「本当のバカ」とは?
最近、気がつくと「死んだ人の声」を探している。
昔なら「そんなの無理な話」だったろうけれど、今はYouTubeなんかに「もう生きてない人の対談番組」とか「講演会」とか「インタビュー」が沢山上がっているのだ。
テレビは「うわべの話」と「うわべの笑い」ばかりで観る気にはなれない。
そんなこんなで、作画中にずっと「昔の人の声」を聞いています。
今も生きている人でも何年か前の声を聞くと、それはもう別の人に聞こえたりします。
そして、多くの人の会話は「生きている」のです。
そんなわけで、かなり昔の「細野晴臣、大滝詠一対談」を聴いていたら、素晴らしいくだりがありました。
この2人は大学生からの友人関係です。
ご存知「はっぴいえんど」で、一時代を築いた伝説の人です。
そんな2人が、だらだらと、どうでも良い事を話している様で・・・その実「かなり深い話」をしているのです。
2人は言います。
「海の生き物はいいよねえ」
「餌なんかさ、いくらでもあるじゃない、プランクトンとかさ」
「自分自身も餌なんだけどね」
「そうそう」
「でも、それに気づいてないじゃない」
「それがいいよね」
「自分とは何ものだ?なんて考えないじゃない」
「最高だよね」
大体そんな感じで話しています。
「なのに、わざわざ海を捨てて陸に上って来たのが、僕らの祖先じゃない」
「バカだよねえ」
「バカだよ」
「だから、バカになってないとやってられないんだよね」
「そもそもバカだからね」
なんてね。
もうずっと聴いていたい。
陸に上がった魚の進化について、科学者なんかは、「その昔、海は恐ろしい肉食生物が増えて、弱い魚は川に逃げ込んだりして、岸辺の水草をかき分けるためにヒレが手足が進化して「陸」という「新天地」を手に入れたのだ」なんて言ってます。
それもまた「本当のこと」なのかもしれないし、そういう話も好きなんだけど、「海はいいよねえ」なんて「絵本」みたいな世界観の話も好きです。
ここで言う「バカ」ってのも興味深い。
僕らのご先祖様は、生き延びるためにヒレを足に変えてまで(うきぶくろを肺に変えてまで)陸に上がった、「かっこいいバカ」でもあるわけです。
1方で、
「そこまでしなくてもいいじゃない」
「餌になるのもいいじゃない」
なんて言ってたのが、今も海にいる連中で、こっちの方がなんだか悟っている気がして悪くない。
ところで。
「バカ」と言えば、近年やたらと「〇〇はバカ」「頭が悪い」「論破」「瞬殺」なんていうキャッチを目にする。
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