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大正時代のチャップリン
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大正時代のチャップリン

2013-12-17 22:04
  • 2
映画を使って強引に小説を作るという文化があった

明治から大正の終りくらいにかけて、映画小説なんてものがありました。どういうものかっていうと、オッさんが映画を観て曖昧な記憶を頼りにして小説にするという形式のジャンルです。

この頃はまだまだサイレント映画の時代だから、はっきりいって観てもストーリーがよくわからないみたいな作品もあった。(文化も違うしね)だからオッさんはヤマ勘で映画小説を書きます。途中で理解できない部分があって、話が変になると、いくつか観た映画のなんとなく覚えている場面をつなげて書いたりもする。

そうこうするうちに、映画の登場人物で適当に小説を書くみたいなスタイルも登場してきます。今でも少しだけ有名な怪盗ジゴマは、こういった手法で大量の作品が作られました。

さらに講談速記本では……などという風に細かく書くと大変ですから止めにして、とにかく日本には映画を使って強引に小説を作るという文化があったというわけです。

そういった流れの中で、当時日本で大人気だったチャップリンさんも小説にされてしまいます。

チャップリンへの認識

今だと文明が発達しているから、映画のチャップリンとチャップリン本人は別人だって分かりますけど、明治や大正の人間というのは意識が曖昧な上に雑だから映画と現実の区別とか付かない。だからチャプリン?とかいう奴は映画で変なことしてるから、実物も変なことしてんだろがみたいな認識になってしまう。

そんなわけでイラストも下みたいな感じです。




下のイラストとかマジやってんだかわからないんですけど、とにかく大正時代の日本では、チャップリンは女好きな上に変なことをするといった雑で荒い認識をされていて、雑で荒い認識のまま勝手に小説にされてしまう。



その雑で荒い認識によって発生した奇妙な小説を本日は紹介しようというわけですね。

チャップリン大会
まず紹介するのはとにかくイラ付く本で、タイトルの時点でイライラしてくる。



勝手に大会にされているのだから、これはチャップリンさん怒ってもいいですよって思うけど、この大会というのは短編集くらいの意味合いです。当時は滑稽大会といったタイトルの本やら、映画の企画やらがあった。だからチャップリンさんにも理解していただきたいところなんだけど、小説の中での扱いも酷い。

物語の舞台は日本、日本通ぶったチャップリンが失敗するというストーリーで、次に紹介するのは蕎麦屋で薬味かけすぎてみんなにバカにされるチャップリンを描いたイラストと、飯を食うチャップリンの見た日本人の感想です。




要するに人種差別なんだけど、そんなことは小さな問題である。

本当の問題は作者が疲れてしまい、チャップリンの日本旅行が20ページくらいで終るという点である。それでどうするのかっていうと、先に出版されたチャップリンの映画を小説にした作品(冒頭で紹介した映画小説ってやつです)を適当に写してページごまかしたあげく、それにも飽きて最終的に自分が書いた怪談話でごまかします。



これは赤子が毎晩のように、去年の今夜を覚えているか、去年の今夜を覚えているかと恐しい声で叫ぶという怪談話で、とっても恐い作品なんだけど、チャップリン全然関係ぇねぇだろ。

しかもこの本はこれでは終らない。最後の数ページは変な怪談の歌が羅列されます。



『かきくけこ』とか読むころには、チャップリンのことなんか、みんな完璧に忘れているのみならず、実はこの作者、怪談と歌の部分だけ抜いた小冊子みたいなのを別の題名で出してんだよな。




ニコニコじゃねぇよといいたいところですけど、明治大正だとこういうのは普通にあった。再利用とか盗作とか当たり前だし、後藤又兵衛の本を買ったら中身は西郷隆盛で、又兵衛なんか一度も出てこないというような作品もありますから、チャップリンが出てくるだけマシだと言えましょう。

イカれた書物

明治や大正時代には君たちの知らない素晴しい本が沢山あるんだ。だからさっきの酷い作品は忘れることにして、まともな作品を紹介していきましょう。



またもやタイトルの時点でイライラしてくるけど、タイトルだけで決め付けるのは良くない。実際に読んでみると、チャップリンが東海道中膝栗毛の弥次さんの子孫『弥次八』と一緒に日本を漫遊するというストーリーで、これぞクールジャパンといったイカれた作品である。なんてこった!! 俺たちは日本に完敗している!!今この瞬間日本はいつか行ってみたい場所になったぜ!

というわけでなにがすごいか詳しく解説していきますと、この物語ではチャップリンが現実の世界で、映画と同じような行動を取ります。だから人を車で跳ね飛ばし病院送りにしたりする。普通なら懲役ですけど、しかしそこは世界のチャップリン、金で全ての問題を解決します。



それだけでなく、チャップリン自身も死にかけたり、異常者として扱われたりします。



そりゃまあ映画と現実は違うんだから、現実の世界で映画みたいな行動したら死んだり異常者扱いされちゃいますよね。だからチャップリンは子供にすら馬鹿にされてしまう。



そして話が進むにつれてチャップリンの地位はどんどん低下していき、最終的にはチャプ扱いです。



この後、チャプは風俗に行ったり回転木馬の馬部分を購入するなどして金がなくなり、最終的に日本の映画会社から借金して終りなんだけど、こんなもんちっともニコニコ漫遊じゃねぇしかなり不快な旅行である。



こんなこと言われなくてもチャップリンさんは帰ると思う。

こういう文化があったのです

作品の質はどうあれ、日本にこういう文化があって、映画と小説の関係はなかなか深かった。紙芝居も映画の表現を真似たりしていますし、忍者という世界に誇るべきコンテンツがありますが、あれを確立するためにも、映画は大きな役割を果しています。

煙を出して忍者が消るという表現がありますけど、あれを広げたのは映画です。もちろん他のジャンルも映画から影響を受けるだけではない。最初に近代的な忍者のイメージを
作ったのは講談速記本です。

しかしながら講談速記本も、映画によって人気者になった忍者を逆輸入し、立川文庫というものを作ったりします。


このように文化というものは単体では成立しない非常に複雑な存在なわけですけど、それとは別に昔の日本が変なことを書きましてチャップリンさんどうもすみませんでした。
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「僕の金のありつたけ出す」でさすがに吹き出した。チャップリンで始めて怪談で締めても許されるような、自由で適当な時代もあったんだなと。
90ヶ月前
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チャプリン君も汽車の窓から飛べば死ぬ(至言)
大爆笑いたしました。
89ヶ月前
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