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ゆっくりと学ぶ吸血鬼第7話・補足『萌え事典における、アルノルト・パウル事件について』
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ゆっくりと学ぶ吸血鬼第7話・補足『萌え事典における、アルノルト・パウル事件について』

2016-02-08 20:02
    いつも拙作をご視聴頂き、誠にありがとうございます。
    この記事はゆっくりと学ぶ吸血鬼第7話の補足説明です。
    よって先に動画をご視聴頂いてから、記事をご覧ください。



    今回投稿した7話にて、アルノルト・パウル事件を紹介させて頂きました。
    ですが、TEAS事務所が発行した2種の萌え事典においては、動画の説明とは異なる部分があります。萌え事典を所有されている方は、さぞ怪訝に思われたことでしょう。
    よって、今回ブロマガで補足説明させて頂くことにしました。


        (以下、新・萌え事典と表記)     (以下、旧・萌え事典と表記)

    解説は文書をなるべく簡素にする為、敬体から常体で表記する。
    さて、動画ではパウルの死没日は1726年1727年と説明した。そして村人4人を殺したので、村人はパウルを退治。しかし5年後の1731年に、5年前にパウルが殺した羊を食べた者が吸血鬼となって村人を虐殺し始めた。この報告を聞きつけて、神聖ローマ帝国が調査団を
    派遣。責任者のフルッヒンガーは、そこでハドナツ中隊長から5年前の事の顛末を聞いた。
    これがパウル事件の一連の流れであると、動画では解説した。

    だが萌え事典ではパウルの死亡日は、ペーター・プロゴヨヴィッチが死ぬ1725年前の3年前1722年頃に吸血鬼化したたと記載している。死没日も1722年としている。
    さらに1727年に、オーストリア帝国への公式報告書が作られたと解説している。

    このように解説しているのは私が調査した限り、2種の萌え事典のみであった。
    萌え事典の文献参照量は私の参照量よりも圧倒的であるので、当初は私が知らないだけだと思った。そして手っ取り早く調査するために、海外サイトを検索した。
    海外では日本と比べて、パウル事件を詳細に紹介するサイトが豊富にあるからだ。
    だがいくら海外情報を探っても、1722年にパウルが吸血鬼化したという情報はヒットしなかった。また1727年にオーストリア帝国への公式報告書が作られたという情報も見かけなかった。

    さて仮にパウルが1722年に吸血鬼化しており、また1727年にオーストリアに公式報告書が提出された事が事実だとしても、そこは問題がない。どこかに情報があるかもしれないからだ。
    だが死没日を1722年と表記したことだけは不可解である。

    多くの文献や海外サイトでは、パウルの死亡日は1726年か1727年としている。
    1722年という年月を採用している文献や海外サイトは皆無だった。
    もちろん検索は『Arnold Paole 1722』と入れてみたが、ヒットしなかった。
    となるとパウルの死没日は、1726年とするのが一般的であると言えよう。
    (海外サイト例:1726年説1726年説1727年説

    だが新旧萌え事典は1722年死亡説を採用している
    。これはパウルが吸血鬼に変貌した1722年を、死没日としたのだろうと思われる。だが何度も説明したように、一般的にはパウルの死没日は1726年or1727年説が採用されている。
    1722年死没というのは一般的でないと言え、読者に誤解を与えてしまうものである。

    以上を踏まえて個人的な見解を述べると、上記で指摘した箇所については非常に疑わしい
    1722年死亡説というのが、個人的に信用度が落ちる要因になっている。
    海外で一向にこれらの情報がヒットしないことも、疑わしさに拍車をかけている。
    だが萌え事典の参考文献を全て調査したわけではないので、不正確な情報だと断定することはできない。

    本当は萌え事典が参考にした文献を一つ一つ探ればよいのだが、金銭や時間の問題もあり、
    これ以上の調査は断念した。

    最後の悪あがきとして少々非常識な行為でしたが、この件について著者であるTEAS事務所にメールで問い合わせを行いました。質問したのは2点。

    ①パウルが1722年に吸血鬼化、死亡したということと、1727年にオーストリア帝国に公式報 告書が作られたと表記しているが、それが掲載されている参考文献を教えて頂きたい。
    ②多くの文献や海外サイトでは、パウル死没日は1726年としている。なぜ1722年を死没日と したのか。

    以上2点を、1月上旬ごろに問い合わせてみました。
    そして2月に入っても返信はありませんでした。それもそのはずで、TEAS事務所は少人数経営されており、こんな問い合わせに対応している人的・時間的余裕などないでしょう。

    以上をまとめますと、次の通りです。
    ①1722年にパウルは吸血鬼化したのは事実かもしれない。
    ②1727年の1回目のパウル事件では、オーストリアに公式報告書が提出されていたのは、
     事実かもしれない。
    ③萌え事典がパウルの死没日を1722年とした根拠は不明、且つ不可解である。

    以上になります。
    ここまで説明しておいて、話が煮え切らない内容で本当に申し訳ありませんでした。
    私の調査能力ではここまでが限界でした。
    もし上記3つに関して何かご存じの方は、ぜひ情報をお寄せ下さい。

    最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。
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