものであった。この物語の語り手であるシプリアンは「ある凄惨な物語(Eine gräßliche Geschichte) 」と呼ぶだけであった。1912年といえば1897年に吸血鬼の代名詞的存在となったブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラが刊行されてから15年後だ。現代的なヴァンパイア・イメージが蔓延し始めた時代であったがために、ホフマンの作品は「ヴァンピリスムス」という副題が与えられたのであろうと森口氏は推察している。

     さてこのように聞くと、ホフマン達はこの作品を吸血鬼作品として考えていなかった、吸血鬼作品とは言えないだろう、という意見も出てくるだろうが、そう言ってしまうのは早計である。むしろこのあたりを解き明かすのが、森口大地氏の論文の主旨である。
     実はシプリアンがこの物語を語る前ホフマン達メンバーは、1819年に出版されたジョン・ポリドリ小説「吸血鬼」について語り合っていたのだ。ジョン・ポリドリの吸血鬼については前の記事でも言及しているが、改めて立ち位置を解説しておきたい。
     今日吸血鬼と聞くと、夜会服(貴族)を身につけ、冷酷な美形男子で処女の生き血を好む。怪力を筆頭に身体能力に優れるが反面、日光を浴びると灰になるなどの弱点も多い。美形であることから一部女性界隈では男同士の耽美的な創作にも用いられる、というのが現在の一般的な吸血鬼像であろうか。下記の画像が一般的に想像される吸血鬼だと言われれば、まず納得されることだろう。
     このような今の一般的な吸血鬼像のイメージを作り出したのが、このジョン・ポリドリの吸血鬼に出てくる吸血鬼ルスヴン卿である。この時はまだ牙は無かったり、吸血鬼らしい弱点はないものの、夜会服に身を包む、力が強い、男をも魅了するゲイシェクシュアル(正確にはバイ)な雰囲気を醸し出している吸血鬼だ。海外ではこのルスヴン卿こそが、今の吸血鬼の始まりだとかプロトタイプだとして認識している。今の吸血鬼ドラキュラは吸血鬼の代名詞的存在として認知されている方も多いだろうが、そのドラキュラでさえこの作品から影響を受けたに過ぎないと言われている。よってポリドリの吸血鬼に出てくる吸血鬼ルスブン卿は、吸血鬼の始祖たる存在である。吸血鬼好きを名乗るのならば、この作品を知っておくことはもはや常識である。知らなければにわかの誹りを受けても仕方がないと思っている。これは言い過ぎでもなんでもない。
     それはこの作品が出来た経緯も大いに関係している。この作品は「ディオダティ荘の怪奇談義」という一夜がきっかけで誕生したのだが、その時に同時に誕生した作品が、メアリ・シェリー原作の「フランケンシュタイン」である。この超有名作と同時に生まれたこともあって、ポリドリの吸血鬼は吸血鬼好きならば常識となっている。以前動画で紹介したときは「幻想文学を知る上でも常識」というコメントが寄せられている。
    (この件については平井呈一翻訳「吸血鬼ドラキュラ」の巻末にて紹介されている。2014年の田内志文翻訳「吸血鬼ドラキュラ」にはその件の解説はないが)
    (メアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」第三版のまえがきには、ディオダディ荘の怪奇談義のこと、ポリドリは最初吸血鬼ではない作品を作っていたこと、後述するバイロンの「断章(断片)」の出版について言及している。いくつかある日本語訳にもまずまえがきが掲載されているので、フランケンシュタインの文庫をお持ちの方はぜひ確認してみて欲しい)

     さてこのポリドリの吸血鬼が出来た経緯や出来た後の経緯の詳細は、平井版「吸血鬼ドラキュラ」の巻末解説か、種村季弘「吸血鬼幻想」を読んで頂きたい。若しくは拙作「ゆっくりと学ぶ吸血鬼第12話」をご覧いただきたい。


     さて詳細を説明すると長くなるので端折って解説していこう。詳しくは上記で紹介したものを見て頂きたい。さてポリドリの小説「吸血鬼」は、編集者ヘンリー・コルバーンの策略もあって、ポリドリが仕えていたジョージ・ゴードン・バイロンことバイロン卿の作品として発表された。ポリドリは本来は作家ではなく医者であり、この時はバイロンに仕えていた侍医であった(正確にはこのとき解雇されていたが)。だから無名のポリドリの名前で出すより、当時良くも悪くもイギリス国内では一番注目の的であったバイロンの名前で出す方が売れると考えるのは、当然といえば当然であった。

    ジョージ・ゴードン・バイロン
    (バイロン卿)

    ジョン・ウィリアム・ポリドリ

     このポリドリの吸血鬼は瞬く間にベストセラーとなり、1819年中には何版も重版がかかった。1820年には早くもフランス語訳にされ、フランスの幻想文学の祖とされるシャルル・ノディエが、ポリドリの吸血鬼を大衆向けにハッピーエンドにした劇にした。これが大ヒットし、フランスでは夥しいほどのパクリ劇が生まれたほどである。ノディエの劇の台本はその年の内にイギリスの逆輸入され、ジェイムス・ロビンソン・プランシェという人物が「島の花嫁」という劇に翻案、これもイギリスでは大いにヒットした。シャルル・ノディエの劇は後に「三銃士」で有名な大デュマがノディエの劇をリメイクを施した程だ。大デュマは他にも自身の小説「モンテ・クリスト伯」において主人公エドモン・ダンテスを度々ポリドリの吸血鬼に登場する吸血鬼ルスヴン卿へ例えさせるシーンを出している。ルスヴンの名前を借りて、エドモン・ダンテスのミステリアスさやカリスマ性を表現したようだ。

     このヒットの要因はバイロンの名前で出たことが大きい。バイロンは当時世間のお騒がせものであった。実の腹違いの姉との近親相姦、望まぬ結婚から始まる鬱屈した日々と、それが原因による妻との離婚、離婚調停における過程で暴露されてしまった、当時は最悪死刑にもなりえた男色行為を行っていたとして、バイロンは国外追放されるほどの極悪人扱いであった。だが詩人としては天才とまで評されていた。当時バイロンはスイスに国外逃亡していたのであるが、イギリスのマスゴミ記者がわざわざやってき望遠鏡で終始観察され、その情報は逐一イギリスに報告されていた。つまりスキャンダルの中心人物であり、イギリス中で悪い意味で注目されていた。そんな状態のバイロンが小説「吸血鬼」を発表したということで大ヒットしたのだ(もちろん他にも要因はある)。

     だがバイロン自身は激怒した。それは自分の名前を勝手に語られたというのもあるが、他にもある。一つ目はポリドリの吸血鬼は、自分が途中まで書き上げた小説「断章(断片とも)あからさまに剽窃したものであったからだ。バイロンはポリドリやメアリ・シェリーに途中で筆を折った「断章」を読み聞かせていた。2つ目は作中に出てくるルスヴン卿が、どうみてもバイロン卿自身であるとしか思えない人物描写であった。バイロンの作品は「バイロン的英雄(バイロニックヒーロー)」という特徴をもち、主人公はバイロン自身を自己投影したキャラクターであることが多かった。バイロニックヒーローは海外ではwikipediaに記事もあるぐらいだ。この吸血鬼ルスヴン卿もバイロンの他の作品と同じく、バイロンが自己投影したキャラクターであると思われたのだ。現に当時の人々はルスヴンはバイロンが自己投影したキャラであると思い込んでいた。こうしたことがあって当時は、バイロン作と疑われず信じられていた。あのゲーテ「この作品こそはバイロン卿の最高傑作である」と信じて疑わなかった。

     このようにポリドリの吸血鬼は当時ヨーロッパ中で話題となっていた作品であった。そしてそれはポリドリではく、詩人としては名高いバイロンの作品であると思われていた。こういう背景があるため、ホフマン達も当時話題であったポリドリの吸血鬼について言及していたようだ。勿論、ホフマン達は全員、バイロンの作品であると思い込んでいた

    (よく二次創作では、自分の都合のよい完全無欠な自己投影した人物を登場させ、オリジナルキャラを蔑ろにすることを「メアリ・スー」などと呼ぶが、一次創作の場合は「バイロニックヒーロー」と呼べばいいのでないかと個人的には思う)


     さてポリドリの吸血鬼は1819年出版、一方ホフマンの「吸血鬼の女」の刊行は2年後の1821年だ。つまり当時話題となっていたからホフマン達はポリドリの吸血鬼について話題にあげたようだ。でどんな話をしていたのかというと、実はホフマン達はどうも、ポリドリの吸血鬼を見ていなかったようだ。森口大地氏によると、ゼラピオン会員たちの会話を見ると彼らの会話ではバイロン、つまりポリドリの「吸血鬼」を見たことがないということが強調されているという
    ハンドルネーム:”シルヴェスター”
     
    例えばメンバーの一人シルヴェスターは以下の様に発言をしている。
    「(中略)僕はバイロンの「ヴァンパイア」を今まで読もうとは思わなかった。だってヴァパイアという概念だけでも、それが僕が正しく理解していないからだ(後略)」
    ハンドルネーム:”ヴィンセント”
     
     また別のメンバーヴィンセントは次の様に、シプリアンに「吸血鬼の女」を語るように促している。
    「というわけで始めてくれ、我らがシプリアン、陰惨に、身の毛がよだつように、それどころか戦慄させるようにね。僕はバイロンの吸血鬼を読んだことはないけど。
     小難しいことを言ってるが身もふたもない言い方をすれば、ゼラピオンの会員たちは今でもよくある「あー、何か世間では話題になってるけど、俺はあんな映画なんて見ないわー」と高尚ぶっていたのである。もっと分かり易い言い方をすればメンバー全員、地獄のミサワごっこをしていたようだ。
     森口氏によれば、このようにホフマンは明らかにポリドリの吸血鬼から距離を置こうとしているのが見えるとしているとしている。そして次の発言からはホフマンに対する創作の考え方が見えるとしている。
    (さてここからの解説であるが、ホフマン達の会話文が抜粋引用しかされていないこと、ホフマン達がポリドリの吸血鬼を気に入らなかった理由が今一言ってることの意味が分からないため私自身、未だ理解できていないことをご了承頂きたい)
    「ヴァンピリスムスはひどく恐ろしい観念の一つとして現れる。いやそれどころか、この観念の中のひどく恐ろしいものが戦慄させるもの、ぞっとするほど忌まわしいものに悪化していくんだ。」
     この発言はシルヴェスターのものであるが、この文をまとめたのはホフマンであり、ホフマンの創作に対する考え方が見えるとしている。ともかくこの発言を受けて「吸血鬼の女」の語りであるシプリアンは次のように言い返す。
    「…にもかかわらず、そうした観念から素材が生まれることもある[…]。まさに作家の、正しい詩的感覚は、恐ろしいものが忌まわしいものや吐き気を催させ るものに感化することを防ぐだろう。しかし同時に、その恐ろしいものが大抵の場合、我々の感情に最低限の効果すら引き起こさないほどに馬鹿げて見えること も防いでくれるだろう。」
     上記は森口の論文からそのままの引用である。[…]は中略を表す。浅学な私には今一言ってることの意味が分からない。ともかく森口によるとホフマン達は「忌まわしいもの」や「吐き気を催させるもの」は否定的に、「恐ろしいもの」は肯定的に、「戦慄させるもの」は否定的だとしている。戦慄させるものは否定的でも、その中でも「O侯爵夫人」作者クライストの「ロカルノの女乞食」は肯定的に見ているとしている。

     森口氏の論文の結論は、ホフマンはポリドリの吸血鬼に対する詩学的な応答であるとみなすことができるだろうということだ。そしてホフマンは吸血鬼を人間化、つまり「腐肉喰らい」の人間を中心にすえることで、当時世間を熱狂させたヴァンパイアと袂を分かち、ポリドリより優れた恐怖物語を生み出してみせようとしたのだと述べている。そしてこれはこの作品の海外の先行研究でも述べられていることなのだそうだが、「吸血鬼の女」に吸血鬼が登場しないのはゼラピオンの原理とは折り合わないからだという。ホフマンにとって、ヴァンパイアは恐怖物語における否定的な要因でしかなく、「心地よさ」を基調とするゼラピオン原理とは折り合わないから、ホフマンはポリドリの吸血鬼に否定的だとしている。

     先ほど紹介したアウレーリエを襲うとした謎の男ウーリアンだが、彼はポリドリの吸血鬼に出てくるルスヴン卿を彷彿させるという。ホフマンはポリドリの吸血鬼に対する応答と揶揄の意味も込めて、ルスヴン卿をウーリアンとして人間化し、嫌悪を抱かせる存在として登場させたと考えられている。先行研究や森口氏の見解はつまるところ、ホフマン達はポリドリの吸血鬼が気に入らず、ポリドリの吸血鬼に対抗するためにこの「吸血鬼の女」を作ったということになるようだ。だが森口氏は「ポリドリからの決別の象徴となるはずだったこの物語は、ルスヴン卿からドラキュラへと受け継がれる新しいヴァンパイアイメージに、最終的には同化してしまう」と述べているように、ホフマンのこの試みは無駄に終わってしまった。なぜなら1912年、「ヴァンピリスムス」という副題を編集者が勝手につけてしまうし、日本においても種村季弘によって「吸血鬼の女」という題名で翻訳されてしまっているからだ。

     ここまでを見て頂いたのなら、冒頭で私が言ったようにこの作品を吸血鬼作品に含めるか否か、という意味が分かって頂けたかと思う。現在は「ヴァンピリスムス」という副題がついてるし、日本でも吸血鬼の女という題名で紹介されている。そして何よりゼラピオン会員の会話から、あからさまにポリドリの吸血鬼を意識していることが伺える。だからこの作品は吸血鬼を題材とした物語である、という理屈が成り立つ。とくに欧米人は血に纏わる化け物はなんでも吸血鬼だという傾向にある。般若や火車どころか河童までをも吸血鬼と認識するぐらいだし、欧米人の感覚からいえば十分吸血鬼といってもいい存在なのは理解できる。
     
     だがホフマンが「ヴァンピリスムス」という副題を付けなかったことは見逃せない。確かにポリドリの吸血鬼が気に食わなくて、自分達で恐怖小説を作ってみせた。当時人気のあった作品に対する揶揄を含めた作品だし、ゼラピオン会員たちの会話からあえて吸血鬼にしなかったのが見え透いている。あれだけポリドリの吸血鬼について言及していたのにも関わらず、実際の物語には「vampaire」という単語が一切出てこない。シプリアンも「ある凄惨な物語(Eine grassliche Geschichte) 」と呼ぶだけであった。だから吸血鬼作品とは言えないという理屈も成り立つ。

     このように吸血鬼作品に含めるか否かで意見が分かれる、と言った意味がよく分かって頂けたかと思う。個人的な見解を述べると、この作品はホフマンは吸血鬼作品として思って欲しくなかったのではないか。あれだけポリドリの吸血鬼を意識していたのに、あえて吸血鬼(vampire)という言葉を出さなかったからだ。だがドイツ本国ではこの作品は吸血鬼作品として認知しているように思われる。例えば日本amazonで見つけた「Lasst die Toten ruhen (German Edition)」という書籍のキンドル版。これは前の記事で解説した「死者を起こすことなかれ」のドイツ語原著版を探し出そうとして見つけたものである。この本はドイツの吸血鬼物語を集めたアンソロジーであり、その中に「吸血鬼の女」が収録されていたのを偶然見つけた。吸血鬼アンソロジーに含めた訳であるから、少なくともこの作品は吸血鬼作品であるという認識があるということだ。このアンソロジーでは「E. T. A. Hoffmann: »Cyprians Erzählung(シプリアンの物語)«」というタイトルで紹介している。購入して翻訳にかけてみた。ドイツ語翻訳の精度は余りよくないので分からないことも多かったが、「ヴァンピリスムス」という副題があることについて言及していたことは分かった。

     さて今回の記事の主題は「女吸血鬼が出てきた最初の作品は何か?」についてである。もしホフマンの「吸血鬼の女」を吸血鬼作品としてみなさないのであれば、これまでの定説と事情はことなるが1823年に発表されたエルンスト・ラウパッハ「死者を起こすことなかれ」が、最初の女吸血鬼の小説と言える。だがドイツ本国でもホフマンの「吸血鬼の女」を、吸血鬼作品と考えていることが伺えた。よって最初の女吸血鬼が出てきた小説は1821年「ゼラピオン同盟員」に収録されたE.T.A.ホフマン(語り手:シプリアン)の「吸血鬼の女」と言って差し支えないだろう、というのが今回の私の結論だ。

    吸血鬼に関する最初の作品はそれぞれ以下の通りである。
    厳密には最初の吸血鬼作品は定義できないが、ここでは近代文学という括りで考える。

    【最初の吸血鬼創作】
    1748年 オッセンフィルダーの「吸血鬼」
    ただし吸血鬼は脅しの材料なので、吸血鬼自体は出てこない。

    【吸血鬼&女吸血鬼が初めて登場した創作】
    1797年 ゲーテの「コリントの花嫁」
    作中には吸血鬼という言葉は出てこないが、ゲーテの日記に「吸血鬼の詩」という記述有り。

    【吸血鬼が登場した最初の小説】
    1801年 I.F.フェルディナンドの小説「吸血鬼」
    現存していないので詳細は不明。

    【女吸血鬼が登場した最初の小説】
    1821年 E.T.A.ホフマン「ゼラピオン同盟員」に収録された「吸血鬼の女」

    【現在の吸血鬼像を作り上げた始祖たる吸血鬼小説】
    1819年 ジョン・ポリドリ「吸血鬼」
    これは後に一般的な吸血鬼像となるドラキュラの系譜に繋がる最初の吸血鬼小説。

    以上のようになる。それぞれは解釈次第では変わる部分もあるが、少なくとも的外れな根拠で述べてはいないと自負している。


     以上が、ティーク作の吸血鬼小説「死者よ目覚めるなかれ」が、本当の作者はエルンスト・ラウパッハであったという事実が今年2017年6月に判明してからの一連の流れである。何度も言及しているが、以前から「死者を起こすことなかれ」を知っていた人からすれば、作者は別にいただなんて衝撃の事実だろう。少なくとも私は大いに驚き衝撃を受けたものだ。そしてよくよく調べてみれば、初版も後の年代に出来たということが分かったため、最初の吸血鬼作品&女吸血鬼が出てきた最初の作品であるとは言えなくなったために余計に混乱したものだ。

    「死者を起こすことなかれ」は日本語訳がないので、いっそのこと自分で作ってしまおうという発端から、こんなことが判明するだなんて思いもしなかった。ただ同時に、日本では吸血鬼研究においてはまだまだ後塵を期していることも思い知った。今回はジョージア大学ハイド・クロフォード女史の2012年の論文から主に引用した訳であるが、海外ではそれ以前から掲示板やホームページ等で「死者を起こすことなかれ」の本当の作者はラウパッハであると言及している人がちらほら見受けられた。吸血鬼はもとは西欧のものであるから、日本は海外より遅れているというのは当たり前ではある。だが吸血鬼という存在は日本においてもいまや小説だけではなく漫画、ゲーム、アニメ、ラノベにおいて幅広く使われるモチーフである。吸血鬼好きと言っても過言ではない日本においても、もっと今の吸血鬼の源流となる、西欧文学の吸血鬼の情報が広まっていてほしいというのが個人的な願いだ。少なくともポリドリの「吸血鬼」に登場する吸血鬼ルスヴン卿は、常識として広まって欲しいというのが願いだ。これからも本に無い貴重な情報は、こうして文章で発信していきたい。
     
     私の動画「ゆっくりと学ぶ吸血鬼」シリーズをご覧いただいている方は、重複説明に感じる部分も多々あったかと思います。ですがブロマガから入ってきた人はそもそもの背景を知らないと、どうしても分からない部分があるだろうと思い、多少脱線してもそこに至る背景を解説する必要があると思い、解説を入れています。あと単純に動画見たけど忘れた、という方も結構いらっしゃるようで…
     内容を覚えている方には無駄に長い説明になったかもしれませんが、どうがここはひとつ、ご了承頂きたいです。

     ここまで長文をお読み下さりありがとうございました。何度も校正していますが、それでも見つけられなかった文章間違いや表記ミスがあるのは、どうかご容赦下さい。今回参照した文献はここで紹介すると長くなりすぎる為、後日「ゆっくりと学ぶ吸血鬼12.5話の参考文献」という記事名で紹介します。近日中に投稿します。


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