誰に向かって書くか ~「理想の読者」について~
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 誰に向かって書くか ~「理想の読者」について~

2015-05-17 20:27



     魔法少女まどか☆マギカはパクリだという記事を書いた人がいて、予想通り炎上している。

     パクリだとか、過大評価というのはよく言われる事だが、その背後には、そう言う人間の卑屈な自己主張がある。しかし、そういう人間を叩く側にも、やはり卑屈な自己主張がある。そうして僕にも卑屈な自己主張がある。結局、全ては卑屈な自己主張である、と言えば単純すぎるかもしれないが。

     以前に、自分の書いたものが動画上の広告などに反映され、一時的にその記事のアクセス数が伸びた事がある。コメントも沢山ついたのだが、今覚えば、「それはそれ」という感じがする。例え、自分に大勢のファンがつき、あるいはそれこそノーベル賞作家になったとしても、クリエイターは必ず「少数の者」に向かって書かなければならない。言い換えれば、書くとは頭の中の理想の読者に向かって語りかける事にほかならないのだが、この理想の読者のレベルは絶対的に高次なものでなければならないと思う。この理想の読者のレベルを引き下げると、書くものの品質もどんどん下がっていく。だから、理想の読者の設定は、作者にとっては一つの死活問題と言える。もっと言うと、それぞれの人間が書くもののレベルは、この読者の設定如何で変わってくるとも言える。

     だから、おそらく、書くとは、未知の、永遠に向かって自分の事をべらべらと喋りかける事かもしれない。昔の偉い人などは、おそらく、神に向かって一人語りかけたのだろう。神がいない今、僕は一体、誰に話しかければいいのか。それは大衆ではない。2ちゃんねらーではない。自分の信者に対してでもなく(そんな人はいないが)、自分のアンチに対してでもない。それはその向こう側にある、ある高次の存在に向かって、だ。

     そして、その高次な存在というものは、おそらく決して現実には存在し得ないものだろう。そしてその魅力の源泉はおそらく、それが現実に存在しないという事にある。荘子などが見抜いていたように、役に立たないもの、現実に存在しないものは正に、それゆえに現実に対して大きな恩恵を与える。そういう事はありうるのだ。それが、僕にとっての「未知」の価値の定義だ。


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