マグリットと村上春樹と進撃の巨人
今回「ルネ・マグリット」という超有名な画家の人生を掘っていて感じたのは「戦争体験のPTSD」だった。
これならすべての辻褄が合う。
第1次世界対戦を現場で体験した世代の画家は「本物の狂気」を知って「言葉を失った」のかもしれないのだ。
いやむしろ「感情を失った」に近い気がする。
30代で戦場を経験した「デ・キリコ」は重い精神的ダメージを受けて、その後「思考を絵画にする」という形而上絵画を発明するのだ。
感情が吹き飛ばされた後で正気を保つために論理的思考にしがみつこうとしたのだろう。
でも「言葉」が機能しない。
矛盾に満ちた狂気の世界を伝えるには「絵画」は最適だったのだと思う。
そんな作品に出会ったマグリットも同様に戦争の狂気を体験していたはずだ。
彼がキリコの作品に出会って涙したのは、戦争体験で壊れた心を表現できる可能性を伝えてくれたからだろう。
特に若い時期は世界にある種の「正しさ」が存在すると思い込んでいる。
「悪いヤツ」がいてそいつを倒せばみんなが幸せになるのだ、みたいなわかりやすい世界観だ。
「悪いやつを一発殴って解決」みたいなのは気持ちがいい。
ところが世界は思ったより複雑だ。
そもそも「悪」やら「正義」がはっきりしない。
「あいつは悪魔だ」と思っていた相手が自分と同じような「普通の人間」だと知る・・・これって「進撃の巨人」のガビが体験したものと同じものなのだけれど、マグリットやキリコは実際にそういう経験をしたのだろう。
そして強烈に思い知るのは「世の中は自分の思い通りにはならない」という事だと思う。
放送中におっくんは「マグリットの絵には拒絶されている感じがする」みたいな事を言っていた。
確かにマグリットは心を閉じて(隠して)いるのだけど、完全に拒絶しているわけではない。
静かに(自分の体験した)「不条理な世界」を見せて、見る者に「君はどう思う?」と聞いているのだ。
「俺をわかってくれ!」というのではなく「君はどう?」なのだ。
つまりマグリット作品は「哲学アトラクション」であり、放送で言っていた仏教の消えた「禅画」なのだと思う。
【PTSDアート】
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