• 世界は「思い込み」によって構成されている

    2019-08-22 23:30
    そう、例えば
    「この世界には神様がいらっしゃる」と思ってる人がいます。
    その人の世界には実際に神様がいます。
    一方で、「この世界には神なんていない」と思ってる人がいます。
    その人の世界には神様は実際いません。
    矛盾してますか?
    いいえ、全然。

    私たちは一つの世界をみんなで共有しているように見えて、実際は人それぞれ、異なる自分だけの世界を持っています。
    それらのたくさんの世界が異なる要因は、「思い込み」です。
    たかが思い込み、されど思い込み。
    思い込みによって世界が構築されていると言っても過言ではありません。

    この世界に存在するものは全て何者かによって作られた産物で、私たちはその何者かによって観察されているのである、と思い込んでる人がいたとします。
    その人にとってはそれが真実なのだと思い込んでいるならば、他人がいくら否定したところでその人の世界は「そういうこと」でしょう。
    まあそういうわけです。

    実際私もそんな感じの思い込みで生きています。
    私の思い込み、それは、この世界の主人公は私ではないということです。
    ちょっと物語チックな言い方になりましたが、要するに私は世界にとってモブなのです。
    泣いても、笑っても、怒っても、世界にとってはどうでもいいことなのです。
    私が何不自由ない生活をしようが、お金がなくなってのたれ死のうが、私の世界には何の影響もないのです。
    何故そのような思い込みをするようになったのかというと、昔…私の世界…いえ、私の世界の主人公を見たことがあるからです。
    その人の一挙手一投足が、それまで何の変化も見せなかった私の世界を動かしていました。
    でも、その人は今は私から遠い遠いところにいて、もう結婚しているようでした。
    きっと今も、私の世界はあの人を中心に回っています。
    でも遠い遠いところにいる私はそれを観測することはできない。
    だから私の行動があの人に…世界の中心に影響をもたらすことはもう決してないのです。
    だから私は、私のことを心底どうでもいいと思うのです。
    どうでもいい存在だから、いつ死んでもいいし、どうでもいい存在だから、心から息苦しい今の生活もどうでもいいし、どれだけ苦しくても、どれだけ傷ついても、最後にはボロ雑巾になって死んでしまえばいいと思うのです。
    嬉しくなっても、良いことがあっても、あの人に届くものなんて何一つないから。
    きっともう会えないから。いや、会わない方がいいから。
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  • 私の周りには話し相手がいない話

    2019-07-20 23:19
    突然ですが、私の家族は7人家族です。
    父、母、兄、兄、私、妹、妹です。
    ここ最近の家庭にしては多い方だという自覚はあります。
    ですが最近困ったことに気づきました。
    家族の中に話し相手がいないということです。

    何言ってんだこいつって思いましたか?
    もちろん私と家族は別に冷え切った仲でもましてや絶縁した仲でもないですよ。
    長男以外とは友好な関係を保っています。

    さてここで言う話し相手とは、
    私の話を真面目にちゃんと聞いてくれる人、のことです。
    父はいい線いってるんですけどね。なにぶん父は母の味方なのでいらんところで母の要素が混じってしまうのですよ…
    末の妹も同様の理由でギリギリアウトなのですよ。
    次女はダメです、私の話を真面目に聞く意思が感じられない。たぶん話を聞いても理解できないと諦めてるんだと思います。
    母は…これ、説明するのも嫌悪感わくんですけど、私が話をするじゃないですか、最初は聞いてるのかなと思ってるんですけど、途中から話が終わる前に口をはさんでくるってか私の話の中の気に入らない部分をとりあげて採点してくるんですよ、お前は赤ペン先生かよってな具合に。だから母とは真面目な話したくないんですよ…
    あ、長男は嫌です。そもそも顔合わせたくないですし話したくないです。

    ネットに「話し相手がいない理由」っていうのがあったんですけど、その中になるほど、というものがありました。
    「話す相手が自分の話を評価してくるから」
    確かに、と思いました。
    「それはダメだよ」とか「それがいいね」とか。
    私たちは人に評価されたくて話をしているのか?と。いいや私は違う、と。
    それで話し相手がいない、なのですよ。
    私は別にケチつけてほしくて話してるわけじゃないのに粗を探してはそこは違うとか常識的にはこうだろとか…うるせえよ!!!

    この間たまたまヤフー知恵袋に質問したら回答が11件もあって嬉しくて全員に丁寧な返信したらちょっとだけそれに返信返ってきて…すごく嬉しかったです。私の真剣な悩みに真剣に回答して私とわずかですが真剣に議論してくれて…私の話をちゃんと聞いてくれたんです。
    でも知恵袋だと質問がなければ話なんてできませんし…

    果たして私はこの世界で話し相手に巡り会えるのでしょうか…
    to be continued...

  • 後悔と反省の話

    2019-07-06 22:39
    後悔することと反省することは、因果関係はなきにしもあらずだが、基本的には別のものである。

    反省する、ということは、過去の行いをふまえて今後どうしていくのかの判断材料にする、ということである。
    そして後悔する、ということは、過去の行いに対してああしなければ良かった、あるいはこうしておけば良かった、と思う行為である。そう、言ってみれば思うだけである。
    こうして冷静に分析してもわかるが、私に言わせれば反省に対して後悔とは極めて生産性の低い非合理的な考えである。

    別に後悔に苦しむ人間を馬鹿だと罵る気はない。
    頭で理解できても心で納得できない人間など五万といるのだから。

    先日の記事に書いたとおり、私たちは時間という止まらない列車に乗り続けていて、引き返すことはおろか、止まることさえできない。
    過去の行いも、その時見た景色も、全ては私たちの思い出の中にしかない。
    もちろんその思い出にいろんな意味で振り回されている人もたくさんいるが、思い出は思い出でしかない。そして今もまた今でしかない。
    過去を生かして今をより豊かに彩るならともかく、過去に囚われ今と未来に制限を設けるような生き様は、なんというか非合理的極まれりって思いますね。

    そりゃもちろん周りが過去の行いで自分を不当に評価するのは世の常ってものですが、それもふまえて今後どう動くのか、というのは自分だけの問題でしょう。
    薄汚い醜い自分の過去も自分の一部なんだから、それを周りに受け入れてもらえるか、じゃなくて大事なのはそんな自分を自分だと受け入れてあげられるかってことでしょう。もちろん自分自身が。
    周りの評価なんてものは結局副産物にすぎないんですよ。
    そんなものに心動かされるのは結局自分でしかないし、心動かされた結果行動を変える変えないの判断をするのも自分、自分の世界には自分しかいないんですよ。
    周りの評価を変えたくて行動する…のも自分ですが、それって目的と手段入れ替わってないですかねってたまに思います。

    ちょっと話がそれましたけど、私の辞書に後悔の文字は基本的に無いって話です。
    あっても1分足らずで消えますw
    後悔する暇があったら反省してるって話でした。