「退屈」対「面倒くさい」
久しぶりに「とある友人」に会った。
いつ会っても「退屈している」友人だ。
昔から世間話が一通り終わると、必ず「なんか面白いことない?」と言ってくる。
「なんでそうなるのか?」というのも本人はわかっている。
何かしら面白そうなものはあるのだけど、そこにたどり着くまでが面倒くさいのだ。
メディアには「面白そうな人生」を生きている人達が溢れている。退屈とは程遠く見える。
華やかなステージで何万人を前に歌ってたり、本を出したり、ネットなんかで何千万も稼いでいたりする。
とはいえ「いいよなあ、才能のあるやつは」なんていう底の浅い嫉妬は少しでも本人の事を調べれば大抵吹き飛ぶ。
才能の塊みたいな『大谷さん』だって才能だけであの感じになったわけではない。
いきなり故障してリスクのある手術をして、長いリハビリを耐えてからの大活躍だ。
そんな話になると「いやいや、何も『大谷さん』クラスに人生を充実させたいわけではないんだよ。少しでも何か面白い事があればいいだよ。でもそれが面倒くさいんだよねえー」なんて・・その友人は言って笑う。
もう何年も続く「いつもの会話」だ。
【『面倒くさい』に負ける自分】
偉そうに言いながら、僕もかなりの「面倒くさがり人間」だ。
「それじゃダメだ」とわかっていても、気がつくと「いつもの店」で「いつもの料理」を注文している。
玄関には何年も前に壊れたテレビが置いてある。
穴の空いた靴下が普通にある。
十数年前は面白くもないテレビのバラエティーを惰性で見ていた。
そんな自分が自分の人生を「つまらなくする」のはわかっていた。
なのである時期からは「悩んだらやる」というのを基本にした。
その時は「断ればよかった」と思う事もあるけど、まあ大抵はやった方が人生は「面白く」なる。
「面倒くさい」は自分を少しづつ殺していくので恐ろしい。
「面倒くさい」を倒した人は大抵は元気だ。
【面白いことを始める友人】
そんな友人とは逆に、常に「退屈知らず」な友人もいる。
ヤングサンデーでいうと「松本ジェダイ」なんかの動きが面白い。
数年前まで「海外旅行に行ったこともない人間」だったジェダイ君は、おっくんに無理やり誘われ、いきなりアフリカの砂漠に連れて行かれた。
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