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軽々さん のコメント

>>女たちによる火の神への反乱
なにがおこったんですかね...
No.1
79ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
寒月君のガラス玉作り 『ひとり鍋は実に良い』 という記事を書いているうち、写真があまりに汚いのと、鍋の歴史が気になってしまった。 そんなわけでデジカメの機種と鍋の歴史を同時に調べていると、どういう経緯かは忘れてしまったけど、夏目漱石が『吾輩は猫である』でニコンについて薄っすらと言及していることに気付いてしまった。 先に書いておくと漱石研究というのは盛んで、漱石について発見されていないことはないと言われるくらいだ。だからこれも私が知らないだけで、実は有名な話なのかもしれないが、面白かったので記事にしておくことにした。 『吾輩は猫である』は漱石の初期作品で、猫の目を通して人間社会が描かれる。登場人物の行動はかなり誇張して描かれているが、実在の人物がモデルになっている場合もある。 そんな『吾輩は猫である』に、水島寒月という理学士が登場する。寒月君のモデルは寺田寅彦とされていて、物語中で彼はこんな行動を取っている。 「ええ、なかなか複雑な問題です、第一蛙の眼球のレンズの構造がそんな単簡なものでありませんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりませんが、まず丸いガラスの球をこしらえてそれからやろうと思っています」 「ガラスの球なんかガラス屋へ行けば訳ないじゃないか」 「どうして――どうして」 と寒月先生少々反身になる。 「元来円とか直線とか云うのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです」 「ないもんなら、廃たらよかろう」 と迷亭が口を出す。 「それでまず実験上差さし支つかえないくらいな球を作って見ようと思いましてね。せんだってからやり始めたのです」 「出来たかい」 と主人が訳のないようにきく。 「出来るものですか」 と寒月君が云ったが、これでは少々矛盾だと気が付いたと見えて 「どうもむずかしいです。だんだん磨って少しこっち側の半径が長過ぎるからと思ってそっちを心持ち落すと、さあ大変今度は向側が長くなる。そいつを骨を折ってようやく磨潰つぶしたかと思うと全体の形がいびつになるんです。やっとの思いでこのいびつを取るとまた直径に狂いが出来ます。始めは林檎ほどな大きさのものがだんだん小さくなって苺ほどになります。それでも根気よくやっていると大豆ほどになります。大豆ほどになってもまだ完全な円は出来ませんよ。私も随分熱心に磨りましたが――この正月からガラス玉を大小六個磨り潰しましたよ」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html より 大学の研究室で寒月君がガラスを摺り続けているというエピソードで、後に寒月君は『珠磨りの名人理学士水島寒月』などと呼ばれからかわれている。 誰がなんのためにガラスを削っていたのか 寒月君のモデルは寺田寅彦、だからガラスを摺り続けていたのも寺田寅彦だと思ってしまいそうになる。ところがある本に、ガラス玉を削ったのは寺田寅彦ではないし、その目的も理想的な球を作るためではないと書かれている。 それでは誰がなんのためにガラスを削っていたのか? 『帝大教授学生気質』 (泉豊春 文成社 明治四三(一九一〇)年)によると、こういう事らしい。 大学前の眼鏡屋と結託して頻りと種々の物を拵えさせている。それだけでもなお飽き足らなくて自身教授室に機械を据え付けて眼鏡屋の職工もどきに頻りとゴシゴシ擦り始めた。それはそれは熱心なもので、毎日云々弁当持参で朝から晩の十時頃まで電気を付けてゴシゴシと擦り付けた。かかる事約四五ヶ月に及んだ。いつ行っても理科大学校の教授室の窓から電気の光が漏れていて、もう寝ようという小使いが外から見ても先生まだやっているなという調子。 それでも熱心は恐しいもので、到頭四個ばかり大目玉(レンズ)を擦り上げた。それを何に用いるという訳ではなかったが、先生は大得意。もちろん日本であの度量の難しいレンズの出来たのは理科大学の教授鶴田賢次博士の手によって仕上がった。それがはじめてなのである。 ところがこの眼鏡屋先生の一件、詳しくは水島寒月、実は寺田寅彦君の出来事に塗りつけて、夏目さんの猫に乗っている。 帝大教授学生気質 泉豊春 文成社 明治四三(一九一〇)年 というわけで、ガラスを削っていたのは鶴田賢次さんという物理学の教授、目的は精度の良いレンズを作るためである。なぜ精度の良いレンズを作っていたのかというと、レンズの国内生産のため東京計器製作所と共同研究をしていたからだ。今でいうと、産学連携ということになるのだろう。 東京計器製作所のレンズ部門は、後に岩城硝子製造所、藤井レンズ製造所と合同し、三菱の資本で「日本光學工業株式會社」になっている。これが今のニコンである。 鶴田賢次教授、つまり寒月君のレンズ磨きが現在のニコンの技術の源流となり、そのレンズ磨きについて漱石が『吾輩は猫である』で言及しているというのはかなり面白い。 本当の話なのか? ところで明治というのはいい加減な時代で、『帝大教授学生気質』のような本の記述を、そのまま信じることは出来ない。必ず裏付けを取る必要がある。 そんなわけで 調べてみると、鶴田賢次さんが東京計器製作所と共同でレンズを作っていたのは本当の話らしい。 鶴田賢次(明治26-36年物理学・助教授、ドイツ留学から帰国後教授昇任し、明治44年まで講座担当、大正2年辞任)は、日露戦争後の明治39年に、東京計器製作所が光学計器部を設置して海軍の技術援助により光学兵器の研究を始めると同時に招聘され、航海用望遠 鏡などの摸倣・製作を指導した。 https://www.nier.go.jp/kankou_kiyou/kiyou135-061.pdf より これでかなり信憑性が上がるといいたいところなのだが、ガラス磨きエピソードが書かれた時期の問題がある。 漱石の『吾輩は猫である』の執筆期間は明治三八から三九年の間、寒月君のガラス磨きが書かれたのは明治三八年の夏から秋にかけて、その発表は十月である。『日露戦争後の明治39年に、東京計器製作所が光学計器部を設置して海軍の技術援助により光学兵器の研究を始める』という記述から考えると、猫の執筆時期と時代が合わない。 これで話の信憑性が薄れてしまった。 それでは『大学前の眼鏡屋』という言葉はどうなのだろう? 東京計器製作所の住所は以下の通り。 小石川だから、東京大学とかなり近い。地図だとこういう感じ。 今の感覚では遠く感じてしまうものの、明治人は現代人よりずっと歩く。当時の感覚だと『大学前の眼鏡屋』で正解としても良いと思うが、これに関しては微妙としておこう。 次に漱石がこの話を仕入れることが出来たのかという方面で考えてみる。 漱石自信も東京帝国大学で講師をしていたが、文系だから鶴田さんのガラス摺りの噂を知ることが出来たかどうかは怪しい。 ところが猫が書かれていた時期、寺田寅彦さんは東京帝国大理科大学で講師をしていた。 鶴田賢次さんのレンズ磨きの噂を知ることが出来ただろう。 猫に出てくる「首縊りの力学」は、寅彦経由で漱石に伝わったネタである。寺田寅彦がガラス磨きという格好のネタを仕入れたとすれば、漱石に伝えないはずがない。 当時の帝大に、レンズを磨き続ける教授が何人もいるわけもなく、やはり『我輩は猫である』でレンズを磨いていたのは、寺田寅彦ではなく鶴田賢次の可能性が高い。 そんなわけで自然な流れを推測すると次のようになる。 まず鶴田賢次さんが東京計器製作所に依頼して、レンズ作りを開始する 日露戦争が終った頃でもあり、光学機器の需要が見込める そこで東京計器製作所が鶴田賢次さんに共同研究を申し出る あくまで推測なのだが、これ以上の確証を得るためには、東京計器さん、あるいはニコンさんに問合せするしかない。しかしながら所詮は一個人の好奇心を満すために調べているだけだなので、ここらで止めておくことにする。 ところで最初に書いた鍋の歴史については、明治以前の家庭内における鍋は女たちによる火の神への反乱だということが分かったところで満足し、調べるのは止めてしまった。ついでにデジカメについてだが、実のところ私は漱石ファンなので、うっすら漱石とつながりのあるニコンの製品を購入することにしようと思っている。
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