「壊れない漫画家」が泣く時
「人魚の肉を食べると不老不死になる」という八百比丘尼(やおびくに)の伝説は昔から多くの作家を惹き付け様々な作品に使われている。
高橋留美子の「人魚シリーズ」はその伝説を中心にして描かれたオムニバス作品だ。
主人公「湧太」は500年前に人魚の肉を食べて不老不死になった男。
彼と出会う少女「真魚」は人魚達が住む村に「生贄」として攫われ幽閉されて育った女の子だ。
彼女は人魚達の若さのために「人魚の肉」を食べさせられ「不老不死」となる。
この世界では人魚の肉は「猛毒」で、ほとんどのものは「なりそこない」と呼ばれる「化け物」になってしまう。
人魚の肉を食べ、無事に不老不死になるものはわずかだという。
湧太と真魚はその数少ない「特別な存在」だ。
これは「天才」のメタファーにもとれる。
圧倒的な天才は、嫉妬される事は多くても、中々その辛さや孤独を理解しては貰えない。
本編でも語った通り僕は「化け物にならない不老不死の少女・真魚」は「高橋留美子本人」だと感じた。
詳しい話は本編で語っているのでそちらを見て貰えばいいのですが、実は今回語っていない話があるので、ここで書くことにします。
【猿田彦とベルリン天使】
この作品を読んでいてまず浮かんだのは、もちろん手塚治虫の「火の鳥」だ。
不老不死になれるという「火の鳥」の生き血を飲んだ人間の悲劇と、それに囚われたもの達の悲劇が折重なる重い作品だ。
この作品では「永遠に1人ぼっちで生きる猿田彦(など)」が出てくる。
彼は手塚治虫自身の「天才故の苦しみと孤独」を体現しているキャラクターだった。(ヤンサン火の鳥の回で詳しく語ってます)
もう1つ思ったのは、僕の放送ではお馴染みの「ベルリン天使の詩」に出てくる「死ねない天使」だ。
何かに選ばれたが故に「普通の日常」も「普通の老い」も「普通の死」も体験できず、そんな「普通」を生きる人達を別次元から眺めることしかできない。
高橋留美子という「天才」もある種の別次元から「普通の人達」を眺めていたのだと思う。
【自分以外の天才】
孤独な人生を宿命として背負う真魚に、同じく「孤独な人生」を背負わされた「湧太」が現れる。
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