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明治人の創造力がレイシズムを超えたッ!!
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明治人の創造力がレイシズムを超えたッ!!

2014-02-12 16:17
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日清戦争時のレイシズム

日清戦争の時代、日本人は清国の人々を、チャンチャン坊主、芥子坊主、豚尾漢などといった蔑称で呼んでいた。

これはなかなか歴史のある蔑称でして、明治十六(一八八三)年にはすでに新聞紙条約などで、お前らこういうの書くの止めとこうなって禁止されてもいる。

ところがそれらの蔑称が、日清戦争で復活する。なんでかっていうと日清戦争で日本好きな奴らが興奮しすぎたからで、清国の悪口を歌にした書籍が大量に出版され大人気になってしまうのです。




こういうのが100とか余裕で続く地獄みたいな書籍で、今の人が読んでも意味があんまり分からないと思うけど、とにかくそういう本が存在したのです。

[事例:日清戦争における李鴻章への悪口について , 日清戦争時の児童文学]

戦後の人らはこういう創作物を見て、日本というのはレイシズムの国だッと怒ってたんだけども、そういうことを言う人は基本的には忙しいし、頭も冷静だから上記のようなイカれた書物を延々と読んだりしない。

しかしながら俺は暇だし、イカれた書物を延々と読み続ける訓練を受けているから、延々とそういうゴミみたいな本を読み込む。

それで俺の出した結論なんですけど、日清戦争の時に日本好きな奴らは妄想しすぎて、最終的にレイシズムとかどうでもよくなっています。

面白ければなんでもいいという態度

まずはこのイラストを見てほしい。



これは今田耕司さんみたいな人が、歌を唄って清国の人がゲラゲラ笑ってるイラストなんですけど、要するに清国の悪口を歌にした書籍の表紙です。
こちらでは巨人師匠が清国の人を笑かしていて、最早日清戦争とか関係なくなっている。




さらに調子コイた奴らは、戦勝祝賀会で日清戦争の歌を唄って女にモテるというような書籍まで出してしまいます。



こういう風に日清戦争後半になると、みんながだんだん戦争とか清国とか飽きてきて、面白けりゃなんでもいいだろという態度になってくる。こちらはお竹どんっていう歌のパロディーなんだけど、高度すぎて今や誰も分からないだろう。


日本人の妄想は広がり続ける


こうなってくると、面白いことを思い付いた奴が勝利という状況になってくる。



そして我々が現在も楽しんでいる創作物の断片の様なものまで発生し始めるのである。

まずはこのイラストを見ていただきたい。




変なマスクみたいなのをしてるのが日本人なんですけど、はっきりいってどこからどう見ても、興奮しすぎて頭がイカれたおかしな奴が、大人の癖にスーパー戦隊シリーズごっこをしているようにしか見えないが、この時代にはスーパー戦隊シリーズなどないし、一人ぼっちで頭も外見もおかしな奴が変なことをしているようにしか見えないわけで、完全完璧な悪夢だと言えよう。

しかしこのオッさんのイラストはまだマシで、妄想力のある奴らはさらなる愚行に突き進むのである。

少年少女冒険活劇前夜祭

現在のアニメや漫画では、少年少女たち自身が冒険をし、活劇などにも参加をしている。ところが日清戦争関連の諸作品では、子供は直接戦争には参加しない。なぜなら当時の文章や物語の技術では、子供が無理なく戦場で活躍する物語を作ることが出来なかったからです。

すでに小犬が活躍するこがね丸とかはあったけど、あれは作者が一種の天才だから書けたわけで、普通の奴はそんなことは出来ない。だけど妄想だけはすごいから、少年少女冒険活劇前夜祭というような状況にまでは辿り着いていて、こちらは日本少年軍のイラストです。




こいつらが戦争行ったら殺されて終りだろって感じなんですけど、当時はそういった疑問を払拭させるだけのイラストや物語の技術力がなかったというわけです。


ただし気合なら大丈夫だろというわけで、こういうイラストは存在する。




これは日本の子供が清国人を気合で攻撃しているイラスト、こういった妄想が後に形となり、後に少年少女冒険活劇作品として花開くいていくわけですけど、日清戦争の時点で、すでに創造力と妄想力によってレイシズムとかプロパガンダとか全く関係なくなっている。

弁髪がスポーツになる

最初に書いたように、清国の人々の弁髪が豚の尻尾に似ているところから、日本人は豚尾という蔑称を作り上げた。ただし豚尾を連呼しすぎたため、みんなが飽きてくるという状況が発生し、弁髪の有効利用を思索する人々が発生する。

言うまでもないことだが、現在の日本において、弁髪というのは武器である。




ジャンプコミックス 魁!!男塾 11巻 1988年 集英社 宮下あきら




集英社文庫 キン肉マン 6 1999年 集英社 ゆでたまご

宮下先生や中井先生(ゆで)の漫画を読み、彼らはレイシストだッ!などと主張する奴がいたら、かなり頭がパーになっているわけだが、明治の時点でこういう状況である。




これは提灯を弁髪に吊し徒競走をするというスポーツ競技、次のイラストは弁髪で円形を作り綱渡りをするという技能である。


こちらは弁髪を利用した高飛びという、またもや全く新しいスポーツです。




弁髪は武器というのも異常だが、弁髪はスポーツだという主張も狂っており、明治人はすでに現代人の宮下先生や中井先生(ゆで)と同じ程度にイカれていたということになる。

これも
ステレオタイプ的な清国人像じゃないかッ!! とかホザく奴いるかもしれないけど、こんな奴は世界のどこにも存在しない。いたら是非とも友達になりたいので、連れてきてください。

白昼夢の時代

日清戦争時に異常な話術を駆使した清国の悪口書物が出版されたのは事実なんですけども、いつまでも同じことばかりホザいてる奴はただのアホで、妄想力が強い奴らは次々に斬新な悪口を創出していく。

ところが創出しすぎた結果、平和になったりスポーツになったり、子供が気合で人を飛ばしたりするようになっていく。日清戦争というのは真面目な事件であって、人も死ねば金も使う。そんな状況にあっても、妄想する事を止めなかった奴らがいたというのは、なかなか素晴しい。

ただし彼らには、技術力がなかった。だから妄想を、ひとつの作品として残すことはできなかったのである。

この件に限らず明治という時代には、未来を夢見て様々な妄想をするけれど、実用化には至らないという状況がわりとある。いわば明治というのは白昼夢の時代で、彼らの空想が現在の日本で実現しているというわけです。


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面白いなあ。こういう記事大好きです。
86ヶ月前
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面白そうな記事では有るが、どういう説明文が付き、どういう文脈で使われた絵なのかが分からないのであまり楽しさが伝わらない。
このブロマガの記事はどれも文体がふざけ過ぎていて読み難い。
86ヶ月前
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