現代社会に関するエッセイ
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現代社会に関するエッセイ

2017-12-02 20:28
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 暇なのでエッセイを書く事にする。大体いつも自分の中に書きたい事ができたら書くのだが、今回は何も考えずに書く事にする。

 さて、最近、現代の世の中とか自分について知りたくて、色々な本を調べていた。で、大体見当はついてきたのだが、その見当を普通に伝えるのは色々無理だと感じている。が、漠然と感想を書いていこう。整理がてらに。

 例えば、夏目漱石という作家がいる。色々考えて、漱石がどういう風に小説を書いていたか考えてみると、まず、新しく現れた近代的人間というものがあって、それを描写して近代文学を作ったのが夏目漱石だと言える。そこでは、作家より先に社会がある。激変する社会において、作家は非常な知的努力と苦しい内的葛藤を強いられるが、それを乗り越えた作品は偉大になりうる。

 これはドストエフスキーも同じで、農奴制が崩壊し、西欧から新しい理念や制度が現れて、社会は混乱していた。大きく言えば、大衆全体が向上してきたという事で、かつてのメインだった貴族は崩壊した。トルストイはあくまでも貴族の立場に立って整然とした作品を書いたが、それらが全て幻想だと知ったドストエフスキーにとっては、もはやそういう堅固な立場は取れなかった。

 「未成年」のエピローグにドストエフスキーの本音が珍しく書いてあるが、「未成年」の主人公のような人物はかつては上流社会に組み入れられていたが、今はそうではないという事を言っている。ラスコーリニコフもそうだが、あれほどの知性・能力を持った青年が社会の下層というか、底辺化した社会を彷徨わなければならない。北村透谷の言う「最暗黒の社会」である所の「露国」とはそういうもので、秩序が崩壊した所では、優れた青年が奇矯なイデオロギーにとらわれるのは奇矯でもなんでもない、というのがドストエフスキーの洞察だった。

 昔、北村透谷の論文を読んでいた時は(なるほど、そんなものかな)と思っていたが、読み返すと、「最暗黒の社会」というのは、今のの日本社会だってそうじゃないかという気がしてきている。

 実感から言うと、例えば、知的に優れた人、瞠目すべき人というのが、ネット上で無名で何かを発信しているのを見かける。それに比べて、表面的に社会の上に出てくる人が実に浮ついた、つまらない人だったりする。もちろん、単純化はできないが、そういう印象がある。

 現在の社会は秩序化が十分なされた社会であると共に、それが崩壊している社会でもある。「サラリーマン」「お茶の間」といった言葉はかつては社会の中心観念を占めていたが、もう崩壊している。しかし、秩序が崩壊してもどこから始めれば誰もわからないから、やはり人は過去に頼ろうとする。または性急なイデオロギーとか、犯人探しに熱中する。誰もが不安である。

 例えば、東大とか慶応大なんかにかつての栄光がないのは誰もが感じているだろうが、なんだかんだ言ってそれに変わるものはないから、自分の子供には「勉強しろ」と言う。かつての価値観が壊れているのは感じつつも、何をどうすればいいのか誰もわからないから、とりあえず過去の価値観をなんとか保とうとする。ホワイト企業に入って幸せな家庭を作る…なんていうのも、良かった過去になんとか安住しようという努力であるように思われる。

 大学とか銀行、出版社のようなものがかつての栄光を失っている。一方でユーチューバーのような新しいものが出てきているが、泡沫の観は否めない。社会が激変しているようだが、それについていけない。個人はばらばらになり、平穏な家庭は望めない。人の結びつきは瞬間的で、他人行儀で、会社との関係も単に労働力と賃金の関係でしかない。共同体とか大きな価値観から見放された個人は、自分をどこに所属させればいいかわからない。こういう不安な状況に耐えられない人は、叫び出す。叫ぶ人間というのは恐怖に耐えられなかった人だと思っている。

 では、こうした社会でどうしていけばいいのか。一体、何をすべきなのか。冷静に考えれば、まともな事を言っている人は一人もいない。僕も何も言っていない。さて、どうするか。

 女性が男に求める年収が、現実と大きく乖離しているというニュースを見たが、こんな時代では金ぐらいしか当てにならないというのが女性の心理なのではないかと見ている。女性が金にがめついとか、いや、愛があればいいとか、そういう事ではなく、金があった方がまだせめて不安が和らぐという心理だと見ている。

 で、こういう激変する時期においてどうすればいいのかは僕にはよくわかっていない。ただ、自分の関係する文学という領域においては、方法論を変えなければいけないと感じている。一人の人間においてはかつてより一層、個の意識が強くなる。自分というものが強くなり、他者との距離が離れる。一方では、社会とか人々の共同観念は極めて巨大になり、自分を捨ててこれと一致すれば、一時的に安楽にはなれるが、根源的な不安は消えない。社会の表面は泡立っており、様々な事が瞬間的に明滅し、消えていくが、自分という存在は社会に押しつぶされ、単なる歯車のようにしか感じられない。こういう時にファシズムが起これば、強引に作られた共同観念にとにかくも一致する事が教義となっていくだろう。互いに嘘をつきあって、嘘を真実としてしまえば、自分自身である不安は取り除かれるという寸法である。個人的には自分の不安にどっかり腰を下ろすほかない。

 色々な事を考えているが、自分も社会に生きている一人の人間である以上、社会に従う他に手がない。利口者が裏で陰謀を企てているのが全ての原因なら楽だが、実際はそうではない。大抵の人は、善人でも悪人でもないし、私利私欲に塗れた人とか極端な悪人なんてほとんどいない。だが、多くの人はなんとなく社会の雰囲気に合わせていくし、雰囲気はいつの間にか変化している。全体がゆっくり変わっているのだが、全体を見る事が、自分が部分に組み込まれている為に難しい。

 そういう中にあっても、個人的に色々知りたいと思っている。形骸化した社会制度と、肥えた大衆の目が世界を支配している。知る事は、それらも含めて知る事を意味する。ショーペンハウアーの哲学において、認識が意志を越える一瞬があるように、僕も大気圏を突き抜けて世界を見たい(知りたい)と、個人的には思っている。


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本当に分析するタイプの文章を書くのが上手ですね、一冊あらゆる物事を分析した本があれば買って読んでみたいぐらいです、金があったほうが心が安らぐというのはまさに目からうろこで、
結局どんどんあらゆる個人の手から社会は離れて行くんでしょうね、誰も止められないし誰も手が付けられなくなる、
革命心も反骨精神も膨らみようがない、ベーシックインカムでも実現すれば間違いなく全部解決するでしょうけどね。
33ヶ月前
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