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 君は孤独か?寂しいか?
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 君は孤独か?寂しいか?

2014-03-27 13:49



     
     例えば、今、色々な小説家が世の中にいるが、『思想』を持っている作家というのは幾人いるだろうか。あるいは、例えば、今の歌手の中で、『自己表現』を感じさせる歌手は何人いるだろうか。
     こんな事を言うのは他でもない。今、この時代が手先だけの、技術全盛の時代になっているという事を言いたい為だ。しかし、そんな事ばかり愚痴っていても仕方ないのだろう、と思う。しかし、今の僕にとって愚痴る事が唯一、僕の生の本質であるので、少しばかり愚痴らせてもらおう。
     君が聞いていなくても。

     『思想』というのはもう既に古びたものとして取り扱われている・・・・というより、それはこの世の中にはもうないものとして扱われている。何故か?・・・それは、現に存在しないからである。
     よく見るレビューに、「うまい」とか「へた」とか、「日本語としてどう」とか、「有名な〇〇は☓☓と言っていた」みたいなレビューがある。・・・もちろん、それは結構なレビューなのだが、余りに結構すぎるのではないか。人々は人々にとって、「うまい」「へた」みたいな共通の尺度を持っている。そして、その尺度であらゆるものを計って、そうして断罪し、あるいは称揚して、得意である。だが、人々の尺度を計る尺度はあるのだろうか。それとも、それは人間の手には届かない神の尺度だというのか。
     人はどんな暴虐をしても、許される。何故かといえば、もはや人間そのものが一つの基準だからである。これは真に、ニーチェの功績であろう。彼は世間から見ればただの狂人だったが。
     人間共通の尺度を人々が疑わないのは自明の事かもしれない。・・・人々は未だに、コペルニクス前の世界にいて、安定した大地の上で、安定した生活を繰り広げている。・・・いつの時代においても、それを中心として回っている、天動説的地球というものは存在している。そして、それがどんなに科学的装飾を装い、真理をうたおうと、無駄な事である。それら、安定した地盤というのは、結局、新たな人間の手によってぶっ飛ばされる為に存在する。・・・少なくとも、僕はそのように思っている。世界にはもちろん、安定した地盤というのは必要だが、それは安定を求めれば求めるほど、崩壊するたぐいのものである。・・・・今は、公務員が安定しているから、人気だという話を聞いた事がある。だが、先に言っておくなら、公務員以上に安定していないのは、その人の人生である。・・・つい今しがた、僕はネットで、「恋愛は金がどうか」みたいな事を識者が論争している、という記事を読んだ。そんな事に特に興味はわかないが、それに対する、ネットの論も含めて、僕は一つの問いを自分の中に感じる。そもそも、この社会が指定した恋愛というシステムを何故、僕達が無条件に肯定せざるをえないのか?。・・・現代では、もう言うまでもなく、家族、恋人、友人、そういったものが、社会システムに飲み込まれてしまっている。それは、かつては違ったのかもしれない、とも僕は思う。そうした、個人的な交友関係というのは、かつては社会と対立する存在、あるいは社会に対して独自性を持った領域だったのかもしれないが、今はそうではない。それは社会システムに完全に融合し、そして、個人的な、パーソナルな部分を完全に失いつつある。今、現実は劇場と化しているのであるから、恋愛も、また友人関係も一つの劇場である。そして、金はこの劇場で、特等席を取ったり、または自分がそのような俳優に化ける事のできる、その切符のようなものである。では、こうした、この社会が用意した劇場にうんざりした僕のような人間はどうすればいいのか。・・・多分、死ぬしかないのか?。・・・いや、死は向こう側からやってくるだろう。僕が死ぬにはまだ早い。僕は、アルチュール・ランボーのように颯爽とはしていないのだ。
     では、この世界で一体、どうすればいいのか?。
     そんな事は知らない。・・・知った事ではない。
     この劇場で踊るのも、いいだろう。それは、実にいい事かもしれない。体にも、健康にもいいかもしれない。健康。自分のための健康。だが、君の健康は結局、死のための健康だという事も僕は言っておきたい。健康マニアというのは、既に自己矛盾した言葉である。それは、川に流されながら、必死に泳いでいる姿にとてもよく似ている。・・・結局、僕達は流されるのだ。そう、流される事は、変わりはしない。先ほど、ハンナ・アーレントを読んでいたら、彼女が「不死」と「永遠」との違いについて語っていた。・・・なかなか、面白い論考だったが、僕なりにそれを簡単に言うと、次の一言につきる。「不死」は「永遠」に無限に近づこうとするが、しかし、それに到達する事は決してない。不死とは既に、生から逃避である。生からの逃避がそれこそ『永遠に』続くのは、地獄そのものではないか?。・・・しかし、人が今、望んでいるのはそのような事である。この大規模な資本主義が生んだ、我々の理想とは何か。・・・もう一度、考えてみるべきであろう。大層な正論を吐いている輩を集めてみて、本音を吐かされば、次の一言に集約されるのではないか。
     「自分だけが人と違ういい夢を見て、いい人生を送りたい。自分だけが」
     ルサンチマンが、正義に化けるとは、この市民社会の一般現象であり、そこには国境がない。彼らのルサンチマンが満たされる事はおそらく、永遠にない。彼らはそれこそ、「不死」を求める故に、永遠に人生に満足する事はできないのだ。人生に満足する事が許されるのは、人が、死という人生の裏側の、その半面を自己に引き受けた時のみである。・・・君は知っているだろうか?。人が最も高く跳躍する時、もっとも深く、沈み込むという事を?。・・・そして、この沈み込みこそ、『絶望』という言葉で呼ばれるものだ。この絶望は死を自分の中に引き受けた個体の事だ。・・・死から逃げ出した者には生もないのである。そんな事は、当たり前の事だ。
     君は寂しいか?。君は孤独か?。
     ・・・君がもし孤独なら、どうしてその孤独から逃げ出そうとするんだ?。

     ・・・今、僕は一人でこの文章を書いている。おそらく、僕のこの孤独は、この世界のどこにも昇華される事は決してないだろう。だが、とにかく、僕は書いた。・・・僕は人生を生きなかった。そして、その代わりに、この短い文章を書いた。
     君に聞こう。
     君は寂しいか?。君は今、孤独なのか?。
     もし、君が孤独なら、君は正しい位置にいる事になる。もし、そうでないなら、君は間違っている事になる。・・・それは間違いない。人々と一緒に歩む事こそが、常に人生最大の誤ちだからだ。もう一度聞こう。
     君は今、孤独だろうか?。

     ・・・もし、そうであるならば、例え、この世界が滅びたとしても、君の孤独は世界を越えて、残っている事だろう。・・なあに、この世界などは、一蹴りしてやれば、倒れてしまうハリボテにすぎないのだ。テレビを見てみたまえ。ネットで正論言っている連中を見てみたまえ。・・・どいつもこいつも、ハリボテにすぎないではないか。自分の薄っぺらさをごまかすために、あれこれの手管を使っている連中と、それに騙されている連中、そんな奴らばかりだ。
     もう一度聞こう。
     君は孤独か?。寂しいか?。

     もし、そうなら・・・・いや、それはもう言った。今、僕はこの文章を真顔で書いている。・・実に真剣な表情で。しかし、心の中では、これまでの人生になかったくらいに、大笑いしているのだよ。・・・本当に。おそらく、君にはもう僕の表情が読み取れるはずだが。
     ・・・多分、この文章には何の意味もない。多分、僕は・・・スーツ着て、会社説明会にでも出たほうがいいんだろうがね。まあ、いいさ。このコペルニクス以前の世界にはもううんざりだ。・・・・・僕は最後に、もう一度だけ聞いておこう。



     『君は孤独か?。寂しいか?』

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