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ヤンキー文化論という名称について
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ヤンキー文化論という名称について

2013-12-29 12:48
  • 11

ヤンキー文化論という名称

ヤンキー文化論という名称は、あまり適切ではない。なぜならヤンキー文化という存在が、曖昧になってしまうからだ。

ヤンキーとはなにか?

みんな大好き wikipedia を見ると、ヤンキーというのは、蛮カラから始まっているということになっている。

明治時代の蛮カラは、基本的に地方の良い家の息子たちだ。あの当時は資金的な余裕がなければ、学問はできない。だから彼らは、普通に生活が出来る程度の仕送りはもらっている。

しかしながら彼らは、炊事や家事などしたことがない。ある意味、生活力のない人々である。さらに言うと、金銭の使い方のバランスもおかしい。月初めに肉と本を買った後は、友人の金頼みという者すらいる。汚い服を着ていては、体面に関わるという概念に乏しい変人もいる。そんなわけで自然に弊衣破帽(破れた帽子に汚い服)になってしまう。

汚い格好でありながら、学問に邁進し、若者らしく時には無茶をしつつも、実は良家の息子であるというのが、最初期の蛮カラのイメージである。

それなら明治の蛮カラと、今のヤンキーとは関連がないんじゃないのとしてしまうのはおかしくて、彼らは今も生きている。

蛮カラの特徴のひとつ、弊衣破帽というのは、汚いものが恰好良いという価値観だ。今も残る汚いけれど美味い店というのは、典型的なそれだろう。こういう風に、明治の価値観は今も根強く残っている。

それでは蛮カラが今のヤンキーにどのように繋がったのか、あくまで私の推測なのだけれども、横浜などの愚連隊経由じゃないかと考えている。彼らは戦前から残っている浪花節的な価値観、つまりは弊衣破帽的なスタイルが男らしいとする思想を持っていた一方で、進駐軍からの払い下げ物資や輸入品によって、西洋的な感覚も持ち合わせている。

つまりアメリカナイズされた浪花節が、後に不良ファッションとして花開いたととかいう推測なのだが、この時代のことはあんまり調べてないからなんともいえない。

意味が分からない名称

ここでヤンキー文化論のお話に戻ろう。

そこで語られるのは地元に根付き、仲間と家族を大事にする多くの普通の人々だ。

つまり多数派の人々を論じているのだが、ヤンキーのご先祖である蛮カラは、一種のヒーローだった。明治という時代はヒーローに乏しい。だから学生である蛮カラですら、ヒーローになってしまう。向学心に燃える少年たちは、蛮カラの噂を聞き当然ながら憧れる。

愚連隊も蛮カラと同じく、一種のヒーローだった時代がある。書名などは曖昧だが、いじめられる少女を優しい愚連隊のお兄さんが助けてくれるというような少女向け絵本すら存在していたように記憶している。彼らは少数派だからヒーローとして扱われる。愚連隊はもちろん少数派、現代の学校内で本格的なヤンキーや不良の割合を調べてみたら、やはり少数派だという結果が出るだろう。

そもそも蛮カラは、地元に根付き、仲間と家族を大事にしたりはしない。学問を収めるために地元から飛び出し、人によっては世界制覇まで目指しているのだから、ヤンキー文化論で語られる人々と性質は正反対だ。

この時点で、わざわざヤンキー文化論という名称にしている意図が分からない。

もうひとつ、ヤンキー文化論では、オタクに対するヤンキーという捉え方がよくされているようだ。

しかし蛮カラは、オタク的な要素も持っている。ヤンキーの元祖である蛮カラ学生には、すぐに人を殴り付ける乱暴な奴もいるが、人と話をしない変人も多い。その一方で議論が好きで、一日議論ばかりしている奴もいる。彼らは新しいものが大好きで、キリスト教や日蓮も好き、最新鋭の技術も好きで、学問に打ち込む者もいる。オタクとバンカラは、似た者同士だとも言える。

さらに言えばいわゆる不良たちも……と書きはじめるときりがないので止めておくが、すでにあるヤンキーという概念を、日本の普通の人たちを呼ぶ総称として使っていることに、私は納得することができない。

間違ったイメージの害悪

ヤンキー文化を論じる人々にとって、明治の学生から始まり、愚連隊たちがアレンジした文化というのは下等な存在なのだろう。だから雑な扱いをしてしまうのも仕方がない。

しかしこういう雑な名称は、後に出てくるはずのヤンキー文化を研究しようとする人々にとっては害悪となる。

私が下等文化とされている講談速記本を調べているから、強く実感していることなのだが、間違ったイメージを多くの人々が持っている事柄というのは、非常に扱いにくい。口述筆記といえば円朝、講談速記本といえば立川文庫、明治の小説は純文学、これは全てが間違った認識だ。ヤンキーはダサい、ヤンキーは仲間と家族を大切にする、ヤンキーは地元から出てこない、これらも全て間違った認識である。

こういったイメージが定着してしまうと、非常に面倒なことになる。対象物を解説する前に、間違ったイメージを改めてもらう作業が必要になってしまう。

ヤンキー文化論という名称が広がってしまった今となっては仕方のないことなのだが、もう少しだけ考えていてくれていればと思わないわけではない。


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他1件のコメントを表示
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最近オタク論が少々弱まった矢先にヤンキーヤンキーいう人が、例えば斉藤環とかいたりするけど、
>『ヤンキー文化を論じる人々にとって、明治の学生から始まり、愚連隊たちがアレンジした文化というのは下等な存在なのだろう』
これは逆ではなかろうかw。要は言論をやっている人にとって自分らのような教養文化とは蚊帳の外のような下俗的なモノってのを形容する「オタク」ってのが言論界隈で流行しなくなったから新たにヤンキーってのが出てきただけなのではないかと。
つまり、ヤンキーが下等なものと思われているのではなく、たんに新しく自分たちより下級な文化の言い表し方として出てきただけなのではないかなあと。オタクが作ってヤンキーが消費、とかいう時にしても、基本的に相手を自分たちほど世の中を見ていない消費者、という捉え方のもとで展開している理論なので。
92ヶ月前
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犯罪者の詭弁論でええねん
92ヶ月前
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両家って・・・
文章くらい見直せよ
92ヶ月前
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誤字すみません……
92ヶ月前
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ヤンキーなんてただの不良だろが!?
92ヶ月前
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けんかえれじいに出てきたような『不良』なんて、今やメルヘンかファンタジーの世界の住人だよ
少なくとも私ゃ見たことないなあ
いるのは群れなきゃトイレにも行けない不良を気取るグズかクズ
92ヶ月前
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ニコニコのせいか、本来ヤンキーになりそうなやつが、どんどんオタクになってる気がする。
92ヶ月前
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ばかばかしい
バサラ、カブキ、ヤクザ等、何時の時代もはずれ者はいて、呼称も移り変わるだけだろ

92ヶ月前
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相変わらず馬鹿でキチガイな記事だ。
コイツマジで一回精神病院入ったほうがいいな。
てか誰か収容してくれ。
92ヶ月前
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??????
10文字でどうぞ
81ヶ月前
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